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第1話:雨に濡れた獣の視線 (羽瀬 紬視点)
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冷たい雨が、ビルの谷間を叩きつける夜だった。
羽瀬 紬、二十歳。今日が、高級ラウンジ『LUXE』での初出勤だった。
借金で首が回らなくなった。母の入院費を稼ぐために、勇気を出して飛び込んだ夜の仕事。キャバクラよりはソフトだと聞いていたけれど、ドレスに着替えさせられ、ハイヒールで立たされた瞬間から、足が震えて仕方なかった。
「……羽瀬さん、こちらです」
マネージャーの声に促され、個室の扉を開ける。そこにいたのは、たった一人の客。
黒のスーツに身を包んだ、長身の男。照明を落とした部屋の中で、ソファに深く腰掛けた彼の姿は、まるで闇に溶け込む獣のようだった。
佐伯 陽一。知らない人はいない、国民的アイドルグループ『SOLARIS』のセンター。
テレビやステージで見る彼は、完璧に磨き上げられた王子様の笑顔を振りまく存在だったのに、今、目の前にいる男は全く別物だった。
高く整った鼻筋、鋭く切り込まれたような眉、薄く引き結ばれた唇。
黒髪は少し長めに伸ばされ、照明の僅かな光を受けて艶やかに濡れたように輝いている。
肌は雪のように白く、頬骨のラインが影を落とすたび、顔立ちの立体感が際立つ。
長身を包む黒のスーツは体にぴったりと沿い、肩幅の広さと腰の細さを強調していた。
でも、一番息を呑むのはその瞳だ。
深い黒の虹彩に、獲物を狙う肉食獣のように静かで、底知れぬ執着を隠した、危険な色を帯びた視線。
テレビで見るよりずっと鋭く、冷たく、息を呑むほど美しい――
いや、美しいだけじゃない。
この男は、触れたものをすべて自分の色に染め上げてしまいそうな、圧倒的な存在感を放っていた。
どうしてこんなVIPが、こんな時間に一人で?疑問を抱く間もなく、マネージャーが去り、扉が閉まった。
二人きり。
「お客様……初めまして、紬と申します。本日は、よろしくお願い、いたします」
声が、途中でかすれてしまった。
最後の「いたします」が小さく震えて、まるで子猫の鳴き声みたいに聞こえたかもしれない。
恥ずかしくて、慌てて俯く。
精一杯の笑顔を作ろうとした。だけども、唇がうまく上がらない。
引き攣ったような、ぎこちない表情になっていることは自分でもわかる。
隣に腰を下ろすとき、膝がガクガク震えた。ソファのクッションに座る瞬間は、軽くよろめいてしまった。
「あっ……す、すみません……!」
小さな声で謝って、急いで姿勢を正す。
ドレスの裾を両手でぎゅっと握りしめ、指先が白くなるほど力を込めた。これで震えが伝わらないように、必死で隠しているつもりなのに、きっと全部、この人には見透かされている。
心臓がうるさすぎて、自分の鼓動が部屋中に響いてるんじゃないかと怖くなる。お酒を注ごうとして、手が震えてグラスを軽く鳴らしてしまった。
「……まだ、慣れていなくて……その、初めてで……」
言葉がこぼれ落ちる。余計なこと言っていることはわかっている。緊張で口が止まらない。視線を上げられない。でも、横顔だけは感じる。この人が、じっと私を見ていること。
静かで、熱い視線で、まるで逃がさないって言っているみたいに。
(だめ、笑顔。お店で教わった通りに……)
必死で顔を上げて、笑顔を貼り付けようとした。
でも、目が合った瞬間、この人の瞳が、深くて、暗くて、吸い込まれそうで。笑顔なんて、すぐに崩れてしまった。きっと、今の私は、すごくオドオドしている。
夜職なんて初めてで、こんな高級な場所にも、こんな綺麗な人にも、慣れていないのが丸わかりだ。
でも、もう後戻りできない。
ドレスの裾を握る手が、汗ばんでいくのを感じながら、紬はただ、震えを隠すことしかできなかった。
雨で少し濡れた髪のまま出勤してしまったせいで、肩口が冷たい。
ドレスの胸元も、雨粒で濡れて肌に張りついているのが自分でもわかる。恥ずかしくて、そっと腕で隠そうとした瞬間、男の視線が、鋭く刺さった。
(……何?この目)
ただの客の目じゃない。
まるで獲物を値踏みするような、熱を孕んだ視線。
私の背筋に、ぞくりと電流が走る。
「お姉さん、雨に濡れたまま?」
低く、甘く響く声。彼は立ち上がると、自分のスーツのジャケットを脱ぎ、私の肩にふわりとかけた。
男の匂いがする、熱を持った生地。
「寒くないか?」
「ありがとう、ございます……」
「名前は?」
「羽瀬……紬、です」
「紬……いい名前だ」
「今日は俺だけだ。他の客は来ない。金で解決した」
さらりと告げられた言葉に、この人は、何でも手に入れられる人なんだ。
再び隣に座った彼の膝が、私の膝と触れ合う。近すぎて、心臓が爆発しそうだ。
「震えてるな。怖いか?」
「い、いえ……ただ、本当に、初めてで……」
「初めて?」
「なら、俺が教えてやるよ」
低く、耳元で囁かれたその声は、甘く濡れたウイスキーの香りと一緒に、私の鼓膜を震わせる。
次の瞬間、彼の長い指が、私の濡れた髪に滑り込んできた。
冷たい雨粒を拭うような、優しい動き。
でも、その指先は髪を梳くだけでなく、頭皮に軽く触れ、首筋へとゆっくり降りてきて、まるで逃がさないと宣言するように、私の動きを封じ込める。
彼の視線が、私を真正面から射抜く。
深い黒の瞳に、自分の震える姿が映っているのがわかる。
逃げたいのに、逃げられない。
体が熱くなって、膝が内側に寄ってしまう。
(この人……本当に、教えてくれるの?夜の仕事のことだけじゃ、ない気がする)
甘い、でもどこか獣のような匂いが、すぐ近くで漂う。
彼はゆっくりとグラスを傾け、喉を鳴らしてウイスキーを飲み干した。
その喉仏が上下する様子を、なぜか目が離せなかった。
飲み終えたグラスをテーブルに置く音が、静かな部屋に小さく響く。
そして、彼の視線が再び私に戻ってきたとき、私は確信した。
この人は、私をただのコンパニオンとして見ていない。もっと深く、もっと重く、私の全部を自分のものにしたいと、欲している。
雨音が激しくなる中、私の胸の奥で、何かが静かに、でも確実に目を覚まし始めていた。
これは、もう普通の接客じゃない。
逃げられない、甘く危険な日々の、始まりだ。
羽瀬 紬、二十歳。今日が、高級ラウンジ『LUXE』での初出勤だった。
借金で首が回らなくなった。母の入院費を稼ぐために、勇気を出して飛び込んだ夜の仕事。キャバクラよりはソフトだと聞いていたけれど、ドレスに着替えさせられ、ハイヒールで立たされた瞬間から、足が震えて仕方なかった。
「……羽瀬さん、こちらです」
マネージャーの声に促され、個室の扉を開ける。そこにいたのは、たった一人の客。
黒のスーツに身を包んだ、長身の男。照明を落とした部屋の中で、ソファに深く腰掛けた彼の姿は、まるで闇に溶け込む獣のようだった。
佐伯 陽一。知らない人はいない、国民的アイドルグループ『SOLARIS』のセンター。
テレビやステージで見る彼は、完璧に磨き上げられた王子様の笑顔を振りまく存在だったのに、今、目の前にいる男は全く別物だった。
高く整った鼻筋、鋭く切り込まれたような眉、薄く引き結ばれた唇。
黒髪は少し長めに伸ばされ、照明の僅かな光を受けて艶やかに濡れたように輝いている。
肌は雪のように白く、頬骨のラインが影を落とすたび、顔立ちの立体感が際立つ。
長身を包む黒のスーツは体にぴったりと沿い、肩幅の広さと腰の細さを強調していた。
でも、一番息を呑むのはその瞳だ。
深い黒の虹彩に、獲物を狙う肉食獣のように静かで、底知れぬ執着を隠した、危険な色を帯びた視線。
テレビで見るよりずっと鋭く、冷たく、息を呑むほど美しい――
いや、美しいだけじゃない。
この男は、触れたものをすべて自分の色に染め上げてしまいそうな、圧倒的な存在感を放っていた。
どうしてこんなVIPが、こんな時間に一人で?疑問を抱く間もなく、マネージャーが去り、扉が閉まった。
二人きり。
「お客様……初めまして、紬と申します。本日は、よろしくお願い、いたします」
声が、途中でかすれてしまった。
最後の「いたします」が小さく震えて、まるで子猫の鳴き声みたいに聞こえたかもしれない。
恥ずかしくて、慌てて俯く。
精一杯の笑顔を作ろうとした。だけども、唇がうまく上がらない。
引き攣ったような、ぎこちない表情になっていることは自分でもわかる。
隣に腰を下ろすとき、膝がガクガク震えた。ソファのクッションに座る瞬間は、軽くよろめいてしまった。
「あっ……す、すみません……!」
小さな声で謝って、急いで姿勢を正す。
ドレスの裾を両手でぎゅっと握りしめ、指先が白くなるほど力を込めた。これで震えが伝わらないように、必死で隠しているつもりなのに、きっと全部、この人には見透かされている。
心臓がうるさすぎて、自分の鼓動が部屋中に響いてるんじゃないかと怖くなる。お酒を注ごうとして、手が震えてグラスを軽く鳴らしてしまった。
「……まだ、慣れていなくて……その、初めてで……」
言葉がこぼれ落ちる。余計なこと言っていることはわかっている。緊張で口が止まらない。視線を上げられない。でも、横顔だけは感じる。この人が、じっと私を見ていること。
静かで、熱い視線で、まるで逃がさないって言っているみたいに。
(だめ、笑顔。お店で教わった通りに……)
必死で顔を上げて、笑顔を貼り付けようとした。
でも、目が合った瞬間、この人の瞳が、深くて、暗くて、吸い込まれそうで。笑顔なんて、すぐに崩れてしまった。きっと、今の私は、すごくオドオドしている。
夜職なんて初めてで、こんな高級な場所にも、こんな綺麗な人にも、慣れていないのが丸わかりだ。
でも、もう後戻りできない。
ドレスの裾を握る手が、汗ばんでいくのを感じながら、紬はただ、震えを隠すことしかできなかった。
雨で少し濡れた髪のまま出勤してしまったせいで、肩口が冷たい。
ドレスの胸元も、雨粒で濡れて肌に張りついているのが自分でもわかる。恥ずかしくて、そっと腕で隠そうとした瞬間、男の視線が、鋭く刺さった。
(……何?この目)
ただの客の目じゃない。
まるで獲物を値踏みするような、熱を孕んだ視線。
私の背筋に、ぞくりと電流が走る。
「お姉さん、雨に濡れたまま?」
低く、甘く響く声。彼は立ち上がると、自分のスーツのジャケットを脱ぎ、私の肩にふわりとかけた。
男の匂いがする、熱を持った生地。
「寒くないか?」
「ありがとう、ございます……」
「名前は?」
「羽瀬……紬、です」
「紬……いい名前だ」
「今日は俺だけだ。他の客は来ない。金で解決した」
さらりと告げられた言葉に、この人は、何でも手に入れられる人なんだ。
再び隣に座った彼の膝が、私の膝と触れ合う。近すぎて、心臓が爆発しそうだ。
「震えてるな。怖いか?」
「い、いえ……ただ、本当に、初めてで……」
「初めて?」
「なら、俺が教えてやるよ」
低く、耳元で囁かれたその声は、甘く濡れたウイスキーの香りと一緒に、私の鼓膜を震わせる。
次の瞬間、彼の長い指が、私の濡れた髪に滑り込んできた。
冷たい雨粒を拭うような、優しい動き。
でも、その指先は髪を梳くだけでなく、頭皮に軽く触れ、首筋へとゆっくり降りてきて、まるで逃がさないと宣言するように、私の動きを封じ込める。
彼の視線が、私を真正面から射抜く。
深い黒の瞳に、自分の震える姿が映っているのがわかる。
逃げたいのに、逃げられない。
体が熱くなって、膝が内側に寄ってしまう。
(この人……本当に、教えてくれるの?夜の仕事のことだけじゃ、ない気がする)
甘い、でもどこか獣のような匂いが、すぐ近くで漂う。
彼はゆっくりとグラスを傾け、喉を鳴らしてウイスキーを飲み干した。
その喉仏が上下する様子を、なぜか目が離せなかった。
飲み終えたグラスをテーブルに置く音が、静かな部屋に小さく響く。
そして、彼の視線が再び私に戻ってきたとき、私は確信した。
この人は、私をただのコンパニオンとして見ていない。もっと深く、もっと重く、私の全部を自分のものにしたいと、欲している。
雨音が激しくなる中、私の胸の奥で、何かが静かに、でも確実に目を覚まし始めていた。
これは、もう普通の接客じゃない。
逃げられない、甘く危険な日々の、始まりだ。
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