83 / 155
第82話 封印の鏡
しおりを挟む
闇を裂くように走る懐中電灯の光。
森の中を逃げる三人の足音が、湿った土を叩く。
背後から追ってくるのは、確かに“人の形”をしていた何か。
だが、振り返る勇気を誰も持てなかった。
春香の手を引きながら祐真が叫ぶ。
「こっちです! この先に旧神社跡がある!」
息を切らしながらも、祐真の目は鋭く森の奥を見据えていた。
あの祠を見たのは、子供の頃──たった一度だけ。
橘美桜が消えた日の夕方、同じ森の奥で。
──“呼ばれて”いた。
その時の冷たい風の匂いが、今も記憶の奥底にこびりついている。
倒れかけた鳥居をくぐり抜けた瞬間、世界が急に静まり返った。
音が消えた。
風も止まり、鈴虫の声さえ途絶える。
まるでここだけが、別の時間に閉ざされたようだった。
崩れた石段の上に、小さな祠がある。
苔に覆われた扉は半ば壊れ、その奥に――黒く光る“鏡”が鎮座していた。
大人の顔ほどの大きさ。
縁は朱塗りの木で、だが長年の風雨に剥げ落ち、血のような赤錆が浮かんでいる。
「……これが、封印の鏡……?」
美奈の声が震えた。
春香は無言でうなずく。
「私が……二十年前、これを使ったの。
この鏡に映った“願い”は叶う。けれど、代わりに──」
その続きを言い切る前に、祐真が低く呟いた。
「代わりに、誰かが奪われるんですね」
春香はうつむいたまま、頷いた。
「美桜を返してほしくて……あの夜、鏡を覗いたの。
鏡には、確かにあの子の姿が映った。
でも……次の瞬間、美桜の姿と一緒に、村の子が一人……消えたの」
「……それが、祐真さんじゃないんですか?」
美奈が息を呑んで問うた。
祐真は首を横に振りながら、目を伏せる。
「俺はその時……何かを見て、記憶を失ったんです。
ただ、覚えてるんです。鏡の中の子供たちの顔。
……俺が助けられなかった子たちの顔を」
祐真の懐中電灯が、祠の奥を照らす。
鏡の表面に、何かが“浮かんでいた”。
小さな手形が無数に押され、まるで中から外に出ようとしているように見える。
手形のひとつが、ゆっくりと“動いた”。
「……祐真……お兄ちゃん」
低い声が、鏡の中から響いた。
祐真の顔が凍りつく。
「……まさか……」
「覚えてる? あの夜、私を置いていったの」
声は確かに、幼い女の子のものだった。
春香が息を呑む。
「美桜……?」
祐真は、目の奥が熱くなるのを感じた。
「俺は……助けたかった……! でも、あの時──!」
その瞬間、鏡の表面が波打った。
黒い水面のように揺れ、無数の影が浮かび上がる。
その中に、赤い着物を着た少女の姿。
──紅葉だった。
紅葉は鏡の向こうで、ゆっくりと微笑んでいた。
「お母さん……返したよ」
春香の心臓が止まるような痛みとともに、彼女の身体が祠の方へ吸い寄せられる。
「春香さん!」
祐真が叫び、腕を掴んだ。
だが鏡から伸びた“何か”が、春香の足首を絡め取る。
白く細い腕──それは紅葉のものに見えた。
「お母さん、もう大丈夫。今度は私が行く番」
祐真が銃を抜こうとした瞬間、鏡の中から“鈴の音”が鳴った。
チリ……ン。
音と同時に、祠全体が悲鳴を上げるように軋んだ。
美奈が泣き叫ぶ。
「紅葉ちゃん、やめて! 戻ってきて!」
紅葉の目が、一瞬だけ美奈を見た。
涙のような光が頬を伝い、そして──その姿は闇に溶けた。
鏡が、静かに割れた。
祠の中に、風が吹き抜ける。
鈴の音だけが、長く長く、夜の森に響いていた。
森の中を逃げる三人の足音が、湿った土を叩く。
背後から追ってくるのは、確かに“人の形”をしていた何か。
だが、振り返る勇気を誰も持てなかった。
春香の手を引きながら祐真が叫ぶ。
「こっちです! この先に旧神社跡がある!」
息を切らしながらも、祐真の目は鋭く森の奥を見据えていた。
あの祠を見たのは、子供の頃──たった一度だけ。
橘美桜が消えた日の夕方、同じ森の奥で。
──“呼ばれて”いた。
その時の冷たい風の匂いが、今も記憶の奥底にこびりついている。
倒れかけた鳥居をくぐり抜けた瞬間、世界が急に静まり返った。
音が消えた。
風も止まり、鈴虫の声さえ途絶える。
まるでここだけが、別の時間に閉ざされたようだった。
崩れた石段の上に、小さな祠がある。
苔に覆われた扉は半ば壊れ、その奥に――黒く光る“鏡”が鎮座していた。
大人の顔ほどの大きさ。
縁は朱塗りの木で、だが長年の風雨に剥げ落ち、血のような赤錆が浮かんでいる。
「……これが、封印の鏡……?」
美奈の声が震えた。
春香は無言でうなずく。
「私が……二十年前、これを使ったの。
この鏡に映った“願い”は叶う。けれど、代わりに──」
その続きを言い切る前に、祐真が低く呟いた。
「代わりに、誰かが奪われるんですね」
春香はうつむいたまま、頷いた。
「美桜を返してほしくて……あの夜、鏡を覗いたの。
鏡には、確かにあの子の姿が映った。
でも……次の瞬間、美桜の姿と一緒に、村の子が一人……消えたの」
「……それが、祐真さんじゃないんですか?」
美奈が息を呑んで問うた。
祐真は首を横に振りながら、目を伏せる。
「俺はその時……何かを見て、記憶を失ったんです。
ただ、覚えてるんです。鏡の中の子供たちの顔。
……俺が助けられなかった子たちの顔を」
祐真の懐中電灯が、祠の奥を照らす。
鏡の表面に、何かが“浮かんでいた”。
小さな手形が無数に押され、まるで中から外に出ようとしているように見える。
手形のひとつが、ゆっくりと“動いた”。
「……祐真……お兄ちゃん」
低い声が、鏡の中から響いた。
祐真の顔が凍りつく。
「……まさか……」
「覚えてる? あの夜、私を置いていったの」
声は確かに、幼い女の子のものだった。
春香が息を呑む。
「美桜……?」
祐真は、目の奥が熱くなるのを感じた。
「俺は……助けたかった……! でも、あの時──!」
その瞬間、鏡の表面が波打った。
黒い水面のように揺れ、無数の影が浮かび上がる。
その中に、赤い着物を着た少女の姿。
──紅葉だった。
紅葉は鏡の向こうで、ゆっくりと微笑んでいた。
「お母さん……返したよ」
春香の心臓が止まるような痛みとともに、彼女の身体が祠の方へ吸い寄せられる。
「春香さん!」
祐真が叫び、腕を掴んだ。
だが鏡から伸びた“何か”が、春香の足首を絡め取る。
白く細い腕──それは紅葉のものに見えた。
「お母さん、もう大丈夫。今度は私が行く番」
祐真が銃を抜こうとした瞬間、鏡の中から“鈴の音”が鳴った。
チリ……ン。
音と同時に、祠全体が悲鳴を上げるように軋んだ。
美奈が泣き叫ぶ。
「紅葉ちゃん、やめて! 戻ってきて!」
紅葉の目が、一瞬だけ美奈を見た。
涙のような光が頬を伝い、そして──その姿は闇に溶けた。
鏡が、静かに割れた。
祠の中に、風が吹き抜ける。
鈴の音だけが、長く長く、夜の森に響いていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました
大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる