紅葉-くれは-

菊池まりな

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第68話 沈黙の森

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──静寂。
 耳をすませても、何の音も聞こえなかった。
 春香は自分の息づかいすら恐ろしく思えた。
 霧の中で、光はまるで生き物のようにねじれ、どちらが道で、どちらが罠なのか、もうわからない。

「祐真? ……美奈?」
 声を出しても、返事はない。
 代わりに、森の奥から“何か”が返してきた。
 それは、微かな笑い声──。
 幼い子どものようで、どこか壊れた人形のようでもあった。

「……誰?」
 問いかけると、木の幹にぶつかるような鈍い音がした。
 春香が振り向くと、木の根元に“紙切れ”が一枚貼り付いている。
 それは古びて、雨に滲み、けれどはっきりと読めた。

 ──アンケートに、答えてください。



 春香の喉がひゅっと鳴った。
 その紙には、三つの設問が記されていた。

一、あなたは真実を見たいですか。
二、あなたは誰かを許せますか。
三、あなたは、生きて帰りたいですか。



 その下に、小さな文字でこう書かれていた。
 ──“すべてに嘘をついた者は、森に取り込まれる”。

 春香は後ずさりしながら、無意識に首を振った。
 そのとき、背後で“枝を踏む音”がした。
 ゆっくりと振り向くと、霧の向こうに人影が立っている。
 肩のあたりまでしか見えないが、白い服──それは美奈のものだった。

「美奈ちゃんっ!あなた、どこにいたの!」
 駆け寄ろうとした瞬間、春香の足が止まる。
 美奈の顔が、見えなかった。
 霧の中にあるのではなく、“最初から存在していない”かのように。
 顔の部分だけが、黒く塗りつぶされている。

「……はる、か…さ……ん」
 声は確かに美奈のものだった。
 けれど、その口が動いていない。
 音だけが、空気の中でこだましている。

 春香は恐怖で足がすくみ、後ずさった。
 その瞬間、木々がざわめき、どこからともなく祐真の叫び声が響いた。

「──春香! 逃げろっ!」

 声の方へ駆け出す。だが霧が壁のように立ち塞がり、身体が進まない。
 背後では、“笑い声”がだんだん近づいてくる。
 足音が二つ、三つ、四つ——増えていく。

 春香は半狂乱で叫んだ。
「いやだ! 帰して! 私、答えない! アンケートなんか——!」

 その瞬間、頭上から“ぱさり”と紙が降ってきた。
 一枚、また一枚。
 どの紙にも同じ言葉が印字されていた。

 ──嘘をついた。



 春香は目を見開いた。
 霧の中に無数の顔が浮かび上がる。
 それは森に消えた人たちの“記憶”のようだった。
 祐真も、美奈も、そして知らない者たちも──皆、何かを訴えるように口を開けていた。

 春香の視界が暗転した。
 最後に聞こえたのは、自分の名前を呼ぶ美奈の声。
 ──「はるか、まだ……間に合うから……」

 そして、森は再び沈黙した。

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