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2「高校生モデル」
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関の勤め先は大手商社系列の貿易会社だ。
三カ月の出張明け、やや離れ小島的な位置に与えられた自分の椅子の感触に慣れた頃、葎から会社に電話が入った。
しかし、関は電話を受けた社員に不在であると言わせ、自分は出なかった。
長身で強面の二枚目の上、社交的でなく、社内で親しい友人も作らない彼は、ここ一週間、さらに人を近づかせない重い雰囲気をまとわりつかせていた。
そんなある日のこと。
昼休みの終わり頃、関が午後に使うデータをPC上でチェックし始めたとき、不意に、隣の部署の若い女性社員が彼の目の前に飛び込んできた。
「関さぁん、北川リッくんと知り合いって本当ですかぁ?」
「───」
「あたし、今、外でお昼取って来たんですけど、入り口のところでモデルの北川リッくんが受付の人と喋ってんの見て、びっくりしちゃって、ファンだったから思わず話しかけちゃったんですよ。そしたら関さんを訪ねてきたって言ってたんで、鋼管建材の関一久さんですかぁ、隣の部署の人ですよぉって言ったらその人だって」
「───」
本人の持つ雰囲気や外見の割に、女性はもちろん、年下の社員に対してどんなひどいミスをしても感情的に叱ったことのない関だったが、この時ばかりはミーハーな彼女を睨みつけたい衝動を抑えるのに苦労した。
仕方なく関が一階のエントランスに降りていくと、受付デスクの前で女性の担当者と楽しそうに話している、どう見ても遊び人にしか見えない高校生の姿があった。
「関くん!」
葎は弾んでいたらしい会話の余韻のまま、明るい笑顔で彼を振り返った。
幼いというのともまた違う、なんとも可愛らしい、同年代の女の子にはかっこいいと評される整った目鼻立ち。
美人の受付担当は、クールなハンサムなのに性格その他で損をしていると有名な男性社員・関一久がくん付けで呼ばれたことに驚いて、それから上品にクスクスと笑い出した。
通常であれば心地よいと感じられる響き。───しかし、
「だってオレが十歳の時からの付き合いだもんねぇ」
「葎!」
関は思わず声を上げた。
しかし、そこに怒りの色はなく、その表情はどこか悲しげで暗かった。
見上げた葎はふっと表情を改め、関を誘うようにして受付から離れた。───興味深そうに二人を眺める美人には一瞥もくれずに。
関も黙って彼に従った。
エントランスロビーのガラスの壁際の観葉植物の陰に行くと、葎はビジネスライクに行き交う人たちには聞こえないようそっと囁いた。
「───あんたが悪いんだよ。電話したのに出なかったろ。だから無理矢理来ちゃったんだ」
「………」
「関くん」
焦れた声。
「会って───どうすんだよ?」
関はガラスの向こうのビルの敷地に目をやりながら声を潜めて答えた。
「………分かんない」
葎は男の、何も気取らせない横顔を見つめながら言った。
「───でも………会っちゃったろ。一度でも思い出しちゃったら………もう一度忘れんのにものすごい時間かかんだから………その間メチャクチャ辛くって───そのくらいなら会った方がいい。あんたに嫌がられんの、分かってたし、なにしたいかなんてオレにも分かんねーけどね」
「………」
「関くん………」
「もう───いいだろ」
こうやって一度は会ったんだから、と言外に告げた相手に、葎は真面目な顔で首を横に振った。
「葎」
「あんたのこと聞かせて」
「………」
「あれから………なにしてたの? どうして急に親父の会社辞めたの? あんな急に………。なんも言わず………」
矢継ぎ早の問いに関は顔を歪めた。
だが今ここは昼休みが終わったばかりの会社の中───ということを思い出して、彼は強いて元の無表情に戻った───ようだった。
「───会って」
「………分かった」
一度は頷くしかなかった。
その日の遅い午後に関が指定したのは、会社から地下鉄で一駅の距離にある有名ホテルの、外国人が多くを占めるラグジュアリーなラウンジだった。
香ばしい紅茶が上品すぎる、と笑いたくなる、いかにもな場所。
「社長と………お父さんと会ってんのか?」
「ううん。ここんとこ全然。二年くらいいっぺんも会ってないかも。関くん、いなくなっちゃったから行く用事もなくなったし」
「………」
関は大学中退後、二十歳の時、小さな運送会社に就職した。社長宅に下宿するほど可愛がられていたが、三年目の夏、辞表も出さず突然その会社を辞めてしまっていた。
葎はそこの社長の息子だった。
出会った頃、葎は十歳。
離婚で揉めていた社長夫婦のせいでナーバスになっていた葎の話し相手になって欲しいと、関は拾ってもらった恩ある社長に頼まれて───小さな子どもはどちらかといえば苦手だったが───不器用なりに一生懸命葎に気を配り、結果、実の父親より彼に懐かれた。
それから関が会社を辞める直前まで、たった三年の、短いとも長いとも言えぬ歳月が、今思えば二人にとって一番楽しい時間だった。
「あの時………親父、珍しく怒ってたな。もともと激しやすい人だったけど。でも同じくらい心配してたよ。関くん、すごい真面目に働いてたから、よっぽどの事情があってあんな非常識なことしたんだろうって」
「………」
「───おかしいよね、関くんが、なんて………」
含みのある、というより省略しすぎている葎の言葉。だが関には一語一句、その意味を理解することができた。
「ねえ………今、どんな暮らし、してんの? 勤め先………は分かったけど。まともな暮らし、してるみたいだけど………」
「………おまえは………」
「オレ?」
「モデルやってるって………」
「え?」
葎はなぜ知っているのか? といった顔をしたが、昼間、自分がメッセンジャー代わりにした、関の隣の部署だという女性社員のことを思い出したらしい。
「モデルって言ってもアルバイトみたいなもんだけど。でもワリいいし、タダであっちこっち行けるから楽しいし、続いている。オレにしてはね」
「学校は? 今、高三………だろ?」
「ああ、うん。………最近はサボり気味かなぁ」
「………」
「なんも言ってくんねーの? 昔みたいに。ちゃんと宿題しろよ、とか、学校行けよ、とか………ああ、もうオレには興味ねーんだ」
「………」
「というより、昔だってオレになんか興味なかったんだよね。親父に頼まれたから仕方なくオレに合わせてただけで」
「! 違っ………!」
「いいよ、べつに。関くんはオレに責められるようなことはなんもしてねーんだから」
「───」
カラッと軽い口調ながらも葎の瞳に暗い影がさす。
今が人生の───若さが匂い立つようなこの青年にも深い傷を残したのだと───関はその時初めて思い知った。
というより、葎はずっと幼い胸を悩ませていた。自分のことだけではない、両親の諍いと生々しいやりとり、結果、生まれ育った家を離れることになったり、土日だけその家で過ごすことになったり、気持ちを無視されたこと、そして、自分のこと………。
───その暴発が五年前のあの日になった。
だからといって………。
「………」
今さらどうにもならない。
過去に何があろうと、現在の関には譲れないものがあり、それゆえ一言たりとも余計な口をきくことはできないのだ。
見事な袋小路。───最初から分かっていたことだが。
関はこの再会の時を、もうこれで終わりにするつもりで立ち上がった。
追うよう目を上げた葎はそれを十分に承知していた───が、かといって、これで引き下がるつもりはなく………。
「また───電話するよ。今度は出てね」
「!」
幼い頃と変わらぬ涼しげな目元。だが今はきつい意志の光を宿す瞳から逃げるように、関は顔を背けるとその場を後にした。
三カ月の出張明け、やや離れ小島的な位置に与えられた自分の椅子の感触に慣れた頃、葎から会社に電話が入った。
しかし、関は電話を受けた社員に不在であると言わせ、自分は出なかった。
長身で強面の二枚目の上、社交的でなく、社内で親しい友人も作らない彼は、ここ一週間、さらに人を近づかせない重い雰囲気をまとわりつかせていた。
そんなある日のこと。
昼休みの終わり頃、関が午後に使うデータをPC上でチェックし始めたとき、不意に、隣の部署の若い女性社員が彼の目の前に飛び込んできた。
「関さぁん、北川リッくんと知り合いって本当ですかぁ?」
「───」
「あたし、今、外でお昼取って来たんですけど、入り口のところでモデルの北川リッくんが受付の人と喋ってんの見て、びっくりしちゃって、ファンだったから思わず話しかけちゃったんですよ。そしたら関さんを訪ねてきたって言ってたんで、鋼管建材の関一久さんですかぁ、隣の部署の人ですよぉって言ったらその人だって」
「───」
本人の持つ雰囲気や外見の割に、女性はもちろん、年下の社員に対してどんなひどいミスをしても感情的に叱ったことのない関だったが、この時ばかりはミーハーな彼女を睨みつけたい衝動を抑えるのに苦労した。
仕方なく関が一階のエントランスに降りていくと、受付デスクの前で女性の担当者と楽しそうに話している、どう見ても遊び人にしか見えない高校生の姿があった。
「関くん!」
葎は弾んでいたらしい会話の余韻のまま、明るい笑顔で彼を振り返った。
幼いというのともまた違う、なんとも可愛らしい、同年代の女の子にはかっこいいと評される整った目鼻立ち。
美人の受付担当は、クールなハンサムなのに性格その他で損をしていると有名な男性社員・関一久がくん付けで呼ばれたことに驚いて、それから上品にクスクスと笑い出した。
通常であれば心地よいと感じられる響き。───しかし、
「だってオレが十歳の時からの付き合いだもんねぇ」
「葎!」
関は思わず声を上げた。
しかし、そこに怒りの色はなく、その表情はどこか悲しげで暗かった。
見上げた葎はふっと表情を改め、関を誘うようにして受付から離れた。───興味深そうに二人を眺める美人には一瞥もくれずに。
関も黙って彼に従った。
エントランスロビーのガラスの壁際の観葉植物の陰に行くと、葎はビジネスライクに行き交う人たちには聞こえないようそっと囁いた。
「───あんたが悪いんだよ。電話したのに出なかったろ。だから無理矢理来ちゃったんだ」
「………」
「関くん」
焦れた声。
「会って───どうすんだよ?」
関はガラスの向こうのビルの敷地に目をやりながら声を潜めて答えた。
「………分かんない」
葎は男の、何も気取らせない横顔を見つめながら言った。
「───でも………会っちゃったろ。一度でも思い出しちゃったら………もう一度忘れんのにものすごい時間かかんだから………その間メチャクチャ辛くって───そのくらいなら会った方がいい。あんたに嫌がられんの、分かってたし、なにしたいかなんてオレにも分かんねーけどね」
「………」
「関くん………」
「もう───いいだろ」
こうやって一度は会ったんだから、と言外に告げた相手に、葎は真面目な顔で首を横に振った。
「葎」
「あんたのこと聞かせて」
「………」
「あれから………なにしてたの? どうして急に親父の会社辞めたの? あんな急に………。なんも言わず………」
矢継ぎ早の問いに関は顔を歪めた。
だが今ここは昼休みが終わったばかりの会社の中───ということを思い出して、彼は強いて元の無表情に戻った───ようだった。
「───会って」
「………分かった」
一度は頷くしかなかった。
その日の遅い午後に関が指定したのは、会社から地下鉄で一駅の距離にある有名ホテルの、外国人が多くを占めるラグジュアリーなラウンジだった。
香ばしい紅茶が上品すぎる、と笑いたくなる、いかにもな場所。
「社長と………お父さんと会ってんのか?」
「ううん。ここんとこ全然。二年くらいいっぺんも会ってないかも。関くん、いなくなっちゃったから行く用事もなくなったし」
「………」
関は大学中退後、二十歳の時、小さな運送会社に就職した。社長宅に下宿するほど可愛がられていたが、三年目の夏、辞表も出さず突然その会社を辞めてしまっていた。
葎はそこの社長の息子だった。
出会った頃、葎は十歳。
離婚で揉めていた社長夫婦のせいでナーバスになっていた葎の話し相手になって欲しいと、関は拾ってもらった恩ある社長に頼まれて───小さな子どもはどちらかといえば苦手だったが───不器用なりに一生懸命葎に気を配り、結果、実の父親より彼に懐かれた。
それから関が会社を辞める直前まで、たった三年の、短いとも長いとも言えぬ歳月が、今思えば二人にとって一番楽しい時間だった。
「あの時………親父、珍しく怒ってたな。もともと激しやすい人だったけど。でも同じくらい心配してたよ。関くん、すごい真面目に働いてたから、よっぽどの事情があってあんな非常識なことしたんだろうって」
「………」
「───おかしいよね、関くんが、なんて………」
含みのある、というより省略しすぎている葎の言葉。だが関には一語一句、その意味を理解することができた。
「ねえ………今、どんな暮らし、してんの? 勤め先………は分かったけど。まともな暮らし、してるみたいだけど………」
「………おまえは………」
「オレ?」
「モデルやってるって………」
「え?」
葎はなぜ知っているのか? といった顔をしたが、昼間、自分がメッセンジャー代わりにした、関の隣の部署だという女性社員のことを思い出したらしい。
「モデルって言ってもアルバイトみたいなもんだけど。でもワリいいし、タダであっちこっち行けるから楽しいし、続いている。オレにしてはね」
「学校は? 今、高三………だろ?」
「ああ、うん。………最近はサボり気味かなぁ」
「………」
「なんも言ってくんねーの? 昔みたいに。ちゃんと宿題しろよ、とか、学校行けよ、とか………ああ、もうオレには興味ねーんだ」
「………」
「というより、昔だってオレになんか興味なかったんだよね。親父に頼まれたから仕方なくオレに合わせてただけで」
「! 違っ………!」
「いいよ、べつに。関くんはオレに責められるようなことはなんもしてねーんだから」
「───」
カラッと軽い口調ながらも葎の瞳に暗い影がさす。
今が人生の───若さが匂い立つようなこの青年にも深い傷を残したのだと───関はその時初めて思い知った。
というより、葎はずっと幼い胸を悩ませていた。自分のことだけではない、両親の諍いと生々しいやりとり、結果、生まれ育った家を離れることになったり、土日だけその家で過ごすことになったり、気持ちを無視されたこと、そして、自分のこと………。
───その暴発が五年前のあの日になった。
だからといって………。
「………」
今さらどうにもならない。
過去に何があろうと、現在の関には譲れないものがあり、それゆえ一言たりとも余計な口をきくことはできないのだ。
見事な袋小路。───最初から分かっていたことだが。
関はこの再会の時を、もうこれで終わりにするつもりで立ち上がった。
追うよう目を上げた葎はそれを十分に承知していた───が、かといって、これで引き下がるつもりはなく………。
「また───電話するよ。今度は出てね」
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