1 / 5
第一章:内侍の禁忌
第1話 (1-1):夜鷹・内侍
しおりを挟む
帝王第二十代・白蓮京七年。
病に伏す王の枕元で、私、夜鷹は今日も内侍としての務めを淡々とこなしていた。
……いや、淡々とこなしている“ふり”と言った方が正確かもしれない。
このところ王の容態は右肩下がり、機嫌も比例して悪化する一方。近しい者は皆避ける。結局、残されるのは私のような暇と根性のある内侍だけだ。
「月影宮へ行け。そこにいる者を、連れ戻せ」
王の命は、相変わらず簡潔で、今回は特に意味不明だった。
乾いた唇から絞り出されたその言葉を、私は頭の中で三度ほど反芻したが、残念ながらやはり意味不明のままだった。
月影宮。
十数年前の事件以降、誰も寄りつかない廃宮である。
そこに“いる者”を連れ戻せ?
いるはずがない。まあ、幽霊でも拾ってこいというなら話は別だが、さすがに業務外だ。
……何より不思議なのは、なぜその役目が“私”なのかということだ。
内侍は王の影。雑務も密命もこなすが、廃宮でかくれんぼをする仕事は、聞いたことがない。
私は柳家の生まれだ。今や没落貴族の烙印を押された家系だが、私にとってはむしろ便利な名札だ。
家門再興のため、学問も軍略も外交も、ついでに一般人が聞いたら眉をひそめるような覚悟も引き受け、内侍となった。その結果、王の孤独と秘密を預かる役を任されたわけだが……まさか幽霊屋敷の調査員まで業務に含まれているとは、予想外だった。
王宮の中央通りを避け、裏の回廊へと歩を進める。
月影宮へ向かう道は、相変わらず陰気だ。華やかな王宮の端に、こんな場所が存在していること自体、ちょっとした怪談である。
光は途切れ、苔むした石畳が靴にまとわりつく。
正直、引き返したい気持ちは山ほどあるが、王命は王命だ。
(さて、誰もいないはずの宮で……いやほんと、せめてヒントくらい欲しいものだな)
王宮の隅、人の気配が消えた回廊の曲がり角で、不意に声がかかった。
「夜鷹。そんな顔をして、どこへ向かうのだ」
振り向くと、内侍府時代からの悪友――朱炎が立っていた。
相変わらず人の表情を読むのが早い。いや、私の顔がそんなに分かりやすいのだろうか。
「王命でな。月影宮へ」
そう告げると、朱炎は予想以上に大きく目を見開き、次の瞬間には声を潜めた。
「月影宮か……よりによって、あの宮へ。王命とはいえ、ご苦労だ。だが、気をつけろ。あそこは血腥い因縁の宮だ」
……血腥い。
その言葉、できれば今日の行き先が確定する前に聞きたかった。
朱炎は周囲を警戒しながら、月影貴妃の噂を語り始めた。
かつての貴妃は、二十代前半にしてこの世の者とは思えぬ美貌、冷静で知的――見た者すべてを虜にしたという。
もちろん私は見たことがない。
見たら虜になるらしいが、幸いにも私は俗世の恋愛で身を滅ぼす予定はない……たぶん。
もう一つの噂は、もっと厄介だった。
彼女は何かの事件に巻き込まれ、宮を去った――死んだ、と。
若すぎる死だと嘆く声は多かったらしいが、美貌ゆえの妬みで命を落とすというのは、後宮では珍しくもない。
朱炎は深刻な表情で言った。
「……夜鷹、貴族の出のお前でも、あの妃に触れることは許されない。禁忌なのだぞ。決して惑わされるな」
惑わされるな、か。
幽霊相手にどう惑わされるというのか、ぜひ具体例を添えて説明してほしいものだ。
しかし朱炎の本気の顔を見る限り、笑い飛ばしていい話でもなさそうだ。
「何事もなければいいがな」
と返し、私は歩を速めた。
月影宮に近づくと、長らく開かれなかったであろう門が重々しい鉄鎖で封じられていた。
門番二名は無表情で見張っていたが、私が近づくと槍を傾け、門番二名のうち一人が言った。
「この先へは、お通しできません」
「王命だ。内侍・夜鷹だ」
巻物を見せると、門番は眉をかすかに動かしたが、すぐに槍を下げた。
鎖が軋みを上げながら解かれていく音が、やけに嫌な予兆に聞こえる。
内側に踏み入れた瞬間、空気が変わった。湿り、冷え、重く、肌に張り付く。
王宮と同じ敷地かどうか疑いたくなるほどの違いだ。
石畳は苔むし、鬱蒼とした木々が月光を遮っている。風の気配すらない。
(……本当に、こんな場所に“誰か”いるのか?)
灯籠のわずかな光を頼りに、宮の奥へと進む。
扉が、ひとりでに開いた。
……もう帰っていいだろうか。
そんな弱気を押しつぶしつつ、私は恐る恐る一歩を踏み入れた。
先ほどまでの荒れた外観とは打って変わり、目の前に広がったのは、月光を浴びて輝く大殿だった。まるで昨夜建て直したばかりです、と言わんばかりの新しさ。
灯籠の火はゆらめき、どこからか琴の音まで流れてくる。
おまけに道筋には香が焚かれ、まるで主賓を迎える準備万端という様子だ。
(……廃宮って、こういう意味だっただろうか?)
(つづく)
病に伏す王の枕元で、私、夜鷹は今日も内侍としての務めを淡々とこなしていた。
……いや、淡々とこなしている“ふり”と言った方が正確かもしれない。
このところ王の容態は右肩下がり、機嫌も比例して悪化する一方。近しい者は皆避ける。結局、残されるのは私のような暇と根性のある内侍だけだ。
「月影宮へ行け。そこにいる者を、連れ戻せ」
王の命は、相変わらず簡潔で、今回は特に意味不明だった。
乾いた唇から絞り出されたその言葉を、私は頭の中で三度ほど反芻したが、残念ながらやはり意味不明のままだった。
月影宮。
十数年前の事件以降、誰も寄りつかない廃宮である。
そこに“いる者”を連れ戻せ?
いるはずがない。まあ、幽霊でも拾ってこいというなら話は別だが、さすがに業務外だ。
……何より不思議なのは、なぜその役目が“私”なのかということだ。
内侍は王の影。雑務も密命もこなすが、廃宮でかくれんぼをする仕事は、聞いたことがない。
私は柳家の生まれだ。今や没落貴族の烙印を押された家系だが、私にとってはむしろ便利な名札だ。
家門再興のため、学問も軍略も外交も、ついでに一般人が聞いたら眉をひそめるような覚悟も引き受け、内侍となった。その結果、王の孤独と秘密を預かる役を任されたわけだが……まさか幽霊屋敷の調査員まで業務に含まれているとは、予想外だった。
王宮の中央通りを避け、裏の回廊へと歩を進める。
月影宮へ向かう道は、相変わらず陰気だ。華やかな王宮の端に、こんな場所が存在していること自体、ちょっとした怪談である。
光は途切れ、苔むした石畳が靴にまとわりつく。
正直、引き返したい気持ちは山ほどあるが、王命は王命だ。
(さて、誰もいないはずの宮で……いやほんと、せめてヒントくらい欲しいものだな)
王宮の隅、人の気配が消えた回廊の曲がり角で、不意に声がかかった。
「夜鷹。そんな顔をして、どこへ向かうのだ」
振り向くと、内侍府時代からの悪友――朱炎が立っていた。
相変わらず人の表情を読むのが早い。いや、私の顔がそんなに分かりやすいのだろうか。
「王命でな。月影宮へ」
そう告げると、朱炎は予想以上に大きく目を見開き、次の瞬間には声を潜めた。
「月影宮か……よりによって、あの宮へ。王命とはいえ、ご苦労だ。だが、気をつけろ。あそこは血腥い因縁の宮だ」
……血腥い。
その言葉、できれば今日の行き先が確定する前に聞きたかった。
朱炎は周囲を警戒しながら、月影貴妃の噂を語り始めた。
かつての貴妃は、二十代前半にしてこの世の者とは思えぬ美貌、冷静で知的――見た者すべてを虜にしたという。
もちろん私は見たことがない。
見たら虜になるらしいが、幸いにも私は俗世の恋愛で身を滅ぼす予定はない……たぶん。
もう一つの噂は、もっと厄介だった。
彼女は何かの事件に巻き込まれ、宮を去った――死んだ、と。
若すぎる死だと嘆く声は多かったらしいが、美貌ゆえの妬みで命を落とすというのは、後宮では珍しくもない。
朱炎は深刻な表情で言った。
「……夜鷹、貴族の出のお前でも、あの妃に触れることは許されない。禁忌なのだぞ。決して惑わされるな」
惑わされるな、か。
幽霊相手にどう惑わされるというのか、ぜひ具体例を添えて説明してほしいものだ。
しかし朱炎の本気の顔を見る限り、笑い飛ばしていい話でもなさそうだ。
「何事もなければいいがな」
と返し、私は歩を速めた。
月影宮に近づくと、長らく開かれなかったであろう門が重々しい鉄鎖で封じられていた。
門番二名は無表情で見張っていたが、私が近づくと槍を傾け、門番二名のうち一人が言った。
「この先へは、お通しできません」
「王命だ。内侍・夜鷹だ」
巻物を見せると、門番は眉をかすかに動かしたが、すぐに槍を下げた。
鎖が軋みを上げながら解かれていく音が、やけに嫌な予兆に聞こえる。
内側に踏み入れた瞬間、空気が変わった。湿り、冷え、重く、肌に張り付く。
王宮と同じ敷地かどうか疑いたくなるほどの違いだ。
石畳は苔むし、鬱蒼とした木々が月光を遮っている。風の気配すらない。
(……本当に、こんな場所に“誰か”いるのか?)
灯籠のわずかな光を頼りに、宮の奥へと進む。
扉が、ひとりでに開いた。
……もう帰っていいだろうか。
そんな弱気を押しつぶしつつ、私は恐る恐る一歩を踏み入れた。
先ほどまでの荒れた外観とは打って変わり、目の前に広がったのは、月光を浴びて輝く大殿だった。まるで昨夜建て直したばかりです、と言わんばかりの新しさ。
灯籠の火はゆらめき、どこからか琴の音まで流れてくる。
おまけに道筋には香が焚かれ、まるで主賓を迎える準備万端という様子だ。
(……廃宮って、こういう意味だっただろうか?)
(つづく)
10
あなたにおすすめの小説
『床下に札束を隠す金髪悪女は、毎朝赤いマットの上で黒の下着姿で股を開く』〜ストレッチが、私の金脈〜
まさき
恋愛
毎朝六時。
黒の下着姿で、赤いヨガマットの上に脚を開く。
それが橘麗奈、二十八歳の朝の儀式。
ストレッチが終わったら、絨毯をめくる。
床下収納を開けて、封筒の束を確認する。
まだある。今日も、負けていない。
儚く見える目と、計算された貧しさで男の「守りたい」を引き出し、感情を売らずに金だけを回収してきた。
愛は演技。体は商売道具。金は成果。
ブリーチで傷んだ金髪も、柔らかく整えた体も、全部武器だ。
完璧だったはずの計算が、同じマンションに住む地味な男——青木奏の登場で、狂い始める。
奢らない。
触れない。
欲しがらない。
それでも、去らない。
武器が全部外れる相手に、麗奈は初めて「演じない自分」を見られてしまう。
赤いマットの上で、もう脚を開けなくなる朝が来るまでの話。
冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?
由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。
皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。
ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。
「誰が、お前を愛していないと言った」
守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。
これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。
コーヒーとCEOの秘密🔥他
シナモン
恋愛
§ コーヒーとCEOの秘密 (完)
『今日もコーヒー飲んでなーい!』意思疎通の取れない新会長に秘書室は大わらわ。補佐役の赤石は真っ向勝負、負けてない。さっさと逃げ出すべく策を練る。氷のように冷たい仮面の下の、彼の本心とは。氷のCEOと熱い秘書。ラブロマンスになり損ねた話。
§ 瀬尾くんの秘密 (完)
瀬尾くんはイケメンで癒しの存在とも言われている。しかし、彼にはある秘密があった。
§ 緑川、人類の運命を背負う (完)
会長の友人緑川純大は、自称発明家。こっそり完成したマシンで早速タイムトラベルを試みる。
理論上は1日で戻ってくるはずだったが…。
会長シリーズ、あまり出番のない方々の話です。出番がないけどどこかにつながってたりします。それぞれ主人公、視点が変わります。順不同でお読みいただいても大丈夫です。
タイトル変更しました
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
遠回りな恋〜私の恋心を弄ぶ悪い男〜
小田恒子
恋愛
瀬川真冬は、高校時代の同級生である一ノ瀬玲央が好きだった。
でも玲央の彼女となる女の子は、いつだって真冬の友人で、真冬は選ばれない。
就活で内定を決めた本命の会社を蹴って、最終的には玲央の父が経営する会社へ就職をする。
そこには玲央がいる。
それなのに、私は玲央に選ばれない……
そんなある日、玲央の出張に付き合うことになり、二人の恋が動き出す。
瀬川真冬 25歳
一ノ瀬玲央 25歳
ベリーズカフェからの作品転載分を若干修正しております。
表紙は簡単表紙メーカーにて作成。
アルファポリス公開日 2024/10/21
作品の無断転載はご遠慮ください。
帰ってきた兄の結婚、そして私、の話
鳴哉
恋愛
侯爵家の養女である妹 と
侯爵家の跡継ぎの兄 の話
短いのでサクッと読んでいただけると思います。
読みやすいように、5話に分けました。
毎日2回、予約投稿します。
2025.12.24
誤字修正いたしました。
ご指摘いただき、ありがとうございました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる