離れて後悔するのは、あなたの方

翠月 瑠々奈

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 遺伝子調査部門のコウノトリプロジェクト──岡本家のグループ企業が新しく始めたプロジェクトだった。結婚し子を望む男女より遺伝情報を集め、より高確率で着床できる相手と組めるようマッチングするシステム。

 軌道に乗れば結婚相談所などで展開する予定のサービスを、先に岡本の本家跡取りである省吾が試すことになった。

 必要な情報の収集は、まずグループ企業の職員から行うことになる。そこでたくさんの遺伝情報が集まり、結果、岡本省吾の相性の良い相手として弾き出されたのが日和凛子だった。

 その話を耳にいれて、いち早く動き出したのが現家元の壮士だった。一族の当主として、省吾に引き継ぎたいと思っていた彼が早速と縁談を組む。跡取りのいないうちに当主を引き継げば、いらぬ争いを生むが、跡取りさえできれば何ら問題ないと考えていたからだ。

 それと、壮士だけが知る事実もある。もともと岡本家は子ができにくい家系だった。遺伝的なものなのか、他の要因があったかは分からない。だが、このプロジェクトは壮士にとって渡りに船だった。

 だが一方で、部下として働いていた凛子は、初めその縁談に乗り気ではなかった。ようやく仕事に慣れてきて、さらに邁進したいと望んでいたタイミングに持ち込まれた話。それも会社からの指示で、周りと同じように流れで参加したに過ぎない状況。本人は断るつもりだった。しかし、周りの説得や何より省吾本人からアプローチを受けて、ようやく頷く。

 生涯をかけて、ただ一人を愛する、と誓った言葉に。

「嘘つき……」

 棚の上に置いてあるウェディングフォト。きっちりと纏めた黒髪に白いタキシードが映えている。その省吾がにこやかに笑っていた。

 その隣で、艶やかな黒髪をアレンジしたウェディングドレスの凛子がいる。この時はまだ、秋名は友人の妹に過ぎず、遺伝子情報の結果アプローチされただけと心のどこかで思いながらも、省吾の気持ちを素直に期待していた。

 凛子はその写真立てをパタンと見えないように倒して、手早く準備すると省吾と同じように部屋を出た。ただ、彼と違うのは行先だけ。凛子はほぼ半月後におこなわれる息子の誕生日パーティの準備をするため、亮を抱えて実家に向かった。

 誕生日当日、岡本家の本邸では用意された料理に舌鼓を打ち、プロジェクターで誕生日を迎える亮の成長の記録を一族で見る予定になっている。それが代々跡取り候補となった家族の祝い方だ、と前に説明があった。

 そしてこれは水面下で岡本一族の将来が安泰だと知らしめる目的もあった。だがそれとは別に、義両親としては単純なイベントとして楽しみにしていると凛子は聞いていた。そのために彼らは、生まれてから必要最低限の数回程度しか亮に会っていない。そうした方がより楽しみになるから、と義母は笑っていた。

 その言葉を思い出して、胸がチクリと痛む。

 本来ならば、そうして記録を見たあと、拍手で迎えた亮と一緒に当日の参加者は写真を撮る。そんな風に誕生日パーティを過ごす予定だった。

 しかし、残念ながら今回のプロジェクターに映るのは亮の成長の記録ではなくなる。

 そして主役になるのも別の二人だろう。それが彼らにとって、幸か不幸かは分からない。もしかしたらそのまま、結婚発表の場になるかもしれないのだ。

 凛子が軽く息を吐く。視線の先で信号が赤に変わった。

 実家に帰るときはいつも自分の車で向かっている。信号がまた青に変わり、流れ始める景色の中、赤子の亮はチャイルドシートの上でスヤスヤと眠っていた。

「……」

 凛子の父は離婚に賛成しているものの、亮の誕生日に事を運ぶことをあまり納得してはいなかった。せっかくの誕生日に、それでは亮があまりに不憫だ、と考えていた。

 だから、その話を聞いた凛子の実家の日和家は、傷ついた娘と孫の誕生日を海外で迎えられるよう準備を進めていた。何も気兼ねなく、全てを忘れて楽しんで欲しいと願いながら。

 そんな風に考えていた父が、凛子の車に気づいて玄関口で片手を上げた。凛子が、そばに止めて運転席側のドアガラスを開ける。

「待ってたよ」
「遅かった? 待たせたかな」
「いや、お母さんも今さっき買い物から帰ってきたところだったから、ついでにね」

 父さんは柔和な笑みを浮かべた。凛子もつられるようにして笑う。二人は談笑しながら車を降りると、凛子が亮を抱えて父が荷物を持ち、家に入っていった。

 日和家はごくごく普通の家庭だった。当然、海外の生活にも明るくない。老後は都心から離れて慎ましく過ごそうと、相続していた田舎の家を改修したばかりだった。

 そんな時に受けた相談が離婚の話だ。始めは信じられないことばかりだったが、最終的に娘の話を聞き入れて、両親は田舎の家を手放すことすら考える。そして、海外で老後を過ごすことも検討するほど熱心に協力していた。

 実家に到着してから、くつろぎつつ当日のスケジュールを確認していた凛子。ふと、忙しなく動いていた二人を見て呟く。

「ごめんね……」

 今まさに会場となる岡本本邸までの道のりを地図で見ていた父と、亮をあやし終え、すやすやと眠る姿に目を細めていた母が動きを止めた。二人は顔を見合わせ、父が「気にするな」と言う。

「何も悪いことはしていないだろう? それよりも未来を考えよう。当日はすぐ発つんだったかな。向こうについたら何が食べたい? 日用品も買っておいた方がいいか」
「そうよ、りん。会場でのことは弁護士さんに任せて、ここまで頑張ったんだから後はゆっくりしましょう」

 母はにこやかに言って、寝ている亮に「ねー?」と同意を求める。最近の省吾との生活に、冷えきった心がわずかに温かくなった気がした。

 凛子は目元を潤ませ「ありがとう」と返した。

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