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六章 アイオン落日編
ライムの願い
(わかりました。商会周りはお任せを)
巴が念話を終える。
名残りを惜しむ顔を束の間浮かべると、普段の顔で必要な指示を出していく。
念話の相手が誰かは容易に知れた。
クズノハ商会で店に出る事なく控えていたライムは、間近で上司の様子を観察しながらその一瞬の表情を見て内心で驚く。
別に周囲に花が咲いては散るような浮かれ様を晒している訳ではない。
むしろ巴は、そして澪も内心の感情に比較すれば随分と態度に出ている分は大人しい。
しかしライムからすれば、いざライドウとの関係が深まったとしても巴が目に見える部分で何か変わるとはとても思えなかった。
男装の麗人を地でいっているような巴だけにそうなった姿が予想しにくい、という部分も多分にあった。
この辺りの誤解が、ライムに怪我をさせた。
まあ巴ならばあっけらかんと嬉しそうに反応するだろう、と踏んだライムは「昨夜はお楽しみでしたね」をほぼそのままに挨拶代わり口にして。
少々おとなしめの反応を見せた巴に路線を変えずに会話を畳みかけた。
結果、半日ほど活動不能の大怪我をする事になったのである。
半日ほど。
ライムが全力で踏んだのがどれだけの虎の尾だったのか。
それとも亜空の医療能力が途轍もないのか。
彼の惨状を知る人々は唸りながら悩むのだった。
「……旦那はまだ黄昏街ですか」
「うむ。とはいえ夜が更ける前には亜空にお戻りになるし、夕食も大体はお戻りになってからじゃ。ちょっと仕事に行っとる感覚じゃな」
「あそこが事実上立ち入り禁止なのは俺らの常識でしかありませんし。考えてみりゃ何でもありの犯罪者が住人の多数を占めるってだけです。旦那たちなら危険はねえっすね。姐さんも微塵も心配なさっちゃいねえ」
「……それは少し認識が間違っておるな、ライム」
「多少は心配もなさってますか?」
「いやそこは塵ほども。間違っておるのは住人に対する認識じゃ」
「あの犯罪者どもの方ですか?」
黄昏街は冒険者でさえ忌避する場所だ。
あそこに立ち入るのは余程まずいブツをさばく必要がある場合か、表に絶対出てこない情報を手荒にでも手に入れなければならない場合、それから――
いずれにしても真っ当でない事に直面して、それでも一歩踏み込まなくてはいけない。
そんなどうしようもない状況に追い込まれたジリ貧の冒険者の最後の手段だった。
もう一つ、適正レベルに届かずランクも及ばず、かつ実績もないのに荒野入りを急ぐ冒険者たちもか、と。
ライムは心底からの嘆息を胸中でそっと漏らし、最後の該当者たちに侮蔑とも憐憫とも怒りとも似て、しかしどれでもない感情を押し殺した。
「あそこに集まって留まっておるのは、犯罪が大好きで自分がやりたい事に忠実で何でもあり、そういう連中じゃ」
「……犯罪者、で合ってるような」
「どんなやむをえん事情でも犯罪を犯せば犯罪者、しかしそれを好み、企て、実行するのに躊躇いどころか喜びしか覚えぬ者も犯罪者。一つにまとめてしまうのは少し乱暴じゃろう。前者はまだ更生し得るが、後者は救いようがない」
「犯罪が大好物な連中ってことですか」
「じゃな。だが連中はその分だけ鼻が利く。若や澪を見て、触れて、それでも手を出そうとするのは生粋の死にたがりだけじゃ。そんな輩は全体からみればごく少数、問題なかろ」
「その死にたがりどもは旦那を殺したくて死にに行くと。いや、殺されたくて死にに行く? よくわかんねえすね」
「どちらもじゃろうが、そこを儂らが分類した所で結果は変わらん。幸いにも黄昏街に生きていてもらわねば困るような人材はおらんしな」
どんな癖であれ、あそこを好んで潜むような輩は屑でしかない。
巴は苛烈に彼らを切り捨てた。
先の問題なかろ、との言葉が全部死んでも構わんよな、という意味での同意を求めるものでもあったのだとライムは今気づいて、思わず苦笑いを浮かべた。
いくら女の顔もするようになったからと言って、甘く優しくなった訳ではないのだと。
「ま、黄昏街は街の恥部に違いありません」
「かといって下手に潰して街中にまき散らす、ではな。レンブラント商会は上手い事折り合いをつけておったもんじゃ。抜け目ないわ」
「俺が覚えている限り、あそこは下手を打ったことがねえっすよ」
「知れば知るほどに奴ほど越後屋に相応しいのもおらんのじゃがなぁ。はぁ、若が親しくされておるのではそれもかなわぬ。無念無念であるよ、と」
「はは……」
「と言う訳でな、ライム。お前にも動いてもらうぞ。クズノハ商会の噂についてじゃがな、冒険者どもと協力して噂を押し留めてもらう」
「噂を押し留める、っすか?」
ライムもクズノハ商会が革命軍と反神教を介して繋がっているという噂は知っている。
更には蜃気楼都市の主こそが反神教の神であり、それはリミアに突如出現した魔人なのだと。
蜃気楼都市の主=魔人=クズノハ商会の主=ライドウだと既に知っているライムからすれば噴飯ものの与太話だが、確かに世間的にはクズノハ商会の代表以外は正体がベールに包まれているし上手く作ったものだと感心しなくもない。
そしてある意味面白い事にクズノハ商会代表ライドウというのは、ツィーゲにおいて未だに能力を疑問視される事もある冗談じみた人物なのだ。
あれはお飾りだとも世を忍ぶ仮の姿だとも、好きに言える。
……彼の真実を知らなければ。
ちなみにライムはそんなリスクしかないような愚行、毛ほども関わりたいとは思わない。
ただライムなどはまだ冷静に噂を分析できるが、彼が組む事も多い森鬼のモンドなどはこの噂を聞いた時には激怒した。
ライドウの能力やクズノハ商会の実績を虚仮にする悪質極まりない侮辱だと。
同じ種族のアクアは青筋を立てて笑顔の仮面を張り付けていたし、最初爆笑していたエリスはライムの太腿をバシバシ叩きながら「出処どこ? ちょっくらバルサン焚いてくる」と意味不明ながら妙な迫力で聞いてきた。
ライドウが従業員から好かれているのを、ライムは再確認したのだった。
「うむ幸いにも冒険者は付き合いが広い者も多い。それでな連中も使って方々の蜃気楼都市の噂に細工をしてもらう」
「……わかりやした」
「細工の内容は……そうじゃな蜃気楼都市の主は反神教などでなく追放された古きツィーゲの領主、で良い」
「……」
「冒険者を支援するのは今もツィーゲを愛しておるから。クズノハ商会との関係は荒野での出会い、でよかろ」
「それを新たに流して上書きできやすかね?」
ライムの疑問ももっともだ。
既に流れている噂には、先に蔓延した利がある。
後から出てきた方は定着させられたとしても時間を要するし、完全な上書きは出来ると断言できるものではない。
「上書きなどせんで良い」
「は?」
「この噂は元々根も葉もない。誰もが興味を持ちながら知り得なかった事に一つの説を与え弱者を中心に大勢をある程度納得させただけのものじゃ」
「はい」
「こちらが否定の証明が一筋縄ではいかぬ代わりに、向こうもこちらを論破して否定する事は容易ではない」
「あ、確かに」
「噂が混乱して迷走すればそれで良い。時間稼ぎじゃ」
「姐さんにしては、その……控えめな策っすね」
「そうか? 向こうは儂らの不在に急いでこんな舐めた噂を広め、落ち目の商人も動員してクズノハ商会にあの手この手で干渉しようと動いておる。本当に随分と拙速な動きよな」
「……ええ」
「何故そこまで急ぐ?」
「わからねえっすけど、何かはありそうっすね。このタイミング、革命軍のこじつけ、戦争絡みが濃厚……」
しかしクズノハ商会への理解次第では革命軍をだしに使った王国側の策という線もある。
戦争に絡んだ一手だとは思うライムだが、流石に現段階でどこが喧嘩を売ってきたかまでは特定できない。
「それらは良い線かもしれんが、まったく的外れかもしれん。確実なのは先も言ったが相手が急いでいるという点じゃ。つまり、状況が膠着すれば焦る」
「!」
「焦れば動く。そして今クズノハ商会のツィーゲ店には主力が勢揃い。動けば?」
「網に引っかかる」
「正解じゃ」
「昔の仲間に頼んで緊急依頼として発注しても?」
「構わん。報酬は弾んでやれ、破格にな」
「はい!」
獰猛な巴の笑みにライムは即座に返事を返す。
打てば響くとはまさにこの事、と感心する程に。
背を向けたライムに、巴は表情を変えぬまま更に言葉を放った。
「ああ、もう一つ」
「?」
「お前のいた孤児院、ウェイツ孤児院じゃったか」
「っ!」
「あそこの子ども達も動かせ」
「姐さん、それは……」
「冒険者は顔が広い者が確かに多いがな。スラムなどで炊き出しに群がるような輩はな、そういう者には容易に心を開かぬのも多い。じゃが……弱者というのは自分と同じか、力でなら自分が勝るような立場の相手には意外と、脆い」
「ですが、子どもにこんな重要な仕事は」
「……のう、ライムよ」
「……はい」
「お前、若に頼み事があるんじゃろ?」
「!?!?」
「儂はどうかと思わんでもないがな。お前もよくよく考えた上で奴らの為に一番良いと思うて決心した事なんじゃろ?」
「それは、ですが」
「ウェイツ孤児院を蜃気楼都市の、亜空の一員に加えて欲しい」
「っ、はい……希望するのだけでも、構わねえんで」
「……ロッツガルドか」
「は、はは……何でもお見通しすね、姐さんは。ええ。ジン達の事を聞いて、見て、話して。ウチのガキ共もあんな風に旦那、いや亜空の皆の手で育ててもらえたなら、と。前々からうっすらとは考えていたんですが、あそこで固まりました」
「それなりの力を身に着けるか、いやそれでも若の判断次第では人生の全てを亜空で過ごす事になるかもしれんが?」
巴がどうかと思う部分はここだった。
亜空に迎え入れたとて、果たしてヒューマンが亜空に馴染むのか。
馴染んで力を得て、クズノハ商会の一員として認めるに足る実力を手にしたとして、果たして真が外に出る事を許可するのか。
ヒューマンが亜空に入る事には問題がまだまだある、と巴は考えていた。
故に、少し前まではライムの願いにも本心では否定的だった。
「そこは心配してません」
「ほう?」
「どうせ、優秀なのから大手の商会の丁稚に引っ張られて使いつぶされ、残りは冒険者に夢を見て無茶やって早死にしたり、スラム行きになったり」
「……」
「どのみち明るい未来を掴めるのなんざ、ほんの一握り。亜空って広大な場所で生きられるなら、それは間違いなく最高の選択肢の一つだと、俺は思ってます。どうするかは選ばせる気ですし、その上で出られるかどうかなんて、関係ねぇっす」
「子どもの選択など、自由なようで不自由なんじゃがな……特に孤児院の子らとなれば、な」
「今更過去も現在も変えられやしません。姐さん……意外と子どもに優しい? んすか?」
「……こないだので懲りとらんのかライム?」
「十分! 反省しております!!」
「なら良し。一度だけな。まあいい加減な、お前がぐじぐじしとるのを見るのも飽きたでな。孤児院にも多少の功績を作ってやろうという事じゃよ」
「?」
「アクアとエリス、それに同じウェイツ孤児院出身の……ほれ、キーマとキャロというのがおったろ。あれらを護衛に使ってよい」
クズノハ商会もツィーゲに商会を開いてしばらくが経った。
それなりの人脈もある。
キーマもキャロも優秀な冒険者であり、同時に料理人と木地師という職人の顔も持っている。
そしてウェイツ孤児院出身の孤児でもあった。
「!!」
「久々に儂らに喧嘩を売ってきた阿呆は不愉快じゃが。使える状況なら使わねばな。お膳立てはしてやる、じゃからこの機会に若に頼んでみい」
「よ、よろしいんで?」
「良いからお膳立てをしてやる、と言っておる」
「あり、ありがとうございやす!」
「励めよ」
「必ず、成功させてみせます!」
「うむ、では……ああそうじゃった。一つ、お前に小言があるライム」
「え、あ、はい?」
最高の提案をもらったライムは士気マックスで駆けだそうとしていたのだが、呼び止められる。
「儂もな、経験が少ない故お前にも色々と聞かせてもらっておる訳じゃが」
「は、はあ?」
「若とのな、男と女の、ほれ」
「あ、ああ。はい、何か?」
「お前、言うたな? あまりがっつくべきではないと。そういう仲になっても若のようなタイプはあまりしつこく求めるのは好まぬと」
「ええ、一般論ですけど確かに。旦那みたいなタイプは覚えたてでもそうそう毎日じゃあお疲れになる方でしょうし」
多分、情事よりも弓の修練を好むだろうなとライムは思っていた。
ライム自身はどちらかと言うと、溺れに溺れて、何なら今も大好きなままだがようやく多少の節操を覚えたと自負していた。
だがあのライドウがそうなるか。
まったく想像できなかった。
だからライドウを援護するつもりで巴にがっつきすぎるのは良くないと伝えていた。
澪には恐ろしくて面と向かってはとても言えないが、巴から尋ねられるという状況なら何とか言う事ができたのだ。
巴に話が通れば、澪にもきっと伝わるに違いない。
正直な所、ライムは最近のファインプレーはこれだと誇ってもいた。
「それがのう、お疲れになるどころか若は――」
「え?」
「澪の奴が毎度――」
「っ!」
「で儂もここ毎晩一緒に――」
「はぁ!?」
「そもそも終わりというの――」
「そんな、あり得ねえ……」
「そうなのか? 結局気付けば窓から――」
「凄ぇ……凄いっす旦那……」
ライムはまだまだ自らの主を把握する事など出来ていなかったのだと反省した。
そして巴への弁明として、それは決して普通ではなしえない事なのだと。
ある意味で物凄い奇跡なのだと、全身全霊を込めて力説しておいた。
巴は謎の気迫に気圧されながら頷き、説教などはなくライムを解放してくれた。
(機会があったら絶対、旦那と温泉郷にご一緒出来る様お願いしてみよう。裸の付き合いで是非お話を伺いてぇ!)
ツィーゲの街を走るライム。
冒険者ギルドへ、そして懐かしき孤児院へ。
足取りはどこまでも軽く。
己が願いが叶う日が近くまできているという充足が一層彼の気力を充実させていた。
ほんのひと欠片だけ、ライドウへの好奇心も混じっていた。
巴が念話を終える。
名残りを惜しむ顔を束の間浮かべると、普段の顔で必要な指示を出していく。
念話の相手が誰かは容易に知れた。
クズノハ商会で店に出る事なく控えていたライムは、間近で上司の様子を観察しながらその一瞬の表情を見て内心で驚く。
別に周囲に花が咲いては散るような浮かれ様を晒している訳ではない。
むしろ巴は、そして澪も内心の感情に比較すれば随分と態度に出ている分は大人しい。
しかしライムからすれば、いざライドウとの関係が深まったとしても巴が目に見える部分で何か変わるとはとても思えなかった。
男装の麗人を地でいっているような巴だけにそうなった姿が予想しにくい、という部分も多分にあった。
この辺りの誤解が、ライムに怪我をさせた。
まあ巴ならばあっけらかんと嬉しそうに反応するだろう、と踏んだライムは「昨夜はお楽しみでしたね」をほぼそのままに挨拶代わり口にして。
少々おとなしめの反応を見せた巴に路線を変えずに会話を畳みかけた。
結果、半日ほど活動不能の大怪我をする事になったのである。
半日ほど。
ライムが全力で踏んだのがどれだけの虎の尾だったのか。
それとも亜空の医療能力が途轍もないのか。
彼の惨状を知る人々は唸りながら悩むのだった。
「……旦那はまだ黄昏街ですか」
「うむ。とはいえ夜が更ける前には亜空にお戻りになるし、夕食も大体はお戻りになってからじゃ。ちょっと仕事に行っとる感覚じゃな」
「あそこが事実上立ち入り禁止なのは俺らの常識でしかありませんし。考えてみりゃ何でもありの犯罪者が住人の多数を占めるってだけです。旦那たちなら危険はねえっすね。姐さんも微塵も心配なさっちゃいねえ」
「……それは少し認識が間違っておるな、ライム」
「多少は心配もなさってますか?」
「いやそこは塵ほども。間違っておるのは住人に対する認識じゃ」
「あの犯罪者どもの方ですか?」
黄昏街は冒険者でさえ忌避する場所だ。
あそこに立ち入るのは余程まずいブツをさばく必要がある場合か、表に絶対出てこない情報を手荒にでも手に入れなければならない場合、それから――
いずれにしても真っ当でない事に直面して、それでも一歩踏み込まなくてはいけない。
そんなどうしようもない状況に追い込まれたジリ貧の冒険者の最後の手段だった。
もう一つ、適正レベルに届かずランクも及ばず、かつ実績もないのに荒野入りを急ぐ冒険者たちもか、と。
ライムは心底からの嘆息を胸中でそっと漏らし、最後の該当者たちに侮蔑とも憐憫とも怒りとも似て、しかしどれでもない感情を押し殺した。
「あそこに集まって留まっておるのは、犯罪が大好きで自分がやりたい事に忠実で何でもあり、そういう連中じゃ」
「……犯罪者、で合ってるような」
「どんなやむをえん事情でも犯罪を犯せば犯罪者、しかしそれを好み、企て、実行するのに躊躇いどころか喜びしか覚えぬ者も犯罪者。一つにまとめてしまうのは少し乱暴じゃろう。前者はまだ更生し得るが、後者は救いようがない」
「犯罪が大好物な連中ってことですか」
「じゃな。だが連中はその分だけ鼻が利く。若や澪を見て、触れて、それでも手を出そうとするのは生粋の死にたがりだけじゃ。そんな輩は全体からみればごく少数、問題なかろ」
「その死にたがりどもは旦那を殺したくて死にに行くと。いや、殺されたくて死にに行く? よくわかんねえすね」
「どちらもじゃろうが、そこを儂らが分類した所で結果は変わらん。幸いにも黄昏街に生きていてもらわねば困るような人材はおらんしな」
どんな癖であれ、あそこを好んで潜むような輩は屑でしかない。
巴は苛烈に彼らを切り捨てた。
先の問題なかろ、との言葉が全部死んでも構わんよな、という意味での同意を求めるものでもあったのだとライムは今気づいて、思わず苦笑いを浮かべた。
いくら女の顔もするようになったからと言って、甘く優しくなった訳ではないのだと。
「ま、黄昏街は街の恥部に違いありません」
「かといって下手に潰して街中にまき散らす、ではな。レンブラント商会は上手い事折り合いをつけておったもんじゃ。抜け目ないわ」
「俺が覚えている限り、あそこは下手を打ったことがねえっすよ」
「知れば知るほどに奴ほど越後屋に相応しいのもおらんのじゃがなぁ。はぁ、若が親しくされておるのではそれもかなわぬ。無念無念であるよ、と」
「はは……」
「と言う訳でな、ライム。お前にも動いてもらうぞ。クズノハ商会の噂についてじゃがな、冒険者どもと協力して噂を押し留めてもらう」
「噂を押し留める、っすか?」
ライムもクズノハ商会が革命軍と反神教を介して繋がっているという噂は知っている。
更には蜃気楼都市の主こそが反神教の神であり、それはリミアに突如出現した魔人なのだと。
蜃気楼都市の主=魔人=クズノハ商会の主=ライドウだと既に知っているライムからすれば噴飯ものの与太話だが、確かに世間的にはクズノハ商会の代表以外は正体がベールに包まれているし上手く作ったものだと感心しなくもない。
そしてある意味面白い事にクズノハ商会代表ライドウというのは、ツィーゲにおいて未だに能力を疑問視される事もある冗談じみた人物なのだ。
あれはお飾りだとも世を忍ぶ仮の姿だとも、好きに言える。
……彼の真実を知らなければ。
ちなみにライムはそんなリスクしかないような愚行、毛ほども関わりたいとは思わない。
ただライムなどはまだ冷静に噂を分析できるが、彼が組む事も多い森鬼のモンドなどはこの噂を聞いた時には激怒した。
ライドウの能力やクズノハ商会の実績を虚仮にする悪質極まりない侮辱だと。
同じ種族のアクアは青筋を立てて笑顔の仮面を張り付けていたし、最初爆笑していたエリスはライムの太腿をバシバシ叩きながら「出処どこ? ちょっくらバルサン焚いてくる」と意味不明ながら妙な迫力で聞いてきた。
ライドウが従業員から好かれているのを、ライムは再確認したのだった。
「うむ幸いにも冒険者は付き合いが広い者も多い。それでな連中も使って方々の蜃気楼都市の噂に細工をしてもらう」
「……わかりやした」
「細工の内容は……そうじゃな蜃気楼都市の主は反神教などでなく追放された古きツィーゲの領主、で良い」
「……」
「冒険者を支援するのは今もツィーゲを愛しておるから。クズノハ商会との関係は荒野での出会い、でよかろ」
「それを新たに流して上書きできやすかね?」
ライムの疑問ももっともだ。
既に流れている噂には、先に蔓延した利がある。
後から出てきた方は定着させられたとしても時間を要するし、完全な上書きは出来ると断言できるものではない。
「上書きなどせんで良い」
「は?」
「この噂は元々根も葉もない。誰もが興味を持ちながら知り得なかった事に一つの説を与え弱者を中心に大勢をある程度納得させただけのものじゃ」
「はい」
「こちらが否定の証明が一筋縄ではいかぬ代わりに、向こうもこちらを論破して否定する事は容易ではない」
「あ、確かに」
「噂が混乱して迷走すればそれで良い。時間稼ぎじゃ」
「姐さんにしては、その……控えめな策っすね」
「そうか? 向こうは儂らの不在に急いでこんな舐めた噂を広め、落ち目の商人も動員してクズノハ商会にあの手この手で干渉しようと動いておる。本当に随分と拙速な動きよな」
「……ええ」
「何故そこまで急ぐ?」
「わからねえっすけど、何かはありそうっすね。このタイミング、革命軍のこじつけ、戦争絡みが濃厚……」
しかしクズノハ商会への理解次第では革命軍をだしに使った王国側の策という線もある。
戦争に絡んだ一手だとは思うライムだが、流石に現段階でどこが喧嘩を売ってきたかまでは特定できない。
「それらは良い線かもしれんが、まったく的外れかもしれん。確実なのは先も言ったが相手が急いでいるという点じゃ。つまり、状況が膠着すれば焦る」
「!」
「焦れば動く。そして今クズノハ商会のツィーゲ店には主力が勢揃い。動けば?」
「網に引っかかる」
「正解じゃ」
「昔の仲間に頼んで緊急依頼として発注しても?」
「構わん。報酬は弾んでやれ、破格にな」
「はい!」
獰猛な巴の笑みにライムは即座に返事を返す。
打てば響くとはまさにこの事、と感心する程に。
背を向けたライムに、巴は表情を変えぬまま更に言葉を放った。
「ああ、もう一つ」
「?」
「お前のいた孤児院、ウェイツ孤児院じゃったか」
「っ!」
「あそこの子ども達も動かせ」
「姐さん、それは……」
「冒険者は顔が広い者が確かに多いがな。スラムなどで炊き出しに群がるような輩はな、そういう者には容易に心を開かぬのも多い。じゃが……弱者というのは自分と同じか、力でなら自分が勝るような立場の相手には意外と、脆い」
「ですが、子どもにこんな重要な仕事は」
「……のう、ライムよ」
「……はい」
「お前、若に頼み事があるんじゃろ?」
「!?!?」
「儂はどうかと思わんでもないがな。お前もよくよく考えた上で奴らの為に一番良いと思うて決心した事なんじゃろ?」
「それは、ですが」
「ウェイツ孤児院を蜃気楼都市の、亜空の一員に加えて欲しい」
「っ、はい……希望するのだけでも、構わねえんで」
「……ロッツガルドか」
「は、はは……何でもお見通しすね、姐さんは。ええ。ジン達の事を聞いて、見て、話して。ウチのガキ共もあんな風に旦那、いや亜空の皆の手で育ててもらえたなら、と。前々からうっすらとは考えていたんですが、あそこで固まりました」
「それなりの力を身に着けるか、いやそれでも若の判断次第では人生の全てを亜空で過ごす事になるかもしれんが?」
巴がどうかと思う部分はここだった。
亜空に迎え入れたとて、果たしてヒューマンが亜空に馴染むのか。
馴染んで力を得て、クズノハ商会の一員として認めるに足る実力を手にしたとして、果たして真が外に出る事を許可するのか。
ヒューマンが亜空に入る事には問題がまだまだある、と巴は考えていた。
故に、少し前まではライムの願いにも本心では否定的だった。
「そこは心配してません」
「ほう?」
「どうせ、優秀なのから大手の商会の丁稚に引っ張られて使いつぶされ、残りは冒険者に夢を見て無茶やって早死にしたり、スラム行きになったり」
「……」
「どのみち明るい未来を掴めるのなんざ、ほんの一握り。亜空って広大な場所で生きられるなら、それは間違いなく最高の選択肢の一つだと、俺は思ってます。どうするかは選ばせる気ですし、その上で出られるかどうかなんて、関係ねぇっす」
「子どもの選択など、自由なようで不自由なんじゃがな……特に孤児院の子らとなれば、な」
「今更過去も現在も変えられやしません。姐さん……意外と子どもに優しい? んすか?」
「……こないだので懲りとらんのかライム?」
「十分! 反省しております!!」
「なら良し。一度だけな。まあいい加減な、お前がぐじぐじしとるのを見るのも飽きたでな。孤児院にも多少の功績を作ってやろうという事じゃよ」
「?」
「アクアとエリス、それに同じウェイツ孤児院出身の……ほれ、キーマとキャロというのがおったろ。あれらを護衛に使ってよい」
クズノハ商会もツィーゲに商会を開いてしばらくが経った。
それなりの人脈もある。
キーマもキャロも優秀な冒険者であり、同時に料理人と木地師という職人の顔も持っている。
そしてウェイツ孤児院出身の孤児でもあった。
「!!」
「久々に儂らに喧嘩を売ってきた阿呆は不愉快じゃが。使える状況なら使わねばな。お膳立てはしてやる、じゃからこの機会に若に頼んでみい」
「よ、よろしいんで?」
「良いからお膳立てをしてやる、と言っておる」
「あり、ありがとうございやす!」
「励めよ」
「必ず、成功させてみせます!」
「うむ、では……ああそうじゃった。一つ、お前に小言があるライム」
「え、あ、はい?」
最高の提案をもらったライムは士気マックスで駆けだそうとしていたのだが、呼び止められる。
「儂もな、経験が少ない故お前にも色々と聞かせてもらっておる訳じゃが」
「は、はあ?」
「若とのな、男と女の、ほれ」
「あ、ああ。はい、何か?」
「お前、言うたな? あまりがっつくべきではないと。そういう仲になっても若のようなタイプはあまりしつこく求めるのは好まぬと」
「ええ、一般論ですけど確かに。旦那みたいなタイプは覚えたてでもそうそう毎日じゃあお疲れになる方でしょうし」
多分、情事よりも弓の修練を好むだろうなとライムは思っていた。
ライム自身はどちらかと言うと、溺れに溺れて、何なら今も大好きなままだがようやく多少の節操を覚えたと自負していた。
だがあのライドウがそうなるか。
まったく想像できなかった。
だからライドウを援護するつもりで巴にがっつきすぎるのは良くないと伝えていた。
澪には恐ろしくて面と向かってはとても言えないが、巴から尋ねられるという状況なら何とか言う事ができたのだ。
巴に話が通れば、澪にもきっと伝わるに違いない。
正直な所、ライムは最近のファインプレーはこれだと誇ってもいた。
「それがのう、お疲れになるどころか若は――」
「え?」
「澪の奴が毎度――」
「っ!」
「で儂もここ毎晩一緒に――」
「はぁ!?」
「そもそも終わりというの――」
「そんな、あり得ねえ……」
「そうなのか? 結局気付けば窓から――」
「凄ぇ……凄いっす旦那……」
ライムはまだまだ自らの主を把握する事など出来ていなかったのだと反省した。
そして巴への弁明として、それは決して普通ではなしえない事なのだと。
ある意味で物凄い奇跡なのだと、全身全霊を込めて力説しておいた。
巴は謎の気迫に気圧されながら頷き、説教などはなくライムを解放してくれた。
(機会があったら絶対、旦那と温泉郷にご一緒出来る様お願いしてみよう。裸の付き合いで是非お話を伺いてぇ!)
ツィーゲの街を走るライム。
冒険者ギルドへ、そして懐かしき孤児院へ。
足取りはどこまでも軽く。
己が願いが叶う日が近くまできているという充足が一層彼の気力を充実させていた。
ほんのひと欠片だけ、ライドウへの好奇心も混じっていた。
感想 3,666
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無理だと思うけど。
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なみゆき魔王を討ったはずの俺は、冤罪で追放された。 功績は奪われ、婚約は破棄され、裏切り者の烙印を押された。 信じてくれる者は、誰一人いない——そう思っていた。
だが、辺境で出会った古代魔導と、ただ一人俺を信じてくれた彼女が、すべてを変えた。 婚礼と処刑が重なるその日、真実をつきつけ、俺は、王都に“ざまぁ”を叩きつける。
……でも、もう復讐には興味がない。 俺が欲しかったのは、名誉でも地位でもなく、信じてくれる人だった。
これは、ざまぁの果てに静かな勝利を選んだ、元英雄の物語。
「お姉様の刺繍は素人ね」と笑った義妹の婚礼衣装——裏地を見た女官十二人が、一斉に針を置いた
歩人(あゆと)「お姉様の刺繍は、素人の手習いに見えますわね」――王太子妃となる異母妹アデリーナは、王宮女官たちの前で姉ローゼを笑った。翌週の婚礼の朝。式典装の最終確認のため、十二人の女官が衣装の裏地を検めた瞬間――一人、また一人と、針を置いた。裏地に縫い込まれていたのは、女官たちが十二年間ずっと探していた一筆の銀糸。即位式の絹外套、二人の王女の婚礼ドレス、亡き王太后の弔意の喪服。王家儀礼衣装のすべての裏地に、同じ手で、同じ糸で、同じ銀の花が縫い込まれていた。「アデリーナ様、これは――あなた様の手では、ございません」縫い手は、ずっと一人だった。それを十二年間、誰の名でも呼べなかっただけのこと。
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
友人(勇者)に恋人も幼馴染も取られたけど悔しくない。 だって俺は転生者だから。
石のやっさんパーティでお荷物扱いされていた魔法戦士のセレスは、とうとう勇者でありパーティーリーダーのリヒトにクビを宣告されてしまう。幼馴染も恋人も全部リヒトの物で、居場所がどこにもない状態だった。
だが、此の状態は彼にとっては『本当の幸せ』を掴む事に必要だった
何故なら、彼は『転生者』だから…
今度は違う切り口からのアプローチ。
追放の話しの一話は、前作とかなり似ていますが2話からは、かなり変わります。
こうご期待。
真の皇帝は俺です ~面倒だから幼なじみに帝位を任せていたら、婚約者に捨てられました。正体を明かしたら全員後悔してももう遅い~
由香皇帝の仕事が面倒だったレインは、信頼する幼なじみアレクシスに表向きの皇帝を任せ、自身は陰から帝国を支えていた。
だがある日、婚約者エミリアは「権力も将来性もない」と彼を見限り婚約破棄を宣言する。
しかし彼女は知らなかった。
帝国を動かしていた真の支配者が誰なのかを。
これは全てを持ちながら隠していた男と、見るべきものを見失った者たちの後悔の物語。