三日月亭のクロワッサン

熊猫珈琲店

文字の大きさ
4 / 6

ティータイムのお客様

しおりを挟む
 午後三時過ぎ。

 三日月亭では、ティータイムになるとクロワッサンのフルーツサンドが食べられる。

 サクサクのクロワッサンに切れ目を入れて、カスタードクリームとホイップクリーム、それから季節の果物を挟んだフルーツサンドは、初めのうちこそ人気メニューだったものの、最近はあまり注文が入らない。

「だからぁ、カロリーが高すぎるんだってば。それにフルーツサンドなんて毎日食べるもんじゃないからさ、常連さんにはウケが悪いんじゃない? あと、大き過ぎて食べにくい。デカいクロワッサンに色んなフルーツを入れるんじゃなくて、ミニサイズにして一つ一つ違うフルーツを入れるとか、もう少し工夫しなくっちゃ」

 今年の春から高校生になったヤヨイは、三日月亭の店主である父親に辛口のアドバイスをしながら、店の手伝いをするためにエプロンを身に付けた。

「ヤヨイにそう言われて、父さんも考えたんだよ。ただ、ミニクロワッサンを使って沢山のフルーツサンドを作るのは時間も手間もかかり過ぎるから、色んな味のミニクロワッサンを焼いてみたんだけど……どうかな?」

 マスターはそう言いながら、バスケットに盛りつけられた色とりどりの小さなクロワッサンを、ヤヨイの方へと差し出す。

 ヤヨイはカウンター席に腰掛けて、ミニクロワッサンを一つ手に取った。

「このピンク色をしてるやつはイチゴ?」

「そうだよ。オレンジやレモン、ブルーベリーにバナナ、それから、抹茶やアールグレイなんかもあるよ」

「へぇ。カラフルで可愛いし、色んな味がちょっとずつ楽しめるから良いかもね。甘いのが好きなお客さんには、カスタードクリームとホイップクリームを別でオーダーしてもらえばいいし」

 ヤヨイが話している途中で、入り口の扉が勢いよく開いた。

 カランカランカランカラン。

 扉に取り付けられた鐘が大きな音を立てると同時に、不機嫌な顔をした中学生くらいの男の子が店に入ってくる。

「ちょっとコウヘイ! もう少し静かに入ってきなさいよ!」
 ヤヨイが叱りつけると、コウヘイと呼ばれた少年は
「うるせぇな。いいから早く、うちのババアが注文したクロワッサンを出せよ」
 と乱暴に言い放つ。

 コウヘイを睨みつけるヤヨイをカウンターの奥へ押しやり、マスターは彼を手前のテーブル席へ案内した。

「注文してもらったクロワッサンを包んでくるから、そこに座って待っていてくれる? あと、これは試作品なんだけど、もし良かったらどうぞ」

 そう言って、マスターはバスケットに盛られたミニクロワッサンをいくつか皿に取り分け、コウヘイの前に置いた。

 マスターが調理場の方へ行ってしまうと、コウヘイはクロワッサンを次々と口の中へ放り込み、あっという間に平らげてしまった。

 その様子を見ていたヤヨイが、カウンターの奥から呆れた声を出す。

「あんたって、本当に図々しいよね。ちょっとは遠慮しなさいよ」

「うるせぇバーカ」

「はあ?」

 喧嘩が始まりそうになった二人の間に、マスターが割って入る。

「お待たせ。ご注文のクロワッサン・ケーキだよ。コウヘイ君、お誕生日おめでとう。うちのクロワッサンを気に入ってくれてるんだってね。君のお母さんから、『三日月亭のクロワッサンで作ったバースデーケーキを息子に食べさせてあげたい』って頼まれて、特別に注文を受けたんだ。他の人には内緒にしておいてね」

「……分かった」

「ところで、さっきのミニクロワッサンはどうだった? ティータイムのメニューに加えようか迷っているんだけど」

 マスターの質問に、コウヘイは何か言いたげな表情で黙っている。

「正直な感想を言ってくれて大丈夫だよ。その方が、うちとしても助かるし」

 マスターがそう言って促すと、コウヘイはようやく口を開いた。

「さっきのミニクロワッサン……見た目は良かったけど、味はいつものクロワッサンの方が美味しいと思う」

「そうか……正直に教えてくれてありがとう。コストも手間もかかる上に、いつものクロワッサンの方が美味しいなら、メニューには追加しない方が良さそうだね」

 マスターがそう言うと、ヤヨイが口を挟んできた。

「ちょっと! せっかく作ったのに、たった一人の意見で新メニューを諦めちゃうなんて、もったいないじゃない!」

「諦めるわけじゃないよ。味の改善をするとか、別の案を考えるとか、出来ることは他にいくらでもあるだろう?」

 二人のやり取りを聞いていたコウヘイが、ためらいがちに口を開く。

「あの……クロワッサンを色んな味にしたいんなら、塗るものを変えてみれば? うちでも、テイクアウトしたクロワッサンはそのまま食べるだけじゃなくて、ジャムを塗ったりクリームチーズを塗ったりしてるよ」

「なるほど。それは良いかもしれないな。シナモンシュガーバターみたいに、色んな味のフレーバー・バターを作っておけば、好きな味を楽しんでもらえるし、何種類もの生地を作って焼くよりは手間もかからない」

 マスターがコウヘイの案を真剣に吟味し始めると、ヤヨイも話に入ってきた。

「どうせなら、ティータイムの間だけミニクロワッサンを食べ放題にしちゃえば? 色んな味のフレーバー・バターとミニクロワッサンをカウンターに並べておいて、お客さんが自由に選んで持っていけるようにするの。そうすれば、私達はドリンクを作るだけでいいし、他のオーダーが入っても対応出来るでしょ?」

「食べ放題か。採算が取れるか少し心配だけど、期間限定で試してみるのは有りかもしれないな」

「いいじゃん! やってみようよ」

 乗り気になったヤヨイが、マスターの背中を押す。

「よし、後でじっくり計画を練ろう。コウヘイ君、良いアイディアを思いついてくれてありがとう。助かったよ」

「そうだね、コウヘイのおかげだね。ありがと」

 マスターとヤヨイにお礼を言われたコウヘイは、居心地の悪そうな顔をして立ち上がり、ケーキの入った包みを持つと足早に店を出て行った。

「何よ、あの態度! 昔はもっと可愛かったのに!」

「ヤヨイだって、中学生の頃は似たようなもんだったじゃないか」

「はあ? 全然違うし!」

 ヤヨイが怒り出したので、マスターは
「それじゃ、父さんはフレーバー・バターの試作品をいくつか作ってみるから、お客さんが来たら声をかけてね」
 と言って、調理場の方へ行ってしまった。

 ヤヨイはコウヘイの座っていたテーブルの上を片付けると、カウンターに置きっぱなしになっていたバスケットを手に取り、ミニクロワッサンを一つ口に入れた。

 甘くて優しい香りが口の中に広がり、ヤヨイは思わず顔をほころばせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Husband's secret (夫の秘密)

設楽理沙
ライト文芸
果たして・・ 秘密などあったのだろうか! むちゃくちゃ、1回投稿文が短いです。(^^ゞ💦アセアセ  10秒~30秒?  何気ない隠し事が、とんでもないことに繋がっていくこともあるんですね。 ❦ イラストはAI生成画像 自作

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

課長と私のほのぼの婚

藤谷 郁
恋愛
冬美が結婚したのは十も離れた年上男性。 舘林陽一35歳。 仕事はできるが、ちょっと変わった人と噂される彼は他部署の課長さん。 ひょんなことから交際が始まり、5か月後の秋、気がつけば夫婦になっていた。 ※他サイトにも投稿。 ※一部写真は写真ACさまよりお借りしています。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

『☘ 好きだったのよ、あなた……』

設楽理沙
ライト文芸
2025.5.18 改稿しました。 嫌いで別れたわけではなかったふたり……。 数年後、夫だった宏は元妻をクライアントとの仕事を終えたあとで 見つけ、声をかける。 そして数年の時を越えて、その後を互いに語り合うふたり。 お互い幸せにやってるってことは『WinWin』でよかったわよね。 そう元妻の真帆は言うと、店から出て行った。 「真帆、それが……WinWinじゃないんだ」 真帆には届かない呟きを残して宏も店をあとにするのだった。

処理中です...