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21 美貌の少年
しおりを挟むアロイヴは既視感を抱いていた。
この状況には覚えがある。
屋敷で賊が部屋に侵入してきたときと同じだ。
――でも、今ここに紫紺はいないのに。
アロイヴがあのとき、賊に見つからずに済んだのは、紫紺が姿隠しの術を使ってくれたおかげだった。
今、紫紺はいない。
それなのに、全く同じことが起きている。
――それに……後ろにいる人は、いったい。
路地には誰もいなかったはずなのに、この人物は突如として現れた。
それも、アロイヴのすぐ傍に。
顔はしっかり見ていない。背格好はアロイヴとさほど変わらない気がしたが、真後ろに立たれているせいで、相手の情報を得ることはできなかった。
「…………っ」
アロイヴの手首を掴んでいた手が離れ、今度は腰に回される。そのまま、身体を密着させるように引き寄せられた。
背中が後ろに立つ何者かの身体に触れ、服越しに相手の体温と鼓動が伝わってくる。
――もしかして、僕を守ってくれようとしてる?
都合よく考えすぎだろうか。
でも、そうとしか思えなかった。
アロイヴの口は今もその人物の手で塞がれていたが、酷い扱いには思えない。
腰に回された腕もそうだ。触れる手の優しさから、この手の持ち主がアロイヴをあの男から守ってくれようとしている気がするのだ。
それに、この腕の中にいるとなぜか不思議と心が落ち着く。
アロイヴはそんな見知らぬ誰かの腕の中から、冒険者の男の動向を見守った。
――やっと、行った……?
しばらくして、男はようやくアロイヴの捜索を諦めたようだった。
気配と足音が遠ざかっていく。
ずっと目の前にいたのに、アロイヴと男の視線が交わることは、ただの一度もなかった。
「はぁ……」
一気に気が抜けてしまった。
口を覆っていた手が離れた瞬間、緊張でうまく吐き出せていなかった肺の空気が一気に押し出される。一緒に情けない声まで出た。
その場にへたり込まずに済んだのは、今もずっと身体を支えてくれている人のおかげだ。
アロイヴは首を動かし、自分の肩越しに相手の顔を見る。
驚愕に目を見開いた。
――すごく、綺麗な子だ。
アロイヴを助けてくれたのは、夜目にもはっきりとわかるほど、端整な顔立ちをした少年だった。
歳はアロイヴとあまり変わらないように見える。十代半ばといったところだろうか。
少年の顔を眺めていたアロイヴは、こちらを見つめ返す少年の瞳の色に気づいて、はっと息を呑んだ。
「…………紫紺?」
今ここに、その名を持つ影狐の姿はない。
それなのにアロイヴが紫紺の名前を口にしたのは、少年の瞳の色が紫紺のものとあまりに同じだったからだ。
微かな月明かりの元で、淡く発光して見える宝石のような深い紫色の瞳。
これと同じものが、そういくつもあるとは思えない。
――でも、まさか。
魔獣が人間に変身するなんて、そんなことがあり得るのだろうか。
ケイからも、そんな話を聞いたことは一度もない。
アロイヴは自分の考えに確信が持てないまま、少年の腕の中で、くるりと身体を反転させた。もっと、じっくりと少年を観察したかったからだ。
それなのに、向かい合う体勢になった瞬間、少年がアロイヴの身体に回した腕の力を強めた。
ぎゅっとアロイヴのことを抱きしめ、その首元に顔をうずめる。
「え、あ……ちょっと」
慌てるアロイヴとは対照的に、少年はぐりぐりと頭を押しつけて来る。
その仕草には覚えがあった。
「やっぱり……紫紺なの?」
少年が顔を上げる。
花が咲くような笑みを浮かべた後、顔を近づけ、アロイヴの唇の端をぺろりと舐めた。
◆
少年に手を引かれて、入り組んだ路地を早足で進んでいく。
前を行く少年の足取りに迷いはない。
途中、アロイヴを探しているらしき冒険者と何度もすれ違ったが、相手がこちらに気づくことはなかった。
――この力、紫紺……なんだよね?
名前を呼んだときの反応と姿を隠す能力は、この少年が紫紺である可能性を示している。
それでもまだ、絶対にそうだとは言い切れなかった。半信半疑のまま、アロイヴは少年と行動を共にする。
今はこの少年の厚意に縋るしかない。
――僕はまた、他人に迷惑をかけてしまってる。
どうしていつも、こんなことになってしまうのか。
他人を危険に晒したいわけじゃない。
ただ穏やかに過ごせれば、それ以上のことは何も望まないのに……たったそれだけのことも、うまくいかないなんて。
己の不甲斐なさに、気持ちが落ち込んでくる。
アロイヴの足取りが重くなったことに気づいたのか、急に立ち止まった少年が繋いでいたアロイヴの手を引いた。
「……何?」
周りに誰もいないことを確認してから、少年に小声で問いかける。
この少年は、どうやら言葉を話せないようだった。
表情と身振りで何か伝えようとしてくれている様子だったが、いったい何を言おうとしているのかわからない。
「…………」
困惑の表情を浮かべているアロイヴの頭の上に、少年がおもむろに手を置いた。
髪を指で梳くように、柔らかい手つきで撫で下ろす。
「……どうして」
その撫で方は、どことなくケイに似ていた。
人の手のぬくもりを思い出して、アロイヴは唇を震わせる。
必死で涙を堪えるアロイヴを少年が抱き寄せた。優しく背中に触れる手が『大丈夫』と伝えてくれているようだ。
堪えきれなくなったアロイヴの涙が、少年の肩を濡らした。
腫れぼったい目のまま、もうすぐ夜明けを迎える町を歩く。淡く色づいていく空を見上げた後、アロイヴは隣を歩く少年の横顔を見つめた。
明るいところで見ても、少年はやはり美しく整った面立ちだった。
どこか蠱惑的な魅力のある美貌だ。
艶のある長い黒髪を紐で一つに束ね、横に垂らしている。
全身黒づくめだが、よく見ると光沢のある黒糸で繊細な刺繍が施された衣裳を纏っており、少年の高貴な印象を際立たせていた。
「……?」
門からまだ離れている場所で、少年が立ち止まった。
二人のすぐ横には町と外を隔てる高い壁がある。大人の身長の何倍もある、見上げるほど高い壁だ。
少年はその壁をじっと見つめて、何か考えている様子だった。
「もしかして……壁を越える気?」
夜は明けてきたが、開門時間まではまだある。
アロイヴがおそるおそる聞いた質問に、少年はこくりと頷いた。
「そんなのは無理だ」と返そうとしたアロイヴを、少年は軽々と抱き上げる。
肩に担がれたアロイヴは驚愕に目を見開いていたが、本当に驚くべきなのは、この後だった。
「う、わ――っ」
ひゅん、と耳元で風が鳴る。
その音を意識したときにはもう、アロイヴは町を見下ろす場所にいた。
――嘘……ッ。
足元に地面がない。
自分を担ぐ少年の腕だけが、アロイヴの命綱だった。この手が離れたら、アロイヴはなす術もなく真っ逆さまに転落することになるだろう。
恐ろしい想像にぶるりと身体を震わせたアロイヴだったが、そんなことは起こらなかった。
少年は壁の頂点部分をトンッと蹴って、すぐさま壁の反対側へと跳躍する。重さを一切感じさせない動作で着地し、アロイヴを地面に下ろした。
「…………、っ」
アロイヴは、その場にへたり込んでしまった。
何も漏らさずに済んだ自分を褒めてやりたい。
少年が心配そうに覗き込んできたが、今はどうやっても立ち上がれそうになかった。
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