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「君の夢は何?」

少年は、目の前の人物が何気なく放った質問にどう答えるべきかひどく迷った。
真っ直ぐに見つめてくる紺瑠璃の瞳に、向き合うことを少し恐れた。

「俺は…………」

とりあえず言葉を紡ぐも、直ぐには先が出てこない。
難しい質問ではないはずだが、この時の少年にとっては、人生で最も難しい質問に思えた。
暫らくの沈黙の後、少年は何か閃いたらしい。
静かに息を呑んで、答えた。

「この国を、綺麗な水で満たしたい」

   *   *   *

そこは、心地よい風が吹く丘だった。
見上げればどこまでも青い空。熱い光を放つ、灼熱の太陽。眼前に広がる砂の大地が、突きさすような照り返しを放つ。
その空間に甘えるように、目を伏せ佇んでいる人物がいた。砂避けのターバンを頭から流すように巻きつけ、煌めく宝石飾りで端を留めている。
肩からは、金糸の刺繍が施されたローブを羽織っている。腰には、変わった細工の施された長剣。
風になびく、真珠色の長い髪を、所々変わった留め具で纏めている。顔を見るかぎりでは、どうやら男性のようだ。少し焼けた素肌は、眼前に広がる砂漠と、同じ色だった。
男は、瞳をゆっくりと開くと、ふいに後ろに振り返り、こう言った。

「制圧したか」

振り返った先に広がった光景は、まさに地獄絵図。黒く焼け焦げた大地、転がる屍。それを狙い空を舞うカラス達。
男の周りにはいつの間にか大勢の武装した兵士が膝まづいており、戦いの勝利を彼に報告した。

「この地方の制圧は完了致しました。次のご指示を」

「次はイルディア地方だ。すぐに出立しろ」

「仰せのままに。我らがヘリオス陛下」





Episode Of Daiansas「水竜の夢」




薄暗い鍾乳洞の中、それは突然姿を現した。
男は、動くことが出来ずただ剣を構えていた。

その牙はどんな刃物よりも鋭く、鱗は金剛石のような透明な輝きを放っている。しかしとても柔らかそうで、息をする度に血流のドクンドクンという音がしていた。

「…………まさかこんなところにいるなんてな」

"それ"に対峙した男は、その頬につうっと一筋の汗を流した。目の前にいる未知の生物は、確かに男に向けて警戒の念を抱いてはいるものの、何故か食いかかってくる様子は無い。
男はそれを疑問に思い、様子を伺うように生物の細部に目を凝らしてみた。
そしてあることに気付くと、"それ"の瞳に見ると、恐る恐る問い掛けた。

「……怪我、してんのか?」

"それ"は答えなかった。ただただ早い呼吸をするだけで。
鼓動の音が、鍾乳洞に響き渡る。
男は見つけたそれに向かって、情けない声を出した。

「あーもう、弱ったなあ」

それは身体の全てが流れる水で構成された、不思議な"竜"だった。

「折角見つけたってのにこれかよ」

困り果てた男は、剣を鞘にしまうとその場に座り込んだ。辺りには天井から滴り落ちる水滴の奏でる音色のみが響いている。

「捕まえるにしても、こんな水の集合体みてぇな竜どうやるんだよ」

弱っているのが明らかなその竜を見ながら、男はまたため息をついた。

「あいつがいないとなんもわかんねえな。しゃあねえ、うまく言い訳すっか。んでもう少し人数集めて挑戦。よし」

男はそう言って自身の膝をパンと叩くと、近くに投げ捨てていた荷物を手に取った。
竜に背を向け、少し重い足取りでその場を立ち去ろうとする。だが、やはり何か気掛かりなのか、再び竜の方に振り返った。

「いや、やっぱ鱗くらい持ちかえらねえと格好が……」

すると、振り返った先に先程までいた竜がいない。狐につままれたような気分になった男は、薄暗い洞穴の中、顔を左右させる。

「ど、どこ行ったんだ?!」

探しているうちに、男は竜とは違うある物を見つけた。
それを見つけた時、たちまち男は赤面し、吸い付けられたように目が離せなかった。

先程まで竜がいた場所には、生まれたままの姿でぐったりと仰向けに倒れている幼い少女がいた。

「……オイオイ……」

男は茫然とその少女を見ていたが、すぐさま我に返ると恐る恐る歩み寄って行った。

「まさか……こいつ、今の竜か?」

傍らにしゃがみ込み、その少女の顔をしげしげと見つめる。まだかなり幼い。
白すぎる真珠の肌、銀糸を紡いだような髪は肩ほども無い長さだが、とても柔らかそうだ。

「竜族は人型で生活してるって話だけど……あんなでかさでもまだガキなのかよ」

男は先程対峙していた竜を思い浮べる。どう見ても成獣の大きさだった。

「じゃあ成獣になったらどんだけでかいんだよ」

などとぼやきながら少女の顔に見入っていると、ふいにその瞳がしっかりと開かれた。

「っわ!」

驚いた男は思わず後ずさるが、少女の瞳はそれを追わず、虚ろに宙を見つめている。

「気付いたのか?」

男は警戒し、腰の剣に手を添えた。こんな容姿をしてはいるものの相手は竜だ。男はその職業故、竜に対しての知識は豊富なようだ。

「やっぱ…………捕まえるしかねェかな。この姿なら剣も通る」

そう言ってためらいながらも剣を抜いた男に対して、少女はやっとその瞳をそちらに向けた。
ぎく、として男が動きを止める。翡翠の瞳が、こちらを男の方に向いている。
その竜の少女の瞳孔は、意外なことに爬虫類のように縦に割れてはおらず、人間と変わらず優しい円を描いていた。

しばし静寂が流れ、両者は動くことが無かった。
が、ついに少女の方が口を開いた。

「行かないで…………」

一言そう言うと、少女はまた瞳を閉じた。 


ダイアンサス帝国。

神創世界アーリアに数多に存在する国々の中では歴史も浅く、小国に分類される国だ。しかし、近年めざましい勢力拡大を見せ始め、その成長速度たるや、今や海を越えた別大陸にまで影響を及ぼしていた。

時の帝王ヘリオスは、何かに取り憑かれているかの如く近隣の国々、種族を武力により制圧。国の統治、軍の指揮全てを一人でこなす彼はまさに「絶対帝王」。他の追従を許さぬ恐怖の帝王として君臨していた。

だが人は、この帝王を良くは思っていなかった。

虐げられた民の心は結束し、やがて"反乱軍"として、現実に形となって現れた。

反乱軍は幾度となく帝王に立ち向かった。帝王の軍と反乱軍は衝突を繰り返し、その度に大地は荒廃。ダイアンサス帝国は、いつしか岩と砂漠の不毛の大地となっていった。

「聞いたかい? また水の値が上がったって!」

「またか……ったく、戦争があった後はすぐこれだ」

ダイアンサス帝国、首都アグラ。やけに渇いた空気と大地が人々の心までもを枯れさせる。
建物はほとんどが巨大な石を組み合わせて作られた物で、どこか殺風景だ。ただ城だけは全てに渡って細かな彫刻が施され、同じ石造りでも豪華さと荘厳さが入り交じっている。まさに帝王に相応しい城だ。

町中を行き交う人々は皆陰気で、活気がない。時折、町の中心にそびえ立つ城を見上げてはため息をつく。そんな中、町人であろう中年男性が大きな声を上げた。

「やれやれ、領土ばかりでかくして何がしたいんだいあの王様は!」

文句を言う男に、傍らにいた中年男性が人差し指を立て注意する。

「ば、バカ! 聞こえたらお縄だぞ!」

しかし、男は酒か何かに酔っているのか聞く耳を持たない。

「文句も言わなきゃやってらんねえよ! なーにが"絶対帝王"だ!!」

次の瞬間、その大声を聞き付けた数人の兵士が一瞬にして現れ、男を囲んだ。男は声を出す間も無く猿轡を噛ませられ、体を縄で縛られた。そしてそのままその兵士達に引きずられるようにどこかへと連行されていった。
それを見ても、誰も驚く様子は無い。きっと、日常的に見慣れているのだろう。
ダイアンサスとは、そんな国だった。 




砂漠に囲まれた町の中、一際ひっそりとした外観の家があった。
どうやら、何かの店のようだが、目立った看板は無い。ショーウインドウから見える小さな花瓶やオルゴールからすると、雑貨屋らしいことが伺える。

その店の前に立ち尽くす、二人の人物がいた。

一人は、光の加減によっては藍色に見える髪をした二十代半ばの成人男性。後ろ髪が長く、白い紐でひとつに束ねている。二の腕の出た上下黒のレザースーツ、手には指先だけが出たごついグローブをしていて、腰には細長い使い込まれた剣を提げている。背も高く、鍛えられた肉体をしてはいるものの、少しガラの悪い傭兵のような印象を受ける。

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