【完結】ステージ上の《Attract》

コオリ

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第7章 成長と羽化

36 共鳴

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 ――手を離すタイミングが。

 勢いで掴んだまではよかったが、せんの手首から手を離すタイミングがわからない。
 純嶺すみれに腕を引かれるまま素直に後ろをついてきた染は、部屋の中央で立ち止まっても、何も言葉を発することはなかった。
 いつもはあまり気にならない沈黙が、今はとても気になる。すぐ隣にいる染のほうを振り向くことも躊躇われた。
 大きく息を吐き出す。
 それでも気持ちは落ち着かない。

「手汗、すごすぎね?」
「……うるさい」

 話しかけてきたと思えば、いきなり揶揄われた。思わず悪態をついてしまう。
 染が身体を揺らして笑っているのが、触れた場所越しに伝わってきた。余計にそちらを向けそうにない。
 さっき顔を洗ったところなのに、額にもじんわり汗をかき始めていた。

「アンタってカッコよくなったり可愛くなったり、ほんっと忙しいよね」
「……おれが可愛いなんて、お前の目はおかしい」
「おかしくないけど……でもま、俺以外が知ってんのは楽しくねえか」

 ――どういう意味だ、それは。

 そう思ったが、口には出せなかった。
 染にいきなり、掴んでいた手を後ろに引かれたからだ。
 身体を無理やり反転させられ、真正面ではないが染と向き合うような格好になる。なんとなく目のやり場に困り、純嶺は視線を彷徨わせた。

「――純嶺」

 こういうときだけ、そうやって名前を呼ぶのはやめてほしい。
 グレアはまだだろうか。グレアを当てられるのには、まだ慣れていないが――今だけは、それが早く欲しいと願ってしまう。

「やるって言い出したのはアンタなのに、なんでそんなに緊張してんの?」
「……別に」
「目ぇ逸らしてないでさ。こっち見てよ」

 どうして、グレアもコマンドも使わないのか。
 今までなら、すぐにグレアをくれたのに。
 コマンドだってそうだ。
 こんな風に欲しいと感じる間もなく与えられることがほとんどだった。

 ――それなのに、なんで。

 純嶺の戸惑いは伝わっているはずなのに、染は純嶺が動くまで、何も言わないつもりのようだった。
 ちりちりと視線を感じる。
 それを意識すると、余計に動き出しにくくなる。
 呼吸も乱れる。吐く息がみっともなく震えるのを感じながら、純嶺は意を決して視線を上げた。

「……っ」

 染はまっすぐ、こちらを見ていた。
 純嶺と視線が絡んだ瞬間、さっと瞳の青さが増す。
 一度見てしまったら、今度はその瞳から目が離せなかった。
 まだグレアは感じない。それなのに少しずつ、ふわふわと気持ちが高揚してくる。
 相変わらず緊張しているのは変わらなかったが、それが期待へと少しずつシフトしていくようだった。
 踊り出す前の気持ちの高ぶりにも似ている気がする。
 そんな純嶺の感情の変化に気づいたのか、染が柔らかく目を細めた。
 とくり、と鼓動が揺れる。染の顔を見ただけでどうしてこんな風になるのか――純嶺には、その理由がわからなかった。

 ――早く。

 グレアが欲しい。
 その気持ちばかりが募る。
 純嶺の手は相変わらず、染の手首を掴んだままだった。触れた指先から、とくとくと染の鼓動が伝わってくる。そこから溶け合っていくような――そんな不思議な感覚を味わいなが、純嶺はとろりと表情を弛緩させた。
 染が空いているほうの手を伸ばし、純嶺の頬に触れる。

「そのまま、力抜いてろ」

 言われなくとも、力なんて入りそうになかった。
 染の指が、純嶺の顎のラインを確かめるようになぞっていく。

「……ん、ぁ」

 指先で喉をくすぐられ、小さく声が漏れた。
 それが合図だったかのように、グレアが浴びせられる。染に支配される感覚は、純嶺に強い恍惚感を同時に与えた。

「純嶺、《おすわりKneel》」

 足から力が勝手に抜け、ぺたりと床に座り込む。
 こちらを見下ろす染の満足そうな笑みに、身体の内側から歓喜があふれ出すのがわかった。


   ◇


「……っ、ぷは」

 勢いよく顔に叩きつけた水が、ぱしゃりと跳ね返る。
 まだ日が昇って二時間ほどしか経っていないのに、今日顔を洗うのはこれでもう四度目だった。
 山の中にあるからか、この合宿所の水道から出る水は普通よりも冷たい。その冷たさが気持ちを落ち着かせるのにちょうどいい気がしたのに、何度顔を洗っても高ぶった気持ちはなかなか鎮まらなかった。
 こうなっている原因は明らかだ。

「…………はぁ」

 顔を拭いたタオルを口元に当て、息を吐き出す。
 そのまま廊下にしゃがみ込んで膝を抱えるように頭をうずめると、純嶺はもう一度、今度はさっきより長く息を吐き出した。

「……なんだったんだ、昨日のあれは」

 一緒に独り言もついて出てくる。
 ハッとして辺りを見回したが、周りに人の気配はない。誰にも聞かれていなかったことに安堵したのも束の間、廊下の向こうから足音が聞こえてくることに気がついた。
 慌てて立ち上がる。

「なんだ、こんなとこにいたんだ」

 現れたのは、今一番会いたくない相手――染だった。



 一度部屋に立ち寄って着替えた後、染と一緒にチームメンバーの集まるスタジオへと向かう。本当は別々に向かいたかったが、それを言い出せる雰囲気ではなかった。
 何より、染を納得させられるような理由も思いつかない。
 隣を歩く気にはなれず、少し後ろを歩く。
 横目で染の様子をこっそり観察したが、その表情や態度に普段と変わった様子はなかった。

 ――言い出したのは、おれなのに。

 昨日、プレイをしようと提案したのは純嶺だ。
 あのときは、それがお互いのために最善だと思った――今もそれは間違いではなかったと思っている。
 しかし、あれは想定外だった。

 ――昨日のプレイは、今までと違った気がする。

 プレイ中のことを朧げにしか覚えていないのは、前回と同じだった。どうやら強いグレアを当てられると、そうなってしまう体質らしい。
 純嶺にとってプレイの記憶は、夢を見たときの感覚に近かった。
 だが、プレイ中にどんな気持ちだったかは思い出せる。幸せだったり、気持ちよかったり――満たされたという感覚は記憶に残りやすいのかもしれない。
 昨日はそれがとても強かった。
 染に支配されるのが嬉しくて、幸せで――だからこそ、気恥ずかしさが消えない。
 Domはそんなことないのだろうか。
 こんな風になるのが支配される側のSubだけなのだとしたら、染の態度が普段と変わらないのにも合点がいく。

「何、百面相してんの? スタジオ着いたけど」
「……っ、ああ」

 いつの間にか、スタジオに到着していた。
 あれこれ考えていたせいで、そんなことにすら気づいていなかった。
 染が扉を押さえて、純嶺に先に入るよう、顎を使って促してくる。スタジオに一歩踏み入れた瞬間、「来た!」といつもよりテンションの高い叶衣かなえの声に出迎えられた。

「遅えじゃん」
「待ちくたびれたではないか」
「ん……」

 それに続いて銀弥ぎんや帝次ていじ、ヤミトがそれぞれ発言する。
 時間に遅れたのかと思い、スタジオの時計を見上げたが、いつもの集合時間にはまだ十五分以上あった。
 早く集まる約束をしていただろうか。
 首を傾げて考えていると、何かに気づいたのか、銀弥が「違う違う」と言葉を続ける。

「叶衣に話を聞いて、オレらが勝手に楽しみにしてただけ。だから早く来ないかなーって」
「楽しみに……? 何をだ?」
「純嶺ちゃんの歌に決まってんじゃん」

 続いた言葉に、どきりと鼓動が跳ねた。
 慌てて視線を叶衣に移す。
 叶衣はうんうんと大きく頷きながら、ドヤ顔でこちらを見つめていた。

 ――口止めするのを、忘れたか。

 まだ、チームメンバーに話すつもりはなかったのに――叶衣にそう言っておくのを、すっかり失念していた。
 期待に満ちた目でこちらを見る四人の視線から逃げるように、純嶺は無意識に一歩後ずさる。

「へえ……アンタってば、めちゃくちゃやる気じゃん」

 がしり、と後ろから両肩を掴まれる。
 にやりと笑った染が、肩越しに顔を覗き込んできた。

「別に、そういうわけじゃ」
「俺も聞きてえな。アンタの歌」
「おい……」

 ――いつも聞いてるだろ、お前は。

 染と二人きりになるのを避けて、今日の練習をサボってしまったことを、今さらながら後悔していた。
 まさか、こんなことになるなんて。
 メンバー全員からじりじりと追い詰められ、逃げ場はどこにもない。
 これはもう、観念するしかなさそうだった。


   ◇


「やっべー。これ、一気に完成形に近づいたんじゃね?」
「そうですね!!」

 驚くほど呆気なく、重要なはずのパートは純嶺が任されることになった。
 一度通して全員で合わせた後、銀弥と叶衣が興奮した様子で声高に話している。そんな二人の声を、純嶺はどこか遠くに聞いていた。

 ――やばい。

 マイクを持つ手が小刻みに震えている。
 不安の発作が起きたわけではない。単純に興奮しているのだ。
 全員で合わせるのはこれが初めてではないのに――銀弥も口にしたとおり、パフォーマンスは一気に完成形に近づいていた。
 それを実感できたからこその震えだろう。
 一旦メンバーから離れ、壁際へと近づく。床に置いてあったボトルを手に取ったが、すぐに口に運ぶことはできなかった。
 手の震えがまだ止まっていなかったからだ。

 ――すごいものが、できるんじゃないか?

 それは確信に近かった。
 熱くなった頬を冷やすように、ボトルを押し当てる。
 気持ちを落ち着かせるようにゆっくり息を吐き出していると、後ろから誰かの手が純嶺の肩に触れた。

「……平気?」

 染だった。
 こちらも興奮がありありと伝わってくる顔をしていた。体温の上昇とともに青みが強くなった瞳は昨日の夜のことを思い出させたが、今はそれどころではない。

「平気に見えるか?」
「見えねえな。俺もやべえし」

 ふはっと噴き出すように笑いながら「見ろよ」と言って、こちらに差し出したのは手だ。
 染の手も、純嶺と同じぐらい小刻みに震えていた。

「なんだよ、あれ。やばすぎんだろ」

 不満にも取れる台詞だが、表情を見ればそうでないことは明白だ。
 にやける口元が抑えられないのか、染は指先で唇を弄りながら、純嶺に強い視線を向ける。

「マジでやべえわ。責任取れよな」
「責任って、なんのだ」
「俺、もうアンタ以外の隣で踊れる気がしねえ」

 口調はふざけているが、揶揄っているわけではなさそうだった。
 染は真剣にそう思っている――その気持ちが、視線からまっすぐ伝わってくる。染のようなダンサーから、そんな言葉をかけてもらったことに、またしても震えが止まらなくなった。

「飲まれるなよ」
「どっちがだ」

 お互い、笑顔で拳をぶつけ合う。
 このチームなら――染と一緒なら、本当に最高のパフォーマンスが作り出せる気がした。
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