紅葉-くれは-

菊池まりな

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第45話 静寂の境界

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森を包む闇は、思いのほか深かった。
 風が枝葉を渡るたび、ざわめきが遠いささやきのように耳を撫でる。
 春香と美奈は、立ち尽くしたまま言葉を失っていた。

 「……“呼ばれてたの”って、紅葉が言ったの」
 美奈の声は震えていた。
 「秋祭りの夜、私と別れる前に。……“でも、今度はちゃんと帰る”って、笑ってたのに」

 春香は胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じた。
 その笑顔が、娘の最後の記憶として脳裏に焼きついている。
 紅葉は何かを知っていた。自分から“行く”と決めていたかのように──。

 沈黙の中で、風がひときわ強く吹いた。
 落ち葉が足元を舞い、月が一瞬雲に隠れる。
 春香は小さく息を吸い、呟いた。

 「──帰ろう、美奈。紅葉のノート、もう一度見てみたいの」

 美奈は頷いた。
 その目には、不安と決意が入り混じっていた。

 ふたりは森をあとにし、夜道を歩いた。
 遠くでフクロウの声が響く。
 村の外れにある研究棟の建物が、闇の中でぽつりと灯をともしていた。

 夜明け前のラボは、静まり返っていた。
 蛍光灯の白い光が机の上を照らし、紅葉のノートがそこに置かれている。
 春香はそれをそっと開いた。

 ページの隅に、小さな赤いしみがあった。インクでも、花びらでもない。
 そしてその下には、紅葉の筆跡でこう書かれていた。

 > ──呼ばれた者は、森の奥で“還る”。
 >  でも、わたしは戻る。お母さんの声が、まだ聞こえるから。

 美奈は震える手で、別のページをめくる。
 そこには、奇妙な図形と日付が書かれていた。
 その最期の日付──紅葉が姿を消した“秋祭りの夜”。

 「これ……何かの、儀式みたい……?」
 美奈が呟く。

 春香は、ゆっくりと首を振った。
 「違うわ……これは、“記録”よ。紅葉が見た、何かの──」

 その瞬間、ラボの蛍光灯が一斉にちらついた。
 パチ、パチ、と音を立てて、白い光が断続的に明滅する。
 窓の外の森が、闇の奥でざわめいた。

 「……誰か、いる?」
 美奈が小さく問う。

 春香は息を殺し、ノートを抱きしめた。
 遠くから、かすかな足音が響いた気がした。
 それはラボの廊下をゆっくりと近づいてくる。
 ──一定のリズムで、まるで呼吸をするように。

 春香と美奈は顔を見合わせた。
 そして、ノートのページが勝手に一枚、風もないのにめくられる。
 そのページに記されていた言葉が、ふたりの目に焼きついた。

 > 「呼ばれし理由(わけ)」──。

 蛍光灯が最後に一度、強く光ったかと思うと、
 ラボは暗闇に沈んだ。
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