不運な花嫁は強運な砂漠の王に愛される

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二、螢華国

百八十八、麝香(2)

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「つまり――あの場所で麝香じゃこうに耐性がなかったのは、私だけ……ということですね」
イスハークは天を仰いだ。

アルは鋭い声で続ける。
「柚にも麝香じゃこうが効き、昂奮状態に出来ればという衒宗の思惑があった可能性はあるが。どちらにせよ、イスハーク。奴の一番の狙いはお前だろう。――決して奴に近付くな」

 うつむくと、イスハークの長い睫毛まつげの影が、目元に落ちる。
「一体幼少期に何があった? 俺が知らないことがあるなら、今話しておいてくれ」

「本当に、私にもよく……わからないのです。サディクの親戚の方とお話したことはよくありましたし……。実際のところ、あまり覚えていないと言いますか――」

 確かに、イスハークは衒宗の顔を見ても、わからないようだった。
 アルはふむと唸る。

「確かにな。バグダーディー一族は、少ない人数ではない。アイツはお前と話したことがある口ぶりだったな。口説かれたりしていないのか」

 イスハークは口にすることを躊躇っている。アルは半眼だ。
「正直に言った方が、楽だぞ」

「十代の頃に物陰に連れ込まれそうになったり、帰り道に襲われそうになったりということは、割と頻繁ひんぱんにありまして……。どれが誰だかわからないというのが……正直なところです」
 イスハークは自嘲気味に笑った。

 アルは、ずいとイスハークに近付き威圧する。
「どうしてそんな大事なことを俺に言わんのだ」

「主君の御手をわずらわせるわけにもいきませんでしょう。酷い時には、ザハラーン家内で対処しておりますし、送り迎えも同行者がおりましたので……。

事件性のある輩は、すべて拘束、逮捕されたはずです。衒宗が私を口説くようなことがあれば――それは、何もされていないか、未遂だったのではないかと」
「未遂でない事件があるのか」

 イスハークは慌てて両手を横に振った。

「未遂ですよ! 危ない時もありましたが――すべて解決済のはずです。衒宗と話した記憶はありません。……恐らく、私が忘れてしまっているのでしょう。当時、名乗られでもすれば、名前くらいは思い出せたかもしれませんが」

「イスハークが記憶にないと言うのだからな……。ザカートとはかなり薄い接触だったことは確かだな」

 やはりイスハークの記憶力は良いのだ。
 アルは両肩をすくめる。

「何しろ、コイツは五年前の書類の間違いや、俺の幼少期の文字の書き間違いまでそれはそれはよく覚えているのだからな」

 イスハークは目を伏せた。
「もしくは……、私の消したい記憶だったか……。そのどれかでしょうね。

ただ、流石に仕事上など公的な場所でのやり取りがあれば、私も覚えているはずです。本当に私的なものだったのでしょう」

「確かに。各国の賓客の名前や好みをを片っ端から覚えているお前にしては珍しいな。まあ、向こうが一方的にお前を覚えていることだって十分有り得る。警戒は怠るなよ」

 気落ちしたように、イスハークはぽつりと呟いた。
「やはり――私が外朝で見たサディクは、衒宗だったのでしょうね。そう思えば、辻褄が合います」

「サディクが、僕たちと別れたあとに、城内に居たっていう?」
「衒宗は、私たちを監視していたようですから。藍炎か、密偵か――衒宗自身が出歩いていたかは、不明ですが」

「その可能性は高い。恐らくだが、衒宗と謁見が可能な役職以外は、皇帝の顔を知らぬ。信じられんことだがな。それに奴自身も、下っ端のことは興味がないのか、どうやら知らぬらしい」

「どうして、わかるの?」
 訊ねると、アルはにやりと不敵に笑んだ。

「俺が、現場の指揮官だからな」
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