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102 VS マッド・ビィ
しおりを挟む最奥の入り口が目視で確認できる。
ここまで来れば気配を読むのが得意じゃないおれでも、マッド・ビィとそれを守る複数の敵の気配がはっきりとわかった。
――なんだろう……たくさんいる敵のほう、何か変な感じがする。
言葉では言い表しにくい違和感だった。
この違和感こそ、イェスコル様が敵を『厄介な相手』と言っていた理由なんだろうか。
不安に胸がぎゅっと締めつけられ、呼吸が浅く乱れた。
「おっしゃ――じゃあ、行くぞ!」
アカゾメさんの掛け声で一斉に駆け出す。
通路を抜けた瞬間、広がっていた光景におれは小さく息を呑んだ。
そこは〈地下〉の最奥とは思えないほど天井が高い広大な空間だった。それだけでも充分常軌を逸しているのに、それ以上におれを驚かせたのは、その広い床を埋め尽くさんばかりの軍勢の存在だ。
「……こんな量、いったいどこから」
レクセもこの光景が信じられないようだった。
「クソが……やってくれたな。これ全部、〈地下〉で捕えられてた人間じゃねえか。無理やり薬をぶち込んで、自分の兵にしやがったな」
「え……この人たち、人間なの?」
怒りに燃えるアカゾメさんの発言は信じられないものだった。
異形の兵のようにしか見えないこの人たちが全員、元人間だったなんて……敵の気配に違和感があったのは、そのせいだったんだ。
「……こんなの、ひどい」
マッド・ビィの兵に作り替えられた人たちは、ゾンビのようにしか見えなかった。
肉は一部が腐り、関節は歪んでしまっている。
目は虚ろで表情も乏しく、口から漏れるのは言葉ではなく呻き声だけだった。
「いひひっ、ボクの新たな軍勢を気に入ってくれたかい?」
その軍勢の向こうにマッド・ビィはいた。
黒と白のまだら模様の長い髪を片手で掻き上げながら、粘ついた笑みを浮かべている。
そんなマッド・ビィが腰掛けているのは、研究施設の残骸であろう屑鉄と様々な太さの管を高く積み上げて作った、奇妙な形の椅子だった。
もしかして、玉座のつもりだろうか。
そこからおれたちのことを見下ろしながら、芝居じみた口調で語りかけてくる。
「ボクをここまで追い詰めるなんて、やってくれたねぇ……だがね、いひひっ。キミたちはここへ導かれたのだよ! ここはボクの手のひらの上。キミたちにはこの場所で真の実験に付き合ってもらおう!!」
研究施設を破壊され、多くの軍勢を失ったあとだというのに、マッド・ビィはここからが本番だと本気で思っている言動だった。
口調だけでなく、表情も自信に満ちあふれている。
――真の実験っていったい……? マッド・ビィはまだ何か隠し持ってるってこと?
この広間に何か仕掛けがあるのかもしれない。
そう思って注意深く見回してみたけど、それらしいものは見つけられなかった。
「おい、ディア。やつのことは任せるぞ」
「ああ――これ以上、ビィに好き勝手させる気はない」
シディア様がそう言った瞬間、空気が別の物質に置き換わったようだった。
わずかな呼吸が重く感じられるくらい、周りの空気が密度が増す。同時に身体全体をぎゅうっと圧縮されるような強大な魔力圧に襲われた。
――あ……シディア様の姿が。
シディア様の影が大きく揺らいだ。
かと思えば、その影からぶわりと濃い闇が立ちのぼり、シディア様の全身を包み込む。
シディア様の身体はその闇ごと宙へ浮かび上がった。
闇は大きく膨らむと、卵の殻が割れるように消え去る。その中から現れたシディア様は、異形としてさらに研ぎ澄まされた姿に変化していた。
全身鎧を纏った後ろ姿はドラゴンの背中に見えた。
首から腰は幾重にも重なる闇色の鱗に覆われていて、棘を持つ太く長い尻尾がゆったりと振れている。鱗の隙間からは深い紫色の燐光があふれ、まるで揺らめく炎のようだった。
背中からは大きな翼も生えていた。羽根は極薄の外殻でできていて、一枚一枚が刃のように鋭い。
元から鎧にあった魔神獣の牙やツノを模した装飾も、さらに獰猛な形へと変化している。顔の上半分を覆う仮面も魔力と闇を喰らい成長したのか、禍々しさと荘厳さを増していた。
――これが、シディア様の本気の姿?
魔力圧に押し潰されながらも、おれはシディア様に見惚れていた。
マッド・ビィはそんなおれに一瞬視線を向けたけど、すぐにシディア様のほうを向き直る。
「いっひひ。ようやく本気になったか、ガラディアーク。その姿はどのくらいぶりだ? 再び見られたのは嬉しいが――いつまで持つかなぁ。いっひひひひ!」
気味の悪い声で笑った。
高笑いが途切れると同時に目をぎょろりと見開いて、おれたち全員の顔を見る。
「さぁて、始めようかぁ」
そう告げる口元には笑みがまだ残っていたけど、その瞳の奥は燃え盛るような狂気に満ちていた。
「チッ――おい、お前ら! やつのことはディアに任せて、オレたちは周りのやつらを片づけるぞ!」
「っ! はい!」
そうだ。二人の戦いに気を取られている場合じゃない。
おれがここでやるべきはシディア様の戦いを見守ることじゃなく、アカゾメさんと一緒にこの軍勢を片づけることだ。
――アカゾメさんは、彼らと戦うのが嫌じゃないのかな。
マッド・ビィの薬によって無理やり姿を変えられたとはいえ、この人たちは元人間だ。
そんな彼らを手にかけることに抵抗はないのだろうか。
――って、待てよ……マッド・ビィの薬のせいでこうなってる、ってことは。
ふと閃いたおれは、外殻に覆われた左目に魔力を集中させる。広間を埋め尽くす元人間の兵たちに視線を向けた。
「やっぱり……毒と同じだ」
彼らの身体には、黒いどろどろが纏わりついていた。
この人たちに使われたのが毒の一種なら、おれの能力で取り除ける可能性がある。
元の状態に戻してあげられるかもしれない。
「――アカゾメさん!!」
おれは、今まさに一撃を放とうとしているアカゾメさんの名前を叫んだ。
◆◆◆◇◇◇
――もっと早く屠っておくべきだった。
シディアの胸中に、冷たい怒りが静かに満ちていた。
ビィ・ロフォラヴリ――なぜこの男を、ここまで生かしてしまったのか。
陰で爪を研ぐなどさせてはいけなかった。こんなふうに嗤わせる機会すら与えるべきではなかったのだ。
自らの甘さが、ビィの目障りな醜態を許してしまった。
だが今はその悔恨より、怒りのほうが勝っている。
ビィはあろうことか、シディアの至宝であるバンを危険に晒した。その一線を超えた時点で、もはや赦しの余地はなかった。
――もう生かしておく気はない。
シディアは宙を素早く移動する。
即席の玉座に腰掛けるビィを見下ろす位置までくると、殺意とともに強大な魔力圧をビィにぶつけた。
「いっひひ。悪くない殺意だ――だけど、足りないねぇ。やはりキミは首領の器ではない。その座にふさわしいのは、このボクだ!」
「ほざくな、ビィ」
「それはキミのほうだろう。よくもそんな偉そうにしていられるな。持って生まれた怪人因子に恵まれただけのくせに! 首領の座をボクから奪いやがって――この簒奪者が!!」
元から話し合いをするつもりなどなかったが、あまりに支離滅裂なビィの言い分が理解できず、シディアは小さく溜め息をこぼした。
やはり、さっさと決着をつけるべきだ。
「本当に嫌になるなぁ……こんな偽物は早く玉座から引き摺り下ろさなければ――ああ、安心していいよ。キミの力はきちんと有効活用してあげるから。これは、そのための実験だからね」
「戯言ばかりを抜かすな」
「ふーん……それじゃあ、これがキミの言うとおり戯言かどうか――実験を始めるとしようか」
ビィが不自然に左腕を動かした。
不穏な気配を感じたシディアは躊躇うことなく翼をはためかせる。ビィの左肩から先を跡形もなく消し飛ばした。
「いっひひ。やっぱり甘いなぁ――馬鹿が」
カチリ、と音がした。
ビィはにたりと笑うと、舌の上に乗った何かをシディアに見せびらかす。それはすでに押された痕跡のある、小指の先ほどしかない小さなボタンだった。
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