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第1章:一輪の紅梅の花
その三
しおりを挟む庭園の最奥、常に静寂に包まれた梅華宮。その南東の角には、陽光を最大限に取り込むために作られた大きな温室が、宮の離れのように突き出している。
そこは、美淑妃が外部との接触を絶ち、花や植木、植物に薬草や毒草の研究に没頭する美淑妃専用に作られた場所だ。
「美淑妃、百の兵が笑って事切れた件はどうなりましたか」
「厳牙殿、戦場の兵たちが握っていたのもこれと同じ花でしたか?」
「ああ。間違いない。……あの悍ましい紫だ」
美淑は、厳牙が持ち帰った紅梅の花を硝子板に置き、鋭い小刀を手に取った。
紅梅の庭師は、既存の薬剤を塗っただけの子供騙し。けれど、これを作った者は、本当は何をしようとしていたのか。
そんなことを考えながら、美淑は手際よく花を解体する。花弁を剥ぎ、不自然に肥大した子房を切り裂くと、中からねっとりとした無色の汁が溢れ出した。
それを乳棒ですり潰すと、温室の中に、どこか肉が腐ったような、甘ったるく鼻を突く匂いが立ち込める。
美淑は小さなアルコール灯に火を灯し、試験管に入れた抽出液を炙った。透明だった液が、熱を帯びるにつれてドロリとした飴色の油へと変わった。さらに熱を加えると、不気味な鮮黄色の沈殿物を生じさせる。
呼吸が止まるその瞬間まで、理由もわからず笑い転げる毒草と言えば、ドクゼリとチョウセンアサガオであろう。
ドクゼリの根に含まれる毒素、シクトキシンとチョウセンアサガオの種子を合わせ、アルコールで煮詰める。
その黄色い一滴を銀の皿に垂らした。銀の皿の上で、黄色い液はシュウシュウと音を立てて泡立ち、皿の表面を黒く変色させていく。絶命させる猛毒となるのだ。
「兵器の完成だ」
美淑は、黒ずんだ銀の皿を愛おしそうに眺め、満足げな自画自賛の表情を浮かべた。だが、そこに厳牙がいることを思い出し、即座に我に返ると、いつもの酷く冷めた目つきへと戻った。
ドクゼリは湿地を、チョウセンアサガオは日当たりの良い荒れ地を好む。北の離宮、温室の裏手には常に水が淀んだ湿地があった。そこでこれらを密かに育て、紅梅に塗り付けたのであろう。
土地の利を教え込み、毒の質を高める特殊な肥料を与え、ただの老庭師を無慈悲な殺人鬼に変えた誰かが、必ず背後にいるはずだ。この国に存在しないはずの種を、持ち込んだ者がいる。
王弟・蒼 嵐の時と同じだが、単に命を奪うだけなら、もっと確実で簡便な毒はいくらでもある。
だが、この笑いの毒を選んだのはなぜか。それは、死にゆく者の尊厳を奪い、生き残った者に拭い去れぬ恐怖を刻みつけるため……いわば、この毒の製作者による力の誇示ではないか。
戦場を実験場に変え、王宮をその成果の発表の場に選んだ。そんな、吐き気を催すような傲慢な悪意が、この紫の花弁の裏には張り付いている。出所が分かれば解決するであろう。
「……厳牙殿、肥料の出所を突き止めれば、撒いた主が分かるであろう」
厳牙は、皿に残った黒い染みを一瞥し、短く息を吐いた。
「……承知した。肥料の流通、および北の湿地に出入りしていた者の洗い出しは我ら禁軍が行う。美淑妃、貴女の眼がなければ、我らは目に見えぬ怪物にただ蹂躙されるだけだった」
厳牙は一度、美淑を真っ直ぐに見据えた。そこにはかつての蔑みはなく、底知れぬ深淵を覗くような、畏怖の混じった敬意があった。
厳牙は深く一礼すると、重い鎧の音を響かせながら背を向けた。
「肥料の出所を突き止め次第、また参ります」
厳牙の足音が温室の外へ遠ざかり、再び静寂が戻る。
私はすぐさま手元の水晶玉へと意識を戻した。
西日に照らされた紅梅の断面は、まるで熟した果実のように赤黒く、官能的なまでに美しい。正義感に駆られた厳牙には、私がこの謎を解くことが救いに見えているのかもしれない。
けれど、そんなものは誤解だ。
この国を救いたいわけでも、悪を正したいわけでもない。ただ、私にしか見えない謎の系譜を辿り、この美しくも悍ましい糸を紡ぎ出した指先の主を引きずり出したいだけ。
(さあ……追いかけっこを始めましょうか)
愛おしむように小刀を花弁へ滑らせた。これほどまでの悪意を編み上げた同類に会えるのなら、地獄の果てまででも、この香りを追いかけていくつもりだ。
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