紅葉-くれは-

菊池まりな

文字の大きさ
48 / 155

第47話 還れぬ光

しおりを挟む
──白い。
 光が、やけに白い。
 春香はまぶたの裏でそれを感じていた。
 けれど、すぐにそれが“蛍光灯の白”ではないことに気づく。
 やわらかく、冷たく、どこか湿っている光だった。

 ゆっくりと目を開ける。
 視界に広がったのは、研究室の天井……ではなかった。
 古い木の梁、土壁のような茶色。
 床に転がるはずのノートも、机も、消えている。

 「……ここ、どこ……?」

 声がかすれる。
 隣で、美奈が目を覚ました。
 蒼白な顔であたりを見渡し、春香の腕をつかむ。

 「は、春香さん……ここ、森の中じゃないですよね……?」

 春香は答えられなかった。
 まるでラボが“そのまま別の場所にすり替わった”ようだった。
 壁にかかっている古い掛け軸。
 そこには、墨で「還」と一文字だけが書かれている。

 「──還れぬ者、って……ことなの?」
 美奈の小さな声が、やけに響いた。

 そのとき、外から誰かの足音が近づいてきた。
 春香が身構えると、扉が軋みを立てて開く。
 光の中に立っていたのは、祐真だった。

 「橘さん!氷川さん! 無事ですか!」

 祐真の姿を見た瞬間、春香の胸の奥に安堵が広がった。
 だが、同時に、彼の表情に“何か”を感じ取る。
 顔色が悪く、目の奥がどこか焦点を結んでいない。

 「ここ……どこなの、祐真さん?」
 「わからない。ラボに入ったときには、誰もいなくて——気づいたら、ここにいたんです」

 祐真の足元を見ると、床には落ち葉が散っていた。
 紅い葉──紅葉もみじ
 それはラボにはなかったはずのものだった。

 春香がそれを拾い上げると、葉の裏に黒い墨のような文字が滲んでいた。
 > “みつけて”

 「紅葉くれはの……字?」
 美奈の声が震える。
 「ねぇ、春香さん……あたし、あの夜……紅葉が言ってたんです。“もし、私が消えたら、探しに来ないでね”って……」

 春香は息を呑んだ。
 美奈の告白が、空気を一気に冷たくした。
 「どういうこと……?」

 「でも……そのあと、こうも言ったんです。
 “どうせ、みんな呼ばれるから”って……」

 部屋の中の灯が、一瞬ふっと消えた。
 暗闇のなか、祐真の背後の障子に、淡い影が浮かぶ。
 それは少女の輪郭をしていた。

 春香が思わず名を呼ぶ。
 「……紅葉くれは?」

 だが、影は静かに微笑むと、森の方へと背を向けた。
 その輪郭が溶けて消えると同時に、部屋の灯りが戻る。

 祐真が息を呑み、震える声で呟いた。
 「橘さん……この村で消えた子どもたち、全員──橘さんのお子さんの“美桜”ちゃんと同じ年齢くらいの時に呼ばれていたんです。」

 春香と美奈は、互いに顔を見合わせた。
 その瞬間、床下からかすかな囁き声が響いた。

 > 「──みつけて。みつけて。みつけて。」

 祐真は足元にライトを向けた。
 床の隙間から覗くのは、土でも虫でもない。
 そこには、小さな人の手のようなものが、こちらに向かって伸びていた。

 春香が悲鳴を上げた。
 美奈がその手をつかもうとした瞬間、祐真が彼女を強く引き戻した。

 「触るなッ! それは──」

 叫びは、木霊のように部屋に響いた。
 その瞬間、手はふっと消えた。
 だが、代わりに、床の上に紅葉のノートが落ちていた。

 表紙がひとりでに開き、最後のページが春香の目に映る。
 > “還れぬ光を追うな”

 春香はその言葉を読み、唇を震わせた。
 「紅葉くれは……あなたは、どこへ行こうとしてるの……?」

 その問いに、外の森がざわめいた。
 風もないのに、木々の枝が一斉に揺れた。
 まるで答えるように──。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

身代わり召喚された俺は四人の支配者に溺愛される〜囲い込まれて逃げられません〜

たら昆布
BL
間違って異世界召喚された青年が4人の男に愛される話

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...