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拘束されているにも関わらずへらず口を叩くマグナドラゴンに対し、恐らくこの場で一番に怒りに満ちている彼がその剣を突き付けた。

「そうだな。手間が省けた」

剣の切っ先はマグナドラゴンの喉元にぴたりと定められ、細められた瞳は確かな殺意を湛えている。

「殺戮王、ヘリオスか」

マグナドラゴンは、ヘリオスの顔に懐かしさを覚えた。髪色こそ違えど、その顔は彼の知る同胞によく似ているのだ。愚かな行為故に既に始末したその同胞だが、まるで分身のような顔つきをしたヘリオスを遺憾に思わずにはいられないだろう。

「お前は俺の国を荒らし、今日ついに民に手を出した」

「馬鹿な。貴様とて民を顧みず、悪戯に領土を広げ戦争を繰り返しているだろうが。殺戮をすることに酔い痴れたか」

「俺をなんと蔑もうと構わんが、大切な者に手を出されて黙っているわけにはいかない」

ヘリオスの背には、トエイが居た。先程と変わらぬ敵意をこちらに向けている彼女に、マグナドラゴンは末恐ろしさを感じた。だが、腑に落ちない。捨て子であるならば、このように強い力を持っているだろうか。

「……混血児に、捨て子竜に、ドラゴンハンターか……」

マグナドラゴンはそう言うと、静かに瞳を閉じ、体の力を抜いた。諦めたのかと勘違いしてしまうほどに大人しくなった彼を見て、いささか戸惑いながらもルピナスが問い正す。

「確かに……この国の人間は愚かな行為をしたわ。だけど、それを見守り諫める為にも、私が此処にいるの。貴方の予想していることは、杞憂にすぎないわ」

「そうかな? ドラゴンハンターよ」

「……そうよ」

耐えず自分を睨み続ける双子の双眼、更に同族でありながら自分を否定するトエイに苛立ち、マグナドラゴンは口をきつく結んだ。
竜は竜であるべきだという誇り高い彼の考えを打ち砕くように、トエイが言葉を発した。

「貴方の、名前は何?」

「……名だと?」

予想していなかった問い掛けに、マグナドラゴンの瞳は大きく見開かれた。
トエイはそのままヘリオスより前に歩み出でて、その体にかけられた紐を、いとも簡単に解いてしまった。

「ちょ……トエイッ?!」

急な紐の緩みに体勢を崩しながらも、ルピナスは叫んだ。折角危険なこの竜を拘束していたのに、あまりに浅はかではないかと、アインが諫めにかかる。

「おいトエイ!?」

「何をする?」

細い指でつい、と剣の切っ先を降ろさせられたヘリオスは、彼女の後ろ姿を呆然として見るしかない。 

「名前を、教えてほしいの」

「恐怖のあまり頭が揺らいだか、ディアナの小娘」

「なら、私から名乗るね。私の名前は、トエイ」

何を意図してそんなことを言い出したのか。理解が出来ないのはマグナドラゴンだけでは無かった。しかし彼らはただ静かにその場に立ち尽くし、彼女の行動を見守っている。

「次は、貴方が名前を言う番だよ」

「……馬鹿馬鹿しい……」

そうは言いつつも、あまりに真っすぐな瞳でこちらを見据えてくるトエイに、不思議な威圧を感じていた。なんだ、何が言いたい。拘束を放った今全てを葬る機会を我に与えたという事実にこの娘は気付いていないのか。

だかトエイ本人はそんなこと微塵も考えていないのか、優しく、落ち着いた口調を保っていた。

「名前、は?」

まあいい、どうせ葬る。
そう考えたマグナドラゴンは、侮蔑するような笑みを浮かべた。

「我の名はメナス・クリスタニア。覚えたところで、貴様らは……」

メナスがその周囲に炎を発生させんと、手に力を込めた。だが、その力は行き場を失うことになる。

何故なら。

名前を聞いたディアナの少女は、何を言うでもなく、澄み渡る湖のごとく純な瞳で微笑んでいたのだ。その笑みにどんな意図があるとも頭で理解出来ずにいるメナスだが、その心は揺れ動いた。

「メナス。さっきは、攻撃してごめんなさい」

呼ばれ慣れている筈の自分の名が、何故かとても新鮮に感じる。その奇妙な感覚は、長く生きてきた彼の味わったことの無いものだった。
そうさせているのは、何なのか。

「メナスは、ヘリオスたちが憎いの?」

「何度も言わせるな。この双子は竜の恥。誇り高き我ら淵竜系統のあってはならない汚点なのだ」

「何故汚点なの?」

「我ら竜はこの世界の定めを貫き永く生きてきた。故に失敗があってはならない」

「失敗したらどうなるの?」

「竜の名声は地に落ち、卑しい種族共が羽根を伸ばし世は乱れる」

「そんな種族、いるの?」

トエイは、悪戯に質問を繰り返しているわけではなかった。
彼の話の中に、どこか自分にも理解出来る糸口が無いか。必死に探しているのだ。それも、策を強いてそう言ってるのではなく、ひたすらに純粋に。

思えば、ヘリオスもこのように問い掛けられた。あまりに無垢なその言葉に、冷淡無慈悲な彼もついには陥落してしまった。最もそれは、恋愛に於いての意味だが。

「メナスの言いたいこと、分かるよ。メナスは世界の為に頑張ってるんだね」

「……だから、何だ」

「私が、ヘリオスたちを支えるよ。貴方の考える事態にならないように、ちゃんと頑張るから。お願いだから、これ以上この国を壊さないで! 水も枯れた大地だけど、きっと元に戻すから! 」

どう頑張るというのだろうか。
そう言い掛けた瞬間、メナスの頭に声が響いた。特殊なこの意志の示し方は、竜である故に感じ取れること。
彼女から発せられる、言葉にはされなかった意志を聞いたメナスは、深く重いため息を吐いた。そして、トエイにその意志を再確認した。

「……それで、いいのか」

「うん」

「なら、そうしろ」

メナスはそのままトエイに背を向けた。彼の纏う空気に、もう戦意は感じられない。
不思議そうに互いに顔を見合わせていた三人の内、アインが思わず声をかけた。

「も、もう襲ってはこないのか?」

ふと、メナスは立ち止まった。荒く鼻を鳴らし、瞳だけをアインに向ける。

「ああ。そのディアナの小娘に感謝するがいい」

「トエイだよ」

「……再起、か。カムラ語の名を持つ竜など貴様くらいだ」

そう言って、遠ざかるメナスの背中に向けて、トエイは小さく手を振った。
まだ警戒を解かないヘリオスは、ひたすらに睨み続けている。

「……あれで終わるとは思えん」

「大丈夫だよ、ヘリオス」

「何故そう言い切る?」

「お願い、したから」

トエイたちから大分距離を取ったところで、メナスは一度振り返った。もうぼやけている四つの人影を確認すると、すぐに顔を前に向けた。

「愚かな」

トエイの言葉を思い返しながら、メナスは空を仰いだ。瞳はその色を映し透明に輝きながらも、彼の口は少女の甘さに舌打ちをした。

『お願いだから、これ以上この国を壊さないで! 水も枯れた大地だけど、きっと元に戻すから! 』

その言葉の後、彼の頭のみに伝えられた少女の意志。

「愚かよ。我との戦いに命をかけるのではなく――……」

『……私の「全て」で、この地を未来へ繋ぐから。だからお願い、見逃してください』

「人の為に自らを地に返すか。ディアナよ」

さすが、心優しき水の守護者。
メナスはそのまま、砂漠の熱風の中へと消えた。 

「よかった、安心だね」

振り返り、気が抜けたかのようにへらっと笑うトエイに、三人は一斉に駆け寄り口々に文句を言った。

「なんって危ないことするのトエイっ!!」

「相殺定義知ってるくせに、戦うか普通!」

「…………お前にはあらゆる意味で目を覚めさせられた」

三者三様の物言いに、トエイは口を押さえて笑いだしてしまう。
説教をする態勢に入っていたルピナスは、割れた眼鏡を外しながらやり場の無い苛立ちを喉の奥に飲み込んだ。

「あんな怪我だらけで……まったく!」

「ま、笑う元気があるんだから平気だろ」

アインは剣を背中に背負うと、笑い転げるトエイを暖かな眼差しで見つめた。

「捨て子に忌み子、か……」

アインが少し低音にそう零した為、ルピナスは彼の表情を伺った。

「……気にしているの?」

だが、アインはただ笑顔を返した。

「いやまったく。なんだよ、お前こそ変な気ィ使うなって!」

「だって。貴方がそんな声で言うから」

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