天之琉華譚 唐紅のザンカ

ナクアル

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第三話:憲兵隊の藤壺

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 憲兵とは大日本帝国陸軍に所属する軍隊である。主に陸軍に所属しており、その任務は多岐に渡っている。主な任務は治安維持、災害救助、要人警護、施設警備、犯罪捜査、諜報活動、防諜などである。彼らは国と国民を守るために存在する兵士であり、その仕事の性質上時に暴力的手段を用いる事もある。その役割は警察と国防組織を合わせたものである。つまり軍警の警官のような存在であると言える。天笠弥咲はそんな彼等の事を勿論知っていたが、その雰囲気から只事ではないと感じ取った。
「え? あの、どういうことでしょうか……?」
「詳しいことは移動しながら説明します。ついてきてください」
 
 そう言うと男は私の返答を待たずに外へ出た。私は慌てて靴を履くと、店の外へ出る。まだ太陽は高く昇り切っていないというのに、空には灰色の雲が覆っており今にも雨が降り出しそうな天気だった。そんな中を弥咲は男について行く形で歩いていく。
 街には人影は無く静まり返っており、先程での騒がしさはどこへ行ったのかまるで街全体が眠っているようであった。いつも賑やかな虫や猫、犬等の動物さえもこの場から逃げ出してしまったかのように一匹たりとも姿を見せなかった。まるで、この世界に存在する生物が皆消え去ってしまったかのような異様な空気が漂っている。そんな中を弥咲は黙ってついていく。時折振り返る男の顔は厳しいもので、何か不安な気持ちにさせられる。
「あ、あの、どこに行くんでしょうか……?」
「本部ですよ。天笠弥咲様、貴方を連れて来るように言われていますので」
「そ、そうですか……」
 弥咲はそれ以上の言葉を続けることが出来なかった。
 無言のまましばらく歩くと目的地に着いたようだ。そこは帝都にある憲兵隊司令部であった。外国の意匠を取り入れた大きな建物で威圧感がある。男は入り口の前で立ち止まるとこちらを振り向いた。
「では中へ入りましょう」
 不安になりながら男の後をついていく。やがて奥の部屋まで案内されると、枯れた珈琲の香りが薄まった室内には虫を殺す勢いの煙草の煙で満たされていた。窓際に座る男は鋭い目つきで弥咲を見つめている。
「失礼致します。天笠弥咲様をお連れしました」
「……ご苦労。下がっていいぞ。私が良いと言うまで別室で待機をしていなさい」
「あ、あの! 一体何なんですか!?  さっきから訳も分からず連れて行かれて……!」
  男はそう言って憲兵を下がらせると、椅子から立ち上がりこちらへ近づいてきた。身長は約十八九センチメートルで体格の良い大柄な男だ。黒い手袋で隠された無骨な手が弥咲の腕を掴むと手足は紐のような物で縛られ、口も猿ぐつわのように布で塞がれてしまった。
 
 何が何だか分からず、パニックになった私がジタバタ暴れると男は不機嫌そうに舌打ちをした。
 
「少し大人しくしていろ。……あまり動くと怪我をする事になるぞ」
 部屋の中にある小さな隠し部屋へ放り込まれた。乱暴に扉を閉められると、外の音が全く聞こえなくなる。背中に鈍痛を感じつつ器用に起き上がると、足を縛る紐でもたつき再度、床に転がってしまった。弥咲は何とか逃げられないかと試みるが、残念なことに身体の自由は全く効かなかった。辺りは薄暗く、ランプの灯りだけがぼんやりと辺りを照らしていた。目の前の壁には沢山の本棚があり大量の書物が収められている。恐らく倉庫の役目をもつ場所であろう。成人男性が十人入れればもうぎゅうぎゅうになってしまうくらいの広さ。
 体勢を立て直そうとした瞬間に、指先に何かが這う。耳を澄ませばそれらはかさかさと、音を立て弥咲の耳元に向かって進んでいく。恐る恐る自身の視界の端にいるモノを見ると――大百足の群れだった。
「!!?」
 恐怖の余り身体をこれでもかとよじらせ、声にならない悲鳴を上げると、足元にいた一匹の大百足が弥咲の袴の裾を伝って登ってくる。変に歪んでしまった触覚は細かく震えており、胴体からは短い脚が数本生えている。全身に鳥肌が立つのを感じた。この状況は非常に良くない、そう感じた瞬間――突然部屋の扉が開かれた。
 入ってきたのは軍服を着た三十代程の長身の男だった。背筋が真っ直ぐ伸びており、表情はどこか冷たく機械的な雰囲気を放っている。しかし、そんな彼の外見的特徴など気にする余裕もないほどに弥咲はこの事態の重大さに焦っていた。
「……おや、これはこれは……天笠弥咲様ですね?  私は憲兵隊本部に勤めます藤壺ふじつぼと申します。以後、お見知りおきを」
「んー!! んぅ!!」
 必死で抗議するが猿ぐつわのせいで言葉を発する事が出来ない。それを見た彼は眉間にしわを寄せた。少しのズレも許さない切り揃えられた黒髪、それに映える真っ白な肌に青筋が微かに浮かび上がった。口元を指で隠す仕草と共に、弥咲の口に付けられていた猿ぐつわが解かれた。大きく息を吸い込むと弥咲は藤壺と名乗る男に対して、怒りの言葉をぶつけた。

桐雄きりお、貴様いい年をして悪ふざけが過ぎる!」
「……。おい、猫寅こいつは誰かわかるか?」
 弥咲に桐雄と言われた男――藤壺は、少し開いた扉の前にいる大柄な男――猫寅に声をかけた。猫寅は先程までの鋭い目つきはしておらず、この状況に困惑している眼差しを二人に送る。
「天笠家の穀潰しです。天笠弥咲と言いまして、天笠螺湮城骨董店を営んでいるようです」
「いぃぃぃ。白々しいぞ! 憲兵を使って私を本部まで呼ぶなんて!」
 大百足が一気に弥咲の開いた口へ流れ込む。思わず「ぶふっ」と吐き出してしまうと、今度は別の個体が喉の奥まで入り込んできた。
「……あぁ、申し訳ありません。そういえば天笠弥咲様は蟲を食べるのが好きでしたね? で、し、た、よ、ね?」
 弥咲の髪を掴み、藤壺はこれでもかと言うほどの威圧を纏った声で言った。この男の冷たい瞳を見る限り、弥咲は抵抗する気を削がれてしまう。

 ――ぱつん。

 弥咲の手足を縛っていた紐が微かに見える床へ落ちる。裁縫鋏を手にしている猫寅に視線を送ると、猫寅は大きくため息を吐いた。それを見ていた藤壺は甲高い声でけたけたと笑いだし、
 肩で大きく息を吸い始める。無邪気な悪戯を行った子供のような無垢な笑顔は、何故か背筋を凍らせるものがあった。
「あはははは! もう!全くだ! 全く――貴方には困ったものですよ」
 そう言いながら弥咲の腕を掴むと、彼は再び床へ叩きつけられた。大百足の砕けた身体が視界いっぱいに広がると同時に、口内が痺れていく。痛みに耐えながらも反論しようと口を開くと、その前に彼は人差し指を立てて弥咲の唇に添えた。
「……余計なことは言わない方が身の為だと思いますけどねぇ? さて、今日ここに来たのはただ遊びにきただけではありません。貴方に聞きたい事があって来たのです」
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