不運な花嫁は強運な砂漠の王に愛される

shio

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三十六、月下の再会

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「あっ! アイツ、スピード上げやがったぞ!」
 アスアドがれて声を上げる。

 豆粒大まめつぶだいにしか見えない荷車は、もうもうと白煙を噴き上げるように、白砂をまとい、アスアドたちから逃げようとしている。

 アスアドとイスハークは、トルコランプの露店業者の行先を聞き込み特定した。
 しかし、早くも柚たちは、既にかなりの道のりを進んでしまっていた。

 アスアドとイスハークは今、ようやく追跡出来たほろの荷車を追っている。

「私たちが追っていることに気付いたのでしょう。見張りが居るのかもしれません。アル様、十二分にお気をつけください」
 チッ、とアスアドは舌打ちをする。

「柚を連れ出すとは、一体どこのどいつだ。極刑にしてくれるわ」
 アスアドは勿論本気ではない。

 しかし、眉間にしわを寄せ、今にもうなり出す前の獅子のように獰猛どうもうな雰囲気をただよわせている。

「アル様。落ち着いてください。馭者ぎょしゃは、柔和にゅうわなご老人とのことです。以前より柚様の邪魔にならない程度に護衛を付けておりましたが、店主は至極しごく人柄の良い、温厚な人物と聞いております。恐らく柚様のご事情については、何もご存知ではないのでしょう」

 ふん、とアスアドは上品に鼻を鳴らした。

「わかっている。ただ、俺を差し置いて柚をさらうとは、どんな奴かと思っただけだ。どちらにしてもあの高速で移動するランプ屋を止めねばなるまい。イスハーク! 先に行くぞ!」

「あっ、アル様! ――充分お気をつけて!」
「わかっている!」

 乗馬の腕は、軍人でもあるアスアドと、文官のイスハークでは比べ物にならない。
 更に、今はアスアドはタマという大獅子に騎乗きじょうしている為、その速度は段違いだ。

 意外な事実だが、獅子はもともと、馬より走る速度が遅い。

 しかし、タマはアスアドと訓練を続けるうちに、今では右に並ぶ者なしの最速を記録するようになった。
 この国で、人を乗せて、タマより速く走れる動物は存在しない。

「まったく……追い掛ける方の身にもなってください」
 イスハークは、もはや一分一秒待つことは出来ないらしいアスアドに嘆息する。
 そして、自らもアスアドのあとを追いかけた。

    *  *  *

 砂埃の中、ぐんぐんと、一騎だけがこちらに向かって来る。
「ランタン師匠! 追い付かれます!」
 師匠はやむを得ずラクダにむちを打つが、疲れ切ったラクダは速度を上げることも出来ない。

 やがて、その乗り手は、僕たちの荷車の前におどり出た。
 そして、僕たちと並走しながら、直接素手で荷車を押しとどめようとする。

 片手が荷台の端に掛かっただけなのに、幌車ほろぐるまの速度が段々と鈍くなる。

(何て力だ……!)

「ジジイ!! 柚を返せ!! あとさっさと荷車を停めろ!」

(この声……!?)

 月明かりの下、騎手の顔までもが、ポンチョの布に覆われていた。
 しかし、そのとき。
 顔を隠していたフードが、はらりと後方に靡いた。

「ア、ル……!?」

 現れた顔はあまりにも見慣れた姿で、幻覚を見ているのかとさえ思った。

 アルは、驚いた僕の顔を見て、破顔した。

「約束通り、お前を奪いにやって来たぞ! 柚」

 本当に、来てくれた。
 忙しい祭事の最中なのに、きっと疲れているはずなのに。

 勝手に出て行った、僕を追い掛けて。

 アルが僕を迎えに来てくれた。
 じわりと目に膜が張る。

 だが、それよりも先にすべきことがある。

「ランタン師匠! お願い、停めて! アル様が来てくれたんだ!」
 師匠には、あらかじめアルに世話になっていることは伝えていた。


 ラクダは、手綱を引かれ徐々にスピードを落としていく。

 アルは、怒りの感情が戻って来たのか、ランタン師匠へと近付いた。
「柚を攫おうとは、まったく良い度胸だな。ジジイ」

「アル様、ランタン師匠はとても親切にしてくれた人なんだ。僕のお願いを聞いてくれただけだよ。何もしないで!」
 ランタン師匠は、僕の無理な願いを聞き届けただけでなく、祭事中、僕を売り子として雇ってくれたのだ。

「しかし、柚――」
 アルは困惑した様子で、僕を見つめた。

 混乱の最中さなか、これまでとはまったく違う、威厳いげんすら漂わせた声音で、ランタン師匠は呟いた。

「やれやれ。久々にうてみれば、ジジイとはな。随分ずいぶん生意気な口をくようになったものじゃ。なぁ? アーシーよ」

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