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三章 ケリュネオン参戦編
単行本9巻ダイジェスト② 皇女リリ
しおりを挟む「まだなの!?」
転移の準備に手間取る体たらくに帝国の皇女リリが憤る。
皇女としてはどうかと思える反応だが、無理もない事だった。
ここは帝国の辺境に位置する都市のひとつ、ロビン。
商いの要所ではあるが、帝都からは遠くは離れている。
だが彼女はほぼ同じくらい離れた距離にある学園都市から先ほど一瞬で転移してきたばかりだ。
同じ方法で転移が可能なら、もうリリは帝都にいる事になる。
これが彼女の憤った声の意味をを理解できる根拠の一つ。
もう一つは今帝国が置かれた状況にある。
魔族の奇襲だ。
ステラ砦に篭っている筈の魔族が、ロッツガルドの学園祭の時期を狙ってリミア王国とグリトニア帝国に同時に奇襲を仕掛けてきたのだ。
学園祭に出席していたリリがその報告を受けて焦ったのは言うまでもない。
偶然かどうか、ロッツガルドに店を出していたクズノハ商会という彼女とも多少の因縁がある商会が有する優秀な転移技術の恩恵を受け何とかロビンまで戻ってきたばかりだった。
ご丁寧に転移陣や念話を封じ込められたロッツガルドからこれほど早期に脱出できたのは明らかな幸運だが、帝都襲撃という言葉はその程度の幸運でひっくり返せるものではない。
一刻も早く帝都に戻る。
それが今のリリが全力を注いで果たすべき事だった。
既に何人もの大物貴族、皇帝の血に連なる皇族が帝都から非難したというのにリリはその帝都に戻ろうとしている。
理由は単純明快なものだ。
帝都ルイナスには彼女が失うわけにはいかないものがいくつもあるからだ。
その筆頭は帝国の勇者、岩橋智樹。
リリにとって最高の手駒にして、一蓮托生の相手。
彼女が望む魔族の殺戮に最後まで付き合ってくれる血塗れのダンスパートナー。
次いで彼の戦闘力強化の為の数々の研究。
今魔族に壊される訳にも、奪われる訳にもいかない。
だからリリは帝都に戻る。
そして指揮を執らなくてはならない。
主だったお偉方が自身の保身の為、安全確保の為に帝都から逃げ出しているだろう事は既に彼女の頭には織り込み済みだ。
その上で残っているだろう面々の顔も大体想像がついている。
今帝都の戦線は智樹達が最前線に出て支えているという事も、念話による確認の必要も無くリリにはわかっている。
(智樹を上手く使って魔族どもの狙いを引き出さなくては……! その為に刹那の時間すら惜しいというのに!)
そんな焦りに身を焦がすリリ。
ふと彼女の脳裏にロッツガルドで短く言葉を交わしたクズノハ商会の代表の姿が浮かんだ。
一見頼りなく映るも、確実に脅威となる力を持った不気味な集団。
それがリリから見たクズノハ商会。
代表であるライドウと名乗った男はまさにその特徴を一番に表した存在だった。
技術と知識だけなら世界でも間違いなくトップクラスにいるロッツガルド学園を襲った変異体と呼称される怪物が起こした事件。
当の学園は右往左往として状況は悪化の一途を辿っていた。
なのにだ。
クズノハ商会は一切の焦りを見せなかった。
困ったような様子は随所に見られたが、代表も従業員も、所属する誰もが恐怖や絶望を一切見せなかった。
しかもこちらが半ば強制的にとはいえ助力を望んだ途端に、彼らはリミアにもグリトニアにも極めて高度な転移の技をもって声に応じた。
また代表のライドウが講師として鍛えたという生徒達の桁外れの実力。
これもまたリリに大きな驚きを与えた。
智樹が帝国で完成させつつある兵士の簡単なレベル上げシステム。
要は勇者の特権濫用ともいえる、ある意味乱暴な方法だったがリリから見ても有用なものに仕上がっていた。
早く確実に高レベルの兵士を作り、智樹の為に喜んで死ぬ戦力として活用すれば戦局を大きく有利に傾ける事が出来る筈のものだと。
しかしライドウの生徒は、彼らがリリに見せた可能性は更にその上をいった。
ただの教育で、優れているとはいえ学生があれほどの力を持つ。
にわかには信じ難く、そして恐ろしいと彼女は感じた。
多くの驚嘆に値する実績と未だ底が窺えない実力。
ライドウという存在はリリの胸に強く印象付けられていた。
(もし彼が、智樹ではなくライドウが帝国に“いてくれた”ら私は今、どうしていただろう……)
もしも。
たら、れば。
普段のリリなら滅多に口にしない言葉。
頭にも浮かべない言葉だ。
なのに何故か今、有り得ない妄想をしたリリ。
理由は彼女自身にもわからない。
すぐに頭を振って下らない考えを思考から追い出していく。
一つだけ確実に言える事は、帝国の狂皇女にすらライドウとクズノハ商会の異常性は極めて異質なものだった、という事だろう。
「リリ様、帝都までの道筋、整いました!!」
「急ぎます! 戦況はまだ把握できないの!?」
「魔族の襲撃が多方面から同時に仕掛けられており情報が交錯しております。正確な情勢の把握にはまだ時間が足り――」
「智樹様は! 帝都周辺と智樹様に関する事だけ即座に報告させなさい。他などどうでもいい!!」
「わ、わかりました!」
ロビンから帝国中枢への転移陣に乗るリリ。
特有の浮遊感が彼女の身を包み、一瞬で中継点の都市へ到着する。
すぐに誘導されるまま別の陣に乗って次の街へ、また次の街へ。
道筋が整ったというロビンでの言葉通り、リリは帝都までの道を最短で進んでいく。
「っ!?」
もうすぐ帝都だという地点で、リリは陣から陣へと渡る足取りを止める。
小窓に一瞬の煌きが走った気がしての事だ。
しばし後、覚えのある空気の振動、波のようなものを彼女自身が感知してリリは小窓に目を向けるに至った。
「……今のは?」
嫌な予感が彼女を包む。
使用する前に絶対に自分の許可を取れと智樹にきつく伝えた、とある力の発動に似ていたからだ。
誰にというよりは誰でも構わないから答えろと言わんばかりの皇女の言葉が部屋に響く。
「ほ、報告します。帝都郊外にて謎の光の炸裂を確認。爛れた橙の光、としか情報はありません……」
「くっ!!」
頼りない報告に、ではなく光の意味を察したリリが足早に陣に乗り込んだ。
慌てて彼女の後を追う従者とリリが光に包まれて消える。
(智樹! 許可無くニュークスを使うなとあれほど!! こんな場面で見せてしまうだなんて、なんてザマなの!)
そして帝都へ。
皇女の帰還は遂に成った。
縋る様にリリに押し寄せる最悪の報告の数々。
彼女の悪夢が始まった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「ギネビア、モーラ、ユキナツ……」
見るに耐えない瀕死の三人をまっすぐ見つめるリリ。
帝都に戻ったリリが真っ先に告げられたのは勇者の供である三人の女性が瀕死の重傷を負っている、というものだった。
報告に間違いはない。
瀕死の重傷という言葉さえ生ぬるいような三人の姿がそこにあった。
よく死ななかったと言うよりは、よくここまで殺さずに苦しめた。
そう言いたくなるような惨状だった。
「最優先で治療にあたっておりますが、何分これだけの重傷。何らかの後遺症はお覚悟頂きたく……」
「許しません。傷跡を残す事すら許可しません。三人とも智樹様の大事な愛妾でもあるのです。馬鹿な事を言う前に全力を尽くしなさい」
続いて言い難そうに負傷の程度を口にしていく治癒術師の意見を一蹴するリリ。
「わ、私とて治療のプロです! 智樹様の為にも全力を尽くしております! しかし、しかしこんな無残なっ。意識が戻るだけでも上首尾でございます!!」
「……本気で言っているのですか? 全力を尽くしている? ではどうして、私と智樹様用にとストックしてあるはずの『リュカの涙』がここにないのですか」
プロとしての意見と予想される結果を伝えるも、リリから彼女に返ってきたのは凍てつく視線に耳を疑う発言。
「あ、あれは皇族の皆様と勇者である智樹様にだけ使用が許可されている秘薬! いくら智樹様に近しいからといって――」
「治しなさい。絶対にです。私の分のリュカの涙を使っても貴女に塁が及ぶような事は絶対にさせませんが、この三人の内、誰か一人でも完全に治らなかったらその時は貴女はもちろん、この治療に関わった全員、その親族までも極刑に処します」
「っ!!」
「それでもリュカの涙を使いたくないなら好きになさい。わかっているでしょうが、私はやるといった事は絶対にやりますよ」
「……」
「やれ」
リリは短く、低く呟いた。
それがトドメになった。
治療チームのリーダーを務めている女性は皇族用に秘蔵されている最高級の魔法薬を治療に用いる事を決めた。
慌しくチームが動いていく。
(これで三人は助かる。貴女達にも、今死んでもらう訳にはいかないのよ。智樹が守ろうとした以上、私にも貴女達を守る義務がある。もっと相応しい場で智樹の魔族への憎悪を煽って、欲を言うなら彼の命の身代わり人形になって死んでくれないと)
前例のない秘薬の使用になど、皇女は微塵も拘らない。
所詮薬は薬でしかない。
今この時点においてはギネビア達の命の方が重いと彼女は判断したのだ。
それは同時に薬の方が重いと判断した場合は絶対に使わせないという態度の裏返しでもあり、決してリリが命を何より重んじている訳ではない。
しかしながら治療チームの中にはそう勘違いした者は少なからず存在し、リリへの忠誠を勝手に深めていた。
目から自身に注がれる憧憬や尊敬の念をリリは感じ取っていたが、当然わざわざその誤解を解くような真似はしない。
扱いやすくなる分には有難いからだ。
こういう地味な支持も時には力になると、彼女は考えていた。
「リリ様、肝心の智樹様の行方ですが未だわからず……申し訳」
「先ほどの光です」
「は?」
智樹に最も近い女達の治療が進んでいく中、新たに駆け寄ってくる報告者が一人。
智樹の行方に関するものだった。
だがこの件についてはリリはもう答えを得ている。
重い鎧を着込んだ男の言葉を遮って、彼女は即答した。
「少し前に強烈な光の炸裂がありましたね?」
「は、はい!」
「今そこはクレーターになっている筈です。その中央に、智樹様はきっとおられます」
「え、ええ!?」
「急ぎなさい。現場近くで無事な者を募り救助チームを率い智樹様をここにお連れして。ここでの智樹様救助の指揮は貴方に任せます。期待していますよキエルエム伯、良く残っていてくれました。感謝します」
「は……はっ!! 必ず勇者様をお救い致します!」
リリは大まかな支持を与え、手柄を与える事を示唆し、最後に彼の名を呼んでやった。
ごくわずかな間でリリの意図を理解した男は気合十分の顔で来た時よりも力強く駆け出して行った。
(ニュークスを使った以上周辺に生者なんていないでしょうから、救助はさほど困難な事でもないでしょう。未だに念話が繋がりにくいのは気になるけれど……どうやらニュークスを放つ程の脅威は殺せたか撃退できたようだから今はそれで良しとすべきね)
智樹が奥の手であるニュークスという力を使った以上、そこには何らかの強大な敵がいたはず。
その敵によりギネビア達は瀕死の重傷を負い、智樹は何らかの手段で彼女達を帝都に逃がしニュークスを放った。
もし敵が健在なら距離を考えて既に帝都に攻め入ってきているのは明白であり、智樹は少なくとも深手を負わせる事は出来たのだと皇女は判断した。
智樹の奥の手の威力はそれほど凄まじいモノだと彼女は知っている。
そしてその力の代償も。
もう一つ智樹について安心できる材料がリリにはあった。
(今は夜。本人はあれで隠しているつもりでしょうけど、智樹は十中八九夜は死なない。勇者というのはどこまで神の祝福を受けられる存在なんでしょうね。もはや愉快ですらあるわ)
思わず皇女の口が綻ぶ。
(もっとも、ヒビキを始末するのがかなり面倒だろうって予測にも繋がるのだけどね。智樹があの娘も魅了できるようになれば何の問題もないのだけど。クズノハ商会の巴の件で焚きつけて、もっと魅了を強化させるべきかしらね)
魔族との戦争を殲滅という形で終えたその後は、ヒューマン同士の覇権を巡る戦争が始まる。
いや、リリが智樹に始めさせる。
彼女が思い描く次なる戦争において、もっとも明確な障害はリミア王国でありもう一人の勇者である音無響。
どう排除すればいいか、その絵は未だリリの頭にもない。
「リリ様、帝都の南区画郊外付近において不審な爆発を確認したと報告が! 内部に侵入を許した可能性も十分に考えられます。急ぎ近衛を編成しました故、奥にお下がり下さいませ」
「不審な爆発? 詳しく教えなさい」
「は。まだ戦火が及んでいない地域で民の避難も順調に進んでいた地域で一軒の邸宅が突如爆発した模様です。調査に行かせていますが恐らくは無人の家。魔族どもの何らかの作戦の合図かもしれません」
「ふう……ん」
「リリ様! お急ぎ下さい!」
「……いえ、その必要はないわ。代わりにその邸宅の持ち主と周辺の有力者を調べなさい。それから今回の襲撃の直前から帝都を離れていた貴族と皇族、今回の襲撃で迅速に帝都から避難した人達もね」
「リリ様?」
「もうすぐここに智樹様がお見えになります。私はここを動きません。では頼んだ事、速やかに進めて下さい」
「しかし! 未だ魔族の襲撃は止まず、帝都の中もいつ奴らに踏み荒らされるかっ!」
「私が聞いた諸々の報告が真で、更に私の推測が当たっていれば」
「……え?」
「魔族どもはそろそろ……いえ、もう既に撤退を始めている頃でしょう」
リリが神妙な顔つきで近衛を編成して彼女を護衛しようとした男に答えた。
でしょう、と言いながらその顔は予測を口にしている様子ではなく確信を感じさせるものだった。
「良いですね。貴方は私が命じた事を確実にこなしなさい。ただし秘密裏に。では、すぐにかかりなさい」
「た、ただちに!!」
反論を許さない口調で改めて命じると近衛騎士を引き連れて男は去っていく。
その様子から視線を外すと、リリは改めて治療を受ける意識の戻らない三人を見て、唇をかみ締めた。
(そう。お前達の本命は王国という事なの。随分と……帝国を、私を、舐めてくれるものね。それに、この帝国に魔族に通じる者がいるだなんて想像しただけでおぞましい。必ず見つけ出してその血を絶やさなければ)
深く冷たい憎悪がリリの胸中を駆け巡っていた。
間違いなくいるであろう内通者の存在、同時攻撃といいながらその本当の目的は恐らく王国だったという推測。
今すぐに魔族を智樹に殺して回らせたいという渇望が憎悪から生み出される。
なのにその望みは叶わない。
肝心の勇者とそのパーティの治療、帝国の復興を優先しなくてはいけないからだ。
きつくかみ締めたままの皇女の唇から赤い血の筋が伝う。
「リリ様!」
「皇女!」
「リリ様!」
次々に報告と指示を願う声がリリに届く。
唇の血を拭き取り、何事もなかったように声の主達に振り返った皇女は的確に彼らに指示を与えていく。
心を闇に染め上げたまま。
やがて届く魔族撤退の報せと、城内に湧き上がる喜びの声。
リリはただ一度微笑みを顔に浮かべただけ。
そして城に戻った意識のない智樹との再会。
感動の再会を演ずる前の一瞬、リリは智樹を冷たく見下した。
(ひどくやられて。肝心な所で役に立たないのね。でも、こんな事は今回で終わりにしてもらうわよ。囮に使われた帝国でコレなのだから、魔族は王国の勇者を殺してくれるのかしらね。アレも抵抗して魔将の一人や二人殺してから死んでくれると理想的なのだけど)
誰にも気付かれる事のない皇女の狂気は衰える事を知らず。
ただひたすらにその濃さを増していく。
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