陰陽師・恭仁京上総の憂鬱

藤極京子

文字の大きさ
32 / 59
第参章

 九、壊れた関係

しおりを挟む

 上総と左京は壮介のマンションに到着した。
 インターホンを鳴らしても応答はない。
 『まだ帰って来てないのかな』
 『立花壮介は車で来ております、我々より後に戻ることは無いでしょう』
 左京は苛立ちを隠しきれていない。
 『上総様はここに。私は周辺を見て参ります』
 黒い翼を広げ、空を翔んで行った。
 『……先生……』
 ――どうか、無事で……。
 ショックだ。
 信じられない。
 錬太郎の言葉が本当ならば、彼はずっと上総だけでなく幼馴染みを何十年と騙して一緒にいたことになる。
 上総は両手を握り、混乱する頭を落ち着かせようと必死だった。
 何かの間違えであってほしい。
 ここに、このマンションに何喰わぬ顔で戻って来てほしい。
 『先生……』
 ――だが上総の願いも虚しく、二人がマンションに戻って来ることはなかった。
 『……』
 気分が落ち着いている、と目覚める瞬間思った。
 体調も別段悪くはない。
 何故だろう、と思いながら目を開けると、見知らぬ和室にいた。
 甘い香が焚かれ、それが健司をリラックスさせてくれているのだろう。
 『あれ?』
 結局壮介は恭仁京家に戻ったのか、と首を傾げてノソリと立ち上がると、自分が真っ白な着物の寝間着を着ていることに気付く。
 部屋を見回すも、誰もいない十畳は軽く越えている広い和室に一人だけ。
 『こんな広い部屋……恭仁京の所に戻ったのか?』
 上総達の説得に壮介は応じたに違いない。
 健司は内心安堵して障子をそっと開けた。
 寝ている間に結界を張り直したかと思ったが、張っていないようだ。
 足取りもしっかりしている。
 頭の中も気分もびっくりするくらいクリアだ。
 全快してるも同然の健司のすることは、もはや家の探検だけ、と廊下を出てすぐに違和感を感じた。
 恭仁京の家は廊下に出ると丁度目の前に美しい日本庭園が広がっているが、今ある筈の庭園は無く灰色の壁だけがあった。
 『?』
 廊下は左右に長く延び、等間隔に燭台が暗い廊下を蝋燭で灯している。
 廊下の奥が暗過ぎて見えない。
 急に不安に陥った。
 廊下に素足を踏み出すと、ピシャリと冷たい。
 『寒い……』
 薄い生地の寝間着一枚では、肌寒い。腕を擦りながら素足で廊下を進んだ。
 『オヤオヤオヤ、勝手にお部屋を出られては困りますなぁ』
 背後で声がして、健司は短い悲鳴を上げた。
 『驚かせてしまいましたかな』
 好好爺という言葉がよく似合う、杖を突いた老人がいた。その傍らに壮介もいる。
 『壮介!』
 『健、具合は平気か?』
 『うん、今は何ともない』
 良かった、と壮介は久し振りの笑顔を見せる。
 『お前、丸一日寝てたんだぞ』
 『そうなのか?』
 『でも、起き上がれるようで安心したよ』
 くしゃり、と寝癖だらけの健司の頭を撫でる。
 『廊下で立ち話ではお身体が冷えてしまいますぞ。お部屋に戻りましょう』
 『ここは、私が信頼している方のお屋敷なんだ』
 部屋に戻ると壮介は健司に羽織を着せて云った。
 『信頼?』
 ホッホッホッと笑う老人を見ると、戸惑う健司の手に皺だらけの手を重ねてきた。
 『貴方様には、これからとてもをしてもらわなければなりません』
 『大切なお仕事?』
 『それでは頼みましたぞ、立花殿』
 『ああ、必ず』
 老人が立ち去ると、突然壮介は健司を抱き締めた。
 『健、全てはお前のためだ。絶体お前を助けてやるからな』
 『壮介?』
 目をパチクリさせて、健司は壮介の異変に困惑している。
 『――これから呪を外に出す』
 『は?』
 『全て出せば、お前が苦しむことはなくなる。恭仁京家や大老會に追い掛け回されることも無くなる』
 『な、何を云っているんだ。そんなことすれば、俺も恭仁京もただでは済まないだろ?』
 『大丈夫だ。任せれば全てが上手くいく。お前は呪から解放され、呪をあの御方が飼い慣らしてくれる』
 『急にどうしたんだ、あの御方って誰だ?』
 健司の肩に顔を埋めて壮介は深呼吸をする。
 『だから、健。少し……少しだけ、辛いのを我慢してくれ』
 『え?』
 背後で蠢く複数の人間の気配がする。
 『!?』
 しかし、壮介に抱き締められたままで身動きが取れない。
 『そ、壮介、誰かがいる!』
 『大丈夫だ、心配いらない』
 『壮――』
 真言が聞こえ出した。
 『オン・ソハハンバ・シュダサラバタラマ・ソワハンバ・シュドカン・オン・タタギャト・ドハンバヤ・ソワカ』
 ビリビリと身体を電気が走る。
 『ひぃっ!?』
 どんどん強くなる電流に身体全体を大きく痙攣させ、悲鳴を上げた。
 『あああっ!』
 『大丈夫、大丈夫だ』
 『嫌だぁぁぁ!! そ、壮……けぇぇぇっ!!』
 『よしよし、私はここにいる。安心しろ』
 『オン・ソハハンバ・シュダサラバタラマ・ソワハンバ・シュドカン・オン・タタギャト・ドハンバヤ・ソワカ』
 『ああああああああっ!!』
 『何も怖くない。お前のためなんだからな?』
 『四縦五横禹為除道蚩尤しじゅうごおうういじょどうしゆう避兵令吾周遍天下帰還ひへいれいごしゅうへんてんかきかん故嚮吾者死留吾者亡こきょうごしゃしりゅうごしゃぼう急急如律令きゅうきゅうじょりつれい
 『……――かはっ……』
 『まだ出ないか。健、頑張れ』
 『ううう……』
 髪の毛を撫でてやる。
 『立花様』
 健司の背後の一人が声を掛けた。
 苦しみしがみつく健司の背を、壮介はいとおしげに擦る。
 『もっと強い術を掛けろ』
 『しかし……』
 健司は息も絶え絶えで目の焦点も合っていない。
 『構わん』
 『壮……介……やめ、ろ……』
 汗で濡れた髪の毛を壮介は鷲掴み、低く呻く健司の白い顔を見た。
 瞳に光は無い。
 息を荒げ、壮介にされるがままだ。
 『何を拒んでいるんだ、健?』
 『そ……すけ……』
 『何だ?』
 『お、前……ま……ちが……』
 壮介は笑った。
 『お前が姶良であることは、とうの昔から知っていた』
 『な……』
 幼稚園で壮介は健司と出逢った。
 それからずっと一緒にいる。
 『私はな、両親にお前のことをずっと聞かされ育ったんだ』
 幼馴染みから親友になった。
 ケンカも沢山した。
 沢山笑って沢山悪戯もして、怒られる時も一緒だった。
 『ど、して……』
 ――壮介……。
 親友、なのだ。
 ――壮介……。
 『六徳会の創始者は私の父だ』
 『!!』
 『それ澄める天清てんせい、濁るは地清ちせい、陰陽交わって、万物と称す。悉く皆神仏しょうあり。故に人倫じんりんを選び、神仏となる。ここには八葉はちよううてなに台座し、二八宿星を三界さんがいとす。行者ぎょうじゃ謹んで敬いて申す。火も焼くことあたわず。水もただ消すこと能わず。ノウマク・サンマンダ・バサラダン・センダンマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カン・マン』
 真言の低い声が健司を支配する。
 ――嫌だ、壮介、苦しい、壮介、痛い、壮介、痛い、壮介、痛い、壮介、痛い、痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ……!!
 『ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!』
 再び強烈な電流が流れ、目玉が飛び出してしまいそうになる程に目をひんむく。
 腹の底のどす黒い塊が蠢き、身体中を這いずり回り内臓を圧迫するせいで嘔吐した。
 ――気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……。
 『がはっ! ごほっ! げほっ!!』
 背中から黒い巨大な塊が、食い破るように産まれる。
 『がああぁぁ!!』
 呪が姿を見せると一気に部屋に瘴気が充満して、一人二人と真言を詠唱していた男達が倒れていく。
 『健、ほら大きな呪だ。こんなおぞましいのがお前の中にいたんだな』
 『ああああ……』
 うっとりと、健司から産まれる呪を壮介は見詰める。
 ――ああ……。
 長い尾を引き摺り、人間の魂のような姿を見せた。
 ――折角恭仁京が頑張ったのに……。
 黒い呪は意思があるのだろうか、虚ろな瞳の健司の前に移動すると暫く動かず見てくる。
 『見えるか? なんて禍々しく美しい呪なんだろうな』
 ――駄目だ、俺の中に戻るんだ……。
 壮介は呪がちゃんと見えるように健司を抱き直した。
 ――戻って来い……戻って来るんだ……。
 宙に向かって手を伸ばし黒い塊を掴もうとするが、腕の力は瞬く間に失い、だらりと垂れ下がってしまう。
 首も頭の重さに耐えられず、ガクリと項垂れる。
 意識はある。が、声を発する力も身体を動かす力も外に出た呪が持って行ってしまった。
 『無駄だ。呼吸するのも辛いだろ?』
 壮介の手が健司の口元と鼻を押さえる。
 『!?』
 『六徳会にはな、呪が出てしまったには用済みだ、前に息の根を止めろ、そう命令されている』
 手が震えている。
 『健……お前のためなんだ……』
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

🥕おしどり夫婦として12年間の結婚生活を過ごしてきたが一波乱あり、妻は夫を誰かに譲りたくなるのだった。

設楽理沙
ライト文芸
 ☘ 累計ポイント/ 180万pt 超えました。ありがとうございます。 ―― 備忘録 ――    第8回ライト文芸大賞では大賞2位ではじまり2位で終了。  最高 57,392 pt      〃     24h/pt-1位ではじまり2位で終了。  最高 89,034 pt                    ◇ ◇ ◇ ◇ 紳士的でいつだって私や私の両親にやさしくしてくれる 素敵な旦那さま・・だと思ってきたのに。 隠された夫の一面を知った日から、眞奈の苦悩が 始まる。 苦しくて、悲しくてもののすごく惨めで・・ 消えてしまいたいと思う眞奈は小さな子供のように 大きな声で泣いた。 泣きながらも、よろけながらも、気がつけば 大地をしっかりと踏みしめていた。 そう、立ち止まってなんていられない。 ☆-★-☆-★+☆-★-☆-★+☆-★-☆-★ 2025.4.19☑~

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

処理中です...