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四十三、草原からの使者【Ⅳ】 《過去篇》
しおりを挟む人間とは酷く愚かなものだ。
初めてこの国にやって来た日から早数年。
ユーフォルビアは、今年十八歳になる。
イシュタルと出逢って、三度目の春が訪れようとしていた。
手足はすくすくと伸び、あどけない幼い少年二人は、今や大人と変わりない外見にまで成長した。
ユーフォルビアは、既に馴染みのものとなった、王宮から外の景色を見やった。
草原に帰りたいと泣き暮らした日は遥か遠い。
初めてここにやって来たときのあの心細さや、故郷を思う気持ちは、
今ではもう、すっかり色褪せてしまった。
懐かしさはもちろんある。故郷はどうなっているだろうと考えることもある。
しかし、何が何でも故郷に戻りたいという思いは、もう持ち合わせていない。
「ユフィ、ここに居たの?」
窓からの景色を眺めていると、イシュタルが小走りにやって来た。
イシュタルはたった一人の友人だった。互いに何でも話すことが出来る、唯一無二の存在だ。
イシュタルは、ユーフォルビアにとって、故郷のムガール帝国でもついぞ持ち得なかった、親友というものなのかもしれなかった。
ユーフォルビアは、初めて披露した剣技と騎馬で王宮中の度肝を抜き、そのままイシュタルの護衛任務に就くことになった。
今では護衛の指導役兼イシュタルの相談役でもある。
「待たせたのう。先ほど会議が終わったんじゃ」
腰に佩いた、長い剣の柄に手を掛けて、ユーフォルビアは笑い掛けた。
この国で暮らすうちに、若者らしい話し方はすぐに理解した。
変えても良かったのだが、イシュタルがこの話し方を気に入っている。
どうせ年を重ねればまた元に戻すのだと思うと、それも億劫で、村長に教えられたままを貫くことにした。今では気にする者は殆どいない。
「それより、熱は大丈夫か。そんな薄着では風邪を引くじゃろう」
イシュタルは淡い水色の薄物だけで、ウロウロとしている。
折れそうなか細い身体の線が目立った。
思わず自身の毛皮のマントを羽織らせる。
「ユフィは心配性だなぁ。大丈夫だよ」
くすぐったそうに、イシュタルは肩を竦めた。
ユースフという名を捨て、ユーフォルビアとなった。
しかし、イシュタルはそれを良しとせず、以前の名を忘れぬよう、愛称を考えてくれた。
ユフィという愛称には、元々の名前と、新しい名前、どちらにも入っている文字がある。
――嬉しかった。
故郷の名を捨て、新しい名前になる。
それは仕方がないこととはいえ、常に故郷とこの国を天秤に掛けているような、後ろめたさがあった。
イシュタルに「ユフィ」と呼ばれる度、温かいものが込み上げる。
故郷に置いて来た大事な思い出を大事に包んでくれる。
それは、この新しい国でも受け入れられているという、喜びも同時に感じる愛称だった。
不意に口元に手をやり、イシュタルは喉の奥で咳をした。
近頃、イシュタルはどうにも身体の調子が悪い。
元々、肺を患っているのだが、季節の変わり目のせいか、体調が思わしくない。
「イシュタル……」
「ふふ、大丈夫だよ」
ユーフォルビアはイシュタルの細腰をぐいと抱いた。
「だぁめじゃ。酷くなっては困るじゃろう。今日は戻ろう」
「はーい。うちの護衛は厳しいなぁ」
「と言って、逃げようとしておるのは誰じゃ」
「えへへ、そんなことは……」
イシュタルは部屋に籠っているのがあまり好きではないのか、よく部屋を抜け出す。
今も、隙を見て脱走しようとしているのがバレバレだ。
大きな溜息を吐いて、イシュタルを抱き上げた。
「ユフィ!?」
身長も、今ではイシュタルより十センチほど高い。
護衛任務に就いたとあって、以前より身体も鍛えている。
イシュタル一人を横抱きにするぐらい、わけなかった。
(む、軽いな……)
意図したわけではなかったが、以前横抱きにしたときよりも格段に重さが減っている。
腕に掛かる負荷がまったくない。
その軽さに酷く不安を覚えた。
「おっ、御両人、相変わらず仲がよろしいですねぇ」
警備兵が、廊下で話しているユーフォルビアたちに声を掛けた。
「イシュタルが言うことを聞かんのじゃ」
静かにぼやくと、警備兵は呆れたように視線を向ける。
「なんの。ユーフォルビア様の腕に大人しく抱かれていらっしゃるのが、仲の良い証拠です。俺たちですと断固拒否ですから」
「―そうじゃったか?」
それは初耳だ。
目を丸くしてイシュタルに尋ねれば、イシュタルは耳まで真っ赤になっている。
イシュタルとユーフォルビアも成長し、パーティーにも参加するようになった。
着飾ったイシュタルと、外交用の軍服を着込んだユーフォルビアが並んでいると、夫婦と間違われることがよくある。
軍所属の夫と、麗しい妻だと思われてばかりで、実際は王子と護衛なのだと告げると、全員が目を剥いた。
「僕たちいつも夫婦と間違われるねえ」
何故か嬉しそうに、イシュタルは頬を緩ませる。
「お主が妻を娶らんからじゃろ。安心せい。結婚すればそのうち間違われることもなくなる」
王位継承権第一位のイシュタルには、女っけがまるでなかった。
時の王は、妻は一人、子どもはイシュタルのみという具合で、自動的に王座はイシュタルに渡る。
それだというのに、肝心のイシュタルに、王たる気概がまったくない。
早く世継ぎをと望まれているのに、ユーフォルビアと四六時中一緒に過ごしている、という王宮での声もある。
ユーフォルビアはユーフォルビアで、イシュタルに抱き着かれたり、顔を近づけて内緒話などをされるとどうしてだか心がざわつくようになっていた。
(何かの病か……?)
王子の護衛役が、病に侵されてはならぬと医者に診て貰ったが、気になるところはないという。
しかし、気のせいではない。
今もイシュタルに見つめられ、何とも落ち着かない心地だ。
澄み切った青に見透かすように覗き込まれ、思わず目を逸らした。
「イシュタル。ど、どうかしたかの?」
「最近、ユフィの剣技見てないなぁと思って」
「外は冷えるから、身体に障る。ワシの剣など、いつでも見られるじゃろう。温かくなってから、ゆっくり見物すれば良い」
「そう……そうだね……」
イシュタルはユーフォルビアの腕の中で、言い聞かせるように瞼を閉じた。
二人の世界は閉じていた。
王宮という箱庭で過ごす日々。
敵襲もなければ、暗殺者も訪れない、平和な日常。
だから、すっかり忘れていた。
いつもさざ波は、小さく波が跳ねるところから訪れるのだということ。
そしてそれは、堤防の外とは限らない場所から起こるのだということ。
箱庭の中で息を潜めた二人には、想像すら、出来なかった。
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