犬犬コーヒー、犬コーヒー

ぼくる

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ご来店

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「どちら様ですか」
「おれ、ポゴ」
 金縁メガネがまず目に入る。それからアイスクリームみたいな形の電子タバコを持っていた見知らぬお兄さんが言う。
「はぁ。ご注文でしたら、お座席の方で」
「いやキショイおもたやろ。でもポゴやねん。キミの飼い犬の、ちっこいトイプードル。パラレルワールドってやつで、別の世界のポゴ。この世界のおれ、昨日死んだやろ」
 彼が話すたび、パーマのうねりがぴょんと跳ねる。オーバーサイズのジーンズと淡いピンクのカーディガンがはためく。
 それは事実ではあったけれど、ポゴには全く似ていなかった。
「あぁこれな。暑いから服の内側に扇風機三つひっかけてる。TMの西川みたいでええっしょ」
 お兄さんは両腕を広げて、自分の全身を私に見せる。
「はぁ……」
「いやそれあとでええわ。聴きたいことあってん。あのさ……」
「アイスコーヒーですね」
「聞けや」
 店のキッチンに入って、アイスコーヒーを用意する。
 グラスにそれを注ぎながら、頭を巡るはポゴ、ポゴ、ポゴ。
 三回頭の中で唱えてから、ポゴに小便ひっかけられたこととか、うんちを拾ってあげたこととか、ジャーキーあげたこととか、思い出す。
 テーブル席の一つに腰かけているポゴをちらっと忍び見た。脚を組んで、背凭れに片肘をのせて、ふんぞり返っている。
 やっぱりポゴには似ていない。パラレルワールドってそういうもんなのかな。

「お待たせしました」
「きたきた、ずっと飲みたかってん、丹織姉さんのコーヒーってやつ。もうここきてから一年経ったっけ」
「うん、正確には1年と27日」
「冷たない?」
「コーヒー?」
「いや丹織姉さん、おれに対して」
「はぁ……」
 お盆を抱えたまま、私は突っ立っていた。本当に別の世界のポゴだったとしても、そうじゃないとしても、私にはなにか言いたいことがあったんだと思う。結局なにが言いたいのかわからなくて、ただ黙ってた。
「うん」彼は舌先でコーヒーをすくいあげるみたいにして、私の入れたコーヒーを下品に飲んでいる「まずい、おれには合わへん」
「バレるよ、そんな飲み方してたら」
「なにって?」
「犬だってバレるよ。犬にコーヒー飲ませたら、私が店長に怒られんだから」
 通り雨が降ったみたいにテーブルに飛び散っているコーヒーを、私はおしぼりで拭いてあげながら言った。
 ふと、うんちした後のポゴのおしりをティッシュで拭ってやったときのことを思い出す。
「おまえ泣かんかったやろ、俺の葬式で」
 不意にお兄さんがそう尋ねてきた。
「はぁ、そですね」
「なんでなん? 別の世界でも、ポゴはポゴやから、そういうのわかんねん。正確にはこっちの世界来た時に細胞まるまる移されてさ、質量保存の法則とかいうのに似てるけどちょい違う。こっちの世界のポゴ、つまり俺がおらんくなった分、そこが空白になっとるわけで、それで初めてこっちにこれるってことすわ。ちなみにぶっちゃけると、アインシュタインのあの数式はええとこまでいって――」
「そっちが、勝手にどっか行ったからじゃん」
 ポゴがいる、そう信じ始めたわけでもないけど、私はそう口に出してた。
「はぁ」これはポゴのせりふ。キョトンとしてる。
「わたしだって、びっくりした。わあわあ泣きたかった。でもそれよりなんかイライラして、怒りたかった。だってクソ犬じゃん、クソ犬。首輪つけてんのも、どっか遠くに行かないようにってそのためじゃん。キライ、もうキライ」
 気付けばおしぼりを握ってた手にすんごい力がこもってた。なんか血管がすんごい浮き出てた。
「ペットが死ぬとか、みんな味わってることかもしんないけど、だからって関係ない。ポゴがいなくなったのはわたし一人だけの悲しいことで、そのことだって、もっと堂々言いたかった! でも無理じゃん!」
 ちょ、におちゃん、大丈夫? とか外野の声――ってか多分店長の声が割り込んでくる。クビでいいや。ありがと店長、それからごめんなさい。めっちゃ良い人なんだけど、こればっかりは口塞いでられんでした。
「でも、でもでもでも! ポゴがいなくなったのは私にとって絶対で、だから誰よりも悲しいことで、ねぇ、ねぇ……」
 力任せにふき取ろうとしたコーヒーの雫が目に飛び込んできたみたいな、そんな感じだった。
 多分涙目になってて、こぼれんな、こぼれんな、って思った途端、目に映ったのは自分の手に浮き上がってる気色悪い血管の筋。
 それで、次の瞬間には『うわ泣いた』って悟った。ペットが死ぬとか、そんなありきたりなことで泣いてる自分になってしまってるって感じた。
 気色悪い自分の血管が見えんくなったのは、お兄さんの柔らかい手がそこに被さったから。
 手の甲に感じた感触は『ぷに』。お兄さんの肉球。
「うん、泣いたな。えらいな、よしよし」
 私がポゴにやってたナデナデを、今度はポゴが私にやっていた。
「さぁて用も済んだし――あぁ待った、最後に一つ。おれ、このままこっちの世界にいてもいいけど、どうする? その場合世界とかそういうのもろもろも滅んじゃうことになるんやろうけど」
 子供みたいに大泣きしながら答えたせいか、ポゴは聞き取れなかったみたい。
「ん、なにって?」
「帰ってって、言うしかないじゃん。ずるい、クソ犬」
「おー! えらいじゃん、よしよし。クソ犬はまぁ、やめてほしいけど」
 ポゴはバカ笑いを上げながら、私の頭を撫で続けた。
「クソ」
「犬は残して」
「クソ、クソ、ありがとう、ごめんね……クソ犬」
 ほろ苦い黒に、甘い砂糖とミルクをこっそり交ぜる。
「うん、ゼンゼン」
 出来上がったのはコーヒーみたいな言葉。
 でも、今度のはポゴの口に合えばなって思った。
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