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グランドベゼル編
5 兄と妹
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side 桜木イオリ
静寂漂う夜のアクロポリス。帝都を照らす月の光は薄灰色の雲に遮られ、いつも以上に暗い。住民たちは間違いなくみな寝静まっている頃だ。外にいるのは警備に当たる師団員たちぐらいだろう。
僕は簡単な怪我の処置をしてもらったが、まだ脆い身体を懸命に動かし、屋根伝いに跳び回って、とある場所へと迅速に向かっていた。
そう、愛するミオのいる我が家へと。
「うっ……」
痛む左肩を抑える。おそらくは傷口が開いて血がにじんでいるはずだ。
こんなことで立ち止まるわけには、いかない!
僕は傷などお構いなしに走った。そして城から一分とかからずに到着した。これは僕の最速記録が出たかもしれない。
『ガチャッ』
ドアノブを開け暗く静まり返った家へと入る。
パタンッとドアが閉じる。僕は鍵をかけることも忘れ、ミオを探した。
どこだミオ……!
まずはミオの部屋を見る。しかし姿はない。他にもリビングやトイレ、風呂場など至る所を見たがミオの姿はどこにもなかった。
なぜだ……?!
僕はミオが見つからないことに苛立ち焦った。だがふと我に帰った。
まだ探していない場所が一ヶ所あるじゃないか……!
僕は急いで踵を返しミオの部屋の前方にある部屋へ向かう。そうしてドアの前まで来た僕はドアノブに手をかけ、そーっと開けた。
部屋の中はいたってシンプルだ。左側にはクローゼットが置いてあり、右側には小さめの机と椅子、中央にはベッドがある。そしてそのベッドに腕と頭を乗せて座り寝をする少女がいた。
ミオ……!!
僕は左肩の痛みなど忘れてミオに駆け寄る。いつもなら、寝ているミオを起こさないように静かに動いたが、今回だけはそうもいかなかった。僕はドタドタとまるで子どものように音を立てて走り、ミオに抱きついた。
「ん……お、重い……」
「ふふっ。重いだなんてひどいなぁ、ミオ」
「え……お兄、ちゃん……?」
僕の声がしたことに驚いたミオは僕の方を振り返っても、状況把握ができていないのか固まったままだ。
「ああ……ただいま、ミオ」
僕はミオから少し顔を離し、愛するミオの顔全体を捉えた。ミオは表情筋が固まったかのように驚いた顔のままで、僕の言葉に反応を示さなかったが、数秒後、僕がちゃんとここにいることを自覚し頬を濡らした。
「……うぅ……ふ……うぅぅ……お兄ちゃーん……!」
ミオはザーザーと、まるで土砂降りの雨のように涙を流し、僕を思い切り抱きしめた。僕もそれに応えるようにミオの背中に手を回し、優しく抱きしめる。
「ごめんね、ミオ。遅くなって」
「うぅぅ……お兄ちゃん、死んじゃった……んじゃないか……って私……怖くて……っ」
「うん」
「寂しかった……!」
「うん……ごめん。本当にごめんね……」
ここまで感情を爆発させたミオを見たのは、両親が死んだ時以来だ。そしてこんなにもミオを心配させて泣かせてしまった僕は、間違いなく兄失格だ。
数分してミオの涙も止まり、落ち着いたいつもの様子へと戻っている……と思う。ただ目元はまだ赤い。
「大丈夫かい?」
「うん……って、お兄ちゃん、それ……!」
ミオは僕のある部分を見つけると、焦燥感を露わにした。僕はすぐに察して自分の左肩へと目をやった。
「ああ、これかい?少し負傷しただけだよ。大丈夫」
「大丈夫なわけ、ない。服の上からでも、出血してるの、わかる……!救急箱取ってくる……!!」
ミオは慌ただしく部屋を出て行った。普段なら絶対に見れないミオの姿に僕は内心嬉しく感じていた。ついつい笑みがこぼれる。だが忘れていた痛みに再び襲われる。僕はズキズキと脈を打つ左肩に手を当てた。
あぁ、まずい。意識が遠のいてきた……。
視界がぼやけ体に力が入らなくなる。そして自分の体をコントロールできないまま、ふらっと床に倒れてしまった。
「っ……!お兄ちゃん….…!」
ミオの叫び声が微かに聞こえたと同時に僕は意識を失った。
「イオリ。お前は帝都に残り、他の近衛衆とともに民衆の避難誘導をしなさい」
「っ……なぜですか父上?!僕も前線に向かいます。父上たちとともに!」
僕は父上に抗議した。帝都に迫る恐ろしい危機を、僕は父上たちと一緒に退けたかった。民衆の避難は僕がいてもいなくても人手は十分に足りていたのだ。だというのに、父上はあの時僕の申し出を拒否した。
「ダメよ、イオリ」
「母上……」
そしてそれは母上も同じだった。父上は近衛衆筆頭、母上もその一員であり二人は近衛衆の要のような存在だった。僕はそんな優秀な二人の間に生まれた人間だったんだ。
「なぜ僕は戦場に赴いてはならないのですか。確かに近衛衆は大帝国師団のように戦闘を想定とした者たちではなく、言わば裏方的存在です。しかし今はそうも言ってられない緊迫した状況です。人手は何人いようとも足りないはず……」
「あのね、イオリ。私とスグルさんは近衛衆の中で最も使える人材だから、行かねばならないの。近衛衆は大帝国を守る影。だけど時に表に出ることで、大帝国を死守せねばならない時がある」
「恐れながら、僕は父上や母上の次に強いと自負しています」
「それは間違ってはいないわ。むしろ私やスグルさんよりも強いと私は思っています」
「だったらーーー」
「ですが、私たちは大帝国の未来も考えねばならないの。次期筆頭たるあなたがいなくては、近衛衆は維持できなくなってしまう。存続が危ぶまれるの。そうなれば大帝国は将来滅んでしまう、と私たちは考えてる」
「アヤネの言う通りだ。イオリ、お前は今後の近衛衆に不可欠な存在だ。ここで失うわけにはいかない」
父上は僕の両肩を掴み強固な意志を持って僕を説得した。
「……っ!」
どうして僕には戦わせてはくれないのか、僕は足手まといなのか、父上や母上に信頼されていないのか、などと訳のわからない思考が頭を駆け巡った。
だけど、分かってはいた。父上や母上の気持ちは、嫌という程分かっていたんだ。
「それと、これは近衛衆の筆頭桜木スグルとしてではなく、お前の父としての最後の頼みだ」
父上は僕の両肩を掴んだまま、まっすぐに僕を見つめた。
「私たちの娘を……お前の大事な妹のこと、頼んだぞ」
そう告げた父上の眼と言葉には、これから自分が死ぬことを悟り悲しんでいるというような様子など全くなかった。その覚悟を決めた眼差しからは、僕を心から信頼して託すという強い意志が見て取れた。
「……っ……はい………僕が必ずミオを守り抜きます。何があろうとも……!」
この誇り高き父上の姿を見て、誰がその覚悟を踏み躙ることができるというのか。いや、誰であろうとあの時の父上を説得できるものなどいなかったのだ。そしてそれは母上も同じだった。
僕たちの両親は、近衛衆の未来、引いては大帝国の未来を見据えていたのだ。今を乗り越えることとと将来の行く末を想定して託すこと。その両方を成し遂げようとする二人の姿は、僕には何よりも眩しくそして儚げであった。
父上と母上は僕の最も憧憬的な存在。そして僕はそんな両親のことが大好きだったんだ。
その後、僕は父上たちに託された通りに動いた。この時帝都にはまだ魔物たちは迫ってきてはなかったけど、すでに半径一キロメートル以内には侵攻してきていた。だから魔物と師団員たちが戦っている激しい音は聞こえていたし、地鳴りのようなものも何度か味わった。
「魔物が迫ってきています。迅速な避難をお願いします!」
「イオリくん」
僕が避難誘導を行なっていると、付近にいた師団員に声をかけられた。
「どうかしましたか?」
「冒険者の君にも手伝ってもらって悪いね」
「いえ……人々の命がかかっているんです。協力しないわけないじゃないですか」
「ありがとう。……あれ?そういえば、ミオちゃんはどうしたんだい?」
え……?
僕は慌てて周囲を確認した。だが、周りには避難する人々の姿だけでミオはどこにも見当たらなかった。
「っ……すみません。少しここを離れます」
僕は必死に帝都を駆けずり回った。避難する人たちの邪魔にならないよう屋根伝いに。しかしいくら探してもミオは見つからない。
ミオ……っ!
『ゴゴゴゴゴォォォォ!』
一際大きな地響きが帝都を襲う。屋根上にいた僕にはその威力が目に見えてわかった。この地鳴りによって足下から倒壊する建物が何軒も見受けられたからだ。
早くミオを探さないと……!
父上や母上と約束したんだ。
僕がミオを守ると!
そう再決意した矢先のことだった。急に視界が暗転した。周りを見渡しても黒一択の世界。まるで一切の光がない密閉空間に閉じ込められたみたいだ。
ここは……どこなんだ?
なんでこんなところに……
いや、そんなことよりもミオだ!
ミオを探さないと……!
ミオを探しに行こうと歩き出そうとした直後、誰かのすすり泣く声がかすかに聞こえてきた。
この声……もしかして……!
僕は声のする方へと走り出した。
その泣き声はだんだんと大きくなっていく。そしてその姿も捉えられるようになった。
やっぱり、ミオだ……!
僕はようやくミオを見つけられたことに歓喜した。だけどその反面、妙なことにも気づいた。
なぜあんなにも小さいんだ……?
どうみても目の前にうずくまるミオは五、六歳といったところだ。
いや、そんなことは後回しだ。ミオが泣いてるんだ。ミオの兄として、僕がそばに居て守ってあげないと。
僕は幼いミオの肩に触れた。だが感触が全くなかった。それどころか、僕の手はミオの肩を貫通した。
え……?
僕が何が起きているのかと呆然としていると、幼いミオが天を見上げ何か言葉を紡ぎ始めた。
「お父さん……!お母さん……!お兄ちゃん……!みんな、どこ……。ミオを、置いていかないで……!」
それは悲痛な叫びだった。涙でいっぱいの顔。必死に僕たち家族を呼ぶその声は、僕の胸を深く抉った。
「ミオ……」
ミオはまた俯きうずくまる。
「ミオ。僕はいるよ。ここに、いるよ……」
僕は再びミオに触れようとする。だけどやはり触ることはできなかった。それに加え、ミオには僕の声すらも届いていないようだった。まるで目の前のミオにとって、僕は存在していないかのように……。
どうして僕はミオに何もしてあげられない?
こんなにも悲しんで苦しんでいるミオが目の前にいるのに……。
なぜ僕はただ指を咥えて見ることしかできないんだ……!
僕は役立たずの自分に絶望すると同時に、心底腹が立った。
何がミオの兄として、だ!
何が僕が必ずミオを守り抜く、だ!
何も……何もできてなんかいないじゃないか!!
僕は唇を噛み締めた。血がにじむほどに。
僕は両拳を強く握りしめた。血が滴るほどに。
「…………ちゃん……」
あんなにもか弱く小さな妹すら守れないなんて、どこまで使えないんだ!
「……兄……ちゃ……」
クソ……クソクソクソォォォォ!!
「お兄ちゃん!」
「はっ……」
僕は布団をめくりあげながら勢いよく上体を起こした。
…………ここは……家……?
「お兄ちゃん、大丈夫……?汗すごい……」
僕は思わず、心配そうに見つめるミオを抱きしめた。
「え……?どうしたの……?悪い夢、見たの?」
ミオだ。ミオがいる。
ちゃんと僕を見てる。
泣きじゃくりうずくまってない。
いつもの、ミオだ。
「そうみたいだ。ごめん、ミオ。もう少しだけこのままでいさせて……」
「……わかった」
ミオの体温が僕を優しく包んでくれる。
あれは悪夢だった。悪夢以外に何だと言うんだ。触れることもできない、声も届かない……。
あんなのはもうごめんだよ……。
「落ち着いた……?」
ミオの持ってきてくれた温かいココアを飲み、サイドデスクに置く。
「ああ。ありがとう、ミオ」
「肩、平気……?」
僕は左肩に手を当てる。しっかりと包帯がまかれていることがよくわかる。
「ああ。ミオの手当のおかげだよ。ここに来る前よりも肩が軽く感じる」
「ふふ……大げさ……」
笑ってくれた。良かった。
「そんなことはないよ。……さっきは、ごめんね」
「……?」
「いきなり抱きついてしまって……兄として恥ずかしいよ」
守るべき存在の妹に甘えていては世話がない。ミオもこんな情けない僕には嫌気がさしたかもしれないね……。
「なんで?」
「え……?」
僕はミオの言葉に驚き、俯いていた顔をあげた。
「私は十分、お兄ちゃんに、守られてる、助けられてる。私も、お兄ちゃんの役に立ちたい。お兄ちゃんの望みに応えたい。守られるだけじゃ、助けられてるだけじゃ、やだ」
その真剣な眼差しに嘘偽りなど全く見受けられない。
「だからまたあの時みたいなことあったら、私もお兄ちゃんと、戦う……!」
ミオはまっすぐに僕を見つめている。
……ああ、ミオはもう、こんなにも成長してくれてるんだね……。守られてるだけの、あの頃の幼いミオじゃないんだ……。
嬉しいやら悲しいやら、そんな複雑な感情が僕の中に生まれ、せめぎ合っていた。
でも、やっぱり嬉しい。ミオがこんなに立派になっていたなんて……僕はなぜ今まで気づかなかったのか。悔いるばかりだ。
「そっか……ありがとう、ミオ。とっても嬉しいよ。これからも、一緒に頑張ろうか」
ミオはコクリと首を縦に振った。
兄として妹を守らねばならないと、僕はそのことばかりに固執していた。父上や母上との約束を盾にして、これが正しいとばかり思っていた。だけどそれは少しばかり間違っていた。
ミオの気持ちも考えて行動しなければならなかった。僕は身勝手すぎた。だけど、決してミオを守ることをやめるわけじゃない。少しやり方が変わるだけだ。
一方的にではなく互いにへと。
side 桜木ミオ
お兄ちゃんが帰ってきてから三日。まだ三日しか経ってないのに、お兄ちゃんはせっせと仕事に励んでる。
お兄ちゃんにはポーションがうまく効かない。二番目に効力があるって言われている赤色のポーション。このポーションだけはある程度お兄ちゃんの身体にもうまく馴染んでくれるけれど、効力が低い他の色のポーションは、全くもってお兄ちゃんの身体には作用しない。
原因はよくわかってないけど、お兄ちゃんの推測では、お爺ちゃんやお兄ちゃんにしかない特別な力のせいじゃないかって。お爺ちゃんもお兄ちゃんみたいに、ポーションがあまり効かなかったから……。
だから絶対に安静にしなきゃダメなのに、お兄ちゃんは平気で動き回ってる。休んでほしいって頼んでも、「これぐらいどうってことないよ」と返されるだけ。
だから、私はできるだけお兄ちゃんに負担がかからないように支えてる。もともと家事はお兄ちゃんが全部やってたけど、私も見よう見まねでやることにした。
「おかえり、ミオ」
「ただいま……」
果物や野菜、お肉といった食品類がパンパンに入った紙袋を持って玄関を開けると、お兄ちゃんが出迎えてくれた。今日は昨日より早く帰ってきたみたい。
「それ持つよ」
「だめ……」
お兄ちゃんが差し伸べた手を、私はムスッとしながら拒否した。怪我人に持たせられるわけない。それにこれは私の仕事。取られないようにしなきゃ。
私は靴を乱雑に脱ぎ捨て、キッチンへと歩いていく。お兄ちゃんは少し遅れて私についてきた。
「あ、そうだ。ミオ、戻ったら火がつけっぱなしになってたよ。買い出し行くならちゃんと止めないとね」
そうだった。忘れてた……。
「……うん」
「あと、まだ洗濯してない服があったから洗っておいたよ」
「え?!なんで、やっちゃうの……?」
それは後でやろうって残してたやつなのに……。
「暇だったから……かな」
「……私、怪我人は絶対安静って、言った」
「そう、だね……」
お兄ちゃんは目をそらしながら頬をぽりぽりとかいている。
「私の仕事取るの、だめ……!」
「ご、ごめんよ、ミオ……」
お兄ちゃんはしょぼんとしてしまった。
その後私は、お肉を焼いてみたり野菜を炒めてみたりしたけど、どれもこれも焦げてしまった。初日みたいに丸焦げじゃないけど、食べるにはちょっと……って感じの……。
一番出来がいいのは果物の盛り付け。リンゴを兎の形にしたり、メロンの果肉を丸々取り除いて、そこに一口サイズに切った果物を詰め込んだり……。
私、料理の才能ないのかな……。
私は食卓に不出来な料理を並べ、自室にいたお兄ちゃんを呼んだ。
「ふふ。これまた随分と黒いね」
「……ごめんなさい」
「なぜ謝るんだい?」
「材料、無駄にしちゃった……あと、おいしくないもの、つくってばっか……」
そう落ち込みながら言うと、お兄ちゃんは箸を取って焦げた料理たちを食べ始めた。そして少し苦笑いをした。
「……うん。見た目通りって感じだ」
私はその一言にさらにどんよりとした気持ちになる。
「でも、確実に成長してる。頑張ったね、ミオ」
お兄ちゃんは優しく微笑んでくれた。
「うそ……」
「嘘なんかじゃないよ。二日前は丸焦げな上に味付けも、なんというか、パニック起こしそうな感じだったけど、今日の料理は塩分が少し多いかなって思う程度。まだ片手で数えるほどしか料理してないんだ。十分成長してるよ」
……!私が気をつけたところ、ちゃんと分かってくれてた。やっぱりお兄ちゃんはすごい。それにすっごく優しい。
「あり、がと……」
「……話は変わるけど、ミオは今日の会議を聞いてどう思った?」
箸をすすめながらお兄ちゃんは私に問いかけてくる。
「……危険、だと思う」
「うん、そうだね。魔界は近衛衆のみんなもそこまで詳しくない。言わば未知の世界だ。危険がないわけがない」
「でも、私とお兄ちゃんなら、楽勝」
「ふふ。そうだね」
あの会議では今後の近衛衆の動きについて通達された。集められるだけの近衛衆を呼んだ。任務に出てる者も近場の者や途中で抜け出しても問題のない者などもわざわざ呼び出した。迅速にそして直接伝えたかったから。
それにあの会議は近衛衆、下手をしたら大帝国そのものの存続に関わる重要なものだったから……。
「急に呼び出して悪かったね。早速だけど会議を始めよう。まず、軍事国家への潜入任務は僕とミオで行く予定だったけど、これは別の者に任せることにする。それから、僕とミオはしばらく魔界に行くことになる。その間の指揮はドレイクに一任する。以上だ。何か質問のあるものは?」
大勢の者が手をあげた。
「じゃあまずはドレイク」
「はい。筆頭の言葉は簡略化されすぎています。なぜそうなったか、その過程を具体的に教えていただきたい」
「そうだね。それを話さないと、皆納得できないね……」
お兄ちゃんは少し考え込むような素振りを見せた。
「まず、先日僕たちが軍事国家潜入に向けて出発して……」
お兄ちゃんは少しばかり長々と説明した。これでも短いと私は思うけど、言わなきゃいけないことはしっかりと言ってた。思い出すと今でも震えそうになるあの悪寒の正体や、そいつらの特徴など。そしてお兄ちゃんはそれを直に感じて、これは大帝国の危機になると悟ったみたい。お兄ちゃんの勘は当たるから、これは事実みたいなもの。
「……というわけだ」
「……魔族、ですか」
「ああ。魔族のことは魔界に行くのが一番だからね。だから僕らで行くんだ」
「確かに、俺たちの中で最も戦闘センスの高いのはお二人ですが、それでも危険なのは変わりない。……正直俺は反対です。ですが、言っても聞かないでしょう?」
「ふふ。よくわかってるじゃないか」
「……了解しました。この不肖ドレイク。筆頭不在の間、近衛衆の指揮を取らせていただきます」
「よろしく頼むよ。……さて、他に質問はないかな?」
「はい」
ピンッと垂直に天井に向かって伸びた腕。メガネをかけた細身の男だ。名前は確か……。
「キュリー。何かな?」
「軍事国家への潜入任務、ぜひこの私を選任していただきたい」
「ふむ。……理由は?」
「以前の会議では僕は任務中であったため、参加することは叶いませんでした。伝書鴉が届いてようやく僕は、ゲネルとテックスが行方知れずであることを知りました。僕は彼らとはそれなりに……いえ、かなり付き合いが長く、そして何より仕事仲間である以前に友でした。……許せるわけがありません」
怒りに満ちた顔。でも、泣き出しそうな自分を押さえているようにも見える。
「……そうだったね。キュリーたちが仲良く話しているところを僕も見たことがある。……分かった。キュリーに任せよう」
「っ……!ありがとうございます」
キュリーはパッと嬉しそうな顔をしてすぐに深々とお辞儀をした。
「うん。ただし、復讐に気を取られて任務を放棄するようなことは絶対にーーー」
「でしたら、このルミカにお任せを」
そう声を上げたのは、キュリーと最近同じ任務についていた女性だったはずだ。僕が忙しい時はドレイクが適材適所に人員を配置するから、ルミカはたぶんドレイクが担当したんだろう。
「キュリーがどのような性格でどのように動くかなど、大体のことは今さっき終えた任務で把握済み。私ならキュリーを御せる自身があるわ」
「……いいよ。ならキュリーとルミカに軍事国家潜入任務を与える。皆、異存はないね」
みんな一様に頷く。
「それじゃあ今日の緊急会議はこれで終了だ。詳細は追って紙で通達する。それと何かあれば僕かドレイクに言うように」
この会議の後、お兄ちゃんはドレイクたちともう少し作戦を煮詰めると言って仕事しに行った。私はそういうのにはあんまり参加してこなかったから、一旦家に戻った。そして今に至る。
「流石にこの怪我で魔界に向かうのは無謀だからね。あと三日もすればほぼ傷は塞がるってスザンヌさんも言ってたし、その日になるまではできることをやっておこう」
そう言いながらさっき出した私の最高傑作の果物の盛り合わせを食べるお兄ちゃん。
だから、安静にって言ってるのに、もう……バカ……。
静寂漂う夜のアクロポリス。帝都を照らす月の光は薄灰色の雲に遮られ、いつも以上に暗い。住民たちは間違いなくみな寝静まっている頃だ。外にいるのは警備に当たる師団員たちぐらいだろう。
僕は簡単な怪我の処置をしてもらったが、まだ脆い身体を懸命に動かし、屋根伝いに跳び回って、とある場所へと迅速に向かっていた。
そう、愛するミオのいる我が家へと。
「うっ……」
痛む左肩を抑える。おそらくは傷口が開いて血がにじんでいるはずだ。
こんなことで立ち止まるわけには、いかない!
僕は傷などお構いなしに走った。そして城から一分とかからずに到着した。これは僕の最速記録が出たかもしれない。
『ガチャッ』
ドアノブを開け暗く静まり返った家へと入る。
パタンッとドアが閉じる。僕は鍵をかけることも忘れ、ミオを探した。
どこだミオ……!
まずはミオの部屋を見る。しかし姿はない。他にもリビングやトイレ、風呂場など至る所を見たがミオの姿はどこにもなかった。
なぜだ……?!
僕はミオが見つからないことに苛立ち焦った。だがふと我に帰った。
まだ探していない場所が一ヶ所あるじゃないか……!
僕は急いで踵を返しミオの部屋の前方にある部屋へ向かう。そうしてドアの前まで来た僕はドアノブに手をかけ、そーっと開けた。
部屋の中はいたってシンプルだ。左側にはクローゼットが置いてあり、右側には小さめの机と椅子、中央にはベッドがある。そしてそのベッドに腕と頭を乗せて座り寝をする少女がいた。
ミオ……!!
僕は左肩の痛みなど忘れてミオに駆け寄る。いつもなら、寝ているミオを起こさないように静かに動いたが、今回だけはそうもいかなかった。僕はドタドタとまるで子どものように音を立てて走り、ミオに抱きついた。
「ん……お、重い……」
「ふふっ。重いだなんてひどいなぁ、ミオ」
「え……お兄、ちゃん……?」
僕の声がしたことに驚いたミオは僕の方を振り返っても、状況把握ができていないのか固まったままだ。
「ああ……ただいま、ミオ」
僕はミオから少し顔を離し、愛するミオの顔全体を捉えた。ミオは表情筋が固まったかのように驚いた顔のままで、僕の言葉に反応を示さなかったが、数秒後、僕がちゃんとここにいることを自覚し頬を濡らした。
「……うぅ……ふ……うぅぅ……お兄ちゃーん……!」
ミオはザーザーと、まるで土砂降りの雨のように涙を流し、僕を思い切り抱きしめた。僕もそれに応えるようにミオの背中に手を回し、優しく抱きしめる。
「ごめんね、ミオ。遅くなって」
「うぅぅ……お兄ちゃん、死んじゃった……んじゃないか……って私……怖くて……っ」
「うん」
「寂しかった……!」
「うん……ごめん。本当にごめんね……」
ここまで感情を爆発させたミオを見たのは、両親が死んだ時以来だ。そしてこんなにもミオを心配させて泣かせてしまった僕は、間違いなく兄失格だ。
数分してミオの涙も止まり、落ち着いたいつもの様子へと戻っている……と思う。ただ目元はまだ赤い。
「大丈夫かい?」
「うん……って、お兄ちゃん、それ……!」
ミオは僕のある部分を見つけると、焦燥感を露わにした。僕はすぐに察して自分の左肩へと目をやった。
「ああ、これかい?少し負傷しただけだよ。大丈夫」
「大丈夫なわけ、ない。服の上からでも、出血してるの、わかる……!救急箱取ってくる……!!」
ミオは慌ただしく部屋を出て行った。普段なら絶対に見れないミオの姿に僕は内心嬉しく感じていた。ついつい笑みがこぼれる。だが忘れていた痛みに再び襲われる。僕はズキズキと脈を打つ左肩に手を当てた。
あぁ、まずい。意識が遠のいてきた……。
視界がぼやけ体に力が入らなくなる。そして自分の体をコントロールできないまま、ふらっと床に倒れてしまった。
「っ……!お兄ちゃん….…!」
ミオの叫び声が微かに聞こえたと同時に僕は意識を失った。
「イオリ。お前は帝都に残り、他の近衛衆とともに民衆の避難誘導をしなさい」
「っ……なぜですか父上?!僕も前線に向かいます。父上たちとともに!」
僕は父上に抗議した。帝都に迫る恐ろしい危機を、僕は父上たちと一緒に退けたかった。民衆の避難は僕がいてもいなくても人手は十分に足りていたのだ。だというのに、父上はあの時僕の申し出を拒否した。
「ダメよ、イオリ」
「母上……」
そしてそれは母上も同じだった。父上は近衛衆筆頭、母上もその一員であり二人は近衛衆の要のような存在だった。僕はそんな優秀な二人の間に生まれた人間だったんだ。
「なぜ僕は戦場に赴いてはならないのですか。確かに近衛衆は大帝国師団のように戦闘を想定とした者たちではなく、言わば裏方的存在です。しかし今はそうも言ってられない緊迫した状況です。人手は何人いようとも足りないはず……」
「あのね、イオリ。私とスグルさんは近衛衆の中で最も使える人材だから、行かねばならないの。近衛衆は大帝国を守る影。だけど時に表に出ることで、大帝国を死守せねばならない時がある」
「恐れながら、僕は父上や母上の次に強いと自負しています」
「それは間違ってはいないわ。むしろ私やスグルさんよりも強いと私は思っています」
「だったらーーー」
「ですが、私たちは大帝国の未来も考えねばならないの。次期筆頭たるあなたがいなくては、近衛衆は維持できなくなってしまう。存続が危ぶまれるの。そうなれば大帝国は将来滅んでしまう、と私たちは考えてる」
「アヤネの言う通りだ。イオリ、お前は今後の近衛衆に不可欠な存在だ。ここで失うわけにはいかない」
父上は僕の両肩を掴み強固な意志を持って僕を説得した。
「……っ!」
どうして僕には戦わせてはくれないのか、僕は足手まといなのか、父上や母上に信頼されていないのか、などと訳のわからない思考が頭を駆け巡った。
だけど、分かってはいた。父上や母上の気持ちは、嫌という程分かっていたんだ。
「それと、これは近衛衆の筆頭桜木スグルとしてではなく、お前の父としての最後の頼みだ」
父上は僕の両肩を掴んだまま、まっすぐに僕を見つめた。
「私たちの娘を……お前の大事な妹のこと、頼んだぞ」
そう告げた父上の眼と言葉には、これから自分が死ぬことを悟り悲しんでいるというような様子など全くなかった。その覚悟を決めた眼差しからは、僕を心から信頼して託すという強い意志が見て取れた。
「……っ……はい………僕が必ずミオを守り抜きます。何があろうとも……!」
この誇り高き父上の姿を見て、誰がその覚悟を踏み躙ることができるというのか。いや、誰であろうとあの時の父上を説得できるものなどいなかったのだ。そしてそれは母上も同じだった。
僕たちの両親は、近衛衆の未来、引いては大帝国の未来を見据えていたのだ。今を乗り越えることとと将来の行く末を想定して託すこと。その両方を成し遂げようとする二人の姿は、僕には何よりも眩しくそして儚げであった。
父上と母上は僕の最も憧憬的な存在。そして僕はそんな両親のことが大好きだったんだ。
その後、僕は父上たちに託された通りに動いた。この時帝都にはまだ魔物たちは迫ってきてはなかったけど、すでに半径一キロメートル以内には侵攻してきていた。だから魔物と師団員たちが戦っている激しい音は聞こえていたし、地鳴りのようなものも何度か味わった。
「魔物が迫ってきています。迅速な避難をお願いします!」
「イオリくん」
僕が避難誘導を行なっていると、付近にいた師団員に声をかけられた。
「どうかしましたか?」
「冒険者の君にも手伝ってもらって悪いね」
「いえ……人々の命がかかっているんです。協力しないわけないじゃないですか」
「ありがとう。……あれ?そういえば、ミオちゃんはどうしたんだい?」
え……?
僕は慌てて周囲を確認した。だが、周りには避難する人々の姿だけでミオはどこにも見当たらなかった。
「っ……すみません。少しここを離れます」
僕は必死に帝都を駆けずり回った。避難する人たちの邪魔にならないよう屋根伝いに。しかしいくら探してもミオは見つからない。
ミオ……っ!
『ゴゴゴゴゴォォォォ!』
一際大きな地響きが帝都を襲う。屋根上にいた僕にはその威力が目に見えてわかった。この地鳴りによって足下から倒壊する建物が何軒も見受けられたからだ。
早くミオを探さないと……!
父上や母上と約束したんだ。
僕がミオを守ると!
そう再決意した矢先のことだった。急に視界が暗転した。周りを見渡しても黒一択の世界。まるで一切の光がない密閉空間に閉じ込められたみたいだ。
ここは……どこなんだ?
なんでこんなところに……
いや、そんなことよりもミオだ!
ミオを探さないと……!
ミオを探しに行こうと歩き出そうとした直後、誰かのすすり泣く声がかすかに聞こえてきた。
この声……もしかして……!
僕は声のする方へと走り出した。
その泣き声はだんだんと大きくなっていく。そしてその姿も捉えられるようになった。
やっぱり、ミオだ……!
僕はようやくミオを見つけられたことに歓喜した。だけどその反面、妙なことにも気づいた。
なぜあんなにも小さいんだ……?
どうみても目の前にうずくまるミオは五、六歳といったところだ。
いや、そんなことは後回しだ。ミオが泣いてるんだ。ミオの兄として、僕がそばに居て守ってあげないと。
僕は幼いミオの肩に触れた。だが感触が全くなかった。それどころか、僕の手はミオの肩を貫通した。
え……?
僕が何が起きているのかと呆然としていると、幼いミオが天を見上げ何か言葉を紡ぎ始めた。
「お父さん……!お母さん……!お兄ちゃん……!みんな、どこ……。ミオを、置いていかないで……!」
それは悲痛な叫びだった。涙でいっぱいの顔。必死に僕たち家族を呼ぶその声は、僕の胸を深く抉った。
「ミオ……」
ミオはまた俯きうずくまる。
「ミオ。僕はいるよ。ここに、いるよ……」
僕は再びミオに触れようとする。だけどやはり触ることはできなかった。それに加え、ミオには僕の声すらも届いていないようだった。まるで目の前のミオにとって、僕は存在していないかのように……。
どうして僕はミオに何もしてあげられない?
こんなにも悲しんで苦しんでいるミオが目の前にいるのに……。
なぜ僕はただ指を咥えて見ることしかできないんだ……!
僕は役立たずの自分に絶望すると同時に、心底腹が立った。
何がミオの兄として、だ!
何が僕が必ずミオを守り抜く、だ!
何も……何もできてなんかいないじゃないか!!
僕は唇を噛み締めた。血がにじむほどに。
僕は両拳を強く握りしめた。血が滴るほどに。
「…………ちゃん……」
あんなにもか弱く小さな妹すら守れないなんて、どこまで使えないんだ!
「……兄……ちゃ……」
クソ……クソクソクソォォォォ!!
「お兄ちゃん!」
「はっ……」
僕は布団をめくりあげながら勢いよく上体を起こした。
…………ここは……家……?
「お兄ちゃん、大丈夫……?汗すごい……」
僕は思わず、心配そうに見つめるミオを抱きしめた。
「え……?どうしたの……?悪い夢、見たの?」
ミオだ。ミオがいる。
ちゃんと僕を見てる。
泣きじゃくりうずくまってない。
いつもの、ミオだ。
「そうみたいだ。ごめん、ミオ。もう少しだけこのままでいさせて……」
「……わかった」
ミオの体温が僕を優しく包んでくれる。
あれは悪夢だった。悪夢以外に何だと言うんだ。触れることもできない、声も届かない……。
あんなのはもうごめんだよ……。
「落ち着いた……?」
ミオの持ってきてくれた温かいココアを飲み、サイドデスクに置く。
「ああ。ありがとう、ミオ」
「肩、平気……?」
僕は左肩に手を当てる。しっかりと包帯がまかれていることがよくわかる。
「ああ。ミオの手当のおかげだよ。ここに来る前よりも肩が軽く感じる」
「ふふ……大げさ……」
笑ってくれた。良かった。
「そんなことはないよ。……さっきは、ごめんね」
「……?」
「いきなり抱きついてしまって……兄として恥ずかしいよ」
守るべき存在の妹に甘えていては世話がない。ミオもこんな情けない僕には嫌気がさしたかもしれないね……。
「なんで?」
「え……?」
僕はミオの言葉に驚き、俯いていた顔をあげた。
「私は十分、お兄ちゃんに、守られてる、助けられてる。私も、お兄ちゃんの役に立ちたい。お兄ちゃんの望みに応えたい。守られるだけじゃ、助けられてるだけじゃ、やだ」
その真剣な眼差しに嘘偽りなど全く見受けられない。
「だからまたあの時みたいなことあったら、私もお兄ちゃんと、戦う……!」
ミオはまっすぐに僕を見つめている。
……ああ、ミオはもう、こんなにも成長してくれてるんだね……。守られてるだけの、あの頃の幼いミオじゃないんだ……。
嬉しいやら悲しいやら、そんな複雑な感情が僕の中に生まれ、せめぎ合っていた。
でも、やっぱり嬉しい。ミオがこんなに立派になっていたなんて……僕はなぜ今まで気づかなかったのか。悔いるばかりだ。
「そっか……ありがとう、ミオ。とっても嬉しいよ。これからも、一緒に頑張ろうか」
ミオはコクリと首を縦に振った。
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一方的にではなく互いにへと。
side 桜木ミオ
お兄ちゃんが帰ってきてから三日。まだ三日しか経ってないのに、お兄ちゃんはせっせと仕事に励んでる。
お兄ちゃんにはポーションがうまく効かない。二番目に効力があるって言われている赤色のポーション。このポーションだけはある程度お兄ちゃんの身体にもうまく馴染んでくれるけれど、効力が低い他の色のポーションは、全くもってお兄ちゃんの身体には作用しない。
原因はよくわかってないけど、お兄ちゃんの推測では、お爺ちゃんやお兄ちゃんにしかない特別な力のせいじゃないかって。お爺ちゃんもお兄ちゃんみたいに、ポーションがあまり効かなかったから……。
だから絶対に安静にしなきゃダメなのに、お兄ちゃんは平気で動き回ってる。休んでほしいって頼んでも、「これぐらいどうってことないよ」と返されるだけ。
だから、私はできるだけお兄ちゃんに負担がかからないように支えてる。もともと家事はお兄ちゃんが全部やってたけど、私も見よう見まねでやることにした。
「おかえり、ミオ」
「ただいま……」
果物や野菜、お肉といった食品類がパンパンに入った紙袋を持って玄関を開けると、お兄ちゃんが出迎えてくれた。今日は昨日より早く帰ってきたみたい。
「それ持つよ」
「だめ……」
お兄ちゃんが差し伸べた手を、私はムスッとしながら拒否した。怪我人に持たせられるわけない。それにこれは私の仕事。取られないようにしなきゃ。
私は靴を乱雑に脱ぎ捨て、キッチンへと歩いていく。お兄ちゃんは少し遅れて私についてきた。
「あ、そうだ。ミオ、戻ったら火がつけっぱなしになってたよ。買い出し行くならちゃんと止めないとね」
そうだった。忘れてた……。
「……うん」
「あと、まだ洗濯してない服があったから洗っておいたよ」
「え?!なんで、やっちゃうの……?」
それは後でやろうって残してたやつなのに……。
「暇だったから……かな」
「……私、怪我人は絶対安静って、言った」
「そう、だね……」
お兄ちゃんは目をそらしながら頬をぽりぽりとかいている。
「私の仕事取るの、だめ……!」
「ご、ごめんよ、ミオ……」
お兄ちゃんはしょぼんとしてしまった。
その後私は、お肉を焼いてみたり野菜を炒めてみたりしたけど、どれもこれも焦げてしまった。初日みたいに丸焦げじゃないけど、食べるにはちょっと……って感じの……。
一番出来がいいのは果物の盛り付け。リンゴを兎の形にしたり、メロンの果肉を丸々取り除いて、そこに一口サイズに切った果物を詰め込んだり……。
私、料理の才能ないのかな……。
私は食卓に不出来な料理を並べ、自室にいたお兄ちゃんを呼んだ。
「ふふ。これまた随分と黒いね」
「……ごめんなさい」
「なぜ謝るんだい?」
「材料、無駄にしちゃった……あと、おいしくないもの、つくってばっか……」
そう落ち込みながら言うと、お兄ちゃんは箸を取って焦げた料理たちを食べ始めた。そして少し苦笑いをした。
「……うん。見た目通りって感じだ」
私はその一言にさらにどんよりとした気持ちになる。
「でも、確実に成長してる。頑張ったね、ミオ」
お兄ちゃんは優しく微笑んでくれた。
「うそ……」
「嘘なんかじゃないよ。二日前は丸焦げな上に味付けも、なんというか、パニック起こしそうな感じだったけど、今日の料理は塩分が少し多いかなって思う程度。まだ片手で数えるほどしか料理してないんだ。十分成長してるよ」
……!私が気をつけたところ、ちゃんと分かってくれてた。やっぱりお兄ちゃんはすごい。それにすっごく優しい。
「あり、がと……」
「……話は変わるけど、ミオは今日の会議を聞いてどう思った?」
箸をすすめながらお兄ちゃんは私に問いかけてくる。
「……危険、だと思う」
「うん、そうだね。魔界は近衛衆のみんなもそこまで詳しくない。言わば未知の世界だ。危険がないわけがない」
「でも、私とお兄ちゃんなら、楽勝」
「ふふ。そうだね」
あの会議では今後の近衛衆の動きについて通達された。集められるだけの近衛衆を呼んだ。任務に出てる者も近場の者や途中で抜け出しても問題のない者などもわざわざ呼び出した。迅速にそして直接伝えたかったから。
それにあの会議は近衛衆、下手をしたら大帝国そのものの存続に関わる重要なものだったから……。
「急に呼び出して悪かったね。早速だけど会議を始めよう。まず、軍事国家への潜入任務は僕とミオで行く予定だったけど、これは別の者に任せることにする。それから、僕とミオはしばらく魔界に行くことになる。その間の指揮はドレイクに一任する。以上だ。何か質問のあるものは?」
大勢の者が手をあげた。
「じゃあまずはドレイク」
「はい。筆頭の言葉は簡略化されすぎています。なぜそうなったか、その過程を具体的に教えていただきたい」
「そうだね。それを話さないと、皆納得できないね……」
お兄ちゃんは少し考え込むような素振りを見せた。
「まず、先日僕たちが軍事国家潜入に向けて出発して……」
お兄ちゃんは少しばかり長々と説明した。これでも短いと私は思うけど、言わなきゃいけないことはしっかりと言ってた。思い出すと今でも震えそうになるあの悪寒の正体や、そいつらの特徴など。そしてお兄ちゃんはそれを直に感じて、これは大帝国の危機になると悟ったみたい。お兄ちゃんの勘は当たるから、これは事実みたいなもの。
「……というわけだ」
「……魔族、ですか」
「ああ。魔族のことは魔界に行くのが一番だからね。だから僕らで行くんだ」
「確かに、俺たちの中で最も戦闘センスの高いのはお二人ですが、それでも危険なのは変わりない。……正直俺は反対です。ですが、言っても聞かないでしょう?」
「ふふ。よくわかってるじゃないか」
「……了解しました。この不肖ドレイク。筆頭不在の間、近衛衆の指揮を取らせていただきます」
「よろしく頼むよ。……さて、他に質問はないかな?」
「はい」
ピンッと垂直に天井に向かって伸びた腕。メガネをかけた細身の男だ。名前は確か……。
「キュリー。何かな?」
「軍事国家への潜入任務、ぜひこの私を選任していただきたい」
「ふむ。……理由は?」
「以前の会議では僕は任務中であったため、参加することは叶いませんでした。伝書鴉が届いてようやく僕は、ゲネルとテックスが行方知れずであることを知りました。僕は彼らとはそれなりに……いえ、かなり付き合いが長く、そして何より仕事仲間である以前に友でした。……許せるわけがありません」
怒りに満ちた顔。でも、泣き出しそうな自分を押さえているようにも見える。
「……そうだったね。キュリーたちが仲良く話しているところを僕も見たことがある。……分かった。キュリーに任せよう」
「っ……!ありがとうございます」
キュリーはパッと嬉しそうな顔をしてすぐに深々とお辞儀をした。
「うん。ただし、復讐に気を取られて任務を放棄するようなことは絶対にーーー」
「でしたら、このルミカにお任せを」
そう声を上げたのは、キュリーと最近同じ任務についていた女性だったはずだ。僕が忙しい時はドレイクが適材適所に人員を配置するから、ルミカはたぶんドレイクが担当したんだろう。
「キュリーがどのような性格でどのように動くかなど、大体のことは今さっき終えた任務で把握済み。私ならキュリーを御せる自身があるわ」
「……いいよ。ならキュリーとルミカに軍事国家潜入任務を与える。皆、異存はないね」
みんな一様に頷く。
「それじゃあ今日の緊急会議はこれで終了だ。詳細は追って紙で通達する。それと何かあれば僕かドレイクに言うように」
この会議の後、お兄ちゃんはドレイクたちともう少し作戦を煮詰めると言って仕事しに行った。私はそういうのにはあんまり参加してこなかったから、一旦家に戻った。そして今に至る。
「流石にこの怪我で魔界に向かうのは無謀だからね。あと三日もすればほぼ傷は塞がるってスザンヌさんも言ってたし、その日になるまではできることをやっておこう」
そう言いながらさっき出した私の最高傑作の果物の盛り合わせを食べるお兄ちゃん。
だから、安静にって言ってるのに、もう……バカ……。
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