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第2章:公の役割(オフィシャル・ロール)
第35話:一つ目のドレス
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エントランスで瑛斗の母、冴子との対話が終わり、私は逃げるようにゲスト棟の自分の部屋へ戻った。
私が留守している間に運び込まれたのであろう。
部屋の真ん中に、真っ白な大きな箱が置かれていた。
普通の幸せな婚約者なら、瑛斗からのサプライズだと喜ぶかもしれない。けれど、今の私にとってそれは、不気味な箱にしか見えなかった。
神谷家は、人が人ではなくなるほど、外聞と序列を重んじる家。この箱の中身は、爆弾だろうか。それとも、蓋を開けた瞬間に私を嘲笑うような、呪いの藁人形でも入っているのだろうか。
人を呼ぶ?
いや、本当に藁人形だったら「神谷家の恥だ」と言われるかもしれない。
自分で開ける?
怖いけど、消去法でいくと、いや、消去法どころか二択しかないのに、私は何を考えているのだろう。
開けるしかない。
サスペンスじゃあるまいし……そう思おうとしても、足は震えていた。
真っ白な箱へ歩み寄る。
それでも、怖いものは、怖い。
手を出しては、手を引っ込める。
そんなことを何度か繰り返した。
触れた瞬間、もう後戻りできなくなる気がする。
指先が自分のものじゃないみたいに冷たかった。
期待と不安が交互に現れる中、最高級のシルクのリボンを解いた。蓋を開けた瞬間、眩しいばかりの光が溢れた。
「えっ……」
藁人形どころか、そこにあったのは透き通るような純白のシフォンドレスだった。まるで朝露を纏った妖精が着るような、儚く、美しい一着。思わず本音が漏れる。
「……綺麗」
あれほど怯えていたのに、いざ目の前に現れた美しさに、胸の奥がふっと緩む。
嬉しさの方が勝った気がした。ほんの一瞬だけ、普通の女の子に戻れた気がする。
けれど、すぐに現実が追いついてくる。
既に瑛斗と一緒に、ガラの日に着ていくドレス一式は購入済み。
つまり、これは瑛斗からのサプライズではない。
だとすると、この部屋に私より早くたどり着ける人物……?
思いつく名前が、次々と頭の中に浮かんでは消えていく。
瑛斗?
まだ、会社にいるはず。
日高か桐谷?
いや、今日は予定があるから私は蓮と帰宅した。
もちろん蓮は、違う。一緒に居たのだから。
志保?
いや、確かまだ帰宅していないはず。
瑛斗の祖母……?
まだ一度も会ったことがない。この家に来てから、家族の顔合わせすらないままガラを迎えるなんて、普通じゃない。
その見えない存在が動いているのだとしたら……それが一番怖い。
じゃぁ、冴子?
エントランスで会ったのも、このドレスを置くためだったのかもしれない。そう言えば、さっき『神谷の看板に泥を塗るようなことは、許さない』、『私の味方でいるべき』と冴子は言っていた。
そう自分に問いかけた瞬間、ドレスの裾に挟まっていた小さなカードに気づいた。
美しいカリグラフィーで、たった二行。
『私の可愛い奈月ちゃんへ。
神谷の人形として、輝いてちょうだいね』
「……神谷の、人形?」
その瞬間、頭の中に先ほど想像した藁人形のイメージが重なった。箱を開ける前に怯えていた、あの呪いの形代。
(生きたまま、神谷家に捧げられた藁人形?)
志保なのか、冴子なのか……
どちらにしても、私は生身の人間じゃないということだ。それに、この呼び方も気になる。
私は、ドレスの入った箱を突き放すようにして後ろへ下がった。
その時、静かな部屋に、ノック音が響いた。
コン、コン――。
「失礼いたします、奈月様。
……さらに、お届け物が参っております」
その声は、聞き慣れた日高や桐谷のものではない。
扉を開けると、そこに立っていたのは、神谷邸で一度も目にしたことがない、無表情な中年の女性使用人らしき人だった。両手には、先ほどの真っ白な大きな箱と同じような大きさの漆黒の漆塗り箱が抱えられていた。
(次は……黒?)
「……誰からか、お聞きしていますか?」
震える声で尋ねる私に、女性使用人は視線を合わせることもなく淡々と答えた。
「送り主様のお名前は、承っておりません。
ただ、『しかるべき者が、しかるべき礼装を』とのことです」
しかるべき者。
誰が言ったのか分からないからこそ、余計に怖い。
女性使用人は黒い箱を部屋の入り口に置くと、音もなく去っていった。箱の蓋の隙間から、かすかに甘い香水の匂いが漂ってきた。
(ついさっきまで一緒にいた、冴子の匂い?)
部屋の真ん中に置かれた、真っ白な大きな箱。そして、入り口を塞ぐように置かれた、真っ黒な大きな箱。
どちらを見ても、今の私には恐怖と力関係の圧力としか思えない。
ガラまで残すところ三日。
けれど、当日を迎える前に私の心はもう、粉々に砕け散ってしまいそうだ。
二つ目の箱は、開けてみる?
私が留守している間に運び込まれたのであろう。
部屋の真ん中に、真っ白な大きな箱が置かれていた。
普通の幸せな婚約者なら、瑛斗からのサプライズだと喜ぶかもしれない。けれど、今の私にとってそれは、不気味な箱にしか見えなかった。
神谷家は、人が人ではなくなるほど、外聞と序列を重んじる家。この箱の中身は、爆弾だろうか。それとも、蓋を開けた瞬間に私を嘲笑うような、呪いの藁人形でも入っているのだろうか。
人を呼ぶ?
いや、本当に藁人形だったら「神谷家の恥だ」と言われるかもしれない。
自分で開ける?
怖いけど、消去法でいくと、いや、消去法どころか二択しかないのに、私は何を考えているのだろう。
開けるしかない。
サスペンスじゃあるまいし……そう思おうとしても、足は震えていた。
真っ白な箱へ歩み寄る。
それでも、怖いものは、怖い。
手を出しては、手を引っ込める。
そんなことを何度か繰り返した。
触れた瞬間、もう後戻りできなくなる気がする。
指先が自分のものじゃないみたいに冷たかった。
期待と不安が交互に現れる中、最高級のシルクのリボンを解いた。蓋を開けた瞬間、眩しいばかりの光が溢れた。
「えっ……」
藁人形どころか、そこにあったのは透き通るような純白のシフォンドレスだった。まるで朝露を纏った妖精が着るような、儚く、美しい一着。思わず本音が漏れる。
「……綺麗」
あれほど怯えていたのに、いざ目の前に現れた美しさに、胸の奥がふっと緩む。
嬉しさの方が勝った気がした。ほんの一瞬だけ、普通の女の子に戻れた気がする。
けれど、すぐに現実が追いついてくる。
既に瑛斗と一緒に、ガラの日に着ていくドレス一式は購入済み。
つまり、これは瑛斗からのサプライズではない。
だとすると、この部屋に私より早くたどり着ける人物……?
思いつく名前が、次々と頭の中に浮かんでは消えていく。
瑛斗?
まだ、会社にいるはず。
日高か桐谷?
いや、今日は予定があるから私は蓮と帰宅した。
もちろん蓮は、違う。一緒に居たのだから。
志保?
いや、確かまだ帰宅していないはず。
瑛斗の祖母……?
まだ一度も会ったことがない。この家に来てから、家族の顔合わせすらないままガラを迎えるなんて、普通じゃない。
その見えない存在が動いているのだとしたら……それが一番怖い。
じゃぁ、冴子?
エントランスで会ったのも、このドレスを置くためだったのかもしれない。そう言えば、さっき『神谷の看板に泥を塗るようなことは、許さない』、『私の味方でいるべき』と冴子は言っていた。
そう自分に問いかけた瞬間、ドレスの裾に挟まっていた小さなカードに気づいた。
美しいカリグラフィーで、たった二行。
『私の可愛い奈月ちゃんへ。
神谷の人形として、輝いてちょうだいね』
「……神谷の、人形?」
その瞬間、頭の中に先ほど想像した藁人形のイメージが重なった。箱を開ける前に怯えていた、あの呪いの形代。
(生きたまま、神谷家に捧げられた藁人形?)
志保なのか、冴子なのか……
どちらにしても、私は生身の人間じゃないということだ。それに、この呼び方も気になる。
私は、ドレスの入った箱を突き放すようにして後ろへ下がった。
その時、静かな部屋に、ノック音が響いた。
コン、コン――。
「失礼いたします、奈月様。
……さらに、お届け物が参っております」
その声は、聞き慣れた日高や桐谷のものではない。
扉を開けると、そこに立っていたのは、神谷邸で一度も目にしたことがない、無表情な中年の女性使用人らしき人だった。両手には、先ほどの真っ白な大きな箱と同じような大きさの漆黒の漆塗り箱が抱えられていた。
(次は……黒?)
「……誰からか、お聞きしていますか?」
震える声で尋ねる私に、女性使用人は視線を合わせることもなく淡々と答えた。
「送り主様のお名前は、承っておりません。
ただ、『しかるべき者が、しかるべき礼装を』とのことです」
しかるべき者。
誰が言ったのか分からないからこそ、余計に怖い。
女性使用人は黒い箱を部屋の入り口に置くと、音もなく去っていった。箱の蓋の隙間から、かすかに甘い香水の匂いが漂ってきた。
(ついさっきまで一緒にいた、冴子の匂い?)
部屋の真ん中に置かれた、真っ白な大きな箱。そして、入り口を塞ぐように置かれた、真っ黒な大きな箱。
どちらを見ても、今の私には恐怖と力関係の圧力としか思えない。
ガラまで残すところ三日。
けれど、当日を迎える前に私の心はもう、粉々に砕け散ってしまいそうだ。
二つ目の箱は、開けてみる?
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