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二、螢華国
百八十七、麝香
しおりを挟むイスハークは、僅かに苦悶の表情を浮かべながら、溜息を吐いた。
「まったく……何をしているんですか。貴方は」
「い、イスハーク!? 身体は大丈夫なの!?」
僕は思わず立ち上がり、戸口に居るイスハークを支えに走った。
「申し訳ありません。柚様。こんな時に寝込んでしまうなど。私は側近失格です」
「そんなことはないよ。無理が祟ることだってあるんだから」
牀にイスハークを座らせる。
「それよりも、アスアド様。今すぐその手を洗って下さい。痺れや不快感はありませんか」
「別に大丈夫だが」
イスハークは、険しい表情で告げる。
「――とりあえず、お早く。石鹸で念入りに」
言われて、アルは渋々洗面所に手を洗いに行った。個室内にあるので、すぐに戻って来るだろう。
「私としたことが。触れないよう、先に申し上げておくべきでした。正直に申し上げますと、香炉の中身が何か、私にはわかりません。
ただ、もしかすると毒が仕込まれている可能性も十二分にあります」
「ど、――毒!?」
上擦った声を上げると、イスハークは神妙な面持ちで頷いた。
「螢華国の歴史は、毒とは切っても切り離せません。衒宗と藍炎がそのような手口を使ってくる可能性は、高い」
けろっとした顔でアルが戻って来ると、イスハークは今度は安堵の溜息を吐いた。
「アスアド様。手は、隅々まで洗いましたか?」
「爪の中までブラシで洗ったが、それでいいか」
「ひとまずは。――まったく、王族ともあろう方が、迂闊に怪しげな物に手を触れないで下さい。衒宗は貴方を害したがっているんですよ。命くらい取られても不思議ではないのですから」
「人骨かどうか、見極めたくてな。試しに舐めようとしていたところだ」
「馬鹿を言わないで下さい。舐めてわかるわけでもないでしょうに。中身が例え砂糖であったとしても――貴方に舐めさせるぐらいなら私が舐めます」
「イスハーク……」
「偶然、耳に入ってしまいました。もしかすると、遺灰はサディクのものではないかもしれない、と。そうであればどれだけ良いでしょう……。
どちらにしても、個人的な感傷で、寝込んでいる暇はありません。何があろうと、私は――アスアド様の側近なのですから」
アルは、ふとイスハークに尋ねる。
「衒宗の寝所に居た時より、大分顔色が良くなったな。もしかして、気分も大分楽になったか?」
イスハークは頷いた。
「不思議と。衒宗の閨では、サディクの訃報を聞いたからでしょうか。精神の昂りが抑えられず――ご迷惑をお掛け致しました」
アルは低く呻った。
「やはり――麝香が原因だな」
確か、アルの寝室にもその類のものがあったはずだ。
「麝香、ってバハルでも使っている、あのお香?」
「そうだが、麝香にも色々ある。人間の精神に作用するものだ。強弱はそれぞれだが、バハル国で使っている香は、また成分も作用の仕方も違うからな。
俺は、王族の教育の際に、ある程度の毒の耐性が付くような訓練を受けている。柚が平気なのは、何故かはわからないが――
文官は特にそうした訓練を受けないからな。体質も相まって、香が作用した可能性はデカい。衒宗は元情報部隊だ。毒耐性は言わずもがな、藍炎も同様だろう」
「つまり――あの場所で麝香に耐性がなかったのは、私だけ……ということですね」
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