離れて後悔するのは、あなたの方

翠月るるな

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「本日はお忙しい中、本集まりにお越しいただきありがとうございます。まずは当主の壮士より挨拶を」

 司会進行役は壮士の秘書の藤堂が担っていた。彼が背後に視線を向けると、袴姿の豪胆な御仁が堂々と前に出る。

 白髪の長い髪に、整えられた白い髭。老いていながらもなお、鋭い目線は変わらない。その目が息子の省吾を捉える。するとそれがスッと細められた。

 そしてマイクの前に立ち、厳かな声を出し始める。

「日頃から岡本グループに貢献いただき感謝する。一代財閥と揶揄された時期もあったが、これまでの繁栄は皆のおかげだ。今日はその繋がりをより強固にするために集まってもらった。引き続き共に歩んで行こうじゃないか。岡本グループに更なる繁栄を」

 壮士が秘書の渡したグラスを掲げる。「乾杯!」と続く声に集まった親族たちも「乾杯」と返した。

 場が和み、皆が雑談を始める。その中を秋名が足早に省吾へ近づいていった。耳打ちするように顔を近づける。

「……凛子さん見つかりました。もうすぐ連れてきます」
「そうか。よくやった」

 返した直後、秋名の後を追う女性がいた。スリング型の抱っこ紐で赤子を抱えた年配の女性。彼女は秋名と省吾のそばに行くと、赤子の顔を見せる。

「今日はよく眠ってらっしゃいますよ。この後、ご当主様にご挨拶に向かうんですよね?」
「ええ、少し待っててくれる?」

 言いながらポケットから、震えるスマホを取り出し耳に当てる。歩き出す秋名に、省吾も「すぐ戻る」と残して、ついていった。彼女が通話を切ったタイミングで声をかける。

「秋名、そろそろ挨拶に入る。その後は業績発表をしてから亮のお披露目だ。それまでに凛子を連れてきてくれ」
「わかりました。水樹のことは亮くんの前ですよね? そう約束しましたよね?」

 不安げに揺れる栗色の瞳に、省吾は「そうだ」と返す。

「あまり心配するな。ちゃんと考えてる。とにかく今は二人をつれてきてくれ」
「……わかったわ」

 ひとつ息を吐いて秋名は身を翻す。省吾は扉に向かう秋名と反対側へ向かっていった。壇上にはすでに壮士の姿がなかった。休憩のために離席しているようだ。

 省吾が現れたのを見計らって、進行する秘書が彼を紹介し、マイクを手渡される。省吾は日々の活動を誇らしげに話し始め、自分がいかに貢献したかを身振りを加えて伝えた。

「……会社のことに関して、私からは以上だが、他に一つ伝えておきたいことがある」

 そう言った直後だった。バンッ!!と扉が開いてドンッと人が転がり入ってくる。背後に二人の男が立っていたのを見ると、押されたようだった。

「くっ……」

 床に手つき倒れている女性が顔を上げる。黒い艶のある髪が乱れ、その黒耀の瞳を男性らに向けて鋭く睨み付けた。

 省吾が思わず「凛子……」と呟く。そしてすぐさま、駆け寄り膝をついた。

「なぜ電話に出ない」
「あなたと話すことがもうないからよ」
「どういう意味だ」

 凛子が答えるより先に、男たちの間から秋名が顔を出す。彼女は凛子を見下ろしてニコリと笑った。

「……いい気味ね。これから更に楽しいことが起きるわよ」

 独り言のように言って、省吾の隣に行くと身を屈める。髪を耳にかけながら、彼に耳打ちした。

「省吾さん、ご指示の通り連れてきました」
「ああ」

 だが素っ気ない省吾の態度に秋名は眉根を寄せる。不信感を露にして、彼の腕を掴むとぐっと距離を詰めた。

「約束、守ってくれますよね? 水樹はそこにいます」
「わかってる。少し待ってくれ。凛子と話を」
「話? そんな時間ありませんよ。ほら」

 秋名が来客に目を向ける。皆、何事か、と不思議そうに三人を見ていた。その中には、凛子の依頼した弁護士もいる。彼は倒れている女性が凛子だと気づくと大きく目を見張った。

 今にも駆け寄って来そうな雰囲気に、省吾が素早く凛子に手を差し伸べ立ち上がるように促した。

「とにかく立て。これじゃあ見世物だ」
「そうさせたのは誰かしら」
「なに?」

 凛子が言いながら手を取り、立ち上がる。だが、その隙をついて、秋名が省吾の持っていたマイクを奪い声を響かせた。

「お集まりの皆様、突然失礼します。私は東郷秋名。こちらの省吾さんの妻となるものです」
「おい、秋名!」

 周囲がざわざわと騒ぎ出す。口々に「どういうこと?」「離婚したの?」と疑問を浮かべた。その声が次第に「そんな話は聞いてない」「不倫かしら」と疑念に変わっていく。焦った省吾が、秋名の持つマイクを奪い取る。

「すまない、彼女はとんでもない勘違いをしてるんだ。私と凛子はあくまで円満に婚姻関係を続けている。そこに第三者が入る余地はない」

 横にいた凛子の肩を抱き寄せる。だが凛子は汚らわしいと言わんばかりに、その手をはたく。省吾は一度睨み付け、それでもすぐに笑顔をつくった。

「見苦しいところを見せたが」

 だが省吾の言葉に逆上したのは秋名だった。省吾にすがり付くようにして、シャツを引っ張り、真っ赤な顔で揺さぶる。

「第三者?! 省吾さん、貴方言ったわよね? ちゃんと責任取るって」
「今その話はやめろ。凛子、亮はどこにいる?」
「話を逸らさないで! 水樹!」

 呼ばれて水樹を抱く女性が、慌てて駆け寄ってくる。秋名は無理やり水樹を取り上げ、観衆に見えるように抱えた。

「この子は省吾さんの子どもよ! よく見て! 目元が似てるじゃない!」
「おいやめろ。秋名!!」

 騒ぎの中で、周囲は戸惑いを見せる。その時、省吾の声に被さるように厳しい声がした。

「何をしている」
「っ!」

 二人がハッと振り返る。そこには壮士が険しい顔をして立っていた。傍らにはいつの間にか弁護士の藤波たちもいた。凛子も動き出すと、そこに近づき、壮士に頭を下げる。

「申し訳ありません、お義父様。ここまでの騒ぎにするつもりは……」
「構わん。それよりも何があった。聞き捨てならない言葉が聞こえたが」

 ギロりと省吾と秋名を睨み付ける。省吾が弁明しようと口を開いた。

「父さん、誤解なんだ。彼女とは何もない」
「その言葉を信じろと言うのか?」
「もちろんです! 信じてください! 秋名は勘違いをしている!」

 そう訴える省吾の後ろで、秋名は鋭い目を向けながらも口を真一文字に結んでいた。

 その姿に一旦は受け入れよう、と壮士が答える。

「そうか。だが嘘であれば今日、跡取りの資格は亮に譲るぞ。お前は降格し始めからやり直すことになる。それでも構わないのか」

 しかし、その言葉に反応したのは秋名だった。堪えきれない様子で立ち上がり、水樹を抱えて壮士の前に膝をつく。

「当代様、突然の無礼をお許しください。この子は水樹。水樹と申します。省吾さんの息子のなんです。この子も岡本家の跡継ぎですよね!? 跡取りの資格はこの子もありますよね!?」

 すがり付くように壮士の着物の裾を掴む。彼は「やめなさい」と告げた。

「たとえ省吾の子だとしても、跡取りと認めたの亮だけだ。省吾! これをどう説明する」
「お、おい秋名。やめろ。申し訳ありません、父さん。彼女は気が動転していて」

 取り繕う省吾を畳み掛けたのは凛子だった。

「お義父様、秋名さんの言うことは間違いありません。私からお伝えするつもりでしたが、手間が省けました。藤波さん、お義父様へあの写真をお渡しください」

 会場の皆様には別の資料を、と正面のスクリーンに映し出された円グラフ、棒グラフの資料。それらは省吾が秋名を通して進めていた事業の支出と、売上だった。

 下がり調子だった売上がある時を境に、急激に上がっている……ように見える。突拍子もないスクリーンの情報に壮士が問いかけた。

「これは?」
「説明します。まずはその写真を」

 凛子に促されて、壮士は白い封筒から写真を取り出す。彼が、秋名と省吾の親しげな写真を見て、眉間にしわを寄せた。それを確認して弁護士へ目を向ける。凛子の視線を受けて、藤波が助手に次の画像を表示するように指示した。

 画面が切り替わってから凛子は続ける。

「お義父様の手元にある写真、それは確かに彼の不貞の証。ですが調べているうちに気づいたのです。二人が親密になった頃から、とあるプロジェクトの業績に違和感が出てきたことを」
「資金の流出か」
「ええ。それから、改竄」
「凛子!! 適当なことを言うな!」

 省吾が凛子に手を伸ばす。だがその寸前、パッと画面が拡大された。凛子がフッと笑みを浮かべる。

「お義父様、その写真に写っている書類が今スクリーンに出ている書類です。拡大された写真が三枚目にあると思います。よく見ていただければ分かると思いますが、この資料は二人が進めていたプロジェクト、営業支援システムPlusコムで情報を改竄した証拠の書類です」
「凛子!!」

 会場内に息を飲む気配がした。壮士が手に持つ写真をグシャリと握りしめる。彼は酷く低い声を出した。
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