後宮御用達、月影宮の宿

YOR

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第一章:内侍の禁忌

第1話 (1-1):夜鷹・内侍

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帝王第二十代・白蓮京びゃくれんきょう七年。

病に伏す王の枕元で、私、夜鷹よたかは今日も内侍としての務めを淡々とこなしていた。
……いや、淡々とこなしている“ふり”と言った方が正確かもしれない。
このところ王の容態は右肩下がり、機嫌も比例して悪化する一方。近しい者は皆避ける。結局、残されるのは私のような暇と根性のある内侍だけだ。

「月影宮へ行け。そこにいる者を、連れ戻せ」

王の命は、相変わらず簡潔で、今回は特に意味不明だった。
乾いた唇から絞り出されたその言葉を、私は頭の中で三度ほど反芻したが、残念ながらやはり意味不明のままだった。

月影宮。
十数年前の事件以降、誰も寄りつかない廃宮である。
そこに“いる者”を連れ戻せ?
いるはずがない。まあ、幽霊でも拾ってこいというなら話は別だが、さすがに業務外だ。

……何より不思議なのは、なぜその役目が“私”なのかということだ。
内侍は王の影。雑務も密命もこなすが、廃宮でかくれんぼをする仕事は、聞いたことがない。

私は柳家の生まれだ。今や没落貴族の烙印を押された家系だが、私にとってはむしろ便利な名札だ。
家門再興のため、学問も軍略も外交も、ついでに一般人が聞いたら眉をひそめるような覚悟も引き受け、内侍となった。その結果、王の孤独と秘密を預かる役を任されたわけだが……まさか幽霊屋敷の調査員まで業務に含まれているとは、予想外だった。

王宮の中央通りを避け、裏の回廊へと歩を進める。
月影宮へ向かう道は、相変わらず陰気だ。華やかな王宮の端に、こんな場所が存在していること自体、ちょっとした怪談である。
光は途切れ、苔むした石畳が靴にまとわりつく。
正直、引き返したい気持ちは山ほどあるが、王命は王命だ。

(さて、誰もいないはずの宮で……いやほんと、せめてヒントくらい欲しいものだな)

王宮の隅、人の気配が消えた回廊の曲がり角で、不意に声がかかった。

夜鷹よたか。そんな顔をして、どこへ向かうのだ」

振り向くと、内侍府時代からの悪友――朱炎しゅえんが立っていた。
相変わらず人の表情を読むのが早い。いや、私の顔がそんなに分かりやすいのだろうか。

「王命でな。月影宮へ」
そう告げると、朱炎しゅえんは予想以上に大きく目を見開き、次の瞬間には声を潜めた。

「月影宮か……よりによって、あの宮へ。王命とはいえ、ご苦労だ。だが、気をつけろ。あそこは血腥い因縁の宮だ」

……血腥い。
その言葉、できれば今日の行き先が確定する前に聞きたかった。

朱炎しゅえんは周囲を警戒しながら、月影貴妃つきかげきひの噂を語り始めた。
かつての貴妃は、二十代前半にしてこの世の者とは思えぬ美貌、冷静で知的――見た者すべてを虜にしたという。

もちろん私は見たことがない。
見たら虜になるらしいが、幸いにも私は俗世の恋愛で身を滅ぼす予定はない……たぶん。

もう一つの噂は、もっと厄介だった。
彼女は何かの事件に巻き込まれ、宮を去った――死んだ、と。
若すぎる死だと嘆く声は多かったらしいが、美貌ゆえの妬みで命を落とすというのは、後宮では珍しくもない。

朱炎しゅえんは深刻な表情で言った。
「……夜鷹よたか、貴族の出のお前でも、あの妃に触れることは許されない。禁忌なのだぞ。決して惑わされるな」

惑わされるな、か。
幽霊相手にどう惑わされるというのか、ぜひ具体例を添えて説明してほしいものだ。
しかし朱炎しゅえんの本気の顔を見る限り、笑い飛ばしていい話でもなさそうだ。

「何事もなければいいがな」
と返し、私は歩を速めた。

月影宮に近づくと、長らく開かれなかったであろう門が重々しい鉄鎖で封じられていた。
門番二名は無表情で見張っていたが、私が近づくと槍を傾け、門番二名のうち一人が言った。

「この先へは、お通しできません」

「王命だ。内侍・夜鷹よたかだ」
巻物を見せると、門番は眉をかすかに動かしたが、すぐに槍を下げた。
鎖が軋みを上げながら解かれていく音が、やけに嫌な予兆に聞こえる。

内側に踏み入れた瞬間、空気が変わった。湿り、冷え、重く、肌に張り付く。
王宮と同じ敷地かどうか疑いたくなるほどの違いだ。
石畳は苔むし、鬱蒼とした木々が月光を遮っている。風の気配すらない。

(……本当に、こんな場所に“誰か”いるのか?)

灯籠のわずかな光を頼りに、宮の奥へと進む。

扉が、ひとりでに開いた。

……もう帰っていいだろうか。
そんな弱気を押しつぶしつつ、私は恐る恐る一歩を踏み入れた。

先ほどまでの荒れた外観とは打って変わり、目の前に広がったのは、月光を浴びて輝く大殿だった。まるで昨夜建て直したばかりです、と言わんばかりの新しさ。
灯籠の火はゆらめき、どこからか琴の音まで流れてくる。
おまけに道筋には香が焚かれ、まるで主賓を迎える準備万端という様子だ。

(……廃宮って、こういう意味だっただろうか?)



(つづく)
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