名前はまだない

Iris

文字の大きさ
2 / 2

青い月

しおりを挟む
「女の子だね、君」

人とネコの間に生まれる熱と、うだるような暑さに耐えられず、思わず途中で彼の腕から飛び出したが、着地した場所は「あすふぁると」だった。

人間はクルマという鉄のカタマリの代わりに、動物を犠牲にする。
太陽の熱を思う存分吸ったコンクリートは、素肌を押し当てるのはあまりに拷問過ぎる。

潰れたヒキガエルような声(実際にはにゃあだった)を思わずあげると、「あっついだろ」と、見かねた彼は再び私を腕の中に抱え上げた。

別に彼がイヤなのではない。ただ、アツいのだ。それに彼も荷物を持った上で、子どもではない私をこの暑さで抱えるのは、重労働だろう。

見れば首筋を汗が伝っていた。
「もうちょっとだから我慢して」
そう、困ったように彼が笑えば、私は意固地になる気にもならず、素直に甘えることをカンジュすることにした。

にゃあ、と鳴けば、「良い子だね」と声が返ってくる。
どうしてだろう、頭を撫でてもらえないことを、少し不服に感じるのは。
気づけば、彼の体温をもう不快には感じていなかった。

それから彼の家に着くまでのしばらくの間も、ミーンミンミンだとか、ジジジジ、つくつくほーしだとか、空気を読む気のない虫たちがこぞって自分の居場所を告げていた。
彼はその間で、「あっちぃな」と5回は呟いた。


「あー、着いた着いた」

人は見かけにはよらないという、失礼極まりない諺が、この世には存在するわけだが、彼はそれに該当する気がした。

帰宅した場所は、まず玄関に鍵を差し込まないと開かないすりガラスがついていて、彼の家に入る前にもう一度、彼は鍵を使ったのだ。

これはおそらく、ゲンジュウだ。
私も取られたくないものは、人から見えないところに隠す。
まず、近づかれた時に、シンニュウシャをゲキタイできるからだ。

すきま風からシンニュウできるような、ボロボロの住処ではない。
私もここから飛び降りたら、タダでは済まないほど、高さのある建物であるとは、なんとなく理解していた。

「うん、降りても良いよ、ってもう降りてるか」

とりあえず飛び降りても問題ない、彼の腕から地面に着地した。
むぅ、ちょっとツルツルして歩きにくいぞ。

「フローリングもなんとかしなきゃな」

歩くのに苦戦する私を見てか、履き物を脱ぎつつ彼はそう言った。

「ぜひそうしてくれると助かる」、ちょっと自分でも情けない声を漏らすと、部屋に上がった彼は私を一撫した。
…イヤじゃない。

「冷蔵庫しまってくるからな」

彼は目の前の動く板(ドアには色んな種類があるらしい)を横に滑らせると、奥には更に空間が広がっていた。
にゃんと、いっとう広いではないか…

しかも、よそよそと涼しい風がこちら側に流れ込んでくる。
こ、これは、かのショーガッコウの偉い人たちが、アイスの棒をむしゃぶりながら、ナツ休みを謳歌する部屋の前を通った時であったり、
宿題をしにいく!と出かけた子どもたちが、こぞって睡眠学習すなるものを貪るトショカンのすりガラスを通った時の感覚に、とても似ている気がした…。

ゆ、ユウワクだ…。
きっと、人が多くの時間、ハツメイという名のブンメイに注いだ多くはユウワクという名の甘い果実だったのだ…

にゃ、にゃあ…

私は負けない…と私が必死で何かに抗っている時、
「あれ、部屋怖いか…?」と遠くから声が聞こえたかと思えば、ペタペタと素足の音を立てた彼がやってきた。

にゃあ。

「どうした?おいで」

しゃがんだ彼に腕を伸ばされれば、私は気づくと彼の膝の上に乗っていた。
はっ、ここは!

「よしよし、良い子だ。今部屋の中案内してやろうな」

彼はまた私を撫でた。
なんだか、外よりもくまなく撫でられている気がする。くすぐったい。
でも、そよそよと吹く風が私を穏やかにしていた。
彼はふと気づいたように呟いた。

「それにしてもあんまり汚れてないな」

「まぁ、風呂には入れるけど」
オフロとはなんだろう。噴水で水浴びするのは嫌いではなかった。もちろん、綺麗な水に限るけれど。

「ビョーインは夕方行こうね」

そして、冒頭に至る。

「名前、何にしよっか」

彼は頭を撫でながらそう言った。
名前はまだない。

しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

主人公の恋敵として夫に処刑される王妃として転生した私は夫になる男との結婚を阻止します

白雪の雫
ファンタジー
突然ですが質問です。 あなたは【真実の愛】を信じますか? そう聞かれたら私は『いいえ!』『No!』と答える。 だって・・・そうでしょ? ジュリアーノ王太子の(名目上の)父親である若かりし頃の陛下曰く「私と彼女は真実の愛で結ばれている」という何が何だか訳の分からない理屈で、婚約者だった大臣の姫ではなく平民の女を妃にしたのよ!? それだけではない。 何と平民から王妃になった女は庭師と不倫して不義の子を儲け、その不義の子ことジュリアーノは陛下が側室にも成れない身分の低い女が産んだ息子のユーリアを後宮に入れて妃のように扱っているのよーーーっ!!! 私とジュリアーノの結婚は王太子の後見になって欲しいと陛下から土下座をされてまで請われたもの。 それなのに・・・ジュリアーノは私を後宮の片隅に追いやりユーリアと毎晩「アッー!」をしている。 しかも! ジュリアーノはユーリアと「アッー!」をするにしてもベルフィーネという存在が邪魔という理由だけで、正式な王太子妃である私を車裂きの刑にしやがるのよ!!! マジかーーーっ!!! 前世は腐女子であるが会社では働く女性向けの商品開発に携わっていた私は【夢色の恋人達】というBLゲームの、悪役と位置づけられている王太子妃のベルフィーネに転生していたのよーーーっ!!! 思い付きで書いたので、ガバガバ設定+矛盾がある+ご都合主義。 世界観、建築物や衣装等は古代ギリシャ・ローマ神話、古代バビロニアをベースにしたファンタジー、ベルフィーネの一人称は『私』と書いて『わたくし』です。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた

しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。 すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。 早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。 この案に王太子の返事は?   王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。

〈完結〉だってあなたは彼女が好きでしょう?

ごろごろみかん。
恋愛
「だってあなたは彼女が好きでしょう?」 その言葉に、私の婚約者は頷いて答えた。 「うん。僕は彼女を愛している。もちろん、きみのことも」

真実の愛を見つけたとおっしゃるので

あんど もあ
ファンタジー
貴族学院のお昼休みに突然始まった婚約破棄劇。 「真実の愛を見つけた」と言う婚約者にレイチェルは反撃する。

お前は要らない、ですか。そうですか、分かりました。では私は去りますね。あ、私、こう見えても人気があるので、次の相手もすぐに見つかりますよ。

四季
恋愛
お前は要らない、ですか。 そうですか、分かりました。 では私は去りますね。

私は逃げ出すことにした

頭フェアリータイプ
ファンタジー
天涯孤独の身の上の少女は嫌いな男から逃げ出した。

本物の夫は愛人に夢中なので、影武者とだけ愛し合います

こじまき
恋愛
幼い頃から許嫁だった王太子ヴァレリアンと結婚した公爵令嬢ディアーヌ。しかしヴァレリアンは身分の低い男爵令嬢に夢中で、初夜をすっぽかしてしまう。代わりに寝室にいたのは、彼そっくりの影武者…生まれたときに存在を消された双子の弟ルイだった。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

処理中です...