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32 悪の幹部はいじわるだ
しおりを挟む――心を無にしろ。心を無に…………って、できるわけないじゃん!!
五秒で挫折した。無理だよ、そんなの。
お互い裸で一緒の浴槽にいるだけでも結構やばいのに、肩に腕を回されたこの状況って、心を無にできる限界を軽々突破してない?
いっそ、開き直ってしまうのはどうだろう。
そのほうが恥ずかしくならないかもだし。
――ううん……無理だな。どっちも無理。
おれは、人の気も知らずにゆらゆらと暢気に揺れるお湯に向かって、はぁっと溜め息をつく。
「あ……お湯も黒いんだ」
お湯に浸かってからしばらく経つのに、そんなことにも気がつかないくらいドギマギしっぱなしだったっぽい。
外から見たときは浴槽の内側が黒いせいでそう見えるのかなって思っていたけど、お湯の色もちゃんと暗黒浴場にふさわしい黒色だった。
身体が透けて見えるから、そこまで真っ黒ってわけじゃないけど、手で掬ったお湯の色が黒だってわかるくらいには色がついている。
「魔力が溶け込んでいるからな。成分が強すぎて、身体に合わない者も少なくない」
「え……っ」
「心配するな。〈導き〉を受けて平気だった者なら問題ない。お前は平気だっただろう?」
その〈導き〉って、〈選別〉のあとに首領様の魔力をパクッと食べたあれのことだよね。
確かに平気だったけど、あれがだめだった人はこの魔力温泉に浸かれないってこと?
「もし、身体に合わない人が浸かったら、どうなっちゃうんですか?」
「激痛と苦しみにのたうち回ることになる」
「…………」
のたうち回るほどの激痛と苦しみって、絶対にやばいやつじゃん。それを先に知っていたら、絶対に入る勇気なんかなかったと思う。
っていうかシディア様、そんなお湯に問答無用でおれのこと抱っこして入れたってこと?
――やっぱり、そういうとこ……悪の幹部って感じがする。
シディア様は幹部の中で比較的温厚なほうだと思うけど、それでもやっぱり悪の部分っていうか、隠しきれない不穏なオーラっていうのはあると思う。
――こうやって、おれのことを嬉々として虐めてくるとことか。
視線をちらりとシディア様のほうに向ける。
そこでふと、あることに気がついた。
――あれ……シディア様って、刺青がどこにもなくない? 幹部クラスなら絶対あるものだよね?
あんなにはっきり裸を見たのに、どうしてすぐに気づかなかったんだろう。
彫像のような肉体に気を取られすぎていたせいかな。おれ、観察力も雑魚すぎない?
もしかしたら見逃している可能性もあるので、ちらちらと横目でシディア様の刺青を探す。
「何か気になるのか?」
「あ……えっと、いや……その」
視線にバレた。
バレないように気をつけたつもりだったのに……シディア様って実は目が何個もあったりします?
でも、直接聞くのは憚られた。
刺青は魔力の強さが肌に模様として現れるものだ。『ないんですか?』なんて聞くのは、相手に侮辱と取られてもおかしくない。
「ああ……刺青がないのが気になるのか?」
適当に誤魔化す言葉を探していたのに、そっちもすぐにバレてしまった。
「……どうしてわかったんですか」
「言っただろう? お前は顔が賑やかだと」
――え……賑やかって言ったの、顔のことだったの?
衝撃の事実を明かされた。それについても詳しく聞きたかったけど、今は刺青のことも気になる。
どっちを尋ねるべきか迷っていたら、シディア様が、ふっと目元を緩めた。
「刺青は見えないようにしてある」
「えっ、どうしてですか?」
「目がちらちらするからだな。本を読むとき邪魔になる」
「そんな理由で!?」
思わず声がひっくり返ってしまった。
だって、怪人にとって刺青は力の証だ。
無駄に見せびらかせるのはダサいって言われたりもするけど、わざわざ見えないようにするなんて聞いたことがない。
「あ……ってことは、シディア様の身体にはそんなにたくさんの刺青が?」
「気になるのか?」
「そりゃあ……刺青には憧れますし」
子供っぽいかもしれないけど、昔から刺青には憧れていた。両親のかっこいい刺青を見て育ったからかもしれない。
父さんは腰には絡まりつく触腕の刺青が、母さんの六本の腕には蜘蛛の巣の刺青が刻まれている。
おれの肌にもいつかはって思っていたけど、今のところ、どこにも刺青は出ていなかった。
「憧れるものなのか」
「憧れますよ! かっこいいじゃないですか!」
「お前の感覚はよくわからないな。だが、そんなに気になるなら見せてやってもいい」
「本当ですかっ!?」
鼻息荒めに食いついてしまった。
だって、見たいじゃん。シディア様の刺青。
「では、俺の正面に立て。横からだと見えづらいからな」
シディア様はそう言うと、おれの肩に回していた腕を解いた。自分の正面を指差して、「ほら、早くしろ」と急かす。
おれは、ざぶっとお湯を揺らして立ち上がると、シディア様の正面に移動した。
浴槽内は広いので、少し離れた位置に立つ。
「もっと近くに来い」
「え……でも」
「命令だと言われないと従えないのか?」
「……っ、申し訳ございません」
シディア様の声の響きが急に変わった気がした。
そこまで強く叱られたわけじゃないのに、全身にぎゅっと力が入る。この人に従わないといけない――身体も心も見えない縄でぐるぐる巻きにされるかのような不思議な感覚がした。
でも、嫌な感じじゃない。
これはシディア様が、忠誠を誓った相手だからかな。
おれはおずおずとシディア様に近づいた。
脚を開いて座るシディア様の身体に、ぎりぎり触れない位置まで近づいて立ち止まる。
「ここで、いいですか?」
「足りないな」
「わ……っ」
手首を掴まれた。強引に引き寄せられたおれは、シディア様に向かって倒れ込んでしまう。
正面から抱きつく格好になった。
――やばい……ここに来てから、こんな失敗ばっかりだ。
慌てて離れようとしたときだった。
「これで満足か? バン」
「え? ……わぁあ!!」
おれの触れているシディア様の肌に刺青が浮かび上がっていた。刺青はシディア様の脈動に合わせて、紫色にうっすらと発光している。
その美しさと繊細さはおれの想像を遥かに超えていて、ここに神が宿っていると言われても信じてしまえるほどの荘厳さだった。
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