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第146話 名を呼ぶ家(二)
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紙が白く染まった瞬間、部屋の空気が一変した。
まるで、長い間張りつめていた何かが解けていくように、影の揺らぎが弱まっていく。
少女がか細い声でつぶやく。
「……かえすの……? 本当に?」
春香は、震える足を踏ん張りながら頷いた。
恐怖も後悔も全部背負ったまま、それでも前へ進むように。
「ええ。返してもらう。
奪う世界じゃなくて、取り戻す世界で生きたいの。
あの子たちが帰る場所は……森じゃない。この家よ」
影がぴたりと止まった。
少女の黒い瞳に、微かな色が差す。墨のような
闇の奥に、涙の光が滲む。
「……こわいんだよ。
名前がなくなったら、ここにいられない。
いられない私は、どこにも帰れない」
春香はゆっくりと少女に近づいた。 手を伸ばす。触れられる距離で、立ち止まる。
「あなたにも、名前があるはずよ。
誰かが呼んでくれたことのある、本当の名前が。
もし思い出せないなら……いっしょに探す。
帰る場所がないなら、作ればいい。戻ればいい。
“消える子”なんて、いらない」
少女の唇が震えた。
祐真が、影を払いながら声を張り上げる。
「この選び方は間違ってる! 誰かを代わりに置いていくやり方じゃなくて……全員で帰る方法を、俺たちは掴む!」
美奈も叫ぶ。
涙に濡れた目のまま、それでも笑って。
「均衡なんて壊れればいい!
だって、その均衡のために苦しんでた子がいるんだもの!
なら、正しい形に作り替えようよ!」
少女の肩が震え、影がざわめく。
そのざわめきはもう、襲いかかるものではなかった。
迷子の気配に近いものだった。
「……よんで。
もどしたい子たちの名前、もう一度。
ちゃんと、世界に届くように」
春香は息を吸った。
胸の奥でひとつ、鼓動が大きく鳴る。
呼吸とともに、声が紡がれた。
「美桜──! 帰っておいで!」
「紅葉──! 置いてこない、もう二度と!」
白紙になった紙が、ふいに脈動するように震えた
光が差す。
床の影が溶け、闇が霧のように引いていく。
そして──
家中に、小さな鈴の音が響いた。
風鈴のように優しく、春の光をまとった音だった。
少女が顔を上げる。
涙が、一粒だけ落ちる。
「……きこえた。
ふたりの、こえ……帰ろうとしてる」
祐真が警棒を下ろし、荒い息のまま振り返る。
「春香さん……!」
美奈が笑った。崩れ落ちそうな身体で、それでも前を見つめて。
「春香……いける。繋がった……!」
春香はふるふると息をつき、立ち上がる。
目の前に広がる白紙。
そこには何も書かれていない。
だからこそ、書き換えられる。
春香は、声を紡いだ。
「私は迎えに行く。
“残す”選択じゃなく、“連れ帰る”選択をするために。
──この家の名を、呼びなおす」
少女がゆっくりと手を伸ばした。
「じゃあ、扉がひらく。
あなたが“誰の母親なのか”……名前で決めて」
扉の向こうで、風が揺れる音がした。
その風は、森の匂いではなかった。
春の日の、懐かしい家の匂いだった。
次の瞬間──
扉が、静かに音を立てて開いた。
まるで、長い間張りつめていた何かが解けていくように、影の揺らぎが弱まっていく。
少女がか細い声でつぶやく。
「……かえすの……? 本当に?」
春香は、震える足を踏ん張りながら頷いた。
恐怖も後悔も全部背負ったまま、それでも前へ進むように。
「ええ。返してもらう。
奪う世界じゃなくて、取り戻す世界で生きたいの。
あの子たちが帰る場所は……森じゃない。この家よ」
影がぴたりと止まった。
少女の黒い瞳に、微かな色が差す。墨のような
闇の奥に、涙の光が滲む。
「……こわいんだよ。
名前がなくなったら、ここにいられない。
いられない私は、どこにも帰れない」
春香はゆっくりと少女に近づいた。 手を伸ばす。触れられる距離で、立ち止まる。
「あなたにも、名前があるはずよ。
誰かが呼んでくれたことのある、本当の名前が。
もし思い出せないなら……いっしょに探す。
帰る場所がないなら、作ればいい。戻ればいい。
“消える子”なんて、いらない」
少女の唇が震えた。
祐真が、影を払いながら声を張り上げる。
「この選び方は間違ってる! 誰かを代わりに置いていくやり方じゃなくて……全員で帰る方法を、俺たちは掴む!」
美奈も叫ぶ。
涙に濡れた目のまま、それでも笑って。
「均衡なんて壊れればいい!
だって、その均衡のために苦しんでた子がいるんだもの!
なら、正しい形に作り替えようよ!」
少女の肩が震え、影がざわめく。
そのざわめきはもう、襲いかかるものではなかった。
迷子の気配に近いものだった。
「……よんで。
もどしたい子たちの名前、もう一度。
ちゃんと、世界に届くように」
春香は息を吸った。
胸の奥でひとつ、鼓動が大きく鳴る。
呼吸とともに、声が紡がれた。
「美桜──! 帰っておいで!」
「紅葉──! 置いてこない、もう二度と!」
白紙になった紙が、ふいに脈動するように震えた
光が差す。
床の影が溶け、闇が霧のように引いていく。
そして──
家中に、小さな鈴の音が響いた。
風鈴のように優しく、春の光をまとった音だった。
少女が顔を上げる。
涙が、一粒だけ落ちる。
「……きこえた。
ふたりの、こえ……帰ろうとしてる」
祐真が警棒を下ろし、荒い息のまま振り返る。
「春香さん……!」
美奈が笑った。崩れ落ちそうな身体で、それでも前を見つめて。
「春香……いける。繋がった……!」
春香はふるふると息をつき、立ち上がる。
目の前に広がる白紙。
そこには何も書かれていない。
だからこそ、書き換えられる。
春香は、声を紡いだ。
「私は迎えに行く。
“残す”選択じゃなく、“連れ帰る”選択をするために。
──この家の名を、呼びなおす」
少女がゆっくりと手を伸ばした。
「じゃあ、扉がひらく。
あなたが“誰の母親なのか”……名前で決めて」
扉の向こうで、風が揺れる音がした。
その風は、森の匂いではなかった。
春の日の、懐かしい家の匂いだった。
次の瞬間──
扉が、静かに音を立てて開いた。
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