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78 黒の円卓にて
しおりを挟むシディアは怒りと苛立ちを堪えるのに必死だった。
その矛先が向いているのは、他者ではなく己だ。だからこそ余計に焦燥感が募る。
――ビィはまだ動かぬものと思っていたが……読みが甘かったか。
特級幹部ビィ・ロフォラヴリの行動は元より常軌を逸していた。まともな読みでは対等に張り合うのが難しい相手だとわかっていたのに、わずかな油断がこの結果を招いてしまった。
ビィは先代の頃より特級幹部を務め、ダーヴァロードに尽くしてきた怪人だ。次期首領であってもおかしくないほどの実力の持ち主だったが、今も変わらず特級幹部の座に居座っている。
先代がビィに首領の座を明け渡さなかったからだ。
――ずっと、狙っていたのは知っていた。
先代より首領の座を継いだシディアに対し、ビィが明確な敵意を向けているのには気づいていた。
だが、それはビィに限ったことではない。
ダーヴァロードは実力主義だ。
己が認められない者が上に立てば、反発は起こって当然のこと。それらを制御しきれず、謀反によって首領の座を奪われた者も少なからず存在する。
己がそうならぬよう、ビィの領域である〈地下〉の動きには目を光らせていたつもりだったが、どうやら足りなかったようだ。
「――失礼いたします。ガラディアーク様」
シディアは今ガラディアークとしての外殻を纏い、首領の執務室にいた。
部屋に入ってきたのは、上級幹部のイェスコルだ。
その後ろには幹部のオクトスとアラネア、幹部候補生のレクセの姿もある。シディアがイェスコルに連れてくるよう命じた三人だった。
「入れ。全員畏まる必要はない、楽にしろ」
「それは――」
「俺もそうする」
シディアはガラディアークの外殻を解いた。
この四人のうち、シディアとガラディアークが同一人物であることを知らないのは、イェスコルの息子レクセだけだ。
案の定、レクセは扉の前で動けなくなっている。目を限界まで見開き、言葉を失っていた。
そんなレクセを放置し、シディアは他の三人に部屋の中央にある円卓へと着席を勧める。
自身もそちらへ移動した。
「――全員の報告書には目を通したが、目新しい情報はなかったな」
「バン様が連れ去られた方法と主犯格、バン様を縛られている黒印契約に関しては、すでに判明していますからね」
バンが己の領域外に連れ出された直後、シディアはバンの魔力が途絶えた場所を即座に調査していた。
魔力の残滓から記憶を読み取り、誰の手によって何をされ、どこに連れていかれたかはすぐに把握していたが、まだ救出には至っていなかった。
「オクトス、アラネア。バンをすぐに救出してやれず、すまない」
「謝罪なさらないでください、シディア様。今が難しい状況なのは私たちも理解しております。ね、オクトス」
「ああ。これくらいでへこたれるような育て方はしてませんよ」
一人息子であるバンを害意ある者に連れ去られ、冷静でいるのも難しいだろうに、オクトスもアラネアも気丈に振る舞う。
だが、実際はぎりぎりの状態なのだろう。
机の下でお互いの手を握り、なんとか保っている様子だった。
「シディア様はよく堪えましたね。貴方ならバン様を奪取すべく、そのまま〈地下〉を襲撃されるかと思いましたが」
「お、おい。イェスコル、そんな口の聞き方をしていいのか?」
遠慮なく切り込んできたイェスコルの発言に、驚いて声を上げたのはオクトスだ。
「構わん。畏まる必要はないと言ったのは俺だ――ところで、お前の息子はいつまで固まっているんだ?」
「レクセ、お前もそろそろこちらへ来なさい」
「っ……はい」
イェスコルに促され、レクセはようやく扉の前から動く。戸惑った様子のまま、イェスコルの隣に着席した。
その表情はまだ強張っているが、顔を下げずにいるだけの度胸はあるようだ。
「〈地下〉への襲撃はもちろん考えた――だが、首領の判断としては悪手だろう」
「ええ、そのとおりです。今ここでビィと全面戦争になれば、組織は壊滅は免れないでしょう。あちらが〈地下〉に何を隠し持っているのか、まだすべての手札を把握しきれていませんからね。バン様を救えたとしても、失うものがあまりに大きすぎる――ですが『それでもいい』と貴方なら考えるのではないかと心配しておりました」
「俺のことがよくわかっているな」
「おいおい、まじかよ」
「……そんなにも、バンのことを想ってくださっていたなんて」
イェスコルは、シディアの思考を完全に読んでいた。
それを聞いたレクセは感心して頷き、オクトスは驚いた表情を浮かべ、アラネアは頬を染めている。
――あの声を聞いて……我ながら、よく踏みとどまったものだ。
魔力の残滓から読み取った記憶の中で、バンが自分に助けを求める悲痛な声を聞き、〈地下〉を吹き飛ばしてでも今すぐにバンを救出しようと考えた。
それを踏み止まった理由は、バンが大切にしていたものがここにあるからだ。
自分が無事に助かったとしても、他に多くを失ってしまえばバンが悲しむだろうことに気づいたからだった。
「……それで、これからどう動くのですか? バンを助けにいくんですよね?」
身を乗り出し、悲痛な声で言ったのはレクセだ。
ぎゅっと眉根を寄せ、真剣な表情でシディアの顔を見つめる。握った拳をわなわなと震わせていた。
「無論だ。すでに動き出している者もいる」
「幹部ホニベラとティッハですね。〈地下〉へ潜入中と聞きましたが」
「ああ。こちらはその報告を待って動くことになる。バンには今しばらく耐えてもらうことになるが――」
今このときも、〈地下〉でどんな目に遭わされているかわからない。
咬傷と刺青、分け与えた目と外殻の力をすべて使って守りたい気持ちはあったが、ビィの展開する領域の壁は強固で厚く、外からの干渉はなかなか困難だった。
「大丈夫ですよ、シディア様。あの子は強い子です」
そう明るい声で言ったのはアラネアだった。
自分にも言い聞かせているようでもだったが、その隣ではオクトスも頷いていた。
「そうだな――イェスコル、オクトス、アラネア。お前たちは報告次第で動いてもらうことになる。いつでも出られるようにしておけ」
「「はっ」」
「かしこまりました、シディア様」
「っ、シディア様、俺は……俺にも何か命令を」
割り込んできたのはレクセだ。
その必死な声色から、親友であるバンのために何かしたいという気持ちが伝わってくる。
「お前はまだ一人で動くには未熟だからな……一時的に俺の下につくか?」
人手はあるに越したことはない。
そう思っての発言だったが、レクセの反応は意外なものだった。
「っ、それは…………お断りしてもよろしいでしょうか」
まさか断られるとは思っていなかった。
シディアが睨みつけるように見ると、レクセは「違うんです」と青い顔で首をぶんぶんと横に振る。
「……バンが、『おれはシディア様のたった一人の部下なんだ』って嬉しそうに話していたんです。だから一時的とはいえ、その立場を奪いたくありません」
理由を聞いて納得した。
レクセなりに、親友を思っての答えだったのだ。
「……わかった。では――」
「私の下につけていただけませんか? シディア様」
手を挙げたのは、イェスコルだ。
「血縁者を同じ所属にすることはあまり推奨されませんが、一時的であれば構わないでしょう?」
「そうだな。存分に鍛えてやれ」
「――御意に。では、この場はいったん解散ということでよろしいですか?」
「ああ」
四人が執務室をあとにする。
部屋に一人残されたシディアは窓際へ向かうと、そこから階下に視線を向けた。
その瞳からは魔力が漏れ出し、焔のように揺らめいている。
「我が至宝に手を出し、ただで済むとは思うなよ――ビィ・ロフォラヴリ」
その声は、空間を歪ませるほど重く冷たい支配者の威圧を含んでいた。
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