私たち、不協和音

菊池まりな

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第21話 沈黙の余韻

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演奏が終わって数日。
 音楽ホールのざわめきも、拍手の余韻も、今はもう遠い記憶のようだった。

 心音は、放課後の音楽室でひとり、譜面台の前に座っていた。
 楽器ケースは開かれているけれど、ヴァイオリンはまだ膝の上。弓は握られていない。

 彼女の視線は、あの《Unspoken Harmony》の楽譜をただ静かに見つめている。

 「──終わって、しまったんだな」

 ぽつりとつぶやいた声は、誰に届くこともない。
 コンクールでの演奏は、まぎれもなく彼女と奏多がひとつになった瞬間だった。
 けれど、終わった今、残ったのは、胸の奥にぽっかりと空いた“空白”だった。

 「心音?」

 そのとき、扉の隙間から覗いたのは、美月だった。
 オーボエのケースを抱えながら、いつものように穏やかな笑みを浮かべている。

 「ひとりで考えごと? ……奏多くんと何かあった?」

 図星を突かれて、心音は少し苦笑した。

 「……ううん。なにも“なかった”から、かもしれない」

 「そっか」

 美月は隣の椅子に腰かけて、自分のケースをそっと開けた。
 オーボエの細く繊細なパーツを丁寧に組み立てるその所作は、まるで自分自身を整えていくようでもあった。

 「もうすぐ、アンサンブル選抜のオーディションだよね」

 「うん……」

 「澄香ちゃんも帰ってくるらしいよ。すごいよね、卒業してからも吹奏楽部に顔出してくれるなんて」

 「……え?」

 その名を聞いた瞬間、心音の指先がぴくりと震えた。




 次の日の放課後。
 校舎の裏庭にある練習棟へ足を向けると、遠くからフルートの音が聴こえてきた。

 透明で、まっすぐで、どこか冷たい。
 まるで空を切り裂くように鋭く、でも痛いほど美しい音だった。

 心音はその音に導かれるように、音楽室の扉をそっと開けた。

 そこには、凛とした立ち姿の少女がいた。
 艶やかな黒髪を後ろでまとめたその横顔は、心音の記憶よりもずっと大人びて見えた。

 「……久しぶりね、心音ちゃん」

 演奏を終えた彼女が振り返る。
 ──澄香。奏多の元恋人であり、かつての音楽的ライバル。

 「澄香……さん」

 言葉が喉につかえる。
 ただの再会じゃない。彼女の存在が、心音にとってどれほど大きな影響を与えてきたか、自分自身が一番よく知っている。

 「聞いたわ。あなたと奏多、組んだんですって?」

 その声には、嘲笑でも羨望でもない、ただ事実を確認するだけの静けさがあった。

 「……はい」

 「そう。――じゃあ、次は私と組んでみる?」

 澄香の言葉に、心音は一瞬息を呑んだ。

 「え……?」

 「私は、もう学生じゃない。でもこの学校に来たのは、ある目的があってなの。
 アンサンブル選抜の課題曲を、五重奏に変えるつもり。あなたのヴァイオリンが、どう響くのか、知りたくて」

 フルートを持った澄香の目は、まるで音で語るように真っ直ぐだった。

 その瞬間、扉の外で気配が動いた。
 誰かが、立ち聞いていた──

 心音が振り向くと、そこにいたのは、陸だった。チェロケースを背負ったまま、微妙な表情を浮かべている。

 「……そっか。澄香さんも来てたんだね」

 言葉は柔らかいけれど、どこか寂しそうで、遠い。

 「ねえ、心音。今度、一緒に弾かない? 五重奏、って話があるんだ」

 その誘いに、心音は返事をしないまま、ふたりの視線を交互に見つめた。




演奏のあとの余韻の中で、
また新たな“音の選択”が心音の前に現れた。

奏多と、陸と、澄香と、美月と。
ふたたびひとつの音楽を紡ぐには、過去の思いとどう向き合うのか──

その答えは、まだ音にならない。
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