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2巻
2-1
しおりを挟むプロローグ
あぁ、という深い嘆息が馬車の荷台から聞こえた。
僕、深澄真は御者台からちらりと荷台に視線を送る。前方の高い石壁を見ようとしているのだろう、荷台の側面からは頭が四つ飛び出していた。
石壁までまだ距離は少しあるが、それでも十分すぎるほど伝わってくる存在感。大きな街ってのは本当みたい。
結局、「世界の果て」で出会った冒険者トアさんとその妹リノン、そしてその他の冒険者三名は、このツィーゲという街まで僕たちと一緒に来ることを望んだ。
連れがベースをまるまる一個ぶっ壊すなんて大惨事を起こし、彼らの滞在場所をなくしてしまった罪悪感から、僕はその願いを聞き入れた。
今、僕の両隣には、着物を着た澪と、高い壁を見て圧倒されているリノンが座っている。
両手に華の御者台であります。かたや僕と契約して人の姿となった元蜘蛛の変態従者、かたやお子様ですけどね。
もう一人の従者である元竜の巴は……武者修行に出ている。
実際は、余計な面倒事を起こしそうだったから適当なことを言って遠ざけただけだったり。
……計算通り、うまく行きました。
巴が武者修行のために一人旅すると宣言し、それを僕が認めると、トアさんたちから物凄い目で見られてしまった。
「果て」で単独行動とりたいっていう奴と、それをOKっていう奴を見て、唖然としたのだろう。
……正直なところ、手元に置いておくなら澪だ。こっちの方が落ち着いてるしなあ……まぁ、僕が見ている範囲内では、だけど。
リノンとトアさんを除いて、僕らと同行者さんたちの間に会話はあまりない。
大体、一発逆転の大儲けを狙っている冒険者連中と親しくしたところで、メリットがあるのかもわからないしね。それもあって、彼らの名前もあえて聞いていない。
そもそも、彼らは澪にばかり話しかけるし。
とりあえず、ツィーゲにいる間だけ、あたりさわりのない程度に付き合うつもりだ。ちなみに、トアさんは澪を「澪様」と呼び、弟子入りを希望しているけど。
「すっっっっごーーーーい!! 見てお兄ちゃん! 大きな壁ー!」
リノンは声を上げてはしゃいでいる。彼女にはお兄ちゃんと呼ばれ、すっかり懐かれてます。
……確かに、でかい。
でも彼女たちは、「果て」へ来るときにここを一度通っているはずだ。なのに、どうして今更こんなにはしゃいでいるんだ?
[リノンは一度ここを通っているんじゃないの?]
呪いをかけられて話せないという設定の僕は、魔法でフキダシを作り、そこに文字を書いてリノンに尋ねる。
「えーっと、私、果てへは転移魔法陣の乗り継ぎで行ったの。だから外での移動は殆どしてないんだぁ」
ふむ、転移魔法陣とな。便利なシステムがあるんだねえ。
「あら、転移魔法ですか。ならみなさん、それで転移してもらったほうが早くて安全だったかしら」
澪が呟く。
「あのう、澪様。転移は費用が高いのでさすがにお願いできませんよ……」
後ろからトアさんの声。
[高いってどれくらい?]
僕の問いかけにトアさんが答える。
「あのベースからツィーゲまでとなると、一人あたり金貨二十枚くらいかかります。荷物は別料金で、順番待ちもありますね」
うわ……セレブ仕様かよ。
修行をしたり一攫千金を目指したりしている奴が、魔物との戦闘機会を捨てて転移魔法を使うとは考えにくいから、きっと商人や貴族用なんだろうな。
[高いね。まあ、もう少しで到着だろうし今さら転移もないか]
「あはは。馬車での移動で十分です。というか、ここまで快適・安全だと商売にできますよ」
トアさんは、どうやら今回の馬車の旅が気に入ったらしい。
澪は扇で緩んだ口元を隠している。相変わらずおだてに弱いな……。
それはともかく、実際、この道程はすっごく安全だった。
澪の力量がわかる奴は襲ってこないし、わからない奴は瞬殺である。ゲームで例えるなら、エンカウント、画面暗転、フィールドマップへ戻る、くらいの早さだ。ターン制にすらならなかった。
むしろ、倒したあとのほうが長かったよ。
戦闘後、澪が倒した獣や虫の死骸をじっと見つめる冒険者の方々……。
僕はさっさと進もうと思っていたのだが、トアさんたちがあまりに寂しそうな顔をするので、途中から素材集めを許可したのだった。
トアさんは、見た目は僕の後輩にそっくり。そんな彼女が無残な姿になった動物や昆虫を、キラキラした目で見ているのには結構ひいた。
でも、そのおかげで素材採集の基本を勉強させてもらえたんだけどね。
ただ、集めたものは馬車の荷台に置くことになる。そうなると当然、そこで寝泊りしている冒険者たちのスペースはどんどん狭くなっていく。
それでも、ホクホク顔で体を折り曲げて眠っているのだから、よっぽど嬉しいんだな。
とりあえず僕も、商人としての勉強用に集めた素材を分けてもらった。
そんなことを思い出しながら、商売云々と言い出したトアさんに返事をする。
[僕は商人ですが、荒野での輸送を仕事にする気はありませんね。もっと世の中を見て回りたいというのもありますし]
「そうですか、勿体ないです。それだけの力がおありなのに……」
借金や博打の恐さを身をもって思い知ったトアさんからすると、安定した収入を確実に得られるのは大事なんだろうな。
それだけの力ってのが、僕じゃなくほぼ澪を指しているのが微妙に悲しくなるけど。
まあ、これからについては、ツィーゲに着いたあとのんびり考えよう。
「お兄ちゃん、何かいる!!」
「若様、あそこです」
リノンと澪の声に反応する。虫……だな。
前足が鎌みたいな蟻と、全身真っ赤な蜂。どちらも大きさは大型犬くらい。数は……合わせて十匹くらいか。
確か、サイズアントとレッドビーとか言ったかな?
結構剥ぎ取れる素材が多い連中だった気がする。
振り返ると、石壁を眺めていた荷台の同行者たちの視線も虫にくぎ付けになっていた。いい加減、「首ばっかり伸ばしやがって、おのれら亀か」とつっこみたい。
「ラ、ラ、ラ、ライドウさん!! あれ、あれ!」
トアさんが興奮した面持ちでモンスターの群れを指差す。
ちなみに、ライドウというのは僕の偽名である。
[サイズアントとレッドビー、でしたっけ? あれがどうかしたんですか?]
「違います! あれは、レッドビーじゃありません!!」
まだ遠目だというのに、トアさんは確信しているみたいだな。
「信じられない……ルビーアイ」
冒険者Aことエルフのお姉さんが、驚いた顔をして手で口を覆っている。
弓とか魔法を使う、僕のイメージのまんまのエルフさんだ。
「本物だ……」
冒険者B、ヒューマンの青年が呟いた。
錬金術とかを扱う、器用だけど特別秀でたところのない魔術師って印象かな。
ルビーアイね。
レッドビーに似ているけど、どうやら違ったみたいだ。
冒険者のみなさんの反応を見る限り、蜂っぽい奴はレアモンスターみたいな感じ?
蜂の数は六匹。どれも同じに見えるから全部ルビーアイか。こっちに気づいているようだが、距離はまだある。
[珍しいんですか?]
「物凄く珍しいです! こんな街の近くで出会うなんてありえない!」
冒険者C、金属製の全身鎧を身に纏ったドワーフ娘の神官戦士もかなり興奮している。
「それで滅茶苦茶強いんですよ! 魔法が殆ど打ち消されちゃうんです! レッドビーとは比較にならないくらい素早くて、針だけじゃなく脚先の爪や顎の大きな牙にも強力な毒を持ってるんです!!」
トアさんがルビーアイの強さを解説してくれた。
ふぅん、確かにレッドビーより強いみたいだな。
冒険者はみんな凄く興奮しているけど、それだけ強いとなると色々やばいんじゃ……。
[みなさんで倒せそうですか? でしたら相手はお任せしますけど]
ただ馬車に乗っているだけでは腕が鈍るだろうと、彼らでも戦える相手のときは戦闘を任せていた。だから、今回もやれるのなら任せる気でいたのだが――。
「絶対無理です! 私たちではみな殺しです!!」
……おい。
「あれと戦うには、たとえ相手が一匹でも、連携とバランスの取れたレベル130以上のパーティでないと厳しいです」
その条件を満たしているのはトアさんとドワーフ娘くらいか。となるとやはり……。
[澪、頼む]
「もう! あの蟻の方、昨日戦闘したとき、私の服を溶かしたんですよ?」
そう言って澪が見せてきたのは着物の袖の端っこ。……ほんの数センチじゃねぇか! そのくらい気にしなくてもいいだろ!
[街についたら直せるよ、とりあえず今は、な?]
「もう……わかりました」
戦ってくれるみたいだ。助かる。
「澪様! サイズアントは鎌を残してください!」
「ルビーアイの頭は絶対つぶさないで!」
「あと、ルビーアイの羽根も……」
応援より先に要望が飛ぶ。実に現金な人たちだ。
「……若様」
嫌な予感。
[何だい?]
「私、嫌です。若様にお願い申し上げます」
『ちょ!』
わお、全員の驚きがハモった。ちなみに僕のもね。
[ぼ、僕にやれと?]
「毎回毎回……面倒くさいんですの! あそこを残せ、そこを狙えと。これまで我慢してきましたけど、もう限界です!!」
[で、でもな澪。一応貴重な素材でもあるんだろうし、お前の修行にもなるだろう?]
「手加減の勉強なら十分いたしました! 若様こそ良い修行になりますわ。お譲りいたします!」
ぷいと首を振って拒絶のポーズ。
はぁ……。トアさんたちに無能と思われたままなのも少し癪だし、ここは僕がやりますか。
[仕方ないな。では、僕がやろう]
「ええええ!?」
まっさきにリノンが驚愕。
しくしくしく。どんだけ僕に期待してないんだよ。
「あ、あのライドウさん? 私たちでも死んじゃうんですよ!? 澪様にお願いしましょうよ!」
トアさんの言葉を皮切りに、他の奴らも口々に僕を止めてくる有様。
自分の評価に泣きたくなるとはこのことである。
弓と矢を取り出し、澪に目配せをして馬車を停める。
えっと、蟻の急所は頭だったよな。蜂はどこだっけ?
[ええっと、サイズアントは頭が急所でしたよね。ルビーアイっていうのは? 頭?]
「だから無理だって!」
「ルビーアイは頭だけは狙っちゃ駄目ーー!!」
「人の話もちゃんと聞いてないのに戦いなんて!」
冒険者から次々にネガティブなことを言われる。
しかし凄い言われようだ。さすがにへこむ。泣くぞ?
確かに頭は狙うなとか言っていた気がする。これは失言だったな。
[いいからルビーアイの弱点はどこなのかを教えてください]
「うわー、この人本気だ!」
冒険者Bの錬金青年が呆れた声で呟く。
こいつ、この旅路で唯一の男仲間だというのに、容赦なしかよ。
「お願い、今からでも澪様を説得して」
エルフさんが落ち着いた口調で僕を諭す。
……あなただって弓の使い手でしょうに。
同じ弓を使う僕に、もう少し優しくなってもいいと思う。
「……ルビーアイの急所はたしか腹部です。発達した前脚が攻撃を遮るので、狙うのは困難ですが」
トアさんの発言に他の連中が黙り込む。うむ、この娘は見る目があるな。僕の実力が、弓を持ったときに漏れ出てしまったのかもしれん。ふふ、自分が怖い。
……よし、頭と腹ね。
ふん、この距離ならば外すわけがない。
弓を構える。
(おいおい、トア!?)
(黙って! 集中してるみたいよ)
(いや、だから無理だって。魔法ならともかく、弓の射程じゃない)
(……それにあの子レベル1らしいわよ? 何考えてるのよ)
な、なんて失礼なやつらだ。最後の冷静なエルフっ子の言葉がそこはかとなくひどい。あいつ、澪には様づけの癖に!
だが僕は、十の標的のうちすでに六つをロックオン済みだ。
七、八、九……。
トアさんの期待に応えるとしますか、とか思っていたら……。
(大丈夫。いざとなれば澪様が出てくださるわ)
……トアさん。
(おお、なるほど)
納得するなドワーフ娘。
(それに澪様が任せたってことは、ひょっとしたら凄いかもしれないじゃない)
お、良い方向だ。トアさん、そのまま。
(……いやいやいやレベル1だぞ?)
黙れヒューマン。
(ライドウさんじゃなくて。あの弓矢が実は物凄い業物かも。高度なエイミングとかクリティカルが付与されていて、必殺必中なのかもしれない)
……そっちか。そっちなのかー!
トアさんを見直しかけて損した。
(……なるほど、それは考えてなかった。うむ、弓はともかく矢の方は結構しっかりしてる)
エルドワに作ってもらった矢はさておき、確かに弓はごく普通のものなんだよな……じゃなくて。
同じ弓を扱う者として、エルフさんには少しくらい優しい言葉を期待したんだけどなあ。
心のダムが決壊しそうだ。
お前ら全員、永眠グしてやろうか? 愚か者どもめーー! ……うぅぅ。
もういい! 見て驚け!
「お兄ちゃん、大丈夫?」
もう、リノンが一番良い子に見えるね!
距離は百メートルくらいか。
よし、全標的ロックオン完了……ルビーアイからいくか。
「……ふぅぅ」
息を静かに吐き、矢を放つ。ターゲットは先行して向かって来たルビーアイ二匹のうち一匹。腹部に風穴を開けられて、地に落ちた。
続いて残る一匹。
前脚がどうのとトアさんが話していた通り、確かに腹を庇うようにゴツい脚を前へ出しているけど、わずかな脚の隙間を貫く。
三、四、五……。
僕は順調にターゲットを消化していく。
後ろで「嘘……」とか「何だ、これ」といった感想が聞こえる。
わかったかね、弓を使わせたら僕は、それはもう凄いのだよ?
八、九……。
これで終わり、と。
最後に蟻の頭をぶち抜く。
ここまでで約三十秒。
全部一撃で狩ってやったわ! 遠距離攻撃の威力なめんな?
うむ、ここんとこ亜空に行っておらず、実は弓を構えたのは久しぶりだった。多少鈍ってはいるものの、実戦では問題ない。安心した。
「……凄い」
リノン、素直な感想ありがとう。これで僕への評価を改めたでしょう。うむうむ。
[こんなものです。見直しました?]
後ろの連中に言ってやる。ついでに弓を手渡す。特別な効果なんてついてないからな!
「す、凄い。一見普通の弓なのに……」
だからドワ娘! 弓じゃねえんだって! どうして信じてくれないんだ……レベル1ってそんなに信用ないのか……畜生。
[……これは普通の弓ですよ。矢も腕の良い職人に作ってもらいましたけど、魔法はかかっていません。私は、幼いころから弓矢だけは得意だったのですよ]
自分で説明しちゃったよ……大活躍したはずなのに意気消沈する僕。
「これ、間違いなく何の付与魔法もかかってない」
僕の説明を無視して弓を調べていた錬金術師の青年が、結論を出した。
まったく、僕の実力を疑う無礼な奴の名前など絶対に覚えてやらん! 目の前で起きたことを疑ってかかるとかありえんだろ!
「……ありえない」
自身も弓の使い手であるエルフさんがぼそりと呟く。
「威力も、射程も、精度も、あんなの初めて見た」
「よね」
トアも同意する。道具の性能とばかり思っていたので予想外だったのだろう。
まあ、これまで彼らの前では何もしていなかったわけだし、驚くのも無理はないか。
それはさておき、お次は素材ですかね。
澪に指示して、馬車を死骸の近くまで進めてもらう。
トアさんたちは馬車から降りるやいなや、サイズアントとルビーアイの死骸へと駆け寄って行く。素材の剥ぎ取りには参加しないが、僕も近くへ行き、様子を観察する。
へー、本当にレッドビーと違って目が紅く輝いている……ルビーアイとはうまく名づけたものだ。
冒険者たちは一言も発さず、無我夢中で素材を剥ぎ取っている。何度見ても慣れない光景だな、こりゃ。
特にトアさん。そんな嬉しそうな顔しないで……。
[みなさん、もういいですか? さっさと素材を集めてツィーゲに急ぎましょう]
残り一体となったサイズアントから、鎌みたいな鋭い前足を切り取っている冒険者チームを急かす。
僕の出したフキダシを見た四人が、作業を切り上げて戻って来る。
ルビーアイの瞳は損傷もなく、六体から十二個回収できた。レアなモンスターの素材だから、きっと高値で売れるだろう。
素材の回収を終えた四人を乗せて、僕らは再びツィーゲを目指して馬車を走らせた。
ベース破壊から大体三週間、僕が「こっち」にきてから二ヶ月と少し経つ。
日が中天にかかったころ。
僕はようやくツィーゲに、この世界に来てから初めて街らしい街に到着したのだった。
今はもう存在しないベースの生存者である五人と僕、それに澪。七人を乗せた馬車はのんびりと進み、門をくぐった。
応援ありがとうございます!
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