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第二章
09.竜騎士エステルと星の乙女
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「…………」
タルコット先生は、王妃様が金目の王子を生めないことがショックだったらしく、額に手を当て椅子に深く体を預け、黙り込んでしまった。
王子はそんな恩師のことを放って私の手を撫でている。
「老師、お気を確かに」
とテレンス様の方が真剣に心配している。
侍従の方が、お茶と本日のお茶菓子、果物の砂糖漬けを用意して下さったがそれを見て王子が言った。
「ケーキはないのか。エルシーはケーキが好きだろう?」
「いえ、好きですが、そういう雰囲気ではないみたいですから今はいりません。私達、婚礼の儀式の話で来たんですよ。グレン様、婚礼の儀式嫌だって聞きましたが、何か理由あるんですか?」
王子は撫で撫でを止めて私に言った。
「婚礼の儀式はお前の負担が大きい。あれはとうに廃れた慣習だ。父もしなかったし、祖父もしなかった。その前の代の王もしてない。だからお前と俺もする必要はない」
「ですが、それはグレン様のお母様とひいお祖母様も外国から来た王女様だったからだと聞きました。お祖母様は国内の令嬢でしたがちょっとお体が弱かったとか」
「エルシーも体が弱いことにしろ」
「嘘はちょっと。とっても健康です」
「だが……」
と王子は躊躇する。
儀式の婚礼の支度は妃が整えるという習わしなのだ。
一番大変そうなのは、魔除けの効果があるというイラクサの糸でハタを織り、王のマントを作ることだ。
イラクサの糸は絹や綿などと違って固く、ハタを織るのは辛いらしい。
王子はそれを聞いて私に機織りをさせたくないと言い出したのだ。
王子は私の手をそっと握る。
「こんなに小さくか弱い手で機など織れはしまい」
と言うが。
「ハタ、織れますよ、私」
「エルシーがか?」
王子は怪訝そうに私を見る。
失礼な。
「はい。イラクサでハタ織ったことないですが、機織りは出来ますから多分マント作れます。母から教わってます。母は得意なんですよ」
今から五百年前、この辺りは果ての地と呼ばれ、一面の荒れ野であった。
人々は痩せた土地で羊などを飼い、細々と暮らしていた。
竜騎士エステルがこの地に来た時、彼と彼の竜はひどい怪我を負っていた。
特に竜は翼を痛め、飛べない状態だったという。
羊飼いの娘であったかの少女、のちにエステルの妻となった少女の名は分かっていない。
当時は女性の名前を文書に残す習慣がなかったらしく、今では『星の乙女』と呼ばれるその娘は、岩山の洞窟にエステルと彼の竜を匿った。
当時その地は人の心も荒れており、見知らぬ者は疎まれ、殺されることもあったのだ。
ましてエステルは強大で恐ろしい獣、竜と共にいた。
傷が癒えたエステルと竜は、荒涼たる土地を開墾した。
見る間にそこは緑の大地となり、やがていくつもの部族に別れ争っていた人々をまとめて、エステルは王となった。
……というのが我が国の始まりである。
今は竜の国と呼ばれて平和で豊かな王国となったが、その始まりの土地ルルスで初代の王の婚礼にして戴冠の儀式は密かにその子孫達に受け継がれてきた……ということらしい。
星の乙女は夫のためにイラクサの糸でハタを織り、王のマントを作ったそうだ。
エステルと彼の竜に初めて会った時、少女は羽織っていたマントを脱ぎ、それを包帯のかわりに傷口に巻き付けたといわれている。それもまたイラクサのマントだったそうだ。
エステルは野に咲く花で傷薬を作り、自身と竜の傷を癒やしたという伝説があり、そうした野草を編んで作った花冠が王の最初の冠であった。
イラクサのマントに花の王冠。
このものすごく質素な恰好で、かつて星の乙女がエステルとその竜を匿った洞窟のあるルルスの地で結婚式を挙げるのが、王家の真の婚礼らしい。
ルルスの地というのは、王都から百五十キロくらい離れた高原だ。
かなり不便な場所なので、王家にとって始まりの土地ではあるのだが、エステルもここに都は作らなかった。
時代が下り、さすがに外国の王女様や体の弱い姫君に機織りさせるのはちょっと……ということになり、数代前から廃れた慣習らしいが、タルコット先生はこれも王家に伝わる大事な儀式なので出来ればやって欲しいのだそうだ。
昔から家の女主人が、糸を紡ぎ、ハタを織り、家族の服を作った。今では機織りも裁縫の仕事も専門の職人がするもので、こうした風習も廃れつつあるのだが、まだ我が家のような旧い家では残っている。
高位の貴族令嬢のたしなみは刺繍なのだが、高位ではない子爵家などの貴族では機織りや裁縫が令嬢のたしなみなんである。
いわゆる花嫁修業の一つとして母親から習う。
専門の職人と比べると所詮は素人仕事なのだが、私はハタが織れ、マントくらいは作れるのだ。
それにすでに糸は用意されてしまっている。
イラクサはチクチクする野草で、その草の中の繊維をより合わせたものを糸と呼んでいる。この繊維を糸にする作業の方が実は大変なのだが、それは王子が二十歳の頃からいつお嫁さんがきてマント作っても良いようにとすでに六着分の糸が用意されているそうだ。
そこまでされるとちょっと断れない私である。
タルコット先生は、王妃様が金目の王子を生めないことがショックだったらしく、額に手を当て椅子に深く体を預け、黙り込んでしまった。
王子はそんな恩師のことを放って私の手を撫でている。
「老師、お気を確かに」
とテレンス様の方が真剣に心配している。
侍従の方が、お茶と本日のお茶菓子、果物の砂糖漬けを用意して下さったがそれを見て王子が言った。
「ケーキはないのか。エルシーはケーキが好きだろう?」
「いえ、好きですが、そういう雰囲気ではないみたいですから今はいりません。私達、婚礼の儀式の話で来たんですよ。グレン様、婚礼の儀式嫌だって聞きましたが、何か理由あるんですか?」
王子は撫で撫でを止めて私に言った。
「婚礼の儀式はお前の負担が大きい。あれはとうに廃れた慣習だ。父もしなかったし、祖父もしなかった。その前の代の王もしてない。だからお前と俺もする必要はない」
「ですが、それはグレン様のお母様とひいお祖母様も外国から来た王女様だったからだと聞きました。お祖母様は国内の令嬢でしたがちょっとお体が弱かったとか」
「エルシーも体が弱いことにしろ」
「嘘はちょっと。とっても健康です」
「だが……」
と王子は躊躇する。
儀式の婚礼の支度は妃が整えるという習わしなのだ。
一番大変そうなのは、魔除けの効果があるというイラクサの糸でハタを織り、王のマントを作ることだ。
イラクサの糸は絹や綿などと違って固く、ハタを織るのは辛いらしい。
王子はそれを聞いて私に機織りをさせたくないと言い出したのだ。
王子は私の手をそっと握る。
「こんなに小さくか弱い手で機など織れはしまい」
と言うが。
「ハタ、織れますよ、私」
「エルシーがか?」
王子は怪訝そうに私を見る。
失礼な。
「はい。イラクサでハタ織ったことないですが、機織りは出来ますから多分マント作れます。母から教わってます。母は得意なんですよ」
今から五百年前、この辺りは果ての地と呼ばれ、一面の荒れ野であった。
人々は痩せた土地で羊などを飼い、細々と暮らしていた。
竜騎士エステルがこの地に来た時、彼と彼の竜はひどい怪我を負っていた。
特に竜は翼を痛め、飛べない状態だったという。
羊飼いの娘であったかの少女、のちにエステルの妻となった少女の名は分かっていない。
当時は女性の名前を文書に残す習慣がなかったらしく、今では『星の乙女』と呼ばれるその娘は、岩山の洞窟にエステルと彼の竜を匿った。
当時その地は人の心も荒れており、見知らぬ者は疎まれ、殺されることもあったのだ。
ましてエステルは強大で恐ろしい獣、竜と共にいた。
傷が癒えたエステルと竜は、荒涼たる土地を開墾した。
見る間にそこは緑の大地となり、やがていくつもの部族に別れ争っていた人々をまとめて、エステルは王となった。
……というのが我が国の始まりである。
今は竜の国と呼ばれて平和で豊かな王国となったが、その始まりの土地ルルスで初代の王の婚礼にして戴冠の儀式は密かにその子孫達に受け継がれてきた……ということらしい。
星の乙女は夫のためにイラクサの糸でハタを織り、王のマントを作ったそうだ。
エステルと彼の竜に初めて会った時、少女は羽織っていたマントを脱ぎ、それを包帯のかわりに傷口に巻き付けたといわれている。それもまたイラクサのマントだったそうだ。
エステルは野に咲く花で傷薬を作り、自身と竜の傷を癒やしたという伝説があり、そうした野草を編んで作った花冠が王の最初の冠であった。
イラクサのマントに花の王冠。
このものすごく質素な恰好で、かつて星の乙女がエステルとその竜を匿った洞窟のあるルルスの地で結婚式を挙げるのが、王家の真の婚礼らしい。
ルルスの地というのは、王都から百五十キロくらい離れた高原だ。
かなり不便な場所なので、王家にとって始まりの土地ではあるのだが、エステルもここに都は作らなかった。
時代が下り、さすがに外国の王女様や体の弱い姫君に機織りさせるのはちょっと……ということになり、数代前から廃れた慣習らしいが、タルコット先生はこれも王家に伝わる大事な儀式なので出来ればやって欲しいのだそうだ。
昔から家の女主人が、糸を紡ぎ、ハタを織り、家族の服を作った。今では機織りも裁縫の仕事も専門の職人がするもので、こうした風習も廃れつつあるのだが、まだ我が家のような旧い家では残っている。
高位の貴族令嬢のたしなみは刺繍なのだが、高位ではない子爵家などの貴族では機織りや裁縫が令嬢のたしなみなんである。
いわゆる花嫁修業の一つとして母親から習う。
専門の職人と比べると所詮は素人仕事なのだが、私はハタが織れ、マントくらいは作れるのだ。
それにすでに糸は用意されてしまっている。
イラクサはチクチクする野草で、その草の中の繊維をより合わせたものを糸と呼んでいる。この繊維を糸にする作業の方が実は大変なのだが、それは王子が二十歳の頃からいつお嫁さんがきてマント作っても良いようにとすでに六着分の糸が用意されているそうだ。
そこまでされるとちょっと断れない私である。
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