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【第二章 第一部】
◇ピピとマジロ①(ピピ視点)
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片付けを手伝うというテイルたちの申し出を断り、先に帰らせた後私は、洗い場でちゃぷちゃぷと皿を泡立てていた。皆残さず、美味しいと言って料理を食べてくれたのは、とても嬉しかった。
いい人たちだと思う。
なにより、彼らはお互いを尊重して、助け合う意思がある。
彼らの出会いがどんなものだったのかは知らないが、それは、とても尊いものだと私は思うのだ。多くの人は、他人になどさして興味がないから……。
リュカは私を知りたいと言ってくれたし、他の皆も私がそれを明かすことで傷つくことがあるかも知れないと心配してくれた。
その気持ちが、私にもたらしたものはふたつ――期待と恐怖。
彼らならば、私の秘密を打ち明けても、離れないでいてくれるかも知れないと思う反面、ああして私を気遣ってくれた彼らにまで拒絶されたら……。
(辛いだろうな……)
浮かない顔のまま、しばらく水を出しっぱなしにしてぼんやり佇んでいた私は、扉が開かれる音に気づき、顔を上げる。
「マスター……?」
「痛つつ……なんだ、誰か来てたのか、珍しい……」
誰が戸口に立っているのかは分かっていたが、問題はその姿だった。
「マスター、一体どうしたの!?」
「なんでもねえ……寄ってくんな」
口元に血を滲ませ、腹部を抑えた傷だらけの店主に、私は驚いて駆け寄る。
だが、慌てて救急箱を取り出した私を彼は邪険に振り払うと、倒れ込むように椅子に体を落とし、口の端を歪めた。
「……ハハ、なんだ。もしかして、お前にもオトモダチって奴でもできたか?」
「別に、そんなんじゃ……」
その言葉に、消毒液を付けようとした私は少しだけ手を止める。すると、彼はきつい口調で私に問う。
「なあ、お前いつまでここにいるつもりなんだ」
「……えっ」
言葉に詰まり、肩を揺らしうつむいていると、マジロさんは言葉を続けた。
「お前がこないだ十六になった時にも言ったが、もう俺はお前の面倒を見る義理はねえんだぜ? いや、今までだって……あれを押し付けられてなきゃ、別のことをやってたろうさ」
「で、でも……私がいなきゃ、このお店は」
そう言い募ろうとした私の手を、彼はバシッと跳ね除け、鋭く睨み付ける。
「うぬぼれんなよ。客はそこそこ定着したし、魔物料理なんてキワモノを売りにしなくたってもう十分やっていけんだよ。人手なんざ別に雇えばいいだけの話だしな。へっ、丁度いい、冒険者にでも完全に鞍替えしちまえばどうなんだ」
「どうして……私は、この店が大切で」
「――いつまで人に寄っかかってるつもりだ」
マジロさんの厳しい声が私を揺さぶる。
彼の鋭い目つきは、私を仇のように睨み付けていた。
「お前は自分の人生を探そうとせず、境遇に甘えて流されてるだけなんだよ、俺といる限りな。いい区切りだ……もうこの店にお前は必要ねえ。しばらく店は閉める。その内にとっとと身の振り方を考えろ。いっそのこと、この街から出て他の国にでも行っちまえばいい」
「ど、どうしていきなりそんなこと言うの!? 急すぎるよ! それに、私には……」
私は自分の背中側に目線をやる。その仕草を見て、マジロさんは苦虫をかみつぶしたような顔になり、舌打ちをして私を押しやるとまた外に出て行こうとする。
「待ってよ!」
「もうお前とは他人だ。わかったら、数日の間に荷物をまとめて出て行け……急げよ」
「出て行かない! 出て……行くもんか! 私は……!」
マジロさんは私の言葉を聞かずに、強く玄関の扉を閉め、夜の街に消えてしまった。
私は呆然とした後、店の中へと戻る。
(一体なにが……どうしていきなりそんな)
肩を下げ、洗い場に戻りながらも私は強く動揺していた。
実父でもないのに私を育ててくれた彼は、今まで無茶な要求をしたことがなかったのに。
口数は多くなく、喜ぶ顔もほとんど見たことはないけれど、私が生きて行けるよう、料理や戦い方を教えてくれたのはマジロさんだ。それらが身について、私が冒険者として一人前になるまで……私の秘密を知って店に訪れるならず者からもちゃんと守ってくれた。だから今になってどうしてこんな、遠ざけるようなことを言い出したのかがわからない。
(あの約束、忘れてしまったのかな)
私は背中側の、鏡越しにしか見ることができないそれを想像する。
マジロさんは、昔ある約束をしてくれた。
数日前十六歳となった時、私はそれが叶えられると疑っておらず……その時には、ここまで私を育ててくれた彼にやっとこれまでの感謝を精一杯を伝えられると思っていたのに。それは実行される気配もなく、あんなことまで言われてしまうなんて……。
厨房に戻った私は、洗い桶の中の水に自分の顔を映す。
(私が、こんな目をしていなければ……)
水面にぼやけて映るのは、不安そうな鉛色の右目とは異なる、透明な水晶のような左目。
私はそれを押さえた。
視力もあり、瞳としての機能は失われてはいない。
でもどうしても、自分では好きにはなれなかった。明確に人とは違う水晶の目は、他人からすれば魔物と同じように映るのかも知れない。疎外されることも多くて、私は物心ついた頃から片側の髪だけを長くし、それを隠すようになった。
しかしこれが無ければマジロさんとも出会うことがなかったのかと思うと、自分でもそれがよいことなのか悪いことなのかわからなくなる……。
「……戻ってきたら、もう一回ちゃんと話そう」
私は迷いを消すように桶をぐるぐるとかき混ぜて、水面に映る自分の姿を消すと、しばし洗い物に没頭しようと手を動かし始める。
心の中に生まれた言い知れない不安をいつもの作業が少しでも和らげてくれることを願って。
いい人たちだと思う。
なにより、彼らはお互いを尊重して、助け合う意思がある。
彼らの出会いがどんなものだったのかは知らないが、それは、とても尊いものだと私は思うのだ。多くの人は、他人になどさして興味がないから……。
リュカは私を知りたいと言ってくれたし、他の皆も私がそれを明かすことで傷つくことがあるかも知れないと心配してくれた。
その気持ちが、私にもたらしたものはふたつ――期待と恐怖。
彼らならば、私の秘密を打ち明けても、離れないでいてくれるかも知れないと思う反面、ああして私を気遣ってくれた彼らにまで拒絶されたら……。
(辛いだろうな……)
浮かない顔のまま、しばらく水を出しっぱなしにしてぼんやり佇んでいた私は、扉が開かれる音に気づき、顔を上げる。
「マスター……?」
「痛つつ……なんだ、誰か来てたのか、珍しい……」
誰が戸口に立っているのかは分かっていたが、問題はその姿だった。
「マスター、一体どうしたの!?」
「なんでもねえ……寄ってくんな」
口元に血を滲ませ、腹部を抑えた傷だらけの店主に、私は驚いて駆け寄る。
だが、慌てて救急箱を取り出した私を彼は邪険に振り払うと、倒れ込むように椅子に体を落とし、口の端を歪めた。
「……ハハ、なんだ。もしかして、お前にもオトモダチって奴でもできたか?」
「別に、そんなんじゃ……」
その言葉に、消毒液を付けようとした私は少しだけ手を止める。すると、彼はきつい口調で私に問う。
「なあ、お前いつまでここにいるつもりなんだ」
「……えっ」
言葉に詰まり、肩を揺らしうつむいていると、マジロさんは言葉を続けた。
「お前がこないだ十六になった時にも言ったが、もう俺はお前の面倒を見る義理はねえんだぜ? いや、今までだって……あれを押し付けられてなきゃ、別のことをやってたろうさ」
「で、でも……私がいなきゃ、このお店は」
そう言い募ろうとした私の手を、彼はバシッと跳ね除け、鋭く睨み付ける。
「うぬぼれんなよ。客はそこそこ定着したし、魔物料理なんてキワモノを売りにしなくたってもう十分やっていけんだよ。人手なんざ別に雇えばいいだけの話だしな。へっ、丁度いい、冒険者にでも完全に鞍替えしちまえばどうなんだ」
「どうして……私は、この店が大切で」
「――いつまで人に寄っかかってるつもりだ」
マジロさんの厳しい声が私を揺さぶる。
彼の鋭い目つきは、私を仇のように睨み付けていた。
「お前は自分の人生を探そうとせず、境遇に甘えて流されてるだけなんだよ、俺といる限りな。いい区切りだ……もうこの店にお前は必要ねえ。しばらく店は閉める。その内にとっとと身の振り方を考えろ。いっそのこと、この街から出て他の国にでも行っちまえばいい」
「ど、どうしていきなりそんなこと言うの!? 急すぎるよ! それに、私には……」
私は自分の背中側に目線をやる。その仕草を見て、マジロさんは苦虫をかみつぶしたような顔になり、舌打ちをして私を押しやるとまた外に出て行こうとする。
「待ってよ!」
「もうお前とは他人だ。わかったら、数日の間に荷物をまとめて出て行け……急げよ」
「出て行かない! 出て……行くもんか! 私は……!」
マジロさんは私の言葉を聞かずに、強く玄関の扉を閉め、夜の街に消えてしまった。
私は呆然とした後、店の中へと戻る。
(一体なにが……どうしていきなりそんな)
肩を下げ、洗い場に戻りながらも私は強く動揺していた。
実父でもないのに私を育ててくれた彼は、今まで無茶な要求をしたことがなかったのに。
口数は多くなく、喜ぶ顔もほとんど見たことはないけれど、私が生きて行けるよう、料理や戦い方を教えてくれたのはマジロさんだ。それらが身について、私が冒険者として一人前になるまで……私の秘密を知って店に訪れるならず者からもちゃんと守ってくれた。だから今になってどうしてこんな、遠ざけるようなことを言い出したのかがわからない。
(あの約束、忘れてしまったのかな)
私は背中側の、鏡越しにしか見ることができないそれを想像する。
マジロさんは、昔ある約束をしてくれた。
数日前十六歳となった時、私はそれが叶えられると疑っておらず……その時には、ここまで私を育ててくれた彼にやっとこれまでの感謝を精一杯を伝えられると思っていたのに。それは実行される気配もなく、あんなことまで言われてしまうなんて……。
厨房に戻った私は、洗い桶の中の水に自分の顔を映す。
(私が、こんな目をしていなければ……)
水面にぼやけて映るのは、不安そうな鉛色の右目とは異なる、透明な水晶のような左目。
私はそれを押さえた。
視力もあり、瞳としての機能は失われてはいない。
でもどうしても、自分では好きにはなれなかった。明確に人とは違う水晶の目は、他人からすれば魔物と同じように映るのかも知れない。疎外されることも多くて、私は物心ついた頃から片側の髪だけを長くし、それを隠すようになった。
しかしこれが無ければマジロさんとも出会うことがなかったのかと思うと、自分でもそれがよいことなのか悪いことなのかわからなくなる……。
「……戻ってきたら、もう一回ちゃんと話そう」
私は迷いを消すように桶をぐるぐるとかき混ぜて、水面に映る自分の姿を消すと、しばし洗い物に没頭しようと手を動かし始める。
心の中に生まれた言い知れない不安をいつもの作業が少しでも和らげてくれることを願って。
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