魔王の贄は黒い狐に愛される

コオリ

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26 特別な魔獣と称号

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 アロイヴが紫紺を落ち着かせている間、フィリは二人のためにお茶と焼菓子を用意してくれていた。
 紫紺は席に戻るなり、その焼菓子を口いっぱいに頬張っている。
 だが、アロイヴはタタワにされたことを思い出してしまい、お茶にも菓子にも手をつけることはできなかった。

「すみません。話の腰を折ってしまって」
「いえ、面白いものを見せていただきました。ところで、彼は言葉が話せるんですね」
「話せるといっても、僕の名前だけですけど。あ、でも言葉は通じてますよ。影狐は魔獣の中でも賢いんですよね?」
「影狐……? 彼は影狐なんですか?」

 聞き返しながら、フィリが立ち上がった。
 その視線は紫紺に釘づけだ。瞳の色がゆらゆらと揺らいで見える。

「――確かに、影狐で間違いないようですが……しかし、これは」
「何かおかしいですか?」
「いえ……影狐が賢い魔獣であることは間違いありません。ですが、言葉を聞き分けるといっても所詮は獣。人間でいえば、三歳児程度の知能しか持ち得ないはずなのです」
「え、でも……紫紺は僕の言葉を」
「そうですね。彼はアロイヴ様の言葉を正確に理解しています。そして、おそらくは私の言葉も理解しているのではないかと」
「あ……」

 アロイヴには、フィリの言葉が当たり前のように理解できるので忘れてしまいがちだが、フィリが話しているのは魔族の言葉だ。
 紫紺が魔族の言葉も理解しているかもしれないなんて――フィリの言ったことが本当なら、紫紺の賢さは魔獣の域を脱していることになる。

「貴方は私の言葉を理解していますよね?」

 フィリが紫紺に問いかけた。
 紫紺はすぐさま、こくりと頷く。本当に通じているようだ。

「貴方はアロイヴ様を害する存在ですか?」

 今度は首を横に振った。やはり、紫紺は意味を理解して反応を返している。
 紫紺は不機嫌そうに唇を尖らせると、繋いでいるアロイヴの手を持ち上げる。目を伏せ、薬指の根元に唇を押し当てた。

「ちょ、……紫紺」
「そんなことまで知っているとは……やはり、ただの魔獣ではなさそうですね」
「えっと、フィリさん?」
「薬指の根元へ口づける行為は、相手を裏切らないという誓いの印。これは魔族が目上の者への証として行うものなのですが……彼は、どこかの魔族に飼われていた魔獣なのでしょうか」

 またしても、紫紺は首を横に振った。

「違うってこと?」
「そうみたいですね……まあ、その可能性は低いと思っていましたが」
「どうしてですか?」
「彼に混ざっているのが、アロイヴ様の魔力だけだからですよ。それ以外の魔力は一切感知できませんでした。他の魔族と関わりがあったのだとしたら、絶対にそんなことはあり得ません――しかし、彼のような魔獣を見たのはこれが初めてです。こんなにも長く生きてきたのに」

 フィリに褒められたと思ったのか、紫紺が誇らしげな表情で、ふんっと鼻を鳴らした。自分にはアロイヴだけだと言いたいのか、アロイヴの腰を抱き寄せて身体を密着させてくる。
 もしかして、フィリへの牽制でもあるのだろうか。
 独占欲を隠そうともしない紫紺の行動に、アロイヴは思わず笑ってしまった。



「あの、もう一つ聞きたいことがあるんですけど」
「称号のことですね」
「……はい」

 アロイヴは久しぶりに自分の鑑定板を開いてみた。
 そこには前と変わらず、〈魔王の生贄〉という称号が記されている。
 胸が、つきりと痛んだ。

「これは……どういうものなんですか?」

 言葉に迷った結果、酷く抽象的な質問になってしまった。
 でも、いくらアロイヴでも、「自分はどんな風に魔王に殺されるのか」なんて聞けるはずがない。
 フィリも言葉を選んでいる様子だった。

「――アロイヴ様に与えられた役割を正確に知るのは、我が主だけです」
「え……?」
「私のような臣下に伝えられているのは、『贄は王の覚醒に必要なもの』という情報のみ。それがどういった手段なのかまでは、詳しく伝えられていないのです」

 そう言ったフィリは、複雑そうな表情を浮かべていた。

「フィリさんにも、わからないってことですか?」
「ええ。アロイヴ様の求めている答えが用意できず、申し訳ございません。わかっているような顔をして、アロイヴ様のことを引き止めたというのに」
「……そっか。そうなんだ」

 自分の持つ称号や役割について、もっと明確な回答が得られると思っていたアロイヴは、俯いて小さく溜め息をこぼした。
 謝罪を重ねるフィリを気遣う余裕もない。

 ――結局、今までと変わらず……怯えながら生きるしかないのか。

 自分がどんな惨たらしい結末を迎えるのか、知ってしまうほうが残酷だったかもしれない。でも、何も知らされずに未知の恐怖に怯え続けるというのも、アロイヴにとっては苦しみでしかなかった。

「僕は……すぐに魔王のところに連れていかれるんですか?」

 フィリは、そのために自分たちに接触してきたのだろうか。
 それならば、いろいろと辻褄が合う。
 そう思ったのに、フィリの返答は違った。

「いいえ。今すぐにアロイヴ様が我が主の下に呼ばれることはありませんよ。もしかすると――そんな日は一生訪れないかもしれません」
「えっ? それって、どういう……」

 アロイヴは驚いて顔を上げ、ぽかんと口を開いたままフィリを見つめた。フィリの言葉を頭の中で反芻するものの、意味が理解しきれない。
 フィリは、戸惑うアロイヴをまっすぐ見つめていた。
 自分の淹れたお茶で喉を潤し、話を続ける。

「我が主は今、休眠期に入っています。もう二百年の間、一度も目覚めていません」
「二百年も? 眠ったままなの?」
「はい。そして、それはいつまで続くかわかりません。あと百年、眠ったままかもしれない。そうなれば、アロイヴ様は残念ながら、贄の役割を果たせないことになります」

 ――贄の役割を、果たせない……?

 残念ながらと口にしながらも、フィリは笑顔を浮かべていた。

「それって、贄にならなくていいってこと?」
「そうなりますね」
「それで、いいんですか?」
「ええ。我が主が目覚めない限り、アロイヴ様が必要になることはありませんので」

 ――まさか、そんなことって。

 この世界に転生して、称号の定める役割は絶対だと教え育てられてきた。
 そして与えられた〈魔王の生贄〉という称号。
 このたった五文字にずっと振り回されてきたのに、それが『必要ない』かもしれないなんて。

「僕は、これからどうしたらいいんでしょう……」

 そんなことを聞かれても、フィリは困ってしまうだろう。
 でも、誰かに聞かずにはいられなかった。

 ――ケイは、外の世界を見てくるように言ってたけど。

 そうするのも悪くないと思う。
 だけど、本当にそれでいいのだろうか。
 勝手に割り振られた役割に苦しめられてきたはずなのに、いざ必要ないと言われたら、急に世界から投げ出されたような気持ちになってしまう。
 屋敷から、いきなり放り出されたときと同じだ。
 自分の進むべき道がわからない。

「人間の町では暮らせないのですか?」
「実は、僕を狙ってる人がいるみたいで……」

 相手がなぜアロイヴを狙っているかはわからなかったが、依頼を受けた冒険者たちに狙われている今の状態で町に戻ることは不可能だろう。

「それは物騒な話ですね――では、魔族の町で暮らすというのはいかがでしょうか?」
「魔族の、町?」
「ええ。人間に追われているというなら、それが一番安全でしょう。別にずっとそこで暮らせというわけではありません。私もアロイヴ様を狙う者の正体を探っておきます。その憂いさえなくなれば、アロイヴ様は自由に暮らせるでしょう?」

 そんなことが許されるなんて。
 でも、確かに人間の町で暮らすことができないなら、別の居場所を探すしかない。

 ――それが、魔族の町だとは思わなかったけど。

「一番近い町までお送りしますよ。上の者には私から話しておきます」
「いいんですか?」
「構いませんよ。ぜひ、頼ってください」

 また助けられてしまった。しかも、魔族に。
 でも、フィリに対する警戒はもう完全になかった。フィリのことなら信じていいと思える。

「……あ」

 行き先が決まって少し気が緩んだせいか、アロイヴの腹がぐうっと音を立てた。
 恥ずかしさに俯いていると、紫紺が隣から焼菓子を差し出してくる。甘い香りが、さらに空腹を刺激した。

「あの、これ……いただきます」
「どうぞ。お口に合えばいいのですが。お茶、淹れなおしましょうか?」
「大丈夫です。このままで」

 フィリの作ったものなら食べられそうだった。
 まず、お茶をこくりと嚥下する。ふわりと鼻腔に花の香りが広がった。

薬草茶ハーブティーですか?」
「ええ。お二人はお疲れのようでしたので、心身を整える調合をさせていただきました。あと、魔力の流れをよくする薬草も入っていて――」

 フィリは本当に薬草が好きなようだ。
 天井にぶら下げてある薬草を指差しながら、効能を饒舌に説明してくれる。

 ――そういえば、ケイが魔獣の話をするときもこんな感じだったな。

 そんなことを思い出していたときだった。

「……?」

 どくり、と鼓動が跳ねた。
 急に全身が熱を持ち始める。頭がずきずきと痛み、息まで苦しくなってきた。

 ――これ……毒?

 フィリにまで、騙されてしまったのだろうか。
 一瞬、そんなことが頭によぎる。
 しかし、それは違っていた。

「――アロイヴ様!?」

 慌てているフィリの顔が見える。
 脈を診るようにアロイヴの首元に指先を当て、フィリは眉間に深い皺を寄せた。

「魔力の流れがおかしい……何かが、魔力の流れを阻害しているのか?」
「それ、なら……」

 フィリの言葉を聞いて、アロイヴにはすぐに思い当たるものがあった。自分の足首を指差し、そこにつけられた魔道具をフィリに示す。
 フィリは素早くアロイヴの服の裾を捲ると、表情をさらに険しくした。

「魔力抑制の魔術具? なぜ、こんなものを」
「魔力は、魔族の餌だから……魔力を貯めておくように、って」
「そんな理由で、魔力の流れを堰き止めていたと? 愚かな――だが、今これを無理に外せば、アロイヴ様が危険に晒される」

 ――まずい状況……なのかな?

 フィリが慌てているせいか、アロイヴは不思議と冷静だった。
 しかし、次第に意識は遠のいていく。
 紫紺がしきりにアロイヴの名前を呼び、手を握ってくれていたが、アロイヴには指先を動かす力すら残っていなかった。
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