不運な花嫁は強運な砂漠の王に愛される

shio

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六十七、イスハークの東奔西走(Side:イスハーク)

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「私も、早く向かわねばなりませんね……!」

 アルに、一刻を争う、とすぐに柚を追い掛けさせた。
 イスハークも急ぎ、アルを追わねばならない。

 イスハークの準備すべきものは、たった一つだ。
 
「柚奪還だっかんには、一体何が必要か」

 それが、アルの一番の右腕にして、側近にされた使命だった。
 じとりと、首の後ろを汗が伝った。
 焦りが、冷静な思考をおかしていく。
 
(どうすれば、安全に柚様を、取り戻せるでしょうか)

 しかし、簡単には答えは見つからない。
 柚を取り返した後に、必要な物なら、少しは思いつく。
 
 水分を補給出来るものや、食べ物だ。
 柚の好きな新鮮なフルーツや、ライム水。

 さらわれた先で何も口にしていなかった場合だが、今回の相手が相手だけにその可能性は薄い。

 何せ、相手は王族直系の第一王子で、柚を自分の花嫁に欲しいと誘拐ゆうかいしてしまう男だ。

(あの方が、柚様に不自由な思いをさせるとは考え難い……が)

 しかし、後宮ハレムは広い。
 柚を痛めつけようする者は少ないだろうが、安全な食べ物や水を少しは用意しておく方が良いだろう。

 イスハークは荷物に必要最低限の食糧を詰めた。

 そして、偽アスアドを退しりぞけることが出来る、唯一の書類がある。
 イスハークはそれらを手早く用意すると、額をぬぐった。

「早く行かねば」
 頼りない紙切れ一枚を、丁寧に折れないよう、巻物の芯に巻き付けると、付属のひもで留めた。

 柚がさらわれて、もう数刻が経とうとしている。
 夜が明けてからでは遅い。
 
 また、アスアドが先に着いて、話が終わってしまえば、今あくせく用意している物はすべて、無用むよう長物ちょうぶつとなる。

 要するに交渉決裂だ。

 その場合、柚は帰らず、最悪の事態が想定されることになる。
(戦争に、なるかもしれない)

 元々デリケートな人間関係だ。
 当人同士が、これまで大事おおごとにしないよう尽力じんりょくして来たおかげで、今の平和がある。

 しかし、柚を火種に、もし両者の亀裂きれつが決定的となれば、次期王位を巡った内戦にもつれ込む恐れがある。

 ――まさか、と思う。
 国内の、王族周辺。
 たったのそれだけの人の心を操れぬ二人ではない。

 しかし、どれだけ人心掌握じんしんしょうあくに長けた王でさえも、暗殺をまぬがれない。
 これまでの、長い歴史の中で証明されている。
 火の手は一度上がってしまえば、小火ぼやでも燃え広がる。

 そのすべての鍵となるのが、柚の存在だ。

 今や、柚を誰が得るかで、王が決まるといっても良かった。

 そして、柚を無事奪い返すことが出来るどうかは、アルと自身にかっている。

 柚が元気でアルの元に帰れるように。
 万一に備え、怪我をしていた時のために、緊急医療キット、毒や媚薬びやくを飲まされていた時用に解毒剤げどくざいを放り込む。

 そして、慌ただしく厩舎うまやに駆け込もうとすると、この別荘の使用人に呼び止められた。

「イスハーク様! 早馬をご用意してございます。まだ年若い駿馬しゅんめでございます。相当の体力で、数時間走り続けることもいとわず、しつけも申し分ございません。どうかこちらをお使いください」
 青毛の美しい、すらりとした月夜の闇のような馬だ。

 洋装の、執事とメイド服の男女は、自信ありげに深く頷いた。
 戦闘力にけた使用人たちのお墨付すみつきだ。

 イスハークは素直にその厚意を受け取った。

「ありがとう。助かるよ。――では、行って来る」
 運動は得意ではないが、幼い頃からアルに付き合って、狩りには慣れていた。

 すらりと馬にまたがると、イスハークは馬上から二人の部下をねぎらった。
 よく手入れされたくらあぶみ(※鞍の左右に吊り下げ、騎乗するときや、乗っているときに足を乗せるための道具)、光沢こうたくのある頑丈な手綱たづなは、流石アズィーズ家の使用人の仕事だ。

「後のことは私どもにお任せください。――どうか、御武運を」
「ありがとう。よろしく頼む」

 呼応するように、青毛の馬がいなないた。
 前足の上がったタイミングに合わせ、イスハークは手綱をさばき、足首で馬の腹に柔らかく出発の合図を告げる。

 使用人たちが礼をして顔を上げた直後、駿馬しゅんめ閃光せんこうごとく、既に豆粒大となり、地平線へと向かっていた。


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