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Iris

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私は猫だった。
気づいた時には猫だったのだから、私は猫である。

昔通ったことのある、比較的背丈の小さな人々が集まるショーガッコウという建物では、「ワガハイは」という言い方も聞いたことがあるけれど、私は私で良い。この言い方が気に入っている。

とにかく、私が猫であることは揺るぎのない事実であり、誰にも変えることはできない。
仕方がないことなのだ。

猫に生まれて、良かったと思うことも、そうではないこともあった。

たとえば、カイシャと呼ばれる、せかせか忙しそうに、どこか切羽詰まったように日々を送る人々が時折口にする「猫に生まれたかった」は、解釈するに自由になりたい、だろう。

何も猫だからと言って全てが自由なわけでもない。
縄張りがあり、明日食べるものを心配したり、雄猫に追っかけられたり、それなりに大変なのだ。
人間に媚びを、いや、愛嬌を売らなければならない時だってある。ツキアイは大変だ。

けれど確かに、時間的制約なるものは、人より幾分か感じないことも確かかもしれない。


私は、気づいた時にオヤが無かった。
キョウダイもいなかった。
気づいた時には、ひとりぼっちだった。

世間は冷たい。
皆自分が生きていくことで精一杯なのだ。
それも仕方がない。


そんなある日のことだった。
いつものようにナツの暑い日差しを避けるには絶好の、お気に入りの公園に立ち寄った時のことだ。

ベンチの下がお気に入りだ。
たまに人間のオコボレももらえる。
特定の場所に居れば、大抵の生き物は空気を読んで、いたずらに居場所を奪おうともしない。

今日も一眠り、そう思った時。
「こんなところにネコがいるじゃないか。」

む、うるさいなぁ。今気持ちよく寝ていたのに。
片目を開けると、初めて見る顔が私を覗き込んでいた。
どちら側だろうと思った。

興味本位か、それとも。
じっと見つめれば、彼は何やらカバンをゴソゴソとし始めた。

「そういえばさっき、刺身買ったんだよ。」

あ、これは餌をもらえるかもしれない。
私は打算的にも、人間にはニャーと聞こえる音で鳴いた。

「どうした?お腹空いたか?」
その人は、どうしてだかひどくあたたかい掌で私の頭を撫でた。

「ちょっとなら、大丈夫だろ」
彼はサシミを手のひらに置くと、私に差し出した。
手のひらであることに一瞬の戸惑いを覚える。

「腹減っているだろ?」
中々口にしない私を見て、責めるでもなく、そう優しい声音で彼は言った。

おそるおそる口を近づければ、久しぶりの豪華なショクジに、身体が止まらなかった。

「そっか、そうだよな。腹減るよな…」
私にしては珍しく、食べている間中、頭を撫でられていても気にならなかった。何故だろう。

目の前のサシミを平らげ、もぐもぐと咀嚼をしていると、男はベンチに腰をおろした。

「実家で猫飼ってるんだよ。」

私は「そうなの」と思いながら、またニャーと鳴いた。

「お前は言葉が分かるみたいな反応するな」

「まぁね」と思って、またニャーと鳴いた。
すると彼はしばらく考えたようにしてから、もう一度ベンチから降り、私のそばにしゃがんだ。

スーツも制服も身につけていないその人は、どこか自由を感じさせた。

頭をまた一撫してから、今度は首のところをこしょぐってくる。こそばゆい、やめい!
ニャーと鳴くと、彼は「ごめんごめん」と笑った。

「飼い主はナシ、か」

ポツリと呟かれた言葉に胸がツキンと痛んだ。

どうしてだろう、もうヒトリにはとっくの昔に慣れたというのに。
どうして。

こんな時、声は出なかった。

「俺さ、最近この辺りに越してきたの」

男は続ける。

「1人だし、まだよく分かんないし、
 実家で猫飼ってたし」

また彼は頭を撫でた。

「俺の家の子にならない?」

驚いた、ビックリした時も、猫は声が出ないらしい。いや、そんなこと考えるヨユウなどなかった。

私が家ネコ…?

そんな、バカな…

「ダメ?」

彼は、なんと表現したら良いか分からない表情で、ヘラリと笑った。

私は思わずぷいと横を向いて、ニャー、と鳴いた。

彼はふっと笑って、
「オッケーってことだな」そう都合良く解釈してくれて、
もう、まだそんなこと言ってないんだから、と返そうとした時には、私の身体は宙を浮いていた。

「お家、帰ろうな」

彼は片手に私と、もう片方に買い物袋を持って、
ゆっくりと帰路を辿ろうとしている。
そして、私にこう尋ねた。

「君の名前は?」
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