月が導く異世界道中

あずみ 圭

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8巻

8-2

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     ◇◆◇◆◇


「ラ、ライドウ先生! 大変です、大変なんですよ街が!! いきなり現れた怪物がいろんな所で暴れてるって!!」
「ゴテツとかクズノハ商会のあたりも酷い混乱に陥ってます!」

 ルリアとエヴァの声。二人の声で、大騒ぎの会場に意識が戻る。
 声のした方を見やるとそこには、息を切らせ膝に手をついているアーンスランド姉妹がいた。
 街の様子を伝えにきてくれたのか、それとも会場内で僕らのいる場所が一番安全と踏んだか。
 どっちにしても実に良いタイミングだ。ちょうど二人について考えていた時にやってきてくれるなんてね。
 エヴァさんにケリュネオンの件を持ちかけた夜。実はあの後、ルリアにも同じ話を持ちかけに行った。
 二人の結論が一緒なら……僕は……。
 街にも怪物が出たようだし、もう自分の不甲斐ふがいなさに打ちひしがれている場合じゃない。
 イルムガンドの変異は、彼一人だけの異常事態じゃないって事だから。
 ロナさん……ロナ。
 結局、お前は僕をだましたんだよな。
 嘘はついていないとか、聞かれてないとか、口約束だとか。
 そんなのはどうでもいい。
 お前がそういう風に振る舞うなら……僕だって同じように振る舞わせてもらうさ。
 というていで、どんな手段で騒動を収拾しようと……それは僕の自由だよな?
 ――識に言われて思い返せば、確かに僕から一方的に信頼していただけだったんだな、とも思う。
 だけど、それでも、「騙された」という気持ちを抑えられない。

「とにかく、早く逃げるか対処するかしないとここだって危険です、先生!」
[エヴァさん、まあ落ち着いて下さい]
「でも!」
「落ち着いてたら凄くまずそうですよライドウさん!」

 ルリアが周囲を気にしながら必死な様子で僕を急がせてくる。

[まずは知っている事を教えて下さい。それから、少し早いですが、この間の夜の答えも聞かせてもらいます]
『……っ!?』

 姉妹が揃って息を呑むのがわかった。
 彼女たちの焦る様子に対して、僕の方はといえばどんどん落ち着きはじめている。
 エヴァさんとルリアだけじゃない。
 イルムガンドの変異と外の騒ぎの情報が入ってきた事で、会場は完全にパニック状態にある。
 変異が始まった頃はまだ現実離れした光景だったからか、ポカンとしていた者も少なからずいたけど、今となってはまさに蜂の巣をつついたような大騒ぎだ。
 なのに……僕は逆だった。
 力で解決出来る状況になればなるほど、僕は楽になるのかもしれない。
 そっちにはある程度自信があるから。

 ――自分は魔族から酷い目にわされていない。だから、彼らは信頼出来るいい人達だ。
 なんてのはとんでもなく甘い発想だった。
 敵の敵は味方。
 異世界に来るまでは、そんな言葉はまやかしに過ぎない、現実はもっとシビアだ、とか思ってたくせに、実際にそんな状況に身を置いたたん、見事にそのまやかしを信じてしまった自分がいる。
 馬鹿だね、本当に馬鹿だ。
 ただ……。
 これが純粋な交渉や商談だったら、もう取り返しはつかないかもしれない。
 けど、違う。
 今起きているのは、暴力が何よりモノを言う荒事だ。なら僕に、僕らに取れる手段はいくらでもある。
 対処出来ない可能性はほぼない。
 ひとまず、エヴァとルリアの答えを聞こう。
 そして今後の方針を決める。
 まだ少し乱れた心を内にしまい、いつも通りのライドウの顔で、僕はアーンスランド姉妹の返答を待った。


     ◇◆◇巴◆◇◆


 若が問うた最終確認の言葉に、エヴァは悩む様子も見せずに即答した。

「勿論です。エヴァの名もアーンスランドの家名も。そしてケリュネオンの地も。それが、あの場所で全てをやり直す代価だというのなら差し上げます。どうぞ、お好きなようにお使い下さい」
[それで良いんですね、二人とも。後悔はありませんね?]

 ふむ、思ったよりもすんなりといったか。

「私も構いません。名前にれんはないです」

 ルリアも姉に同調して応じた。
 姉妹別々に問いかけたと若はおっしゃっていたが、どうやら結論は同じ、か。
 妹の方が現実を見ているかと思うたが……どちらも良い具合に壊れておるのかもしれんな。
 かすかに妹の方の視線が舞台へと流れた。
 ……なるほど、イルムガンド=ホープレイズと因縁いんねんがあったか。
 若に危害を及ぼす恐れもないじゃろうし、捨て置いて良かろう。

「ライドウ先生、ルリアにも同じ質問をしていたんですね。意地の悪い事。もしどちらかが首を横に振っていたらどうなさるおつもりだったんですか?」
「ホントに。そういうのって性格悪いと思います」

 二人が口をとがらせて若に非難の声を上げる。

[もしも意見が食い違うようなら、お二人にはあの選択自体を忘れてもらう気でいました。ですが、安心しました。ではこちらも約束を。近いうちにその時は必ず来ます。どうかこの契約を忘れないように。ただの口約束ですが、もしも破られる事があれば、お二人の命だけでは済まないとご理解下さい]

 ふふ。
 若らしい。
 少しだけ頭にロナとかいう魔族の女の姿がよぎったようじゃ。
 まあ今回、若はこの姉妹の望みを叶える側。此奴らの裏切りなど、まずないじゃろうがな。
 ……儂らもそんな真似は許さぬし。

「ああああああああおおおおおおおえええぇぇ!!」

 ――五月蠅うるさいのう。
 イルムガンドだったモノから不快な絶叫が吐き出された。
 その体は不似合いな優しい水色に包まれ、時折各部を痙攣けいれんさせておる。
 未だに内側から体はぼうちょうし、肌などは灰色。人の肌の色ではない。
 いよいよ、人型のナニカ、になりつつあるのう。
 変異の途中じゃが、異様に伸びた首など気色の悪いもんじゃな。
 儂もまた人型になって思うが、想像も出来ぬような化け物より、人に近いが決定的に人ではない、どこか崩れたぎょうというシロモノの方が、人にとってより一層嫌悪感を与える姿かもしれぬな。
 儂の幻にも応用する価値はあるか……。

「周囲のパーティメンバーからも魔力を吸収しています。どうやらあの者達も薬物を摂取せっしゅしていたようですね。察するに、変異にまで症状が進むと、周囲にいる同じ薬物を摂取した者から魔力を吸収出来るようです。なかなかに効率的」

 識の淡々とした分析。
 元々それなりに研究していたからかの、良く見えておるもんじゃ。

「ふむ。魔力が足し算されるのなら、変異した者は付近にいる同類の分だけ強くなるわけか。便利じゃな、適当にあの装飾品と薬をばらまいておくだけで怪物とそのえさを同時に用意出来る。しかも自然に存在する魔物よりも強い。目的次第では確かに有用じゃ」

 識の言葉を聞いて、儂もあの魔物について思う事を言っておく。
 今、若は混乱されておる。従者である儂らが、上手く状況を説明して差し上げるべきじゃな。

「あれは食べたくありませんわね。不味そう」

 澪の奴はしかめ面をして、一瞥いちべつをくれただけでそっぽを向けおった。
 やれやれ。
 若の生徒達はまだ控え室から戻ってきておらん。
 まあ、武器を手にしてすぐに姿を見せようから、気にするまでもない。
 あの化け物の変異速度は非常にゆったりしておるから、時間の余裕も十分じゃろう。

「識、あれを元に戻す事は可能なの?」

 ……若。
 ああ、以前、くうに住む森鬼もりおにが持つ、人を木へと変えてしまうじゅつ樹刑じゅけいを解除する方法を若が儂らに調べさせた事があったな。
 今回の変異と樹刑では随分と状況も経緯も違うが……識はどう答えて見せるか。
 馬鹿正直に『難しいが戻せるでしょう』などと言い出さねばいいが。

「難しいですね。絶対に不可能とは申しませんが、かなり面倒でしょうし、気乗りもしません」

 くくく。
 良い答えをしおるな。
 確かに、やって出来ん事はない。
 若も協力されるとなれば、むしろ出来ぬわけがない。
 だが……そこには面倒しかない。今の若や儂らには価値のない行い。
 識め、言うのう。
 気乗りはしません、は良かった。

「わかった。巴、亜空からモンドも呼んでおこう。ライムとコンビで動いてもらい、アクア達の指揮もさせて街の騒動を鎮圧させる。それと併せて怪物達を何体かサンプルとして捕まえておいて欲しい。だから樹刑も使って良い。悪いけどサンプルの運び込みまで監督をお願い出来る?」
「……御意」

 ロッツガルドに出てきている森鬼、エルダードワーフの人数を確認……ふむ。
 続いてライムとモンドにかしらになるように命じて、若の指示を伝えていく。
 一応『念のため』行動に移るのは待たせておく。
 しかし……若は本当に『身内には』お優しい方じゃ。
 亜空の誰かが間違ってこのような危難に見舞われた時の為の対処か。
 サンプルを捕獲し、一応対策を練らせるおつもりなのじゃろうな。

「若。ライム達から、商会に陳列した商品と店舗にある在庫は全て撤去済みだから気にしなくて大丈夫、との事です」
「そっか。ありがたい。よし、じゃ識は生徒達のフォロー。どれだけ変わろうと元はイルムガンドなんだし、識なら問題なく対処可能だよね?」
「勿論です。……僭越せんえつながら今のご指示に少々思うところが。現在商会に勤めている従業員だけでは人数的に街全体に対応するのは難しいのではないでしょうか?」

 じゃろうな。その必要もないと思うが。
 さて若はどう――。

「……そっか、ならミスティオリザードも呼ぼう。でも変異体と勘違いされても困るから、説明出来そうな者と一緒に行動させないと。生徒なら訓練もしているし多分――」

 ……いかんな。
 若、それではまた、結局無償で危機をぎ払ってしまいます。
 残念ながら、ヒューマンというものはそういう存在を必ずしもあがめたりはせぬのです。したに出れば出ただけただの便利な道具として扱おうと、そう考えてしまう愚かさを持つ生き物なのですよ。

「わかりました」

 識が若の指示を受諾じゅだくする。
 こやつ、街で生活する上で若以上にヒューマンに感化されておるんじゃなかろうな。
 若の優しすぎる考えを、あるべき正しい方向へ導くのがこの街でお前がになう仕事だろうに。

「それから澪と識で……」
「若」
「え、なに巴?」

 若は口でも表層の思考でも、ヒューマンや魔族を簡単に信じまいと考えるようになってはおられる。しかし深層では、まだおひとしの若のまま。
 儂とてそれは変えとうないし、そのつもりも毛ほどにもないが。
 じゃが、その甘さにつけ込むやから蹴散けちらし続けるのも面倒。
 ここはこの混乱に上手く乗らせてもらうのが良かろうて。

「これは、考えてみれば素晴らしい状況ではないですかな!」
「……はい?」
「時代劇で言えば物語のきょう! ここをどう切り抜けるかでその後の大団円だいだんえんが左右される、そういう状況ではないかと。うむうむ」

 多少趣味も混ぜつつ、若に提案していくとするか。

「ええっと、つまり、これからどんな殺陣たてをしようかって事か?」
「ざっくりいえばそうですな。魔族がさくを仕掛け、街は混乱し、因業いんごうな商人や貴族達も、善良なる民たちも、そしてしょうながら我らと関わりを持つ者達もそのちゅうにおります。そして、他の勢力はいざ知らず、儂らだけはこの状況下で、完全にこちらの裁量で関われる」
「……」
すなわち。儂らが欲しい結果に合わせて、好きな場所で殺陣をして、しかも感謝される。見返りはよりどりみどりですぞ」

 努めて明るく、そう一気にまくし立てる。
 若は……まあ、案の定引いておられるな。
 このくらいの事を考える程度には怒りを覚えておられたはずなのに。
 じゃからこそ、今は良い機会じゃ。

「え、えちならぬ巴屋がいる。なんて悪い顔して笑うんだ、お前は」
「かっかっか、儂とて若をこんな街の商人風情ふぜいいじめられて、多少は腹が立っておりますからな」

 多少の意地悪は覚悟してもらおうかと思う程度に腹が立っておるのは確か。
 そう……の意地悪はのう。

「あ、それは同感ですわ。私は腹の底から全員り潰したいくらい怒ってますけど。少なくとも、特に力のある商人どもはこの混乱に乗じて皆殺しにしたいです」

 澪。
 お前はどうしてそう直球なんじゃ。
 儂に同意したかのように手を挙げるでないわ。儂まで血みどろが好きな悪人に見られるじゃろうが。

「まあどう動くかという意味合いでは……エヴァとルリアはここにいるわけですし、ジンやアベリア達もいますから、まずはこの場所でイルムガンドを鎮圧し、安全にしておくのが最善だと思います。その後に商会の利益を追おうとするなら、本当に恩に着せたい場所でだけ動き、他は放って置くのもありかと思います」

 識。
 やはり学園の被害には無意識に敏感びんかんになりつつあるのかのぅ。元はヒューマンとはいえ、困ったもんじゃ。

「あまりあれこれ動かない方が良い手かなあ?」
「はい。今後の商人からの要求その他にしましても、この騒ぎで被害が大きければ大きいほど動きが遅れる事が予想されます。確実ではありませんがこちらを敵視する大きな商会も幾つか消えてくれるかもしれません。きちんと組織化されたところは難しいですが、大きな商会でも代表のきょうけんに頼り切っているところは思いのほか多いですから。どちらにせよ、被害を最小限に抑えるべく街の為に全力を尽くすというお題目だいもくを馬鹿正直に実行してしまうのは問題かと。その場合、連中の事ですから一層扱いが悪くなりかねませんので」
「ですから! 若様を攻撃しようと考えてる馬鹿とねたんでるくずを、片っ端から証拠の出ないようにみなごろ――」
「澪、お前は少し黙っておれ」

 澪は相変わらずブレないのう。実際、かなり上策に入る解決策ではあるが……。
 とはいえ、クズノハ商会がにんきょうどう邁進まいしんする覚悟があれば、という前提がつくからのう。
 今回は無しじゃ。


「んー……。このまま一気に街を救っても、僕とクズノハ商会の状況はそこまで好転しないのか……」
「来賓から講師としての技量にも目をつけられれば、むしろ悪化ですな。各国から注目のまとですぞ」
「ぐっ」
「今回は仕事人風味。勧善かんぜんちょうあくとは言い切れない立ち回りもまた妙かと儂は思っとります、若」
「……具体的には?」

 こうして話をすれば若はこちらの言葉に耳を傾け、そして聞いて下さる。
 だからこそ、今回は商人や貴族の声よりも先に、儂らと話をしてもらわなければならん。
 もしもの時には、後から幾らでもお叱りを受けますゆえ、ご勘弁を。

「ずばり。正義の味方のように颯爽さっそうとこの騒ぎを鎮圧してみせるのです!!」
「……おい。それはもろに八代将軍様とか老公ろうこう様の路線だろう」
「……ただし」
「ん?」
「正義の味方のように、という事は、動き出すのはそれなりに被害が広がり、住民にも街にも絶望が満ち始めてからです」
「え、今すぐじゃないのか?」
「それでは単に時間が巻き戻るようなもの。事件が無かった事になって平穏になっても、誰も若に感謝せんではないですか」
「あ、ああ」
「この街が痛みを知り、覚悟もし、助けを心からうようになった頃合ころあいで……動きます。限りなく人命を尊重し見返りも求めず、どこまでも住民の為に動き、物資も出し、既に失われたモノをいたみ、失われつつあるモノは救う。そうして、この街の住民をクズノハ商会の味方にしてしまうのです。街が平穏を取り戻した時、儂らを攻撃しようとする商人どもが残っていたとしても、奴らはクズノハ商会の戦闘能力と危機処理能力をその目で見て知っているわけです。どれほど噛みつきたくとも、圧倒的な力を持ち住民の支持まで得た商会を敵に回そうなどとは、まともな商人ならば考えぬでしょう」
「……襲われてピンチになってから助けてもらった方が記憶に残る、か」
「誰にも知られず動いたとて、誰の感謝も得られませぬ。それがヒューマンの世界というものでしょう。残念な話ですが」
「動くタイミング次第では物凄く非難されそうな作戦の気もするけど……」
「そこは儂にお任せを。最高の時機じきを見極めましょうぞ!」
「……澪は? どう思う?」

 澪、わかっておるじゃろうな。ここでごねるでないぞ?

「私は、やっぱり邪魔者は消してしまうのが一番こんの残らない方法かと思います。でも……この街でこれからも若様が普通にやって行かれるのなら……巴さんのやり方、悪くないと思います。お話を聞いている限り、街の住民はそれなりに恐怖を味わい、命も失うのですから、横暴なこの街の商人どもを殺せないのは悔しいですが、その作戦で我慢します」
「そ、そっか」

 よし。澪も若もほぼ同時に落ちた。
 あとは儂が絵図えずくのみ!

「どうでしょうな、若」
「良いんじゃないか、と思う。でも魔族はどうする? 勝手に解決しちゃいました、で通るの?」
「魔族に完全に利するつもりなら良くはありませんが……若は別に魔族側につくつもりではないのでしょう?」

 そうじゃったな。まだ奴らが残っとった。

「まあね。ケリュネオンは出来れば平和的に欲しいけど」
「あそこは儂の調べではさほど重要な扱いは受けておりませんでした。てられたとりでを再利用してそれなりの数の魔族がちゅうりゅうはしているようでしたが、その程度です。今回の件は奴らの方の思惑について、こちらがとぼけてみせればさほど問題にならぬかと」

 儂の言葉に、黙って我らの会話を聞いていたエヴァとルリアが目を見開く。
 この地で、いやヒューマンの情報網で魔族の勢力下に入った今のケリュネオンの様子などわかろうはずもないから、まあ無理もないのう。

「この騒動の後、ロナから連絡は来るかな?」
「おそらく。どう決着をつけても連絡はしてくるでしょうな。しかし、魔王との謁見が流れる事もありますまい」

 魔族は力をじょうとする種族。
 この作戦にどれだけの期待をかけておるにせよ、若がそれを治めたとあれば、若の力への興味はむしろより強くなるはずじゃ。
 ただでさえ不利な戦争をしておる連中、不安な要素は早めに見極めようとする。
 有能な者であれば確実にな。

「わかった。巴のタイミングで本格的に動こう」
「若様。少しよろしいですか?」
「あ、識。なに?」
「一点、確認をと思いまして。若様は今、状況をどうのという以前に、誰を、何を守りたいとお考えですか?」

 若が街の被害を受け入れたのが、識には危うく見えるか。
 余計な事を、と思いはするが、此奴なりに若に後悔をさせぬよう心を砕いているのだろう。
 わかるだけにここは止められんな。

「誰を、何をって……」

 若は識の言葉に一瞬戸惑い、あれこれと思案し始めた。
 もう会場からはひとが殆どなくなり、儂らだけがのんびりと話し合いなどをしている。
 ――若の思考の中では、様々な人物が浮かんだり消えたりを繰り返しておるな。
 結局、うっすらと姿が残った数名と、はっきり姿の残った数名が若の心に映された。
 やはりか。
 若は病や呪いで人が命を失う事を悲しまれる。じゃが、事故や戦いによるそれに対しては……。
 いや、今は深く詮索せんさくはしまい。
 こうも心をさらけ出してくれる若に、幾分か差し出がましいからのぅ。
 面倒を見ている学生に、レンブラントか、あとは店の常連が数人。
 損得だけでも感情だけでもなく、じゃの。
 む。
 そのレンブラントがこっちに来おった。

「若、レンブラントがこちらに向かってきております。あちらに」

 しばらく考えこんでいた若に声をおかけする。
 見れば舞台には学生達も揃い、すっかり灰色の巨人と化したイルムガンドに相対していた。
 じき始まる雰囲気じゃな。
 そしてレンブラントとその妻の姿を見た若の感情が若干穏やかなものになる。
 表情にも柔和にゅうわな笑顔が浮かんでいた。
 ……レンブラント如きが心配するほど、若は弱くない。
 むしろ、今の若を心配する必要があるほどの危険な事態など、儂にもあまり想像が出来ん。
 だが、無知であるが故のレンブラントの、若の身を案じる表情が若を穏やかにさせた。
 何故かな、少しだけじゃが。
 若をさほども知らぬはずのあの男がねたましく思えた。
 それは澪も同じなんじゃろうな。
 かすかにだが若に駆け寄るレンブラントに儂と同じ目を向けおった。
 今はまだ甘く、やすく傷つかれる我らの主人。
 こんな時にまず穏やかに笑って頂くのは、儂らの役割の、一番大事なとこじゃった。
 儂もまだ修行が足りん。
 せめて、若に提案してみせた正義の味方作戦だけでもしっかりやる事にしよう。
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