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最終章
一、生きている
しおりを挟むふと、気付くと辺りは暗くなっていた。
――ああ、そうか……。
天界の空気は生身の人間には堪える。普通の人間よりは鍛えている陰陽師の上総であっても、ほんの僅かに滞在しただけで思っていたよりも身体は悲鳴を上げていたようだ。
健司に抱き着いたまでは覚えているが、そのまま意識を手離してしまっていた。
――夢……。
ではない。
上総の横に真っ白な健司も眠っている。
行灯の灯は消されているが、中庭に続く障子が僅かに開いているせいで月明かりが部屋に射し込んでいる。淡い月明かりに照らされた健司の顔がはっきりと見えた。目を瞑っていれば知っている健司だ。髪の毛の色は呪に取り憑かれてしまってから元に戻っていないのだろう。
そっと、眠る健司の頬に触れた。
呼吸も規則正しく、温かみもある。
生きている。
人間ではない気配を纏っているが、それでも上総の前に存在していた。
『生きてる……』
ハラリ、とまた涙が伝う。
『夢、じゃない……』
『恭仁京……』
虚ろな瞳が上総を捕らえた。
『先生、ごめんなさい』
『ん』
慌てて起きて目を擦る上総の腰に腕を回すと、布団の中に引っ張り込んだ。
『うわっ?』
『まだ寝てろ』
顔を真っ赤にする上総を気にも止めず、耳元で甘く囁いく。恥ずかしげもなく無自覚に恋人のように接してくる健司にされるがまま、上総は抱き枕と化した。
――先生だ。やっぱり。
嬉しいが、どうしたって恥ずかしい。
『あの、先生?』
恥ずかしいのを紛らわせようと話し掛けたが、健司は既に小さく寝息を立ている。
真っ白な顔色は月明かりだけのせいではないのだろう。
――酷い怪我だから……本来なら……。
二人の女性と上総と壮介の四人分を健司はその身に受け取った。死しておかしくない怪我だ。上総も一度は絶命したのだから。幾ら神と云えども四人の人間の死を纏った健司をすぐに治すのは無理なことなのに違いない。
――天界の最下層に居を構える神だし。
極限の精神状態だった健司に、四人分の死だ。
助かる見込みなんてありはしない。
普通、見離す。
――一体誰何だろう?
健司の胸に頬をくっ付けながら、目を閉じた。
――神様って誰なんだろう?
八百万の神々の中の一人が、健司を憐れんだ。
無謀だろうことをしている。
――会ったらお礼、ちゃんと云わなくちゃ。
空気は人間には合わない。なら今の健司は大丈夫なのだろうかと色々と考えている内に、息苦しくて目を覚ました。
目の前に茶色いもふもふ。
もふもふに上総は顔を突っ込んでいた。
『!?』
子狐だ。
人間の姿ではない。
正真正銘の子狐。
上体を起こせば日中挨拶した子狐の他に、布団の周りには白雪や暮雪も獣の姿で丸くなって眠っている。
『あれ?』
時が流れ、陽が昇り始めていた。
『何これ。凄い絶景』
あちこちに、もふもふが転がっている。
これぞ天国。
興奮で震える手で子狐の柔らかそうな毛並みに触れる。
ほわぁん、と萌えしかない。
夢中で、もふもふしていたら流石に子狐は起きてしまった。
『何すんだよ、人間』
威嚇されてしまった。
『ご、ごめん。もふもふに飢えてて』
『?』
――可愛い。
顔がにやけてしまう。
『健司様の知っている人間だから許すけど。オイラ人間に触られるの嫌いだかんな!』
子狐は上総から距離を取って、健司の首元にぴったりと身体を寄せて丸くなった。
だったら、何故上総の顔にいたのだろう。首を捻って考えたが、よっぽど健司を気に入っているのだ。
上総が健司にベッタリだったから、嫉妬したのかもしれない。だからわざと上総と健司の間に入ってきたのだろう。
『やっぱり先生って動物に好かれるなぁ。主にもふもふ系に。羨ましい』
『俺も人間なんだけどなぁ』
健司は目を瞑ったまま、ボソリと呟いた。
『先生、起きてたんですか?』
『ん』
『……』
何も話さない上総を不審に思ったのか、目を開けて隣の少年を見た。
じっと、健司を見ている。
『何?』
『先生は人間です。人間なのに――どうして……』
人間の放つ気ではない。
静寂、透明感、神聖な気は人間にはあり得ない。
人間独特の生臭い気を放っていないから、子狐達も気を許していると云っても過言ではなかろう。
『恭仁京、瑞雪から何も聞いてないのか?』
コクりと頷く。
『そうか――大丈夫だよ。今だけらしいから』
『今だけって!』
『落ち着け、恭仁京。皆起きる』
『うっ……』
ヨロヨロと起き上がった健司は上総に手招きすると、縁側に移動した。
靄掛かっている。
恭仁京家と同じように近くに竹林があるのか、笹の清涼感のある音色が耳に心地よい。
『皆の記憶が無いんだろ? 壮介の奴がそんな状態で来たから、お前達が姿見せた時驚いたんだぞ。アイツのことだから、探さないと思ってたし気味悪がると思ってた』
『誰も気味悪がってません』
変なフォローの仕方であることは間違いないが、不思議に思っているだけで、気持ち悪いなんて言葉は誰の口からも本当に出てきていない。
『……ありがとう』
『……』
『未だに身体はギリギリの所にあるらしくてな、助けてくれた神様がどうにか守ってくれてるんだ。毎日治療してくれるし、その人の気を分けてくれている。そうでもしないと、生きられない』
俺は――と言葉を続けようとして、口を閉じた。
『神様って、誰何ですか?』
『ごめん。俺も分からない。教えてくれないんだ。俺がここにいる時点で人間の理から大きく外れているらしくて、他の神様に見付かったらマズイらしい』
『そんな危険を犯してまで、なんで先生を?』
『恩返し、らしいよ』
『恩返し?』
健司は口元に手をやり、小さく笑った。
『詳しくは教えてくれないし俺も覚えが無いから、そうなんだって思うしかないんだよ。こんな大それたことをしてくれるんだ。よっぽど何かしたんだろうな、俺。でもね、名前は分からないけど、仏頂面の、優しい神様だよ。陽が昇ったら上総も会える筈だ』
『だと良いけど』
上総は口を膨らませた。
疑問ばかりで何も分からない。
柔軟過ぎる健司は、己の状況を理解して納得してしまっているから、上総が何か反論しても無駄であろう。
『不満、か?』
『物凄く』
『例えば?』
『その神様は置いとくとして。先生は僕達の元に帰れるんですか? 皆の記憶は?』
皆の記憶が元に戻り壮介の住むマンションで、以前と変わらず人として生活が出来るのか。
『そうだな、そこは流石に俺も疑問に思って訊いたんだ』
こうまでしてくれても人間の世界に帰れないのでは本末転倒だ。そう健司は云ったらしい。
『やっぱり仏頂面で、問題ないって。皆の記憶が無いのは一時的なもので、俺がちゃんと治れば皆の記憶も戻るって。何せ俺は、そもそも死んでいた四人の人生を変えてしまったから反動が出たんだってさ』
『それが、記憶が無い原因?』
『うん』
何てことはない、と飄々とした顔をしている。
自分がどれだけ多くの人間の理を逸脱させてしまったのか、分かっていないようだ。場合に依っては八百万の神々が目を付け、末梢もあり得てしまうだろう。
『先生』
云い掛けて、さっきのとは違う子狐が音もなく寄って来ると、健司の膝の上に乗って丸くなった。
『大丈夫、恭仁京が不安がることないよ。それより、本当にごめんな』
『え?』
『呪に取り憑かれていたとは云え、俺は恭仁京と壮介を傷つけた。道世が助けてくれなければ、死んでいた。二人とも――怖い思いをさせてしまった』
『……』
子狐の大きな耳がパタパタと動いた。
『別に……怒ってません――怒ってませんけど』
中庭に出て、上総は健司の前に立った。
『怒ってませんけど、怒ってます』
『え?』
『物凄く怒ってます!』
たった数時間で何度涙を流したか。
『勝手にいなくならないでください!』
健司の首に腕を回す。
『……うん』
ひんやりと冷たい身体を暖めようと、上総は強く健司の身体を抱き締めた。
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