孤独な大賢

橘伊鞠(ろさ)

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リーリエは、ヴァイス領土の東に位置する城塞都市だ。
王都ほどの規模は無いが、様々な施設と研究期間が多く立ち並び、少々迷路のようになっている。
高台から平原にかけて、水を流したような形で建物が並び、その頂上には、領主の城と、巨大な鐘が鎮座する。そこへ行くと、面白味の無い岸壁が郡を連ねており、海からの侵入を阻む作りとなっている。

リーリエの統治は、ディグの氏族でもあり、歩兵部隊大隊長の、ヴォルフラントという男に委ねられていた。
彼は、騎士の称号は無けれども、有能な領主にして軍人である。戦場に於いては寡黙に剣を振るい、普段に於いても、湖のような静けさを持つ男だ。そのあまりの静かさに、リーリエに住まう者は時に彼がいることを忘れてしまいそうになるほどであった。
手抜かりの無い統治はするが、滅多に表に現れない。たまに姿を現したかと思えば、あれよあれよという間に引っ込んでしまう。

そんな彼の事を、湖だと表現したのは、ノルテ・ヴァッサミューレ。
それを良い意味として取ったのかどうかは分からないが、ヴォルフラントは彼女を見ると、そそくさと隠れることが多くなったという。

「あの恥ずかしがり屋がわざわざ私を呼びつけたのかい。どんな用事だろうねえ」

陽は、既に落ちている。
街への入り口にある巨大な石の門をくぐりながら、ノルテはレオンを見た。
レオンは、久しぶりに見たリーリエの石門を、驚いた様子で見上げている。

「レオン、久しぶりに見たリーリエはどうだい。あんたが此処に来たのは、おしめがまだ取れていない頃だったかねえ」

「……そんなに昔でしたっけ。ノルテ様も変わる筈ですね」

「なんだって?」

「いえ、例えですよ」

レオンが気になっていたのは、この都市の強固な外壁と、門の開閉に使用している装置だった。
外壁の石の間には、鼠の通る隙間すらないほどに、泥を練って固めたようなものが詰め込まれている。ここまで完璧に詰めていると、水すら通らないかもしれない。
そして、今自分たちが通ってきた石門は、ひとりでに動いていったのだ。
振り返ると、門の上に光が見えた。空の星々に混じり、白く瞬きながら、尾を引いて宙に消える。

「あれは魔導力の技術を駆使した門だ。開閉は衛兵の手ではなく、城館の中にある媒介により制御されている。魔導技術が発展した今に於いて、岸壁の石ころどもがどこまで壁の役割を果たせるか分からんからな」

レオンの後ろから、ラオフェンが現れた。
じろ、とこちらを見下ろし、返事を求めるような視線を送ってくる。
そこだけが脆いかのように薄く光る翡翠は、酷く冷たく感じられた。

「ま、そうですよね。わざわざ、その、ありがとうございます。非常に参考になりました」

圧倒されたレオンは、とにかく礼だけを尽くした。しかし、どうも節々が嫌味めいた言い方になってしまう。
これはまずいか、と片方の目を細めるが、ラオフェンの反応は意外にも穏やかだった。
彼は、どこか満足げにこくりと頷き、歩を進める。存在感のある体躯が、それに見合わない早さで動き、レオンを追い越していった。
機嫌が良いのだろうか、とレオンは眉根を寄せつつ見送った。

「何にでも興味があるのだな、そなた」

凛とした声が響き、レオンの頬に手が触れた。
その白い手の甲が、からかうように軽く頬を撫でていったので、レオンは思わず肩を竦めた。
すぐ傍らには、微笑む人、レヒト・レギがいた。黄金の綿のような髪は上品に結い上げられ、睫毛の濃い瞳は、うっとりとして細められていた。

「ブラックロウザは、非常に研究熱心であるとヴァッサミューレから聞いてはいる。そなたに勉学を学べば間違いないであろうと、ユティリア殿下が言っていたが、なるほどそのようだ」

レヒトの口調は、おおよそ女性らしくはないものだが、きついわけでもない。
染み付いた高潔の精神が、全てを補っているのだろう。
好意を持って接してくれているのが分かったレオンは、少し緊張を解きほぐした。
彼の表情が緩まったのを見たレヒトは、その背を軽く叩いた。

「ブラックロウザの噂を知らぬ者はいない。我が子を頼むぞ」

誉めているのか、牽制なのか。すぐそうやって勘繰ってしまうのはレオンの悪い癖だ。

「僕は、そんな……」

「レヒトに気に入られたようだねレオン。これは大変だ」

ノルテが、嫌味めいた言葉をかける。

「大変って、何がデス?」

「レヒトは大らかぶっているが、超がつくほどの潔癖さ。気に入られたはいいが、せいぜい敵に回さないようにすることさね」

「なんですかそれ。僕がいつも敵を作ってるみたいな言い方」

レオンはむっと唇を尖らせて、ノルテを睨み上げる。

「ヴァイス王国法務官長、レヒト・レギ殿下の事は俺だって知っています。あのように潔癖だからこそ法を取り締まることが出来ている。違いますか」

「おや! その通りだよ。分かってるじゃないか。ついでに言うと、ヴォルフラントもなかなか気難しい奴さ。準三級のお前まで呼ばれたってことは、きっと何か大事な用向きがある筈。粗相の無いようにね」

「え……」

まだ何か言いたげに手を上げるレオンを放置し、ノルテは街の中へと足を進めた。
むすっとした顔の魔導大隊長、潔癖症の法務官長に、気難しいと言うリーリエの領主。
レオンは、未だに自分が此処に呼ばれた理由が分からずに、困惑していた。
何か、悪い予感がしてならない。
まあそれでも、あの兄妹の家庭教師ほど性に合わないことでも無いだろうと、レオンは鼻を鳴らした。

リーリエに入ると、当然ながら街はすっかり密やかになっており、辺りに聞こえるのは涼やかな虫の声だけだった。
街の中をそっと馬車で進み、丘の上の城へと向かう。
レオンは、ノルテと同じ馬車。前には、ラオフェンとレヒトが乗る馬の影が見える。
よく揺れる馬車の乗り心地は最低で、レオンは何度となく窓から顔を出していた。

「来る時も思ったんですけど、どうして馬にしないんです?」

青白い顔でレオンがそう聞くと、ノルテはこめかみに人差し指を当て、頭を傾げた。

「ふっふふん。なんて顔してんだいレオン」

「気持ち悪いんです。揺れるばかりで、進んでる気配がない」

「馬の方が酔うさね」

「嘘です。こんな整備されていない砂利道、馬車の方が酔う」

そう言って、レオンはまた窓から首を出す。

「レオン。こっちへおいで」

するとノルテは、レオンの首根っこを掴んで無理矢理中へと引き入れた。
そのまま、有無を言わさずノルテの横に座らされる。
なんですか、と抗議する前に、ノルテはレオンの額に手を当て、囁いた。

「ノーグ・ノーム。ノーグ・ノーム」

不思議な声だった。それを聞くと、レオンの頭の中にすっと冷たい風が吹いたような気がしたのだ。淀んでいた気持ちの悪い物がどこかへと消え、レオンの頬はうっすらと薔薇色を取り戻したのだ。
まどろむように、レオンは瞳を閉じ、ノルテの肩にもたれ掛かった。

「ノーグ・ノルム、モーラ・ファルム」

それはいつか、聞いたような声だった。

……子守唄、だろうか。

知りもしない、母親の。

ノルテの手は少し皺があり、決して良い肌触りでは無い。
年の所為だけではない。ほぼ離すことがないペンと、パイプの所為で、手のひらには固い豆粒が二つほどある。
小さい頃は、この豆を触って遊んでいた。というよりも、この手に触れていると安心したのだ。
─思えば、そんな小さな頃から、この方の下に居たのか。
触れられていると暖かく、安心する。
まどろむようにレオンは瞳を閉じ、ノルテの肩にもたれ掛かった。
が、すぐにハッとして目を見開き、勢い良く立ち上がった。

「痛っ!」

狭い馬車の中で急に立ち上がれば、例え背が低めのレオンであろうと天井に頭は届く。
鈍い音に驚いた御者が、小窓から声をかける。

「どうされました?」

「なんでもないさ。馬鹿弟子がちょっとね」

頭を抱えて痛がるレオンを見て、ノルテはひとしきり笑った後、こう言った。

「馬鹿だねえ」

言い返す言葉も無く、レオンは椅子に座る。
そこまで笑わなくても、と思ったが、あまりに楽しそうに笑うので、レオンもついつられてしまいそうになった。だが、それを見せてしまうのは悔しいので、レオンは下を向いた。
そんなレオンを見ながら、ノルテも何故かその視線を落とした。
影の落ちた瞳が、悩んでいた。

「……なあレオン」

「はい?」

「あんたの……事だけどね」

「……は?」

レオンがノルテを見た時、彼女の半身に光が当たった。
それは、まるでいきなりの夜明けの如く。

「なんだい!?」

見ると、窓の外が、まるで昼間のように輝いている。陽の光ではない。なら、これはなんだ。
二人が馬車から、降りると同時に、リーリエの鐘が激しく打ち鳴らされた。
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