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二、螢華国
百七十二、胡蝶の夢
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物心ついた時には、既に独りだった。
金持ちや一般人は、滅多に入り込むことのない、スラム街の一画。それが己の唯一の生きる場所だった。
どこもかしこも不衛生で、泥濘の水を平気で啜っては、悪事を繰り返した。
最も、現実を知ったのは、既に十を優に超えた頃だった。
それまでは、これが当たり前の生活だったのだ。
一般人や金持ちは浮浪者や孤児のはびこるこの街を忌み嫌っていて、スラムに住む人間たちを、野良犬や野良猫程度にしか思っていない。
普通の人は水たまりの水を飲まないというのも、この時知った。
自分に親はいなかった。家族らしき人も見当たらなかった。
同じような境遇の子どもは数人いて、自然と徒党を組んで、スリなどの悪事に手を染めるようになった。
それを悪事だとも、知らなかった。
「なぁ。外の奴らって、何かする前に、これが良い事か悪い事か考えるらしいぜ」
老婆から、幸いにして鞄ごと盗みが叶った仲間の一人が、そう言った。
鞄の中にあった、極上の戦利品――甘い飴を口に放り込みながら。この一粒で、どうにか二、三日は身体がもつのだから、大手柄だ。
「良い事か悪い事か考えるぅ? ナニソレ」
老婆の鞄に他に飴や菓子がないかと、数人が遠慮なく引っ掻き回し、漁っている。その姿は、砂糖に群がる蟻のよう、というよりもそれそのものだった。
一番に飴を口の中に放り込んだ主犯は、焦れて再度声を上げた。
「だぁから! 何かする前にとにかく考えんだってよ! やっていいことなのかどうか。時間の無駄だよな」
時間の無駄。十やそこらの少年が口にするには、あまりに大人びた、達観にも似た響きを持っていた。
仲間たちは、げらげらと嗤って、その言葉の主を嘲った。
「莫迦じゃねーの。そんなつまんねえことで迷って、おっ死んだら意味ねーじゃん」
思考。そんな上等なものはここ、スラム街にはなかった。
今盗まねば、今夜食べるものがないし、今日あったとしても、明後日、明々後日の分はない。
無法地帯のこの場所には、子どもには盗み、恐喝、それ以外で明日を生きる術はない。
大人たちは、見てみぬふりだ。
大体の子どもは、大抵二、三年もしないうちに命を落とす。
衣食住の何もかもが絶望的に不足している。
腹は空腹という限界を遥かに越えていた。
「僕……も」
黙って、あとでおこぼれに預かろうと考えていた己に、悪童たちは飴の包み紙のカスをいくつも投げつけた。
「お前の分はねえんだよ!!」
ここで老婆の鞄など、重い物が飛んで来ないのは、あとでスラム街の質屋で換金するつもりだからだろう。
身体も小さく、気も弱かった自分は、既にスラム街で餓死する子どもの筆頭だった。
(今日も何も食べられないかも……)
仕方なく拾った包み紙は、ほんのりと甘い匂いがする。
地面に落ちたから食べないだとか、そんな衛生観念は元々なかった。
包み紙からは、恍惚とするほど、甘い匂いがした。
思わず、舌で拭ってみたが、もはやそこには、飴の欠片すら残っていなかった。
金持ちや一般人は、滅多に入り込むことのない、スラム街の一画。それが己の唯一の生きる場所だった。
どこもかしこも不衛生で、泥濘の水を平気で啜っては、悪事を繰り返した。
最も、現実を知ったのは、既に十を優に超えた頃だった。
それまでは、これが当たり前の生活だったのだ。
一般人や金持ちは浮浪者や孤児のはびこるこの街を忌み嫌っていて、スラムに住む人間たちを、野良犬や野良猫程度にしか思っていない。
普通の人は水たまりの水を飲まないというのも、この時知った。
自分に親はいなかった。家族らしき人も見当たらなかった。
同じような境遇の子どもは数人いて、自然と徒党を組んで、スリなどの悪事に手を染めるようになった。
それを悪事だとも、知らなかった。
「なぁ。外の奴らって、何かする前に、これが良い事か悪い事か考えるらしいぜ」
老婆から、幸いにして鞄ごと盗みが叶った仲間の一人が、そう言った。
鞄の中にあった、極上の戦利品――甘い飴を口に放り込みながら。この一粒で、どうにか二、三日は身体がもつのだから、大手柄だ。
「良い事か悪い事か考えるぅ? ナニソレ」
老婆の鞄に他に飴や菓子がないかと、数人が遠慮なく引っ掻き回し、漁っている。その姿は、砂糖に群がる蟻のよう、というよりもそれそのものだった。
一番に飴を口の中に放り込んだ主犯は、焦れて再度声を上げた。
「だぁから! 何かする前にとにかく考えんだってよ! やっていいことなのかどうか。時間の無駄だよな」
時間の無駄。十やそこらの少年が口にするには、あまりに大人びた、達観にも似た響きを持っていた。
仲間たちは、げらげらと嗤って、その言葉の主を嘲った。
「莫迦じゃねーの。そんなつまんねえことで迷って、おっ死んだら意味ねーじゃん」
思考。そんな上等なものはここ、スラム街にはなかった。
今盗まねば、今夜食べるものがないし、今日あったとしても、明後日、明々後日の分はない。
無法地帯のこの場所には、子どもには盗み、恐喝、それ以外で明日を生きる術はない。
大人たちは、見てみぬふりだ。
大体の子どもは、大抵二、三年もしないうちに命を落とす。
衣食住の何もかもが絶望的に不足している。
腹は空腹という限界を遥かに越えていた。
「僕……も」
黙って、あとでおこぼれに預かろうと考えていた己に、悪童たちは飴の包み紙のカスをいくつも投げつけた。
「お前の分はねえんだよ!!」
ここで老婆の鞄など、重い物が飛んで来ないのは、あとでスラム街の質屋で換金するつもりだからだろう。
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(今日も何も食べられないかも……)
仕方なく拾った包み紙は、ほんのりと甘い匂いがする。
地面に落ちたから食べないだとか、そんな衛生観念は元々なかった。
包み紙からは、恍惚とするほど、甘い匂いがした。
思わず、舌で拭ってみたが、もはやそこには、飴の欠片すら残っていなかった。
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