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第八話:脆い関係
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「じゃあ……私を買ってよ。私はザンカ。琉球から連れてこられた奴隷だよ」
唐紅の少女はそう言うと弥咲の頬に手を当てた。
酷い血の匂いと赤を与えられる。体温は温かくも耳元で鎖の音がする。
ザンカと名乗った目の前の少女は琉球奴隷――この国よりも遥か南方にある異国だったもの。今は県として統治され初めているのではなかったか? 弥咲は混乱していた。そんな彼が思考の渦に落ちていく前にザンカは、あることを思いつくと弥咲の腕を掴む。
「私は奴隷商人を殺して逃げてきている。良い返事、貰えないなら」
麻のボロ布のどこに隠していたのか。
白の滑らかな石に、星空を思わせる小さな青い石が散らばっている。小刀の鞘を首元に当てぐっと押し込む。
「これ刃は?」
「勿論、ある」
家紋に見えなくもない異国情緒な線刻で装飾されている美しい刃が目の前に出された。刃先をじっと見つめて指先でそっと撫でてみる。
「…………うゔゔ。お金は妹の天唯が持ってるんだ」
弥咲は天笠螺月骨董店と言う古物商店の店主であり、普段は店を開いているだけで商売っ気が全くない男だ。そもそも客自体が滅多に来ないので困ることと言えば店の家賃くらいだろうか。ザンカは眉を潜めると小刀を仕舞う。掴んでいた腕もパッと離すと何も言わずにスタスタと歩き始める。
「冗談は汚い瞳だけ。さようなら」
「ま! ザンカ待って!」
未だ涙声の男に見向きもせずにザンカは足早に立ち去ろうとする。が、弥咲はその背中を逃がさんと追いかけ始める。残火のように揺らめく着物の裾を掴むと、ザンカの足がピタリと止まった。ため息を小さく吐き振り向くと弥咲の目にはまた涙があった。彼女は首を微かに傾げる。
「これ。あげる。奴隷商人にコレを見せたら、もしかしたら、君は罪に囚われないかもしれない」
指に嵌めていた指輪をザンカの小さな手に無理矢理握らせる。ザンカの瞳色のように艶やかなグラデーションが入った宝石が、嵌められシンプルながらも職人の腕が輝く細工が施されたそれは、奴隷が着けるにはあまりにも高価な品だ。ザンカは手の中で転がし、一瞬、その綺麗な輝きに魅せられ目を丸くさせる。
「…………綺麗」
だが、そんなことを気にせず彼は口を開く。瞳は真剣そのものだった。
「先程は助けてくれてありがとうザンカ。君の強さにもしかしたらと思って、君の優しさを……利用しようとした。せめてもの救いで受け取ってくれ。悪い値段はしないと思う。妹は私がどうにか助ける」
その言葉を聞きザンカは目の前の男の頬を軽く叩く。ペチンと軽い音が響き渡った。
呆れた表情のザンカに対し、叩かれた弥咲はキョトンとした顔だ。お互い今の状況をわかっておらず空気を感じ取ろうと顔が更に空虚になっていく。
「…………。これ売ったら私と同程度ってこと?」
その言葉を聞いた弥咲は目を見開き、驚きと焦りの混じった何とも言えない顔をする。口をパクパクさせながら慌て始めた。指輪を奪うと無理矢理ザンカの親指へ嵌める。少し隙間があるが問題はない。目の前の男の反応を見るとザンカがこの指輪がどういう意味なのか理解するまで、そう時間は掛からなかった。
「はい。これで指輪取れない!」
「………………名前、名前は?」
「あ、命の恩人に失礼でしたね。天笠弥咲と言います」
自分の名前を名乗るとザンカの口角が僅かに上がる。その笑顔は何処か大人びていて、幼い雰囲気を醸し出す彼女には不釣り合いな印象を与えた。
■
「ザンカ助けてくれるのか、本当にありがとう」
「うん。……というか本当は助けようと、していた、うん!」
何だその含みはと弥咲が視線を、薄くぼんやりとした空に不釣り合いな真っ黒な太陽へ視線を移す。視界が急降下していく。内蔵が上へ惹きつけられる。妹と同い歳と思われるザンカに弥咲はお姫様抱っこをされ運ばれていたのだ。指輪を手にはめて以降、ザンカの雰囲気には明るい花が待っている。あの時はただ単に、ザンカは己の命を助けてくれたと弥咲は思っていたのだがどうやら何か違うように思えてくる不思議さがある。
ザンカが言うにはこの世界は現実と時間の隙間とやらで。詳しい話は妹の天唯を助けてからと言うが……。情報がお互い渋滞しており整理する必要があると弥咲は思いつつも、先ずは今置かれている状況について整理しなければならない。
家屋の屋根を身軽に走り去っていく。ザンカはこの不思議な世界でも底抜けに明るく、弥咲の瞳は揺れた。その感情の意味を知るのはまだ先の話だ。さらに宙に跳び上がる。重力を無視するかのような光景と浮遊感に弥咲は思わずザンカの首にしがみつく。
「ザンカ! ザンカァァァァァ!怖いぃ!」
「そうか。じゃあ話。人頭税を払えなかった私達は、この国へ出荷され奴隷として売られるはずだったんだ」
預かっている極彩色の塊を更にぎゅっと抱きしめている弥咲は必死な訴える。ザンカは不思議な能力を使い、空を飛んでいる訳ではない。ただ単純に身体能力が高く脚力も並外れているだけだ。会話の内容が声音とは違い、とても悲惨なものである。
「私はとある部族の姫だから、私が奴隷になれば部族の皆は幸せ。喜んで奴隷になったけど……従者が奴隷商人にとても酷い扱いをされて死んだ」
極彩色の塊に視線を移す。そうこの中には従者の一部が丁寧に包まれている。ザンカに付き纏う血や赤はこの従者のもので間違いないようだ。しかしここからの話が不可思議であった。
とある国から同じ奴隷船に乗っていた老婆が奴隷商人を拐かし殺害したという。その罪をザンカに擦り付けたという。
「ザンカが奴隷商人を殺した訳じゃないのか。その老婆って、不揃いで茶黄色な歯をした老婆だった?」
「これが不思議と印象に残っていない。でも、騙されてるのは癪」
ふと気づけば、極彩色の塊を抱き締める腕の力が強くなっていく。自分自身、何故力が強くなったのか。胸騒ぎを誤魔化すような感じだったのだろうか。そんな時、ザンカは足を止めた。ある一点を見つめる瞳は冷たく、そして悲しげである。その視線の先にはザンカと同じような麻の格好で豊満な肉体をした女性。大きく窪んだ瞳からは涙が落ちており、それはまるで水晶のようだった。その女性はザンカ達の姿を見ると、大粒の涙を流しながらこちらへ狂ったように向かってくる。
「あれは……!」
「私の従者が乗っ取られたもの」
弥咲を西洋建物の屋根へ隠すと小刀を手渡す。念を押すようにぐっと力を込めて手を握りしめる。
「この国には御嶽がない。だから皆、悪霊になる。魂がずっと残る……」
意味深な発言を残し飛び立っていく。その姿はもうどこにもなかった。屋根には極彩色の塊を大事に抱える弥咲だけ。
何とも言えない孤独感が襲ってくるが、唐紅の髪が鈍い赤の軌跡を視線で追う。
その瞳はとても力強く。その眼差しは遥か遠くまで見渡せる。
「ガァァァァァァッ!」
人体から決して出ることのない音が空へ響く。窪んだ空虚な瞳からは何も読み取れない。しかしザンカへ明確な敵意を向けているのは確かだ。ザンカは西洋建物から一際高く飛びながら、女から伸びる無数の手足を蹴散らしていく。怯むこと無く前へ、自身へ一直線に突き進むザンカに女は奇声を上げる。その様子は正に阿鼻叫喚だった。女が手を伸ばすと身体を引き裂かれていく。女は口から赤黒い液体を流し、痛みを訴えていた。
その様子を見たザンカの表情が恐怖に染まる。瞳孔が開き、唇がワナワナと痙攣する。
「痛みなんか無いのに!なんで、その表情をする!」
身体を捩らせる女の胸へ手を伸ばすザンカ。
その指先が女に触れると何かを掴む。麻布を引きちぎって、硬質な光沢感のある虫の足がザンカの手を突き刺す。掴まれた女は苦しみの声を上げ、ザンカは必死に女を救おうとしていた。そんな彼女の身体に、空間から無数の人間の手がまとわりつく。腕は首元へ、足は腰元へと絡みつき、ザンカの身体の自由を奪う。その様はさながら網の中に囚われた蝶だった。しかし、それを嘲笑うかの様にザンカは女の片腕を掴み捻りあげる。粘ついた肉が身体から引き剥がされる。
重く湿った鈍い音と共に女の身体が灰へ変わる。苦しいのか腕が震えて――ザンカの首輪の鎖を掴む。細い少女の肉体、神経、骨がギチギチと音を立てて軋んでいく。
「……今までありがとう。悪霊になっても私が救うから……おやすみなさいね」
ザンカはそう言うと女の顔へ自身の顔を近づける。女は透明な涙を一筋、流しながら微笑み、そのまま灰となって消え去った。ザンカの瞳は哀愁の色を浮かべており、それはまるで死者への弔いのようだった。
その光景を見ていた弥咲は複雑な想いを胸に抱えながら見つめている。
息を呑むと、自身の隣にみしりと軋む音がした。唐紅や黄色を纏ったザンカが既に隣にいたのだ。あまりの速さに弥咲も目を見開く。ザンカは弥咲の方へ向き直ると頭を下げた。そして顔を上げて弥咲の瞳を真っ直ぐに見据える。
「――弥咲、私に力をくれてありがとう。これであの人を皆を救うことが出来るわ。貴方には本当に感謝している」
突然流暢になったザンカの口調よりも弥咲は彼女の言葉が引っかかっていた。力を与えた? 何を言っているのだろう。そんな事をした覚えはない。
血塗れとなった手を見せる。鉄枷によるうっ血は今だにあるのに穴は既に無く、少女のきめ細やかな肌。不思議に思い、ザンカの手をグーパーと握らせる。首を傾げながらも弥咲はザンカの言葉に対して疑問を口にした。
「傷がない……ザンカ。私は君が無事で良かった。良かったんだが複雑な……」
ザンカは口角を少し上げて笑いながら弥咲へ問いかける。
「弥咲はどうしてそんなに優しいの?」
瞳が揺れる。弥咲の頬に手を伸ばし、輪郭を確かめるようにゆっくりとなぞる。何故そんな質問をしたのか理解できない。弥咲はそんな疑問を露わに更に首を傾げるだけだった。
お互いの間に見えない何かが存在している。それをはっきりと確認するにはあまりにも脆い関係だった。それでも互いに信じていたかった。
ふとザンカの頭に一羽の鳥が止まる。
彼女はその事に気づくと嬉しそうな笑みを浮かべ、指先で嘴を撫でた。その様子を見届けると弥咲は安堵した。ザンカも微笑み返すと、弥咲は視線を落とし俯く。暫くして弥咲は顔を上げると、その小さな口から言葉が紡がれる。その一言は衝撃的だった。
「丁度、この真下が本部なんだ。乗り込もう」
唐紅の少女はそう言うと弥咲の頬に手を当てた。
酷い血の匂いと赤を与えられる。体温は温かくも耳元で鎖の音がする。
ザンカと名乗った目の前の少女は琉球奴隷――この国よりも遥か南方にある異国だったもの。今は県として統治され初めているのではなかったか? 弥咲は混乱していた。そんな彼が思考の渦に落ちていく前にザンカは、あることを思いつくと弥咲の腕を掴む。
「私は奴隷商人を殺して逃げてきている。良い返事、貰えないなら」
麻のボロ布のどこに隠していたのか。
白の滑らかな石に、星空を思わせる小さな青い石が散らばっている。小刀の鞘を首元に当てぐっと押し込む。
「これ刃は?」
「勿論、ある」
家紋に見えなくもない異国情緒な線刻で装飾されている美しい刃が目の前に出された。刃先をじっと見つめて指先でそっと撫でてみる。
「…………うゔゔ。お金は妹の天唯が持ってるんだ」
弥咲は天笠螺月骨董店と言う古物商店の店主であり、普段は店を開いているだけで商売っ気が全くない男だ。そもそも客自体が滅多に来ないので困ることと言えば店の家賃くらいだろうか。ザンカは眉を潜めると小刀を仕舞う。掴んでいた腕もパッと離すと何も言わずにスタスタと歩き始める。
「冗談は汚い瞳だけ。さようなら」
「ま! ザンカ待って!」
未だ涙声の男に見向きもせずにザンカは足早に立ち去ろうとする。が、弥咲はその背中を逃がさんと追いかけ始める。残火のように揺らめく着物の裾を掴むと、ザンカの足がピタリと止まった。ため息を小さく吐き振り向くと弥咲の目にはまた涙があった。彼女は首を微かに傾げる。
「これ。あげる。奴隷商人にコレを見せたら、もしかしたら、君は罪に囚われないかもしれない」
指に嵌めていた指輪をザンカの小さな手に無理矢理握らせる。ザンカの瞳色のように艶やかなグラデーションが入った宝石が、嵌められシンプルながらも職人の腕が輝く細工が施されたそれは、奴隷が着けるにはあまりにも高価な品だ。ザンカは手の中で転がし、一瞬、その綺麗な輝きに魅せられ目を丸くさせる。
「…………綺麗」
だが、そんなことを気にせず彼は口を開く。瞳は真剣そのものだった。
「先程は助けてくれてありがとうザンカ。君の強さにもしかしたらと思って、君の優しさを……利用しようとした。せめてもの救いで受け取ってくれ。悪い値段はしないと思う。妹は私がどうにか助ける」
その言葉を聞きザンカは目の前の男の頬を軽く叩く。ペチンと軽い音が響き渡った。
呆れた表情のザンカに対し、叩かれた弥咲はキョトンとした顔だ。お互い今の状況をわかっておらず空気を感じ取ろうと顔が更に空虚になっていく。
「…………。これ売ったら私と同程度ってこと?」
その言葉を聞いた弥咲は目を見開き、驚きと焦りの混じった何とも言えない顔をする。口をパクパクさせながら慌て始めた。指輪を奪うと無理矢理ザンカの親指へ嵌める。少し隙間があるが問題はない。目の前の男の反応を見るとザンカがこの指輪がどういう意味なのか理解するまで、そう時間は掛からなかった。
「はい。これで指輪取れない!」
「………………名前、名前は?」
「あ、命の恩人に失礼でしたね。天笠弥咲と言います」
自分の名前を名乗るとザンカの口角が僅かに上がる。その笑顔は何処か大人びていて、幼い雰囲気を醸し出す彼女には不釣り合いな印象を与えた。
■
「ザンカ助けてくれるのか、本当にありがとう」
「うん。……というか本当は助けようと、していた、うん!」
何だその含みはと弥咲が視線を、薄くぼんやりとした空に不釣り合いな真っ黒な太陽へ視線を移す。視界が急降下していく。内蔵が上へ惹きつけられる。妹と同い歳と思われるザンカに弥咲はお姫様抱っこをされ運ばれていたのだ。指輪を手にはめて以降、ザンカの雰囲気には明るい花が待っている。あの時はただ単に、ザンカは己の命を助けてくれたと弥咲は思っていたのだがどうやら何か違うように思えてくる不思議さがある。
ザンカが言うにはこの世界は現実と時間の隙間とやらで。詳しい話は妹の天唯を助けてからと言うが……。情報がお互い渋滞しており整理する必要があると弥咲は思いつつも、先ずは今置かれている状況について整理しなければならない。
家屋の屋根を身軽に走り去っていく。ザンカはこの不思議な世界でも底抜けに明るく、弥咲の瞳は揺れた。その感情の意味を知るのはまだ先の話だ。さらに宙に跳び上がる。重力を無視するかのような光景と浮遊感に弥咲は思わずザンカの首にしがみつく。
「ザンカ! ザンカァァァァァ!怖いぃ!」
「そうか。じゃあ話。人頭税を払えなかった私達は、この国へ出荷され奴隷として売られるはずだったんだ」
預かっている極彩色の塊を更にぎゅっと抱きしめている弥咲は必死な訴える。ザンカは不思議な能力を使い、空を飛んでいる訳ではない。ただ単純に身体能力が高く脚力も並外れているだけだ。会話の内容が声音とは違い、とても悲惨なものである。
「私はとある部族の姫だから、私が奴隷になれば部族の皆は幸せ。喜んで奴隷になったけど……従者が奴隷商人にとても酷い扱いをされて死んだ」
極彩色の塊に視線を移す。そうこの中には従者の一部が丁寧に包まれている。ザンカに付き纏う血や赤はこの従者のもので間違いないようだ。しかしここからの話が不可思議であった。
とある国から同じ奴隷船に乗っていた老婆が奴隷商人を拐かし殺害したという。その罪をザンカに擦り付けたという。
「ザンカが奴隷商人を殺した訳じゃないのか。その老婆って、不揃いで茶黄色な歯をした老婆だった?」
「これが不思議と印象に残っていない。でも、騙されてるのは癪」
ふと気づけば、極彩色の塊を抱き締める腕の力が強くなっていく。自分自身、何故力が強くなったのか。胸騒ぎを誤魔化すような感じだったのだろうか。そんな時、ザンカは足を止めた。ある一点を見つめる瞳は冷たく、そして悲しげである。その視線の先にはザンカと同じような麻の格好で豊満な肉体をした女性。大きく窪んだ瞳からは涙が落ちており、それはまるで水晶のようだった。その女性はザンカ達の姿を見ると、大粒の涙を流しながらこちらへ狂ったように向かってくる。
「あれは……!」
「私の従者が乗っ取られたもの」
弥咲を西洋建物の屋根へ隠すと小刀を手渡す。念を押すようにぐっと力を込めて手を握りしめる。
「この国には御嶽がない。だから皆、悪霊になる。魂がずっと残る……」
意味深な発言を残し飛び立っていく。その姿はもうどこにもなかった。屋根には極彩色の塊を大事に抱える弥咲だけ。
何とも言えない孤独感が襲ってくるが、唐紅の髪が鈍い赤の軌跡を視線で追う。
その瞳はとても力強く。その眼差しは遥か遠くまで見渡せる。
「ガァァァァァァッ!」
人体から決して出ることのない音が空へ響く。窪んだ空虚な瞳からは何も読み取れない。しかしザンカへ明確な敵意を向けているのは確かだ。ザンカは西洋建物から一際高く飛びながら、女から伸びる無数の手足を蹴散らしていく。怯むこと無く前へ、自身へ一直線に突き進むザンカに女は奇声を上げる。その様子は正に阿鼻叫喚だった。女が手を伸ばすと身体を引き裂かれていく。女は口から赤黒い液体を流し、痛みを訴えていた。
その様子を見たザンカの表情が恐怖に染まる。瞳孔が開き、唇がワナワナと痙攣する。
「痛みなんか無いのに!なんで、その表情をする!」
身体を捩らせる女の胸へ手を伸ばすザンカ。
その指先が女に触れると何かを掴む。麻布を引きちぎって、硬質な光沢感のある虫の足がザンカの手を突き刺す。掴まれた女は苦しみの声を上げ、ザンカは必死に女を救おうとしていた。そんな彼女の身体に、空間から無数の人間の手がまとわりつく。腕は首元へ、足は腰元へと絡みつき、ザンカの身体の自由を奪う。その様はさながら網の中に囚われた蝶だった。しかし、それを嘲笑うかの様にザンカは女の片腕を掴み捻りあげる。粘ついた肉が身体から引き剥がされる。
重く湿った鈍い音と共に女の身体が灰へ変わる。苦しいのか腕が震えて――ザンカの首輪の鎖を掴む。細い少女の肉体、神経、骨がギチギチと音を立てて軋んでいく。
「……今までありがとう。悪霊になっても私が救うから……おやすみなさいね」
ザンカはそう言うと女の顔へ自身の顔を近づける。女は透明な涙を一筋、流しながら微笑み、そのまま灰となって消え去った。ザンカの瞳は哀愁の色を浮かべており、それはまるで死者への弔いのようだった。
その光景を見ていた弥咲は複雑な想いを胸に抱えながら見つめている。
息を呑むと、自身の隣にみしりと軋む音がした。唐紅や黄色を纏ったザンカが既に隣にいたのだ。あまりの速さに弥咲も目を見開く。ザンカは弥咲の方へ向き直ると頭を下げた。そして顔を上げて弥咲の瞳を真っ直ぐに見据える。
「――弥咲、私に力をくれてありがとう。これであの人を皆を救うことが出来るわ。貴方には本当に感謝している」
突然流暢になったザンカの口調よりも弥咲は彼女の言葉が引っかかっていた。力を与えた? 何を言っているのだろう。そんな事をした覚えはない。
血塗れとなった手を見せる。鉄枷によるうっ血は今だにあるのに穴は既に無く、少女のきめ細やかな肌。不思議に思い、ザンカの手をグーパーと握らせる。首を傾げながらも弥咲はザンカの言葉に対して疑問を口にした。
「傷がない……ザンカ。私は君が無事で良かった。良かったんだが複雑な……」
ザンカは口角を少し上げて笑いながら弥咲へ問いかける。
「弥咲はどうしてそんなに優しいの?」
瞳が揺れる。弥咲の頬に手を伸ばし、輪郭を確かめるようにゆっくりとなぞる。何故そんな質問をしたのか理解できない。弥咲はそんな疑問を露わに更に首を傾げるだけだった。
お互いの間に見えない何かが存在している。それをはっきりと確認するにはあまりにも脆い関係だった。それでも互いに信じていたかった。
ふとザンカの頭に一羽の鳥が止まる。
彼女はその事に気づくと嬉しそうな笑みを浮かべ、指先で嘴を撫でた。その様子を見届けると弥咲は安堵した。ザンカも微笑み返すと、弥咲は視線を落とし俯く。暫くして弥咲は顔を上げると、その小さな口から言葉が紡がれる。その一言は衝撃的だった。
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