紅葉-くれは-

菊池まりな

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第20話 森に足を踏み入れる夜

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夜は深まり、村を覆う森は黒々とした壁のように立ち塞がっていた。
 古沢寺の本堂で声を聞いた後も、美奈の表情は晴れず、祐真の心にも重い影が残っていた。

 縁側に腰を下ろした祐真は、夜風を浴びながら煙草を取り出し、火をつけずに指先で転がした。
 思考の奥で、警察官だった頃の自分が問いかけてくる。

 ──お前は、なぜこんな事件に執着している?

 祐真は目を閉じ、唇を結んだ。
 二十代前半、初めて担当した失踪事件。幼い少女を救えなかったことが、いまも彼の心を焼いている。
 名前も、泣き声も、闇に消えた。あの夜から、彼はずっと「声を追いかける」ことに囚われていた。

 背後で障子が開き、美奈が現れた。
「……祐真さん。私、眠れなくて」
 彼女の瞳は怯えと迷いに揺れていた。

「声が、まだ聞こえるんです。遠くで……紅葉さんと、美桜ちゃんの名前を呼ぶ声。『一緒に来て』って」

 祐真は即座に立ち上がり、彼女の肩に手を置いた。
「美奈。ひとりで行ってはいけない。もし行くなら、俺が一緒に行く」

「……危ないのに?」

「ああ。それでもいい。俺はもう、二度と誰かを失いたくないんだ」

 その言葉に、美奈は涙をにじませた。
「ありがとうございます……でも、祐真さんまで失いたくない」

 その時、廊下を歩いてきたのは春香だった。彼女は二人を見て、震える声を上げた。
「やめて……森に入ってはだめ。あなたまで……!」

 だが、祐真は強く答えた。
「春香さん。あんたは二度、娘を奪われた。もうこれ以上、誰も森に飲み込ませたくないんだ」

 春香は唇を噛み、何も言えなかった。
 その横で、古沢住職がゆっくりと歩み寄る。
「祐真殿……行くというのなら、これを」
 彼は祐真に古びた数珠を差し出した。
「これは代々、この村で森を鎮めるために用いてきたもの。少しは道を照らす力になるかもしれません」

 祐真は頷き、それを手首に巻きつけた。

 ──その夜更け。
 森の入り口に立つ祐真と美奈。春香は必死に止めたが、ついに言葉を失い、ただ二人の背を見送った。

 森に一歩足を踏み入れると、空気が変わった。湿り気を帯び、どこかで笑い声がかすかに響く。
 美奈は肩をすくめ、祐真の袖を掴んだ。

「……見えますか? あれ」

 木々の間に、淡い光が漂っていた。人影のように揺れながら、まっすぐ二人を誘っている。

 そして、確かに聞こえた。

 ──美桜……紅葉……こっちへ……

 その声は、あまりに優しく、あまりに懐かしく。
 祐真の胸を締めつけ、足を進ませようとする。

 だが、祐真は数珠を握り締め、低く呟いた。
「俺は……もう声に従わない」

 しかし次の瞬間、光の中に浮かんだ影を見て、美奈が凍りついた。

「……紅葉……?」

 そこには、十七歳の少女の姿が確かにあった。
 白い手を伸ばし、優しく微笑みながら──。

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