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リーヴ村再生編
第1話 名を失った地に加護は降りない
しおりを挟む――名を失った地に、加護は降りない。
だからこそ、名を与えねばならない。
それが“地主”の務めだった。
蛍光灯の白い光が、書類の角を照らしていた。
都心の高層ビルの一室。20時を回っても、執務室には人の気配がない。
「……あと、もう少し……」
柿野優人は、画面に目を細めた。
ファイルは三つ。物流施設に関する「契約変更」や「覚書」の草稿。
条文をコピーし、数字を照らし合わせ、リスクを潰していく。
机に突っ伏したくなる疲労感。
それでも手を止めなかったのは、責任感か、惰性か。
「……期限は……30日じゃ短いか……」
やがて、眼鏡が汗で滑りはじめ、シャツの襟が肌に張りついた。
外気は冷たいはずなのに、体が火照っていた。
ネオンが滲む窓の外。
東京の夜景が、どこか他人のもののように見えた。
「俺、何のために……」
そんな言葉が口をつく前に、立ち上がった足元がふらついた。
壁に手をつき、響く心臓の鼓動。
何かが、壊れかけている。
⸻
気づけば駅にいた。新橋の地下通路。
自販機の光がまぶしく、白すぎた。
背中に、何かがぶつかる。
「……っ」
景色が揺れた。音も、光も、全部が遠のいていく。
ただ、なぜか――
麦の穂が、風に揺れるのが見えた。
土の匂いがした。
「……土……?」
その瞬間、すべてが、音を立てて、静かになった。
⸻
境界にて
暗闇ではなかった。
けれど、光もなかった。
耳はあるが音はない。
目は開いているはずなのに、何も映らない。
“空白”――その言葉が一番近い感覚だった。
『来て』
鼓膜ではない場所――胸の内側に、声が響く。
『お前の名は柿野優人。働き続け、削り続け、何のために生きてきた?』
「……わからない」
『この地には、“聞く者”が必要だった。
土の声を、風の揺れを、そこに住む者たちの想いを、拾い上げる者が』
『お前は、まだ壊れていない。ぎりぎりのところで、踏みとどまっていた』
『今、お前の魂は、壊れる手前にある。
もしも、“誰かのために立ちたい”と願うなら――』
『来い。
地を守り、暮らしをつなぐ、“地主”として』
「地主……?」
『名を捨て、罪を継げ。“カイン”という名の下に』
声が遠ざかる。
『これは救いではない。
試練だ。……それでも、お前は“選ばれた”』
風が吹いた。
視界の奥が、金色に揺れた。
⸻
目覚め
次に目を開けたとき、そこにあったのは、藁の匂いと木の天井だった。
天井の梁には、蜘蛛の巣がひとすじ揺れている。
鼻に触れるのは、土と乾いた草の匂い。
遠くで鳥の鳴き声が聞こえた。都会では、もう聞いたことのない声だった。
「……どこだ、ここ……?」
軋む寝台。冷たい床。
壁の隙間から、朝の光が差し込んでいる。
そして、彼の名は――カイン・ユースト。
(……これは、始まりだ)
名を問う旅の、最初の一歩が。
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