87 / 111
87 自分を、自分たらしめるもの
しおりを挟む意識が戻ってから三日が経ったけど、おれの記憶に戻る気配は全くなかった。
十日間眠りっぱなしだった身体は普通に動かせるようになって、シロガネ先生からは病室の外に出る許可をもらえたけど、まだ一人で部屋を出たことはない。
本当は誰かと一緒にいたいけど、周りの目が気になってしまうせいだ。
「おれは人間じゃなくて――怪人だし」
記憶がなくても、その自覚はちゃんとあった。
おれはベッドの上で精神安定剤代わりの黒いコートを抱えて座りながら、窓の外を見る。
窓の外には四角く大きな建物がいくつも並んでいた。
おれのいる病室は病院じゃなくて、災厄防衛中央局という組織の中にある。災厄防衛中央局は、怪人と戦うために人間たちが設立した組織だ。
組織に所属する人たちにとっておれは倒すべき敵――ここにいていい存在じゃない。
別に誰かに直接そう言われたわけじゃないけど、もし逆の立場だったら戸惑うだろうし、おれも周りの人を困らせたいとは思っていない。
だからできるだけ、この部屋で大人しくしているつもりなんだけど――
「バンくん! ちょっといいかな?」
組織の人間の中には、そんなことお構いなしにおれの部屋にやってくる人が存在する。
その筆頭はアカゾメさんなんだけど……今、ノックなしに部屋に入ってきたこの人も、そんな奇特な人間の一人だった。
「アオナさん、でしたよね?」
「覚えてくれていたのか! そう、青那で合っているよ」
アオナさんは二十代半ばの男の人だ。
背の高さはアカゾメさんと同じくらいだけど、体型は全体的に細め。といってもアオナさんも前線で怪人と戦っている人なので、きちんと鍛えられた肉体をしている。
しゅっと切れ長の瞳と、ハーフアップにした長髪が印象的な人だった。
「おれに何か用ですか?」
「用ってほどのことではないのだけどね。怪人と交流を深めてみたいと思っていたところに君がやってきたから、ゆっくり話せないかと思ったんだ。昨日は自己紹介くらいしかできなかっただろう?」
アオナさんは昨日もおれの部屋にやってきていた。
そのときはアカゾメさんも一緒だったけど、今日は一人で来たらしい。
「怪人と交流を深めたい……ですか?」
「そうさ! 幸いにも、君にはこちらの言葉が通じる。こんな機会は滅多にないからね」
怪人と人間の言葉は違う。
でもおれには、どちらの言葉も流暢に話せるみたいだった。
「でも……人間の言葉がわかる怪人って、別に珍しくないですよね?」
「違うよ、バンくん。『わかる』と『通じる』は別物だ。同じ言葉を話していても、話が通じない者はたくさんいる。それは人間同士であってもよくあることだ」
「確かに……そうかもしれません」
今のおれにそういう経験をした記憶があるわけじゃけど、アオナさんの言ったことは理解できた。
過去の経験が、感覚として残っているのかもしれない。
「ほら、やっぱり君は話が通じる」
「だとして……怪人と交流を深めたりして、アオナさんは戦いにくくならないんですか?」
「それはないな。君とは戦いにくくなるかもしれないが、俺に影響があるとすればそれくらいだ。他の怪人と戦いにくくなるなんてことはないね」
アオナさんは、すぱっとわかりやすい物言いをする人だった。ここまではっきり言われると逆に気持ちがいい。
「あ、でも……おれ記憶喪失だから、アオナさんが聞きたい話をできるかわかりませんけど」
「言っただろう? 怪人である君と交流を深めたいだけだって。怪人について何か探るつもりはないよ。それに――話しているうちに、君も思い出せることがあるかもしれないだろう?」
「……話しているうちに、思い出す?」
「さっきもそうではなかったかい? 記憶はなくとも、感覚として覚えていることはある。君がどんな人たちに育てられ、どんな環境で生きてきたのか――君を君たらしめるものは、ちゃんとバンくんの中にあると思うんだ」
アオナさんはそう言って、自分のこめかみをトントンと叩いた。
――おれを、おれたらしめるもの。
アオナさんの言葉は、不思議と胸にすとんと落ちた。記憶はなくても感覚が覚えているものは、確かに存在する。
「君は記憶を取り戻したいと思っているのだろう? ならば一人で部屋で閉じこもっているより、誰かと話したほうがいいと思うんだ。とはいえ、怪人の君から人間に話しかけるのは難しいだろう? そこで俺の出番というわけだ」
「それは……そうなのかもしれませんけど」
「何か迷うことがあるのかい? よければ教えてくれないか」
おれは俯いたまま、ぽつりと吐き出す。
「…………思い出していいものなのか、わからないんです。もし、何か嫌なことがあって忘れてるんだとしたら、思い出さないほうがいいんじゃないかって……そう思っちゃって」
記憶を取り戻したい気持ちはある。
だけど、シロガネ先生とアカゾメさんが言っていた『心理的なものが原因かもしれない』という言葉が気になっていた。
特にアカゾメさんは、前のおれを知っている。そのアカゾメさんがそう言うのだ……思い出さないほうがいい記憶なのかもしれない。
おれは無意識に黒いコートを抱きしめた腕に、ぎゅっと力を込めていた。
「そうか。それで、君はどうしたい?」
「え? おれ……ですか?」
「そうだ。記憶がなくとも、君の感情を一番知っているのは君だ。今の自分がどうしたいか、それを基準に考えればいい――どうしたいんだ?」
「おれは、思い出したいです」
その言葉が自然と口から出た。
――そうだ……おれは思い出したいと思ってる。
思い出すのが怖い気持ちはあるけど、でもそれ以上に、おれにはずっと気になっている心の隙間があった。
この隙間は、記憶を取り戻さないと埋まらない気がする。
「アオナさん、おれの話し相手になってくれますか?」
「もちろんさ! 喜んで!」
ぱあっとした笑顔になったアオナさんに手を強く握られる。
突然のことに驚いたけど、握った手を嬉しそうにぶんぶんと振り回すアオナさんの反応に、おれも思わず笑ってしまった。
◆◆◆
アオナさんとは、二時間くらい他愛ない話をした。
怪人であるおれと交流を深めたいと言った言葉に嘘はなくて、怪人について何か質問してくるというよりは、ただただお互いの価値観について話をした。
何が好きとか嫌いとか、そういう感覚は記憶がなくてもおれのなかにあって、聞かれると自然と答えが出てくるのが不思議だった。
おれも知らないおれを知れるアオナさんとの交流は、ここに来てから初めて楽しいと思える時間だった。
「楽しかった分……寂しくなるのは仕方ないよね」
夜、一人になった部屋で呟く。
記憶がないからか、一人になるといつも孤独感からくる強い不安に襲われた。この孤独感は、黒いコートをどれだけ抱きしめても紛らわすことができない。
夜寝る前のこの時間はその不安感が特に激しくなるみたいで、初日は涙があふれて止まらなかった。誰かに助けを求めたかったけど、一番呼びたい名前をどうしても思い出せないのが悲しくて、つらくて――記憶をなくしてしまった自分をたくさん責めてしまった。
そんなことをしても、どうにもならないのはわかっているのに……今日もまた、同じ負の連鎖に陥ってしまいそうな自分がいる。
でも、そんなおれの思考をノックの音が遮った。
「どうぞ」
部屋に入ってきたのは、おれが待ちわびていた人だ。
「……シアさん」
それがこのシアさんだった。
歳は二十歳くらい。艶やかな黒髪と吸い込まれそうな深い青色の瞳の持つ男の人だ。
それに見惚れてしまうくらい整った顔立ちをしていた。
「…………」
シアさんは言葉が話せなかった。
最初、無言で部屋に入ってきたときは怖い人かと思ったけど、その印象は手が触れた瞬間に変わった。
シアさんの手は、不思議な手だった。
その手で撫でられると、不安が溶けるように消えていく。
シアさんはそうなることを知っていたみたいに、毎晩おれがベッドに入る時間にやってきては、おれが眠るまで優しく頭を撫でてくれた。
――シアさんの手は、どうしてこんなに落ち着くんだろう。
何か特殊な力を持った人なんだろうか。
でもそのおかげで、おれは不安を忘れて眠ることができる。
今日もシアさんの手に誘われるように、心地よいまどろみがやってくる。
ふわふわとした気持ちよさに目を閉じると、瞼の裏にオーロラのように揺らめく美しい色の光があふれた。
210
あなたにおすすめの小説
冤罪で堕とされた最強騎士、狂信的な男たちに包囲される
マンスーン
BL
王国最強の聖騎士団長から一転、冤罪で生存率0%の懲罰部隊へと叩き落とされたレオン。
泥にまみれてもなお気高く、圧倒的な強さを振るう彼に、狂った執着を抱く男たちが集結する。
異世界転移して美形になったら危険な男とハジメテしちゃいました
ノルジャン
BL
俺はおっさん神に異世界に転移させてもらった。異世界で「イケメンでモテて勝ち組の人生」が送りたい!という願いを叶えてもらったはずなのだけれど……。これってちゃんと叶えて貰えてるのか?美形になったけど男にしかモテないし、勝ち組人生って結局どんなん?めちゃくちゃ危険な香りのする男にバーでナンパされて、ついていっちゃってころっと惚れちゃう俺の話。危険な男×美形(元平凡)※ムーンライトノベルズにも掲載
強制悪役劣等生、レベル99の超人達の激重愛に逃げられない
砂糖犬
BL
悪名高い乙女ゲームの悪役令息に生まれ変わった主人公。
自分の未来は自分で変えると強制力に抗う事に。
ただ平穏に暮らしたい、それだけだった。
とあるきっかけフラグのせいで、友情ルートは崩れ去っていく。
恋愛ルートを認めない弱々キャラにわからせ愛を仕掛ける攻略キャラクター達。
ヒロインは?悪役令嬢は?それどころではない。
落第が掛かっている大事な時に、主人公は及第点を取れるのか!?
最強の力を内に憑依する時、その力は目覚める。
12人の攻略キャラクター×強制力に苦しむ悪役劣等生
助けたドS皇子がヤンデレになって俺を追いかけてきます!
夜刀神さつき
BL
医者である内藤 賢吾は、過労死した。しかし、死んだことに気がつかないまま異世界転生する。転生先で、急性虫垂炎のセドリック皇子を見つけた彼は、手術をしたくてたまらなくなる。「彼を解剖させてください」と告げ、周囲をドン引きさせる。その後、賢吾はセドリックを手術して助ける。命を助けられたセドリックは、賢吾に惹かれていく。賢吾は、セドリックの告白を断るが、セドリックは、諦めの悪いヤンデレ腹黒男だった。セドリックは、賢吾に助ける代わりに何でも言うことを聞くという約束をする。しかし、賢吾は約束を破り逃げ出し……。ほとんどコメディです。 ヤンデレ腹黒ドS皇子×頭のおかしい主人公
性技Lv.99、努力Lv.10000、執着Lv.10000の勇者が攻めてきた!
モト
BL
異世界転生したら弱い悪魔になっていました。でも、異世界転生あるあるのスキル表を見る事が出来た俺は、自分にはとんでもない天性資質が備わっている事を知る。
その天性資質を使って、エルフちゃんと結婚したい。その為に旅に出て、強い魔物を退治していくうちに何故か魔王になってしまった。
魔王城で仕方なく引きこもり生活を送っていると、ある日勇者が攻めてきた。
その勇者のスキルは……え!? 性技Lv.99、努力Lv.10000、執着Lv.10000、愛情Max~~!?!?!?!?!?!
ムーンライトノベルズにも投稿しておりすがアルファ版のほうが長編になります。
学園一のスパダリが義兄兼恋人になりました
すいかちゃん
BL
母親の再婚により、名門リーディア家の一員となったユウト。憧れの先輩・セージュが義兄となり喜ぶ。だが、セージュの態度は冷たくて「兄弟になりたくなかった」とまで言われてしまう。おまけに、そんなセージュの部屋で暮らす事になり…。
第二話「兄と呼べない理由」
セージュがなぜユウトに冷たい態度をとるのかがここで明かされます。
第三話「恋人として」は、9月1日(月)の更新となります。
躊躇いながらもセージュの恋人になったユウト。触れられたりキスされるとドキドキしてしまい…。
そして、セージュはユウトに恋をした日を回想します。
第四話「誘惑」
セージュと親しいセシリアという少女の存在がユウトの心をざわつかせます。
愛される自信が持てないユウトを、セージュは洗面所で…。
第五話「月夜の口づけ」
セレストア祭の夜。ユウトはある人物からセージュとの恋を反対され…という話です。
性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
転生したらスパダリに囲われていました……え、違う?
米山のら
BL
王子悠里。苗字のせいで“王子さま”と呼ばれ、距離を置かれてきた、ぼっち新社会人。
ストーカーに追われ、車に轢かれ――気づけば豪奢なベッドで目を覚ましていた。
隣にいたのは、氷の騎士団長であり第二王子でもある、美しきスパダリ。
「愛してるよ、私のユリタン」
そう言って差し出されたのは、彼色の婚約指輪。
“最難関ルート”と恐れられる、甘さと狂気の狭間に立つ騎士団長。
成功すれば溺愛一直線、けれど一歩誤れば廃人コース。
怖いほどの執着と、甘すぎる愛の狭間で――悠里の新しい人生は、いったいどこへ向かうのか?
……え、違う?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる