10 / 35
9.風車小屋の少女①
しおりを挟む
兵士たちの追撃を逃れた翌々日。
難所となる関の攻略を控えつつ三人は、馬車で順調に街道を進んでいた。
「おい、シーベル。なんだかこの辺り、あんまりいい雰囲気じゃないな。道行く人の表情が冴えない気がする……」
ラルドリスが席を立ち、御者台に通じる扉を開けてシーベルの隣に座る。
車内に座るメルにも、開いた窓から、彼らの会話が届いてきた。
「ベルナール領に入りましたからね。隣領のことですからよく知っていますが、ここ数年、大幅に税金が上げられ、民は生活に困窮しているようです」
「ベルナール……確かザハールの後ろ盾であったな」
ラルドリスはそれを聞くと、がしがしと頭髪を掻き乱す。
「……俺たちのせいか」
「否めませんな。陣営の強化のために惜しみなく財貨を使い人を集めているのでしょう。それを国民の血税で賄おうとは業腹ですが、国王が倒れている今、国政をまとめているのは彼です。面と向かって文句を言える者はなかなかいないでしょうね」
押し黙るラルドリスの背中からは、自責の念が感じられる。彼は押し黙ったまま拳を握り締めた後、顔を上げる。
「とっととケリをつけないといけないな。民のためにも」
「そうですね。おや……」
そこでシーベルが言葉を止め、馬車を道脇に寄せて降りた。
メルもそれを後ろから追い駆けると、少年が必死の表情で手を振っている。身なりはボロボロで頬もこけ、食事すらまともにとれている様子がないのに。
「すみません、旅の方! どうかお助け下さい! 妹が倒れて……!」
彼の足元には、かろうじて寝床代わりになるかという、薄っぺらい毛布に寝かされた少女の姿があった。
一行は急いで駆け寄り、少年に詳細を尋ねる。
「一体どうされました?」
「隣の村へと歩いている途中、妹が熱を出して……それでも無理して歩いていたものだから、急に倒れて。負ぶってなんとか進もうと思ったんですが、足がもう、動かなくて」
少年はか細い声で言うと、倒れ込むようにして地面に頭を付け、懇願した。
「お願いします! 図々しいですが馬車に乗せてください! このままでは妹が凍えて死んでしまいます! お金はありませんが、どうか、どうか……」
先ほどまで官僚の圧政を受ける民の話をしていたふたりの行動は素早かった。
「では君、私の背中に乗ってください。馬車で近くの村まで送り届けましょう。ラルドリス様、そちらの子をお願いできますか」
「わかっている」
少年をシーベルが負ぶり、ラルドリスは毛布ごと少女を抱き上げた。
「メル殿は、申し訳ないですが少女の容態を見てあげてくれますか?」
「は、はい!」
メルは一足先に戻ると、鞄に仕舞った薬を確かめに行く。手持ちでどうにかできる病ならいいが……。
毛布を数枚重ねて敷き、荷台に乗って来る彼らを待ち受けた。少女を寝かせ、容態を確かめる。
「そちらの彼は意識ははっきりしているようですし、ラルドリス様……水に生姜と蜂蜜をひとさじずつ混ぜたものをゆっくり飲ませて、後はゆっくり休ませてあげてください」
「生姜と、蜂蜜……これとこれか? ほら、ちょっとずつ飲め」
「ありがとうございます……。妹を、お願いします。僕たち、親に捨てられて……」
意外と甲斐甲斐しく、ラルドリスは少年のために動いている。その姿に安心し、メルは少女の診断に専念した。熱が高く、体は冷えているが……下痢、嘔吐などはしていないようで、外傷などもない。単なる栄養不足で体力が保てなくなっている可能性が高いと判断する。
メルは特製の解熱剤と栄養剤を少女の口にわずかずつ含ませると、一緒に横になってその体を抱き締めた。火を炊けない車内では、他に体を温めてやる方法がないと思ったからだ。
目を閉じた少女の口が微かに動き、うわごとを呟く。
「…………おかあさん、いかないで」
痩せた頬を、すっと雫が伝う。せめて今だけでもと、メルは彼女の頭を胸に抱きそっと囁きかける。
「ずっと、傍にいるからね」
シーベルが馬車をややゆったり目に動かしだす。小一時間ほど経つと、薬が効いたのか少女の呼吸は少しずつ穏やかになってきた。それを見る少年の目は、安堵よりも、悲しみに満たされているように見える。
「……僕たちみたいな者なんて、誰にも必要とされない。生まれてこない方が……よかったんでしょうか……」
疲れ切った様子の少年が、ラルドリスの方に身体を崩した。ぼろぼろの姿で寝てしまった彼に、ラルドリスは跳ね除けたりはせず肩を貸してやる。
「そんなことはない、お前たちは立派だ。それに比べて俺は……」
そんな呟きが続いた気がしたが……腕の中の小さな温もりにメルの意識も少しずつ溶け出し、彼がどんな顔をしているのか確かめるまで保つことはできなかった。
◇
貧しい兄妹を乗せた一行は、空が茜色に染まる頃、ある村で足を止める。
「本日はここで休みましょう」
「仕方ないな。……あいつらのこともあるし」
ラルドリスは、馬車の荷台を見やる。そこには、数時間前に拾った兄弟が仲良く眠っている。このまま彼らを旅に連れていくこともできないし、食料の補充や馬の疲れなど諸々の問題がある。
メルの魔法に頼るという手もあるが、王都に近付くほど襲撃に備える必要もあり、護衛のためにはなるべく余力は残さないといけない。ラルドリスにも内心焦りはあるのだろうが、それだけではどうにもならないことだった。
「さすがに連日の野営はこたえますし、どこか泊めてくれる場所を探いたいですね。彼らの処遇も相談したいですし、できるなら温かい食事にもありつきたい」
「ですね……食料品なんかも融通してもらえれば」
襲撃を警戒する身では、毎度火起こししてこちらから居場所を教えるわけにもいかない。
数日振りの火の通った食事が恋しいのもあり、メルたちは轡を持って馬車を曳かせる彼らと並び、村の通りを進みながら様子を見ていった。
幸い、村人同士の交換所のようなものを見つけ、一行は手分けして交渉し、カブや人参など、まだ泥の付いた新鮮な野菜や干し肉などを譲ってもらう。
「助かったよ。最近こっちでは税金がどんどん上がっちまって……いくら頑張って育てた作物を売ったって全然追いつきゃしなくてさ」
「そんなに厳しいんですか」
メルは小麦粉の袋を売っていた、快活な表情の婦人から商品を受け取ると眉を下げた。この品だってフラーゲン領の相場の二倍はするのに、それでも生活が苦しいとのは、彼女の着古した衣服などからも見て取れる。
……他人の事情に気を取られてばかりではいけない。メルたちも食料品の補充だけではなく、休める場所を探さないといけないのだ。
「あの……この辺りにどこか宿のような場所は――」
言いかけてメルは振り返った。
外から騒々しい物音が近付いてくる。交換所の入り口の扉がバタンと乱暴に開け放たれた。
「失礼! 我々はベルナール公の指示の元、徴税に参った者たちである! この度公は苦渋の選択ながら、ゆくゆくは王座に就くザハール第一王子の支援のため、さらなる税負担を科すと示された! 蔵にある分では所定の金額に達さぬと判断したため、村内にあるすべての換金物を接収させてもらう!」
「そ、そんな!」「ふざけないでくれ、俺らを殺す気か!」
村人から次々に悲鳴が上がるが、徴税官はそれに取り合わず、兵士に指示する。
「これは既に下された命令なのだ! 抵抗する者の命の保証はせぬ!」
「異論があるなら前に出よ! 逆らえばどうなるか、身をもって教えてやる!」
縋りつく村人たちを突き飛ばし、兵士たちが商品を無理やり回収してゆく。
小麦を売る女性も抗議しようとしたようだが、剣の抜き身を目の前にちらつかせられると、悔しそうに拳を握り、沈黙した。
「お前ら、いい加減に――」
(ダメです、静かに!)
憤るラルドリスをシーベルが引き留める。
気持ちは分かるが彼らにも目的があるし、ここで正体を明かしてザハール派に所在を知られれば、瞬く間に街道は封鎖され、一行は捕縛されてしまう。悔しいが見ているしかないのだ……。
ほぼ洗いざらい作物を奪うと徴税官は村人たちを見下し、「今後もアルクリフ王国のために励むのだな」と、吐き捨てて去っていった。村長らしき老人が入り口で項垂れる。
「皆、すまん……」
「あたしたちの事情なんてお構いなしかい、くそったれが!」
村人たちは呆然と膝を突くとすすり泣き、兵士たちの蛮行を嘆いた。この場所に居合わせたラルドリスたちも、戸惑いと悲痛さを隠せない。
「くそ、シーベルなぜっ……! ……いや、悪かった。今の俺たちでは、なにもしてやれないのは明白だったな……」
「いやはや、泊まるどころではなくなってしまいましたな……」
がらんどうになった商品交換所はどうも寒々しい。村人も家に帰れば多少の蓄えはあるのだろうが、冬場はただでさえ育つ作物が少ないのに、大変な負担となっただろう。
――なんとかできないだろうか。
思案し、鞄を探っていたメルの指にあるものが触れる。お守り代わりに身に着けていた、大事なもの……。しかし、決断すると、彼女はそれを取り出した。
灰色の粉が入った、手のひらに収まるくらいのガラス瓶。
(使わせてもらうね)
断りを入れ、メルは目頭を押さえている小麦売りの女性に言った。
「この村の畑に連れて行ってもらえませんか? 私、実はこんな格好ですが、魔女なんです」
「魔女…………? んで畑? 今は冬だよ、そんなところに連れていったところで、どうしてくれるっていうんだい」
不審そうにしながらも、他に縋れる藁もないのだろう……女性はメルを村人が共同で管理している畑に連れて行った。村人たちも、幾人かが興味と警戒半分の様相で着いてくる。
冬場の土は冷たくぱさつき、それを触ったラルドリスが、手を払うと寒そうにこすり合わせる。
「こんな枯れた農地でなにができるって言うんだ?」
メルは、鞄からいくつかの瓶を取り出した。そこには、様々な作物の種が入っている。
「皆さんは、これらの種を、畑にまいて来てもらえますか? その間に私はまじないの準備をしますから」
「村長殿、こんな姿をしていますが、実は彼女は高名な魔女で、素晴らしい魔法の使い手なのですよ。ここはひとつ信じて手伝ってやってくれませんか?」
「む……う。しかしなぁ」
今さっきあんな仕打ちを受けたばかりだし、余所者に村のことに口を出されるのをよしとしないのか、村長は言葉を濁す。しかしそれを、小麦売りの女性は説得する。
「いいじゃないか。あんだけやられたらもう冬も越せないよ。こんなあたしらを騙したところでこれ以上奪えるものなんてないんだし、それにあっちの坊やが徴税官に文句を付けようとしたのも見てたしね。悪い人たちじゃないよ、多分」
「……ならば、やってみるがいい」
村長も、どうにもできなかった責任を感じているのか、それ以上はなにも言わなかった。
村人に手伝うよう指示し、メルの行動を見守る。万遍なく彼らの手から作物の種が撒かれ、その間にメルは灰の小瓶を握ると、まじないを唱え始めた。
「『かつて多くの命を支えた、雄々しき大樹でありしものよ……。今一度この中に御魂を宿らせ、枯れ果てたこの大地に祝福を。豊穣の息吹となり、新たな命を芽吹かせ、巡る命の糧となりたもう――』」
厳かにゆっくりと紡がれる言葉に応じ、少しずつ瓶の内の灰が浮き上がり、薄っすらとした雲のように広がった。
それは畑を覆い、生命の輝きを光らせながら、ゆっくりと土の上に降り注ぐ。やがて……。
「あっ――!」「す、すごいぞ!!」
村人たちが叫ぶ。するすると、早送りするように土から噴き出した芽が、瞬く間に畑を緑へと染めてゆく。それはやがて、様々な作物をふんだんに実らせ始めた。
「ふう、はぁ……。皆さん、これで少しばかりの助けにはなったでしょうか。魔法の効き目がある内に、早く作物を――」
「おっと……」
大きな魔力を使うことになったメルはその場に崩れかけ、そこを隣にいたラルドリスが受け止めてくれた。シーベルがメルの意図を継ぎ、村長を促す。
「さあ村長、早く収穫の号令を」
「あ、ありがたい……! 皆の者、この魔女殿に感謝を! それからすぐに村人たちを掻き集め、畑中の作物を収穫して回ろうぞ!」
「おおっ!」
村人たちは大きく活気づき、日暮れも近いのに子供から大人までが総出で作物を運び出す。
その光景を見ながら、メルは少しだけ悲しそうにしていた。
「見事な魔法だったな。あのようなことができるのに見習いと名乗るなど、謙遜もいいところじゃないか」
肩を支えるラルドリスが明るく褒めてくれるが、メルは苦笑いで応えただけだ。
「私の力じゃありません。あの灰は、祖母の使っていた杖の名残だったんです」
「――! ……そんな大事なものを、どうして見ず知らずの人たちのために?」
「わかりません。手放す理由が欲しかったのかもしれません。少し、私には重たかったですし」
人だけではなく、多くの命を助け、あの広い森を護っていた偉大な祖母。メルにとっては、彼女の背中はとても遠い。
ラルドリスはかける言葉に迷うような素振りをし、軽く地面を蹴った。その内メルの前に一抱えの籠を持った小麦売りの女性が興奮した様子でやってくる。
「――あんたたち、本当にありがとうね! よかったら今日はうちに泊まって行かないかい? 飯づくりの腕には自信があるんだ! こないだ猟師からもらった、とっておきの羊肉をごちそうするよ!」
そこで村長と何やら交渉していたシーベルが戻ってきて、ふたりに頷きかける。
「それは助かりますね。丁度私たちも、今晩の宿に困っていたところでして。ここはありがたくお言葉に甘えるとしましょうか。ね、メル殿?」
「……はい」
「持ち上げるぞ」
力の抜けた顔で頷くメルを見て、ラルドリスは急に横抱きにした。
「えっ、べ、別に歩けますよ!? 下ろしてください!」
「うるさい、馬車まで運ぶだけだ、静かにしてろ。俺だけ役に立ってないから落ち着かないんだよ」
「はぁ……」
彼の苛立ちの理由が分からず首を捻るメルに、小麦売りの女性はくすりと笑うと手を差し出した。
「あんたたち、なんか面白い人たちだね。あたしゃベネアっていうんだ、よろしく。早速あたしんちに案内するよ。狭いところだけど、ゆっくりしてってくんな」
頼りがいのありそうな、女性にしてはしっかりした大きな手が、メルの手をぎゅっと包んだ。
難所となる関の攻略を控えつつ三人は、馬車で順調に街道を進んでいた。
「おい、シーベル。なんだかこの辺り、あんまりいい雰囲気じゃないな。道行く人の表情が冴えない気がする……」
ラルドリスが席を立ち、御者台に通じる扉を開けてシーベルの隣に座る。
車内に座るメルにも、開いた窓から、彼らの会話が届いてきた。
「ベルナール領に入りましたからね。隣領のことですからよく知っていますが、ここ数年、大幅に税金が上げられ、民は生活に困窮しているようです」
「ベルナール……確かザハールの後ろ盾であったな」
ラルドリスはそれを聞くと、がしがしと頭髪を掻き乱す。
「……俺たちのせいか」
「否めませんな。陣営の強化のために惜しみなく財貨を使い人を集めているのでしょう。それを国民の血税で賄おうとは業腹ですが、国王が倒れている今、国政をまとめているのは彼です。面と向かって文句を言える者はなかなかいないでしょうね」
押し黙るラルドリスの背中からは、自責の念が感じられる。彼は押し黙ったまま拳を握り締めた後、顔を上げる。
「とっととケリをつけないといけないな。民のためにも」
「そうですね。おや……」
そこでシーベルが言葉を止め、馬車を道脇に寄せて降りた。
メルもそれを後ろから追い駆けると、少年が必死の表情で手を振っている。身なりはボロボロで頬もこけ、食事すらまともにとれている様子がないのに。
「すみません、旅の方! どうかお助け下さい! 妹が倒れて……!」
彼の足元には、かろうじて寝床代わりになるかという、薄っぺらい毛布に寝かされた少女の姿があった。
一行は急いで駆け寄り、少年に詳細を尋ねる。
「一体どうされました?」
「隣の村へと歩いている途中、妹が熱を出して……それでも無理して歩いていたものだから、急に倒れて。負ぶってなんとか進もうと思ったんですが、足がもう、動かなくて」
少年はか細い声で言うと、倒れ込むようにして地面に頭を付け、懇願した。
「お願いします! 図々しいですが馬車に乗せてください! このままでは妹が凍えて死んでしまいます! お金はありませんが、どうか、どうか……」
先ほどまで官僚の圧政を受ける民の話をしていたふたりの行動は素早かった。
「では君、私の背中に乗ってください。馬車で近くの村まで送り届けましょう。ラルドリス様、そちらの子をお願いできますか」
「わかっている」
少年をシーベルが負ぶり、ラルドリスは毛布ごと少女を抱き上げた。
「メル殿は、申し訳ないですが少女の容態を見てあげてくれますか?」
「は、はい!」
メルは一足先に戻ると、鞄に仕舞った薬を確かめに行く。手持ちでどうにかできる病ならいいが……。
毛布を数枚重ねて敷き、荷台に乗って来る彼らを待ち受けた。少女を寝かせ、容態を確かめる。
「そちらの彼は意識ははっきりしているようですし、ラルドリス様……水に生姜と蜂蜜をひとさじずつ混ぜたものをゆっくり飲ませて、後はゆっくり休ませてあげてください」
「生姜と、蜂蜜……これとこれか? ほら、ちょっとずつ飲め」
「ありがとうございます……。妹を、お願いします。僕たち、親に捨てられて……」
意外と甲斐甲斐しく、ラルドリスは少年のために動いている。その姿に安心し、メルは少女の診断に専念した。熱が高く、体は冷えているが……下痢、嘔吐などはしていないようで、外傷などもない。単なる栄養不足で体力が保てなくなっている可能性が高いと判断する。
メルは特製の解熱剤と栄養剤を少女の口にわずかずつ含ませると、一緒に横になってその体を抱き締めた。火を炊けない車内では、他に体を温めてやる方法がないと思ったからだ。
目を閉じた少女の口が微かに動き、うわごとを呟く。
「…………おかあさん、いかないで」
痩せた頬を、すっと雫が伝う。せめて今だけでもと、メルは彼女の頭を胸に抱きそっと囁きかける。
「ずっと、傍にいるからね」
シーベルが馬車をややゆったり目に動かしだす。小一時間ほど経つと、薬が効いたのか少女の呼吸は少しずつ穏やかになってきた。それを見る少年の目は、安堵よりも、悲しみに満たされているように見える。
「……僕たちみたいな者なんて、誰にも必要とされない。生まれてこない方が……よかったんでしょうか……」
疲れ切った様子の少年が、ラルドリスの方に身体を崩した。ぼろぼろの姿で寝てしまった彼に、ラルドリスは跳ね除けたりはせず肩を貸してやる。
「そんなことはない、お前たちは立派だ。それに比べて俺は……」
そんな呟きが続いた気がしたが……腕の中の小さな温もりにメルの意識も少しずつ溶け出し、彼がどんな顔をしているのか確かめるまで保つことはできなかった。
◇
貧しい兄妹を乗せた一行は、空が茜色に染まる頃、ある村で足を止める。
「本日はここで休みましょう」
「仕方ないな。……あいつらのこともあるし」
ラルドリスは、馬車の荷台を見やる。そこには、数時間前に拾った兄弟が仲良く眠っている。このまま彼らを旅に連れていくこともできないし、食料の補充や馬の疲れなど諸々の問題がある。
メルの魔法に頼るという手もあるが、王都に近付くほど襲撃に備える必要もあり、護衛のためにはなるべく余力は残さないといけない。ラルドリスにも内心焦りはあるのだろうが、それだけではどうにもならないことだった。
「さすがに連日の野営はこたえますし、どこか泊めてくれる場所を探いたいですね。彼らの処遇も相談したいですし、できるなら温かい食事にもありつきたい」
「ですね……食料品なんかも融通してもらえれば」
襲撃を警戒する身では、毎度火起こししてこちらから居場所を教えるわけにもいかない。
数日振りの火の通った食事が恋しいのもあり、メルたちは轡を持って馬車を曳かせる彼らと並び、村の通りを進みながら様子を見ていった。
幸い、村人同士の交換所のようなものを見つけ、一行は手分けして交渉し、カブや人参など、まだ泥の付いた新鮮な野菜や干し肉などを譲ってもらう。
「助かったよ。最近こっちでは税金がどんどん上がっちまって……いくら頑張って育てた作物を売ったって全然追いつきゃしなくてさ」
「そんなに厳しいんですか」
メルは小麦粉の袋を売っていた、快活な表情の婦人から商品を受け取ると眉を下げた。この品だってフラーゲン領の相場の二倍はするのに、それでも生活が苦しいとのは、彼女の着古した衣服などからも見て取れる。
……他人の事情に気を取られてばかりではいけない。メルたちも食料品の補充だけではなく、休める場所を探さないといけないのだ。
「あの……この辺りにどこか宿のような場所は――」
言いかけてメルは振り返った。
外から騒々しい物音が近付いてくる。交換所の入り口の扉がバタンと乱暴に開け放たれた。
「失礼! 我々はベルナール公の指示の元、徴税に参った者たちである! この度公は苦渋の選択ながら、ゆくゆくは王座に就くザハール第一王子の支援のため、さらなる税負担を科すと示された! 蔵にある分では所定の金額に達さぬと判断したため、村内にあるすべての換金物を接収させてもらう!」
「そ、そんな!」「ふざけないでくれ、俺らを殺す気か!」
村人から次々に悲鳴が上がるが、徴税官はそれに取り合わず、兵士に指示する。
「これは既に下された命令なのだ! 抵抗する者の命の保証はせぬ!」
「異論があるなら前に出よ! 逆らえばどうなるか、身をもって教えてやる!」
縋りつく村人たちを突き飛ばし、兵士たちが商品を無理やり回収してゆく。
小麦を売る女性も抗議しようとしたようだが、剣の抜き身を目の前にちらつかせられると、悔しそうに拳を握り、沈黙した。
「お前ら、いい加減に――」
(ダメです、静かに!)
憤るラルドリスをシーベルが引き留める。
気持ちは分かるが彼らにも目的があるし、ここで正体を明かしてザハール派に所在を知られれば、瞬く間に街道は封鎖され、一行は捕縛されてしまう。悔しいが見ているしかないのだ……。
ほぼ洗いざらい作物を奪うと徴税官は村人たちを見下し、「今後もアルクリフ王国のために励むのだな」と、吐き捨てて去っていった。村長らしき老人が入り口で項垂れる。
「皆、すまん……」
「あたしたちの事情なんてお構いなしかい、くそったれが!」
村人たちは呆然と膝を突くとすすり泣き、兵士たちの蛮行を嘆いた。この場所に居合わせたラルドリスたちも、戸惑いと悲痛さを隠せない。
「くそ、シーベルなぜっ……! ……いや、悪かった。今の俺たちでは、なにもしてやれないのは明白だったな……」
「いやはや、泊まるどころではなくなってしまいましたな……」
がらんどうになった商品交換所はどうも寒々しい。村人も家に帰れば多少の蓄えはあるのだろうが、冬場はただでさえ育つ作物が少ないのに、大変な負担となっただろう。
――なんとかできないだろうか。
思案し、鞄を探っていたメルの指にあるものが触れる。お守り代わりに身に着けていた、大事なもの……。しかし、決断すると、彼女はそれを取り出した。
灰色の粉が入った、手のひらに収まるくらいのガラス瓶。
(使わせてもらうね)
断りを入れ、メルは目頭を押さえている小麦売りの女性に言った。
「この村の畑に連れて行ってもらえませんか? 私、実はこんな格好ですが、魔女なんです」
「魔女…………? んで畑? 今は冬だよ、そんなところに連れていったところで、どうしてくれるっていうんだい」
不審そうにしながらも、他に縋れる藁もないのだろう……女性はメルを村人が共同で管理している畑に連れて行った。村人たちも、幾人かが興味と警戒半分の様相で着いてくる。
冬場の土は冷たくぱさつき、それを触ったラルドリスが、手を払うと寒そうにこすり合わせる。
「こんな枯れた農地でなにができるって言うんだ?」
メルは、鞄からいくつかの瓶を取り出した。そこには、様々な作物の種が入っている。
「皆さんは、これらの種を、畑にまいて来てもらえますか? その間に私はまじないの準備をしますから」
「村長殿、こんな姿をしていますが、実は彼女は高名な魔女で、素晴らしい魔法の使い手なのですよ。ここはひとつ信じて手伝ってやってくれませんか?」
「む……う。しかしなぁ」
今さっきあんな仕打ちを受けたばかりだし、余所者に村のことに口を出されるのをよしとしないのか、村長は言葉を濁す。しかしそれを、小麦売りの女性は説得する。
「いいじゃないか。あんだけやられたらもう冬も越せないよ。こんなあたしらを騙したところでこれ以上奪えるものなんてないんだし、それにあっちの坊やが徴税官に文句を付けようとしたのも見てたしね。悪い人たちじゃないよ、多分」
「……ならば、やってみるがいい」
村長も、どうにもできなかった責任を感じているのか、それ以上はなにも言わなかった。
村人に手伝うよう指示し、メルの行動を見守る。万遍なく彼らの手から作物の種が撒かれ、その間にメルは灰の小瓶を握ると、まじないを唱え始めた。
「『かつて多くの命を支えた、雄々しき大樹でありしものよ……。今一度この中に御魂を宿らせ、枯れ果てたこの大地に祝福を。豊穣の息吹となり、新たな命を芽吹かせ、巡る命の糧となりたもう――』」
厳かにゆっくりと紡がれる言葉に応じ、少しずつ瓶の内の灰が浮き上がり、薄っすらとした雲のように広がった。
それは畑を覆い、生命の輝きを光らせながら、ゆっくりと土の上に降り注ぐ。やがて……。
「あっ――!」「す、すごいぞ!!」
村人たちが叫ぶ。するすると、早送りするように土から噴き出した芽が、瞬く間に畑を緑へと染めてゆく。それはやがて、様々な作物をふんだんに実らせ始めた。
「ふう、はぁ……。皆さん、これで少しばかりの助けにはなったでしょうか。魔法の効き目がある内に、早く作物を――」
「おっと……」
大きな魔力を使うことになったメルはその場に崩れかけ、そこを隣にいたラルドリスが受け止めてくれた。シーベルがメルの意図を継ぎ、村長を促す。
「さあ村長、早く収穫の号令を」
「あ、ありがたい……! 皆の者、この魔女殿に感謝を! それからすぐに村人たちを掻き集め、畑中の作物を収穫して回ろうぞ!」
「おおっ!」
村人たちは大きく活気づき、日暮れも近いのに子供から大人までが総出で作物を運び出す。
その光景を見ながら、メルは少しだけ悲しそうにしていた。
「見事な魔法だったな。あのようなことができるのに見習いと名乗るなど、謙遜もいいところじゃないか」
肩を支えるラルドリスが明るく褒めてくれるが、メルは苦笑いで応えただけだ。
「私の力じゃありません。あの灰は、祖母の使っていた杖の名残だったんです」
「――! ……そんな大事なものを、どうして見ず知らずの人たちのために?」
「わかりません。手放す理由が欲しかったのかもしれません。少し、私には重たかったですし」
人だけではなく、多くの命を助け、あの広い森を護っていた偉大な祖母。メルにとっては、彼女の背中はとても遠い。
ラルドリスはかける言葉に迷うような素振りをし、軽く地面を蹴った。その内メルの前に一抱えの籠を持った小麦売りの女性が興奮した様子でやってくる。
「――あんたたち、本当にありがとうね! よかったら今日はうちに泊まって行かないかい? 飯づくりの腕には自信があるんだ! こないだ猟師からもらった、とっておきの羊肉をごちそうするよ!」
そこで村長と何やら交渉していたシーベルが戻ってきて、ふたりに頷きかける。
「それは助かりますね。丁度私たちも、今晩の宿に困っていたところでして。ここはありがたくお言葉に甘えるとしましょうか。ね、メル殿?」
「……はい」
「持ち上げるぞ」
力の抜けた顔で頷くメルを見て、ラルドリスは急に横抱きにした。
「えっ、べ、別に歩けますよ!? 下ろしてください!」
「うるさい、馬車まで運ぶだけだ、静かにしてろ。俺だけ役に立ってないから落ち着かないんだよ」
「はぁ……」
彼の苛立ちの理由が分からず首を捻るメルに、小麦売りの女性はくすりと笑うと手を差し出した。
「あんたたち、なんか面白い人たちだね。あたしゃベネアっていうんだ、よろしく。早速あたしんちに案内するよ。狭いところだけど、ゆっくりしてってくんな」
頼りがいのありそうな、女性にしてはしっかりした大きな手が、メルの手をぎゅっと包んだ。
1
あなたにおすすめの小説
処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜
放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!?
「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」
不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。
《完結》《異世界アイオグリーンライト・ストーリー》でブスですって!女の子は変われますか?変われました!!
皇子(みこ)
恋愛
辺境の地でのんびり?過ごして居たのに、王都の舞踏会に参加なんて!あんな奴等のいる所なんて、ぜーたいに行きません!でブスなんて言われた幼少時の記憶は忘れないー!
【完結】私を嫌ってたハズの義弟が、突然シスコンになったんですが!?
miniko
恋愛
王太子の婚約者で公爵令嬢のキャサリンは、ある日突然、原因不明の意識障害で倒れてしまう。
一週間後に目覚めた彼女は、自分を嫌っていた筈の義弟の態度がすっかり変わってしまい、極度のシスコンになった事に戸惑いを隠せない。
彼にどんな心境の変化があったのか?
そして、キャサリンの意識障害の原因とは?
※設定の甘さや、ご都合主義の展開が有るかと思いますが、ご容赦ください。
※サスペンス要素は有りますが、難しいお話は書けない作者です。
※作中に登場する薬や植物は架空の物です。
義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。
石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。
実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。
そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。
血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。
この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。
扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。
溺愛最強 ~気づいたらゲームの世界に生息していましたが、悪役令嬢でもなければ断罪もされないので、とにかく楽しむことにしました~
夏笆(なつは)
恋愛
「おねえしゃま。こえ、すっごくおいしいでし!」
弟のその言葉は、晴天の霹靂。
アギルレ公爵家の長女であるレオカディアは、その瞬間、今自分が生きる世界が前世で楽しんだゲーム「エトワールの称号」であることを知った。
しかし、自分は王子エルミニオの婚約者ではあるものの、このゲームには悪役令嬢という役柄は存在せず、断罪も無いので、攻略対象とはなるべく接触せず、穏便に生きて行けば大丈夫と、生きることを楽しむことに決める。
醤油が欲しい、うにが食べたい。
レオカディアが何か「おねだり」するたびに、アギルレ領は、周りの領をも巻き込んで豊かになっていく。
既にゲームとは違う展開になっている人間関係、その学院で、ゲームのヒロインは前世の記憶通りに攻略を開始するのだが・・・・・?
小説家になろうにも掲載しています。
【完結】 異世界に転生したと思ったら公爵令息の4番目の婚約者にされてしまいました。……はあ?
はくら(仮名)
恋愛
ある日、リーゼロッテは前世の記憶と女神によって転生させられたことを思い出す。当初は困惑していた彼女だったが、とにかく普段通りの生活と学園への登校のために外に出ると、その通学路の途中で貴族のヴォクス家の令息に見初められてしまい婚約させられてしまう。そしてヴォクス家に連れられていってしまった彼女が聞かされたのは、自分が4番目の婚約者であるという事実だった。
※本作は別ペンネームで『小説家になろう』にも掲載しています。
[完]本好き元地味令嬢〜婚約破棄に浮かれていたら王太子妃になりました〜
桐生桜月姫
恋愛
シャーロット侯爵令嬢は地味で大人しいが、勉強・魔法がパーフェクトでいつも1番、それが婚約破棄されるまでの彼女の周りからの評価だった。
だが、婚約破棄されて現れた本来の彼女は輝かんばかりの銀髪にアメジストの瞳を持つ超絶美人な行動過激派だった⁉︎
本が大好きな彼女は婚約破棄後に国立図書館の司書になるがそこで待っていたのは幼馴染である王太子からの溺愛⁉︎
〜これはシャーロットの婚約破棄から始まる波瀾万丈の人生を綴った物語である〜
夕方6時に毎日予約更新です。
1話あたり超短いです。
毎日ちょこちょこ読みたい人向けです。
結婚後、訳もわからないまま閉じ込められていました。
しゃーりん
恋愛
結婚して二年、別邸に閉じ込められていたハリエット。
友人の助けにより外に出ることができ、久しぶりに見た夫アルバートは騎士に連行されるところだった。
『お前のせいだ!』と言われても訳がわからなかった。
取り調べにより判明したのは、ハリエットには恋人がいるのだとアルバートが信じていたこと。
彼にその嘘を吹き込んだのは、二人いたというお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる