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第69話 光を描く場所
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翌週の放課後。
美術室の窓の外では、沈みかけた陽が桜の若葉を透かしていた。
春の終わりを告げるような風が、カーテンをやさしく揺らしている。
私はその光を見つめながら、いつものように筆を走らせていた。
キャンバスの中心には、まだ名前のない群青。
けれど、前よりもずっと穏やかで、柔らかい色をしている気がした。
「水瀬、少しいいか?」
振り向くと、ドアのところに紺野先生が立っていた。
少し無精ひげを残した顔に、どこか嬉しそうな笑みを浮かべている。
先生は私の絵の前まで来ると、しばらく無言で眺めた。
「……変わったな。」
「え?」
「この絵だ。前よりもずっと“呼吸”をしている。
おまえの迷いが消えたというか、芯が見えるようになった。」
私は少し頬が熱くなるのを感じた。
「そんな……まだ全然未完成で。」
「未完成だからいいんだよ。完成した作品なんて、この世にひとつもない。
だから、俺たちは描き続ける。」
先生は机の上から出品要項の紙を取り出し、私の前に置いた。
「──美術コンクール、出してみろ。」
「えっ……これ、県の?」
「そうだ。おまえの絵なら十分に通用する。いや、そういう結果の話じゃない。
人に見せてみろ。自分の描いた“世界”を。」
私は紙を見つめたまま、しばらく言葉が出なかった。
絵を誰かに見せること。
それは、心の奥を見せることと同じで、怖かった。
だけど、あのとき澪が言ってくれた──「息してる」って言葉が蘇る。
千尋の「伝えたい何かがあるから描くんだよ」という声も。
「……やってみます。」
口にした瞬間、自分でも驚くほど、心がすっと軽くなった。
先生が少し目を細める。
「そうか。水瀬、おまえらしいな。」
その夜、帰り道の途中で、スマホが震えた。
メッセージの送り主は陸だった。
> 『紺野先生から聞いた。すげえじゃん、コンクール出すって。
全力で応援するからな。完成したら見せてくれよ。』
思わず笑ってしまう。
続けて澪からもメッセージが届いた。
> 『やったね、蒼! 絶対見に行く。あたしも、ちょっと誇らしい。』
そして、文芸部の千尋からは短い一文。
> 『“群青色”、どんな言葉をまとっていくのか、楽しみにしてる。』
スマホの光に照らされながら、私は空を見上げた。
暮れかけた群青の空。
まるでキャンバスの続きを、世界が描いてくれているみたいだった。
「……ありがとう、みんな。」
その夜、私はアトリエ代わりの部屋の机に向かい、筆をとった。
静かな部屋に、筆の音と心臓の鼓動だけが響く。
この色の名前を見つけるために。
そして、自分自身を描くために。
──“群青色”は、少しずつ、言葉をまとい始めていた。
美術室の窓の外では、沈みかけた陽が桜の若葉を透かしていた。
春の終わりを告げるような風が、カーテンをやさしく揺らしている。
私はその光を見つめながら、いつものように筆を走らせていた。
キャンバスの中心には、まだ名前のない群青。
けれど、前よりもずっと穏やかで、柔らかい色をしている気がした。
「水瀬、少しいいか?」
振り向くと、ドアのところに紺野先生が立っていた。
少し無精ひげを残した顔に、どこか嬉しそうな笑みを浮かべている。
先生は私の絵の前まで来ると、しばらく無言で眺めた。
「……変わったな。」
「え?」
「この絵だ。前よりもずっと“呼吸”をしている。
おまえの迷いが消えたというか、芯が見えるようになった。」
私は少し頬が熱くなるのを感じた。
「そんな……まだ全然未完成で。」
「未完成だからいいんだよ。完成した作品なんて、この世にひとつもない。
だから、俺たちは描き続ける。」
先生は机の上から出品要項の紙を取り出し、私の前に置いた。
「──美術コンクール、出してみろ。」
「えっ……これ、県の?」
「そうだ。おまえの絵なら十分に通用する。いや、そういう結果の話じゃない。
人に見せてみろ。自分の描いた“世界”を。」
私は紙を見つめたまま、しばらく言葉が出なかった。
絵を誰かに見せること。
それは、心の奥を見せることと同じで、怖かった。
だけど、あのとき澪が言ってくれた──「息してる」って言葉が蘇る。
千尋の「伝えたい何かがあるから描くんだよ」という声も。
「……やってみます。」
口にした瞬間、自分でも驚くほど、心がすっと軽くなった。
先生が少し目を細める。
「そうか。水瀬、おまえらしいな。」
その夜、帰り道の途中で、スマホが震えた。
メッセージの送り主は陸だった。
> 『紺野先生から聞いた。すげえじゃん、コンクール出すって。
全力で応援するからな。完成したら見せてくれよ。』
思わず笑ってしまう。
続けて澪からもメッセージが届いた。
> 『やったね、蒼! 絶対見に行く。あたしも、ちょっと誇らしい。』
そして、文芸部の千尋からは短い一文。
> 『“群青色”、どんな言葉をまとっていくのか、楽しみにしてる。』
スマホの光に照らされながら、私は空を見上げた。
暮れかけた群青の空。
まるでキャンバスの続きを、世界が描いてくれているみたいだった。
「……ありがとう、みんな。」
その夜、私はアトリエ代わりの部屋の机に向かい、筆をとった。
静かな部屋に、筆の音と心臓の鼓動だけが響く。
この色の名前を見つけるために。
そして、自分自身を描くために。
──“群青色”は、少しずつ、言葉をまとい始めていた。
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