聖母のように笑う

結崎悠菜@w@

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母ではあるが

母でなくなった人

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 母は私の母ではない。
母は私を産んだが、もう他の人の母だ。

 
 母が家から出て行ったのは、小学の入学式二日前だった。
前日まで小学に通う準備を一緒にして、名前シールのチェックもしてもらっていた。
母は私に何も言わずに去った。
父も何も教えてはくれなかった。
母親を奪ってすまない、それだけしか口に出さなかった。
父と母の間が不穏なことは気づいていたが、まさか母がいなくなるなんて思ってもみなかった。
母は私を愛してくれていると思っていたから。
 母の口癖は「もう、仕方ないわねぇ」だった。
私は何でもやりたがったが、失敗も多かった。
その度に母は困ったように笑いながらその言葉を言い、愛してるの詰まった瞳で見つめてくれた。
あの瞳は私の勘違いだったのだろうか。

 母のいない生活は辛かった。
料理以外の家事はやりたがりの性格からできるようになっていたし、近所に住むおばあちゃんが料理や手伝いをしに来てくれてはいた。
それでも、辛かった。
小学の課題は「お母さん」に関わるものが多かった。
私の地域では片親が少ないことが影響していたのかもしれない。
「お母さんにお願いしてみましょう」「お母さんに聞いてみましょう」「お母さんの手伝いをしてみましょう」など、多くの母という字が躍っていた。
悲しんだが、助かることに私は応用の効く人間だった。
先生に質問することなく、母のいない自分ができる範囲で課題をこなした。
母がいないことを当然のように振る舞えることが、とても辛かった。
 周りからも様々なことを言われた。
いや、直接言われた言葉はなかったかもしれない。
しかし、片親の少ない地域で、死別でなく片親だというのは噂のかっこうの餌食だった。
父の陰口も母の陰口も多く聞こえた。
私はわからないふりをするしかなかった。
「可哀想な子」でいるかぎり、直接傷つけられる事はないと気づいていたから。

 母がいないまま高校を卒業し、地元の会社で働くことになった。
学ぶよりも、はやく働きたかった。
父に一人前の姿も見せたかったし、「子」という括りで見られる限り、私は「母に捨てられた子」でしか無いように感じていたのだ。
 仕事になれてきたある日、父は母の所在を教えてくれた。
会うことは叶わないだろうが一目見てくるといい、と言われた。
理解もせずまま頷いて、週末にはそこに向かった。
 家の前に立たずともわかる、立派な家だった。
豪邸とまでは言わないが、小さくともしっかり手入れされた庭に、建てた頃から変わっていないだろう汚れのないクリーム色がかった壁はお金をかけられていることを感じさせられた。
少し離れたところから見ていると、玄関が開いて人が四人出てきた。
小学低学年ぐらいの男の子と女の子、お父さんであろう優しそうに笑う男性。
そして...「お母さん」。
体がおかしくなったみたいに熱くなる。
血が沸騰しているみたいだ。
十年は経っているのに、記憶のままの母がいた。
子どもたちに目を戻すと目元や耳の形が母に似ていた。
やはり母の子なんだ。
そう思うと血とは逆に、体の表面は冷たくなっていくように感じた。
その時、母が笑った。
そこにいる子どもたちに向けて、笑った。
子どもたちに向ける目は、私が昔受けたものと同じだった。
突然、体が元の状態に戻った。
 「勘違いなんかじゃなく、私はちゃんと愛されていたんだな」
気がつくと少し救われていた。
それでも、これ以上見ていると心のすべてが壊れていく気がして逃げ帰った。
あの場所にいるのは、母に笑いかけて貰えるのは、あの子たちだけなのだ。
 家に着いてから母を二度失った喪失感が襲ってきた。
泣いて過ごし、その後屋根裏に仕舞われていたアルバムを取り出した。
今は母でなくなってしまった母。
しかし、幼い私を愛した母は、確かにそこにいた。
写真の中で笑う優しそうな女の人。
この人は今、私がいないところで幸せになったのだ。
私の母は、死んだのだ。


 それから月日が経ち、職場で出逢った男性と結婚することになった。
母がいないことを気にしたが、相手も相手の親も気にしないでくれた。
それどころか、お義母さんは「よく頑張ってきたね、これからは甘えていいのよ」なんて二十すぎた私に言ってくれた。
お義母さんはちょっと抜けてるところがあるが、料理がとても上手くて教えるのもうまい。
褒め上手で安心感のわく笑顔を見せてくれる。

 「私ね、ずっと娘が欲しかったのよ」
お義母さんとは料理をしながら話すことが多い。 
 「本当は一人いたのだけれど、産まれる時神様に取られちゃったの」
いつも通りに手際よく手を進めていく。
 「あなたはあなたなのに、重ねていたらごめんなさいね」
目を合わすと、申し訳なさそうに潤んだ瞳が目に入った。
理由がない優しさより、よっぽど心に沁みる。
 「本当の娘だと思ってもらえるのは嬉しいです」
精一杯笑うと抱き締められた。
温かい。
懐かしい感覚は初めてのようにも感じられた。

 拝啓、母でなくなった母へ。
私もあなた以外の母と幸せになっていいでしょうか。
どうか、あなたも私の幸せを願っていてくれていることを。
敬具


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