孤独な大賢

橘伊鞠(ろさ)

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勉強が好きだった。

それだけで敵が大勢いた。




これはまだ、ヴァイスがヴァイスで在った頃の話。

「――いいえ。これ以上の税の引き上げは問題です。もし上げるならば、その前に、かねてより問題となっている福祉施設を増やし、今までよりも比較的優しい条件での……」

まだ、十五歳ほどの少年だろうか。
と言っても、ヴァイスの民の寿命は人間とは異なるので、実際のところは分からない。

新緑を思わせる鮮やかな緑の髪をした少年は、身分の高そうな大人達を前にやけにして、小難しい話をしている。
その目は至って冷静で、高揚した様子もなければ、少年らしい輝きもない。
大人達はそんな少年の話をそれを真剣に聞き入り、感心した様子で息を吐いた。

「天才、か」

誰かが呟いた。
それは、誉め言葉の筈なのに、少年は眉一つ動かさず、逆に機嫌を悪そうにしながら話し続けた。

「以上です。僕の意見が、ヴァイス王国の役に立てば幸いです」

少年が話を終えると、大人達はわっと拍手と歓声でわき上がった。
しかし、少年はやはりいい顔をしなかった。その顔にかけた眼鏡のレンズ越しに、冷めた様子でそれらを見つめていた。

ヴァイス歴史上、初めての天才。
あらゆる学に精通し、その将来たるや末恐ろしいと噂される、軍師、レオン・ブラックロウザの若き姿であった。
大人達の中でも、他を従えるように豪華な椅子に座っている一人の男性が、レオンに向かって優しい声をかけた。

「素晴らしいな、レオン。お前は私よりも遥かに賢い」

そう言ったのは、ジオリオ。ヴァイス王国の国王だ。
長い黒髪で片方の目を隠しているので、少々威圧的ではあるが、見えている方の翡翠の瞳は、優しく半円を描いた。

「彼女自慢の弟子と聞いていたが、どうやら噂は謙虚らしい。それ以上だレオン」

「滅相もございません、陛下。如何にして私の稚拙な脳が貴方様にかないましょうか」

少年は深くお辞儀すると、王である彼と視線を合わさぬよう床を見つめる。

「……そんなに、かしこまらなくていいんだぞ。普通に喋っていい」

「勿体ないお言葉です、陛下」


そう言ってレオンはやっと顔を上げたが、その瞳はやけに冷めていた。まるで心はここに無いかのように。
空虚と化した心で、瞳に映る景色を眺めていた。
――天才、ねえ。
だから何だっていうんだ。
それで誉められるのは嬉しい筈なのに。
なんで俺の心は、こんなにも冷たいんだろう。

「ふう……」

溜息を吐いても誰も聞く者はいない。
レオンは城の中庭、それもあまり人気が無い端の方で、本を片手に地面に寝そべっていた。
この頃レオンは、若輩ながら既にヴァイス王国の行政の一角を担う者として確立しており、毎日毎日ああやって大人達と論議を交わしているのだった。
それにより発生するストレスは、半端ではなかった。レオンは、人間でいうところの十五歳程度。ちょうど、難しい時期に差し当たっていた。
大人たちが俗に言う、「扱いにくい時期」というやつだ。

「疲れた」

どこからか聞こえる小鳥の囀りと、人の笑い声。生暖かい陽射しが包まれたレオンは、心が少しだけ楽になっていくのを感じていた。
こうして、一人で寝そべって本を読む時間だけが自由。
レオンという、ただの勉強好きな少年に戻れる瞬間。

勉強は好きだ。知識を貪るのは楽しい。

けど、それによりこんなに何もかも拘束されるとは、思わなかった。
レオンは本を顔にかぶせ、ひとときの静寂を楽しもうと瞳を閉じた。
が、それはあっさりと打ち砕かれた。

「起きろレオン!!」

元気で且つ明るい声が、彼の鼓膜近くで響いた。
耳鳴りに苦しむレオンを気にせず、声の主は彼の手から本を奪い取った。

「また本か?  たまには俺の修業にも付き合ってほしいな」

本を取り上げたのは、レオンとそう年が変わらない少年。緋色の髪と瞳が眩しい。
少年の名は、ヒルシュフェルト。いずれはこの国を背負う立場になる人物、若き剏竜だった。
やんちゃっ気があり、笑顔も子供っぽい彼は、大人ぶって睨んでくるレオンに無邪気な笑顔を見せた。

「やめてくれないかヒル。俺そういう汗臭いのは嫌い」

レオンは寝転んだまま、体の向きを変えた。
さっさと行け、と無言に語る。
だが、ヒルはどこかへ行くことは無かった。

「だからお前そんな青白いんだよ」

「軍師見習いなんだから当たり前だろう。演習を見るときだって、傘の下。ノルテ様の後ろの後ろの……」

「誰も相手になってくれないんだよなあ。親父は忙しそうだし、兵士は遠慮するし」

話を聞かないヒルにレオンは腹が立ったが、もう今更であった。
毎日、大体こうして邪魔をしに来る彼だが、悪い奴ではないように思えた。

「だからってなんで俺?」

「レオンなら、俺に容赦なくぶち当たってきそうだから」

「……大事な剏竜サマのご子息に怪我させて睨まれたくないのは俺も同じ。カカシと頑張って修業してきてください」

瞬間、レオンの目の前の地面に、銀色の剣が音を立てて突き刺さった。少し間違えば確実にレオンの頭を貫いていただろう。
冷や汗を流すレオンを見て、ヒルは意地悪く笑ってみせた。

「ちょっとだけ。な?」

「……俺はカカシみたいに切り刻まれたくないよ」

これが、彼らの日常風景だった。
レオンは文官だというのに、決まってヒルは彼を修業に引っ張りだす。そして陽がくれるまで相手をさせると、けろっとした様子で「また明日もやろうな」と笑う。

レオンはかなり嫌々相手をしていたのだが、そのおかげで、自分の中にあった何か冷たい空気が暖まっていくのを感じていた。

持って生まれた素質故、大人達の未知の世界に引っ張りこまれた迷子。
言われるがまま、仕事をこなしていくうちに、自分達の意志はとうに消えてなくなっている。
それでも、何か掴もうと毎日もがいてみるが、現状は変わらない。

北の神秘の国、ヴァイス。
その巨大さの中に飲まれないよう、必死にもがいている。

友達。彼を、そう呼んでもいいのかもしれない。


きっと、ヒルも同じ考えだろう。
それでいい。そうやって、毎日やるべきことをこなせば問題ない。
ただ、なんとなく過ごせばいいんだ。
それで時は過ぎていく。
俺も、きっと流れの中に馴染んでいける。

きっと。

そんな風に予想し考えていたレオンだったが、それは見事外れていたことをある日気付かされた。

「早く産まれてこないかなあー」

「え?」

中庭に腰を降ろし、昼間の太陽を見上げていた時のことだった。ヒルが、唐突にそう零した。

「何、アヒルの話?」

「違う違う、陛下の子供。早く見たいよな」

「……王妃様はまだ若い。そんな焦らなくても」

「そうじゃなくてさ」

ヒルはレオンに向き直り、照れ臭そうな笑みを浮かべた。

「俺の役目、知ってるだろ?」

勿論、とレオンは頷く。

「剏竜。王と誓約し、その王の神秘の力を発揮する為の竜。竜族とは軸が違うが、能力、容姿は代々王に相応しく……」  

「そんな蘊蓄はいいって!」

「お前が言い出したんだろ」

「そうじゃなくて。ユティリア様に御子が産まれてくれたら、俺、なんか……やっとはっきりした信念が持てそうな気がして」

「何それ……シンネン?」

レオンは、思わず笑いそうになった。こいつ、英雄に憧れる子供か、と。
しかしヒルは、胸の熱さを隠しきれない様子で、語り続けた。

「俺の力を早く役立てたいんだ。新しい王様を、誰よりも近くで守るのは俺。だから、早く産まれてきてほしいんだ。俺の代では。今よりもっともっと、ヴァイスをいい国にしてやるんだ!」

レオンは、ふいに、置いてけぼりにされたような気分になった。
ヒルは自分と違って、ただなんとなく毎日を過ごしてるんじゃない。未来を見て、常に前に進むことを考えている。

確かに、時折ヒルはレオンと同じ瞳をする。冷めたような、何かを見越したような。だが彼には、彼にしか出来ない役目がある。


それに比べて、自分は?

もし自分以上の人材が現われたら?
要らない、のではないか。

天才。それは何も特別な名前ではない。

そうか。
俺がいつも満たされなかったのは。

自分で自分を、空っぽにしていたんだ。

「良い身分だなあー、レオン」

後ろから、嘲るような声がした。
振り返るとそこには、少年が三人ほど。見下すような目でレオンを見る。
恐らくは貴族か、高官の子だろう。高価そうな衣服を身につけている。
レオン達と年はそう変わらない彼らは、ヒルの側に立つとにやにやしながらレオンに向かってこう言った。

「頭の良い奴はやることが違うよな。剏竜のヒルシュフェルト様に取り入って」

「今度は総統府にまで幅効かす気かぁ?」

嘲笑う彼らに、レオンは何も言わなかった。ヒルも黙ったままでいた。
それをよしとして調子付いた少年たちは、ついにこんなことまで言い出した。

「もしかして、黙ってれば大人っぽいとでも思ってる?」

「ヴァイスの血も流れていねー孤児のくせに、偉そうに知恵回してんじゃねえよ」

レオンは、ぐっと拳を握り締めていた。

ヒルが立ち上がりかけたが、それを制した。

───そんな台詞、言われ慣れているから。

そう言いたげな、冷めた瞳で。

産まれた瞬間、要らないモノとしての運命を決められた自分。
今も、いつ"要らない"と言われるか。そればかり心で気にしてる。

くだらない、くだらない。
くだらない。くだらない、くだらないっ!

木霊する感情の中、レオンは必死で耳を塞いでいた。
勉強することで、掴んだこの居場所。天才と謳歌され必要とされる反面、一歩離れればこの扱い。

これだから頭の悪い馬鹿は嫌いだ。
俺は、そんなことに、惑わされたりしない。
やり過ごせ。言わせておけ。
そうすれば、ただ過ぎていくだけだから。

言うだけ言って、少年たちは立ち去っていった。苛々する笑い声がまだ耳に残ってる。

「なんで言い返さなかっただよレオン」

ヒルが、消化不良のような顔で言う。

「言い返しても一緒。だから言わない。問題が大きくなれば、生きにくくなる」

言葉なんて、大した影力は響は持たない。そう思ってい、やり過ごした。
だが、レオンはもうずっと
拳を震わせていた。
悔しくて、たまらない。悔しがりたくなんか、ないのに。

それからヒルは、黙ってレオンの横にいた。
なぐさみに草を引き抜いたり、空を見上げたりしていた彼だが、急にレオンの肩を叩き、こう言った。

「お前、最高軍師になれば?」

「はあ?  寝ぼけてるのかお前。最高軍師って、……ああもう、何?」

レオンは、首を横に振る。
するとヒルは、きょとんと目を丸くした。

「だから、最高軍師になって、幅きかせてやればいいじゃないか」

「お前は……確かな地位があるからそんなことが言えるんだよ」

「でも俺だって、相応しくなきゃ解雇されるだろきっと。だからさ、軍も内閣も、誰もお前に文句が言えないくらい牛耳ってやればいいんだよ。お前が最高軍師なら、きっと楽しいと思うんだ」

「出来るわけないだろ!」

「出来るよ」

「……っ」

「お前は天才なんだろ?  じゃあそれを極めていけばいいじゃないか。今やってることを頑張ればいいだけだって。なれるよ、お前なら」

………何故だろう。
彼に言われると、嫌な気はしない。
俺の力の幅を知っているかのような、自信満々な口振り。
何故だろう。
今一瞬、軍師として王の側にいる自分が見えた。
その王の顔は、分からない。
けど、優しい声で、信頼を持った声で、

“レオン”

そう呼んでくれた気がした。

「皆を二人で見返してやろう!」

「お前も、言われたことが?」 

するとヒルは一瞬苦い顔をし、頭をかいた。

「まあ、俺もまだ未熟だから。親父はほんとすごいし」

「そう……、なのか」

二人は空を見上げた。いつかその背に背負うことになる国の空を。まるで遠い未来、だが確実にやってくる未来。

なれるだろうか。
この国を支える、存在に。

「なあ、もし御子が女だったら女王になるのか?」

ヒルが、少しにやついて言う。

「女だったら何かする気とか?」

「違うよ!  女王かなーって思っただけ。レオンまじエロいなー」

「深読みしすぎ。エロいのはお前!」

「いやお前だし」

「……はいはい分かりましたよ」

笑い合う、まだ幼い少年達。
二人はまだ成長し切れていない心で必死に今をもがき、歩いている。
彼らははやがて一人の少女の人生の揺るぎない道しるべとなり、歴史を、動かす存在となる。


これは、そんな彼の、遠い昔の話。



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